先月に突発した(しかし実は数年前から少しづつ進んでいた)日本学術会議の新会員任命拒否問題ですが、これに抗議して問題発覚後にこのような署名活動が立ち上げられました。
この署名はすでに終了していますが、10日たらずで14万以上の署名を集め、それは13日に内閣府へ提出されました。その模様はマスメディアでも報道されています。
この署名活動を呼びかけられたのが、日本大学の古川隆久先生と、東京大学の鈴木淳先生です。お二人は、任命拒否された加藤陽子先生の大学・大学院での2年下の後輩で、鈴木先生は加藤先生の現在の東大での同僚でもあります。
そしてこの署名活動の結果と意味、学術会議任命拒否問題の見方について、さる10月26日に日本記者クラブで記者会見が行われました。会見に臨まれたのは呼びかけ人のお二人と、リモート参加の瀬畑源先生(龍谷大学)です。この会見は30分程度の三方の談話というか解説と、その後の質疑応答(30分の予定が20分近く伸びる)からなっていて、ネット上に動画が公開されています。
VIDEO
この動画の内容はたいへん学びになるもので、この任命拒否問題の核心がどこにあり、どのような問題に広がる懸念があるか、歴史的経緯や政治と科学の関係、公文書の扱いから見る前政権と現政権の問題、その問題が及ぶ影響、人文社会学の意義など、この問題に関する諸論点を網羅して、無体な攻撃を論駁するものとなっています。
先にまとめた石川健治先生の憲法論(「学問の自由」とこの問題の関係) と合わせ読めば、ほとんどの論点が論じつくされていると思います。
それだけの内容のある動画だけに、現時点で1万4千以上の再生回数があり、かなりの数だと思います。とはいえ署名した数の十分の一で、まだまだ広く知られていない憾みがあるのではと思います。この一因は、やはり1時間を超える動画で、気軽に見にくいことにあるのかもしれません。それに、この豊富な内容を後から参照するのに、動画ではやや不便です。そこで、勝手ながら私がこの会見を書き起こし、以下にまとめておきました。すると約2.3万字(!)の長さになってしまいましたが、決して間延びのない緊密な内容であることは保証します。
それでは、以下に書き起こしを掲載します。長さの関係から、本記事では前半の古川・鈴木・瀬畑各先生の談話の部分までを載せます。なお少しでも手短で読みやすくするため、敬体だった談話を常態に直し、敬語や間投詞を省略、一部の語順を入れ替えたり言葉を補足、参考のリンクを加筆するなど、書き起こしはそのままの文字起こしではないことをご諒承ください。もちろん、内容の趣旨が変わるようなことはないように気を付けております。石川講義書き起こし同様、現首相の名前は前々々首相との混同を避けるため、カタカナで表記しています。
============<書き起こしここから>============
――日本学術会議の問題について話を伺う。登壇しているのは鈴木淳東京大学大学院教授と古川隆久日本大学教授で、二人が呼びかけ人となって、人文社会系の研究者を中心に23人が賛同して、スガ首相に対して任命拒否の撤回を求める署名を集め、14万筆以上を集めたうえで13日に内閣府に提出した。
本日は呼びかけ人の二人と、賛同人の一人である瀬畑源龍谷大学准教授の三人から話を聞く。任命拒否についての考えや、撤回を求める署名を集めるに至った経緯などについて。最初にまず三人から30分ほど話してもらい、その後会場やオンライン参加の記者からの質問に答えてもらう。司会は日本記者クラブ企画委員で朝日新聞政治委員の坪井が務める。
古川 本日はこのような機会をいただきありがとうございます。私は日本大学文理学部の教員で史学科に属している。専門は日本近現代史で、昭和の戦前戦中期を中心に、議会・政党・官僚・天皇などをめぐる政治史、それから映画・音楽・国家イベントや歴史認識をめぐる社会史などを研究している。
この署名活動を始めようと動き出したのは私であるが、どうして始めたかといえば、10月1日の夜に最初のニュースが入り、2日の朝の朝刊やニュースでかなり詳しく報じられたと思うが、それを聞いて、学術会議の105人のうちで任命拒否された6人の中に、私の学部や大学院のゼミの2年先輩の、加藤陽子さんが入っているということに非常に驚いた。拒否されるような方とは到底思えなかった。
他の方は、宇野重規さんは政治学で、私も政治史の専門からもちろん存じていて、著作も読んだことがあるが、他の方々についてはそんなに詳しく知っていたわけではないが、それも含めて、これは非常に異常な事態だろうと思った。これは回りまわっていくと、異論封じにつながりかねないのではと思った。
私は、いろいろ言える社会にしておくことが国家の破綻を防止する良い対策であると考えていて、ちくま新書の『昭和史』という本を書いたときに、最後のところにそういうことを書いている。
日頃自分がそう言っているのに、ここで黙っているわけにはいかないだろう。しかもすぐ上の先輩がそういう目に遭っているという時