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筆不精者の雑彙

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【同人誌旧稿再録】いわゆる痴呆の芸術について~「加奈」評論~

 最近ちょっとツイッターで炎上したことがあって、その件とそれにまつわる分析は後日書くことにしますが(いろいろ用事があって忙しいので)、それに関連して畏友の長谷川晴生氏が、私が20年近くも前に(!)同人誌に書き、その後サイトに転載したものの、サイト消滅でお蔵入りになっていた旧稿の議論がそれに関係する視点を提供しているのではと指摘され、さてこそ炎上に追加燃料として、ここに復活させてみました。
 もっとも本当は、従前同様にサイト(何年も放置しっぱなしですが……)に再掲したかったのですが、html の書き方だの FTP のやり方だのをすっかり忘れているため、サイトに再掲するのは時間がかかると判断し、とりあえずブログに載せることにしました。書き方ややり方を思い出したらサイトへ移行させようと思いますが、まあ春学期終了後以降ですね。
 というわけで、20年近くも前に書いた記事ですが、まあ谷崎という古典のおかげで、今でも通じるところがある……かもしれません?




はじめに(2006.10.9.)
 本稿の初出は、電波サークル「原辰徳新監督」(当時)が2001年3月に発行した同人誌『哉』ですが、以下の文章は同誌に掲載された拙稿に、掲載時に長さの関係上から削除された部分を復刻し、また一部加筆訂正・画像数点を加え、若干の注釈・文字の装飾(カラー化)を施したものです。同人誌掲載時に文字の装飾(フォント拡大・斜体など)を施していますが、それは筆者ではなく同人誌の編集部が行っておりましたので、当サイト掲載分には同人誌掲載時の装飾は施しておりません。
 電波サークル「原辰徳新監督」「原辰徳前監督」「原に代わって代打吉村」の時も)とは、男ばかり数名にてコンシューマ版のギャルゲーをプレイし、てんでに勝手なレポ(のようなもの)を書き、コミケの評論分野に参加しているサークルです。サークル主宰にしてメインの評論担当の仙地面太郎氏、イラスト担当の猫一号・武田徹夜氏、編集・広報担当の渡辺順一氏をメインのメンバーに、たんび氏や小生などがゲスト原稿を寄稿しております。詳細は同サークルのサイトをご参照ください。

 同人誌『哉』は、1999年に発売されて大きな反響をその筋で呼び、「泣きゲー」の代表的存在の一つともなった美少女ゲーム『加奈~いもうと~』の、コンシューマ機に移植したものをプレイして、各々勝手なレポを書いたものです。特に小生は「感動」というものの濫用に敵意に近い感情を抱く性癖があるため、『加奈』のファンの方にはあまり面白からぬ文章と思われます。しかしながら、筆者の「オタク」観の一面をよく現している文章と思いますので、当ブログの「オタク」「マニア」論の補足としての意味も兼ねて、本稿を再録することと致しました。まあ、今読み直すと気恥ずかしいところも多々ありますが……。あと筆者は門外漢なので、「ギャルゲー」「美少女ゲー」の区別を分かっていません。その点はご諒承ください。
 なお文中、ニュース23の「幸福論」とは、2001年2月14日の同番組に、『加奈』に深く感動したあまり、再プレイしてもあるシーンから先に進めなくなってしまったという男性が、思いの丈を熱く語るという特集があったことを指しています。なおその時、ニュース23内では、そのゲームが18禁であることは一言も触れていませんでした。


いわゆる痴呆の芸術について~「加奈」評論~

 のっけから喧嘩を売っているような題名であるが、これはすなわち1948年に発表された谷崎潤一郎の随筆の題をそのまま拝借したものにほかならないのであって、別段痴呆ということばにこだわりがあるわけではないし、ましてやギャルゲーが芸術であるといいたいわけでもない。ただゲーム『加奈』を評しようにもどうもネタが見つからず、やむなきこととして表題の随筆をギャルゲーに置き換えて無理矢理にでも読み解くことで、なにがしかの随筆の材料にせんとのもくろみにすぎないのであるが、古典を顧みることでギャルゲーにも新たな視点を照射することができるかもしれないし、またこれで谷崎に対する関心が高まればそれはもっともっとすばらしいことであろうかと思うのである。
 大谷崎が「痴呆の芸術」といったのは、辰野隆が人形浄瑠璃をそう評したのを受けてのことであり、随筆中で谷崎は文楽の世界を愛しつつも、その伝統に根差す非合理性を認め単純に日本の伝統と称して称揚することを戒めているのであるが、その随筆の主語である人形浄瑠璃(時に歌舞伎)をギャルゲーに置き換えた時、なんとも微妙な笑いがこみ上げてくるのである。無論筆者は浄瑠璃はもとより、ギャルゲーに関しても不案内の門外漢ではあるが、非才も顧みず一場の座興を供してみたい。
 なお文中、この色は谷崎の随筆からの引用である。

 今回は「加奈」をワンプレイこなしたのち、「ニュース23」の「幸福論」なる企画のビデオを視聴したのであるが、まあどちらも見ていていろいろとある種の馬鹿馬鹿しいようなやりきれなさを感じ取った。細かくはおいおい述べるとして、『加奈』のシナリオは確かにプレイヤーを多く感動せしむるであろうとはいえるであろうし、「ニュース23」テレビ画面に映し出されたユーザー登録葉書もそれをものがたっているであろう。筆者とて全く何も感じなかったわけではないけれども、同時にかくのごとくミエミエの感動の誘導にそのままひっかかることは、なんともおのが沽券に関わる問題であった。ここで谷崎を援用すれば、
田舎芝居の「どんどろ」を見てうっかり涙を零したりして、急に極まりが悪くなってあたりの人目を憚りながらそっと眼のふちを拭ったりする、あの忌ま忌ましいような気持に似たものが必ず附き纏うのであって、二、三分間にもせよ、安価な感激に惹き入れられたことを腹立たしく感ずることも事実である。
 筆者の場合はあたりの人目以前に、
感心する自分自身を嘲るような、批判するような気持
が既に強固に内面化されてしまっているため、感心するという感情自体が抑圧されてしまっているのである。これは何もギャルゲーに限ったことではなく、およそ「感動のストーリー」であれば道徳の教科書から新聞報道の美談にテレビのドラマまで、およそありとあらゆる分野に波及している。しかし、安易に「感動しました!」という人間の感受性を信用しろという方が土台無理だと思うのである。

 『加奈』のストーリーは「感動のストーリー」として手堅く見事に纏められている。しかし感動の導き方が明確すぎて、個々人が異なった感想を抱きにくくなっている。我々にとってそれは、「つまらない」ことであった。製作者が作ったゲーム世界を拝見しているだけでは、シミュレーションゲーマーとしては物足りないし、よしんばこれを小説と見なしても、物語世界から広がるものが乏しいのである。
 かろうじて我々が想像力の翼を逞しくし得たのは、病室の加奈に持って行く本をどれにするのか選択する局面であった。本好きの我々は直ちに「与える本で女の子を思想的に調教するゲーム」を構想する。無論ゲーム上に登場する本は実在でなければならない。アマゾンや古書店、図書館のサイトと連携することで、ゲーム登場の本にはリアルワールドでも出会えるようになる。女の子に与える本は段階を追って選ばねばならない。易しいものから難しいものへ。本を与えるプレイヤーも、その分野に精通すればするほど、古書店でレアなその分野の本と出会えるようになる。例えばマルクス、エンゲルス、レーニン、ローザ・ルクセンブルク、ゲバラと読み進み、さらに『腹腹時計』などのレア本(注1)をゲットできると重信房子になれるとか。これはバッドエンドなのかどうかは筆者にも分からぬ。

 話を戻して、『加奈』のみならずギャルゲーに感心したという人は筆者の周りにも多いし、そのなかにはその教養の豊かさと人間的魅力について尊敬ぜざることあたわざる人物も少なしとしないのだが、しかし大局的にいって「オタク」であるということは否定し得ない。無論筆者自身とて大差ある種類ではないということは常々自己認識しているつもりであるけれども、やはりどうしようもなくなっているオタクを目にすると、一緒にされるのはたまったものではないという防衛本能がうごきだす。例えばコミケの人込みを縫って歩いている時など、諸兄も同様の感慨を抱かれたことも多いのではないだろうか。
 その同じ感じの顔がこうも沢山一つ所に集っている見、自分がそれらに囲繞されていることを発見すると、さすがに凄まじさを覚え、迂闊に敵国に足を踏み入れてしまったような無気味な心地がするのであった。そしてこういう顔の集団が醸し出している雰囲気が(中略)、とても自分には近寄れない、恐ろしく縁の遠い世界であるような気がして来て、そぞろに背筋がうすら寒くなったのであった。
 『加奈』を筆者が知ったのは、ギャルゲー雑誌を買ったからであるが、そしてそれがギャルゲー雑誌を買った最初で最後なのだが、買ったのは秋葉原でも池袋でもない、台北の重慶路――台湾の書店街であった。あの大地震(注2)の一月ばかり前、台湾を旅行中であった筆者は台湾土産に日本のマンガの中文版でもと思い、またそもそも書籍好きであったから、書肆街を訪れてみたのである。
 そこで中国近代史の書籍など(読みもしないのに)購入していた筆者であったが、ふと赤茶色のカバーの新書サイズ、厚みは2センチばかりの本が詰まった棚が目に付いた。日本でもそっくりの本を見た記憶がある。あれはすずらん書店(注3)で見かけた気がするし、書泉ブックマート(注4)の二階、筆者がアメリカのウォーゲーム雑誌やユニット収納ケースを手に取るところの向かい合ったところにもあったような……そう、それはギャルゲーノベライズの代表的なシリーズの一つ、パラダイムの本であった。それが台湾版となって棚を占拠しているのに筆者は圧倒された。見れば同じ棚には辰己出版の雑破業先生の作品なども訳されて並んでいるではないか。筆者は『灰姑娘狂想曲』『シンデレラ狂想曲(ラプソディー)』の訳本)(注5)を記念に買って帰り、これで中国語の自習に励んだ甲斐あって、第ニ外国語である中国語の追試を受ける羽目になってしまったのである。
 台湾での収穫はこれにとどまらず、セブンイレブンで売られていた星占いの小冊子――これは各星座ごとに12通りあるのだが、その表紙が「センチメンタルグラフティ」のキャラクター12人を使い(注6)、おまけに髪の色がオリジナルと異なっているのである。版権を受けていない贋物としか思えない。筆者はこれを12点全て買い込み、仙地面太郎氏に寄贈した。今も氏の手元にあるらしい。

 そしてそれ系の友人の土産物にしようと購入したゲーム雑誌が二点、『パソコンパラダイス』の中文版『電脳美少女天堂』(1999年8月号)と台湾地元の『新遊戯時代』であった。『加奈』の記事は18禁マークのついた前者に載っていたことは言うまでもない。後者は全年齢対象の雑誌であった。

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 ちなみに台湾の18禁マークは漢字で未満十八歳不得観覧」と書いてあるのであるが、このマークを『妖精狩猟者』もとい『エルフを狩るモノたち』中文版の表紙で見つけた時には苦笑を禁じ得なかったものである。

 帰国して新学期、サークルの後輩(彼の名誉のために断っておくが、彼は決して見るからのオタクではなく、その教養見識ともに今日の大学生の水準を遥かに超えた優秀な人材である)がどういうわけだか『加奈』に嵌まり込んでおり、そこで筆者も雑誌の記事を思い出したのであるが、ノベライズを読んでみて感動の誘導への強引さが目に付いて気に入らず、普段は一度買った本はどんな本であれ死ぬまで手放さないと公言する筆者が『加奈』ノベライズをその後輩に押し付けてしまったのであった。
 台湾で買ってきたゲーム雑誌は、帰国して読んでみると何だか面白く、未だに手許に置いている。ゲームの中文訳が面白い。『加奈~いもうと~』の訳は『加奈~妹妹』とシンプルであるが、『こみっくパーティー』の『同人誌宴會』は字面を見ているだけで妙に笑いが込み上げてくるのである。
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まんまといえばまんまですが

 もう一方のゲーム雑誌『新遊戯時代』は更に内容豊富で面白いのであるが、もはや本題から外れるため述べる紙幅がないのが残念でならない。(注7)
『加奈』との縁はそれきりのことであった。

 『加奈』はギャルゲーの中でもいわゆる「泣きゲー」で、そのなかでも抜きんでた出来栄えだということになっているらしい。実際、ギャルゲーの評論サイトを瞥見した限りではおしなべてそのような評価が下されている。しかしギャルゲーオタクであろう評論者たちのこのゲームへの賛嘆ぶりは、読む者をして引かせるに十分であったといえよう。『加奈』の扱うモチーフが一見普遍的で奇跡的現象の存在するゲームではないことから、このゲームに嵌まることはなんら疚しいことはないと信じている、その「ピュア」なストーリーに感動する自分に陶酔している傾向が垣間見えるのである。
 しかし冷静に見ればこの『加奈』のストーリーとて、奇蹟と御都合主義が横溢しているのは明らかである。
 しかるに歌舞伎や浄瑠璃の世界では、かようなある得べからざる奇蹟が頻繁に訳もなく実現するのみならず、その世界に住む人々もそういう奇蹟が起るのを当然と思っているかの如くで、誰一人訝しむ様子もない。(中略)仮定の事実そのものが馬鹿げているから、それを中心にして泣いたり喚いたり喜んだりする劇中の人物の凡べてが馬鹿げて見える上に、それを一生懸命に見物している観客までが馬鹿に見える。
 この谷崎の文言は、ギャルゲーマーに是非とも玩味して欲しい一節である。江戸時代、庶民のためのB級芸能であった「歌舞伎」「浄瑠璃」を、あなたにとっての「何か」に読み替えることができるだろう。
 「加奈」評論で覚えているのは、そのストーリーを高く評価しつつも、医学的描写の誤りを批判するものがあったことである。このゲームの医学面の描写が、ストーリー進行上不必要なまでに詳しいことは誰しも気づくかと思うが、作者はそれなりに勉強はしたのであろう。筆者らも考証癖は人後に落ちぬので、病気のみならず、スズメバチと木の実と林檎と葡萄が同じ季節に存在するのかなどといった疑問はすぐさま浮かんだのである。ギャルゲーの世界に入れ込んで想像を巡らすオタクは少なくない。それは本稿のような同人誌の恰好のネタでもあるが、今回はそれは控えることにしよう。
 もともと論理を無視した世界の物事を捉えて、末節の辻褄を合わせてみたところで何になるのか、わたしにはどうもさような人たちの気持が分からないのである。
 谷崎の指摘に敬意を表して。

 本来の「いわゆる痴呆の芸術について」の趣旨は、既に述べた通り浄瑠璃を伝統芸能として称揚し世界に広めることへの批判であった。「伝統」というのは微妙な概念であり、時の為政者や大衆が往々にして「伝統」をみずから作り出しそれが正当で絶対なものとして再構成してしまう。そして動きつづける時代の流れの中で、伝統の価値もまた動きつづけ、絶対ではない。
 今筆者はギャルゲーを俎上に載せているが、ギャルゲーに通じる人々はほぼ例外なくマンガとアニメにも通じている。そしてこれらのカルチャーは最近アジアで流行し、日本のオタク文化が浸透しているといわれる。先程触れた台湾の雑誌を見ればそれは確かに事実のようだ。それは喜ぶべきことなのだろうか。それで「日本文化」が「理解」されたといえるのだろうか。
 『電脳美少女天堂』のページを繰ってみよう。『紅蓮』なるエロゲーの紹介ページがある。この解説に曰く、「人物設定完全走日本伝統風格」と。……そうは見えない。グラフィックを見る限り絶対にこれが日本の伝統なんてことはない。どうみたとて20世紀末オタク文化の産物である。
 あるいは『新遊戯時代』を紐解いてみよう。『戦国美少女』というゲームのメーカーに台湾からわざわざ乗り込んでインタビューをしている。それによれば、日本の歴史を背景にしたゲームは台湾で人気があるらしい。なるほど、『信長の野望』の評価も高かった。しかし『信長』はまだしも、台湾人がいきなり『戦国美少女』をプレイしたら、日本史にどういう印象を抱くのだろう?(注8)
 あるいは台湾オリジナルのファンタジーRPGを見てみよう。筆者は軍事史に少しばかり関心があるので、現実の剣や鎧と、日本のファンタジーRPGに出てくる剣や鎧との相違を多少は知っている。そして台湾製ファンタジーRPGの武具デザインは、日本製の考証の誤りをそれ以上に拡大再生産していたのである。
 ただ返す返すも互いに相警めたいのは、これは世界的だとか国粋的だとかいって、外国人にまで吹聴すべき性質のものではないということである。(中略)まさにこれはわれわれが生んだ白痴の児である。因果と白痴ではあるが、器量よしの、愛らしい娘なのである。だから親であるわれわれが可愛がるのはよいけれども、他人に向って見せびらかすべきではなく、こっそり人のいないところで愛撫するのが本当だと思う。(中略)間違っても「世界的」なんぞになってもらいたくない。それよりもわれわれ日本人だけで、つつましやかにしんみりと享楽したい。
 あるいはこの谷崎の表現に時代差を感じ異を唱える向きもあるだろう。しかし「つつましやかにしんみりと享楽」という姿勢は必要ではないだろうか。「ニュース23」の「幸福論」で加奈が取り上げられると聞いて盛り上がった2ちゃんねるの書きこみを一つ引用するので、谷崎の言葉と比べてみると面白いだろう。

225 名前:名無したちの午後 投稿日: 2001/02/04(日) 14:49 ID:???
最初はえろげが必ずしも性欲の捌け口とされる後ろめたい物ばかりじゃなくて
それなりに「作品」として評価してもいい物もあるんだということで
多少なりとも世間の評価が変わるきっかけになればな、なんて思っていたが
今ははっきり言って恐怖感しかない。
どうやらネット上でレビュー公開してる人にメールで出演依頼しているみたいだが
彼等が「加奈は良いんですよ~号泣したんですよ~」とか叫んだらどうしよう?
ついでにいかにも救いようのないオタな容姿だったらどうしよう?
そんなことばかり考えてしまう。
やっぱりえろげは例えその中身が普通のエンターティメントと比べて
遜色ないものであったとしても、
目立たないようにひっそり生きていく方が良いと思う。

 そして「幸福論」を御覧になった方々はご承知の通り、救いなき画像が電波に乗って日本中へ、そして世界へ発信されたのである。

 随分恣意的に谷崎を読み替えてみたが、個人的には収穫が少しはあったと面白がっている。本稿の問題は、肝腎の「加奈」がちっとも出てこないことであるが、まあ、この企画の以前の「釈由美子」よりかはましなのであろうけれど。(注9)

※引用の出典は篠田一士編『谷崎潤一郎随筆集』岩波文庫(1985第1刷、1999第17刷を利用)
(2001.3.23.脱稿)

注1(原注):『腹腹時計』は日本共産党が武装闘争路線を標榜していた頃出されたゲリラ戦のマニュアル本。同種のものに『球根栽培法』『ケーキの作り方』がある。

注2:筆者が台湾を訪れたのは1999年の8月であったが、その約一月後の1999年9月21日に発生した大地震のこと。被害は大きく、死者は2000名を越えた。

注3(原注):すずらん書店は神保町のすずらん通りにある書店。エロ関係が充実した新刊書店。
 (ブログ掲載に際しての補足)すずらん堂書店は2017年に閉店してしまった。

注4(原注):書泉ブックマートは神保町の靖国通りに面した大型書店。マンガ・ゲーム関係は非常に充実。
 (ブログ掲載に際しての補足)書泉ブックマートは2015年に閉店してしまった。先のすずらん堂書店のほか、コミック高岡も2019年に閉店してしまい、神保町のマンガ事情はすっかり寂しくなってしまった。

注5:実は、一番肝心なえっちなシーンの挿絵が、台湾・香港版では数点削除されていたりする。

注6:もともと「センチメンタルグラフティ」はキャラクターの設定上、12人で12星座を網羅していた様子。

注7:同人誌の時はそう書いたけれど、ウェブサイトに転載した(ブログ転載に際しての補足:これは最初にMaIDERiA出版局〈現在消滅〉のサイトに転載した時のこと)のをいいことに幾つか挙げてみる。
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 表紙のゲームを紹介した、一見なんてことない記事のようでいて、左側を注視すると日本語の文章がそのまま(主題歌の歌詞?)が掲載されている。台湾の美少女ゲーマーたるもの、日本語の教養は必須らしい。日本のシミュレーションゲーマーにとっての英語みたいなものか。ついでに、右上段の紹介記事を読むと、この『キャッスルファンタジア聖魔大戦』、本来はエロゲーのはずなのに、台湾版にはえっちなシーンが無いらしい。まあ、このゲームも後にコンシューマー機に移植されたらしいので、別に不思議じゃないんだけど……表現に課される制限にはやはりまだ差がある(あった)ようで。なおこの雑誌は、この年の4月号(本誌は8月号)で、このゲームの絵師の「山本和枝老師」へ取材に来て記事を作成した由。
 個人的に一番ヒットだったのは、以下の広告である。
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 商魂たくましき『センチメンタルグラフティ』は台湾にまで進出していたのであるが、ここでは右下の広告に注目したい。
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 なんと、センチのキャラクターを使った日本語教材があったらしいのである。『もえたん』のご先祖に当たるのだろうか。台湾にいたときに存在を知っていれば、きっと探し回ったことだろうと思う。表題の読点の位置が日本語の文法と違うなどということはこの際無問題。

注8:この号では、『戦国美少女』の開発元に取材に行き、開発者にインタビューしている記事がある(4月号にはこれの山本和枝ヴァージョンが載っていたのだろう)。
 また、この号で取り上げている『信長の野望』は『烈風伝』である。星つき紹介記事では以下のような評価。
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 見事、五つ星。十数本ゲームが紹介されていた中、唯一の五つ星であった。この記事以外に簡単ではあるが『烈風伝』の攻略記事も載っており、日本に帰ってから私が『烈風伝』を攻略するのに役に立った(笑)。

注9(原注):「原辰徳新監督」(当時)の同人誌『釈』参照……といっても絶版なので内容を説明すると、『To Heart』をレポのために皆でプレイした時、主人公の名前を「釈由美子」にしたあげく余計なツッコミを入れる連中が続出したため、感動の物語のはずがただの喜劇になってしまったという一件のこと。このハプニングが無ければ、サークル「原~」もここまで続くことにはならなかったかもしれない。


 記事の転載は以上です。転載に際して最小限の誤字脱字の修正、リンクの改廃などを行いましたが、基本的には20年近く前と同じです。

Commented by at 2020-07-13 19:07 x
記事とは関係ないコメントとなることをお許しください。
ツイッター上で「鉄道×美少女の作品が少ない」とおっしゃられていたと存じますが、鉄道および二次元(美少女)の両方を好む私からすれば、需要がないのだと思います。
確かに、鉄道および二次元(美少女)の両方を好むものは比較的多いですが、例えれば鉄道はカレー、二次元はマグロの刺身みたいなもので、カレーの上にマグロの刺身を載せて食べるのが好きという人は、少なくともメジャーではないでしょう。別々に食べたいという人が多いはずです。また、鉄道を主役に添えた物語というのが、なかなか広がりづらいというのもあると思います。
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by bokukoui | 2020-07-11 11:38 | 思い付き | Comments(1)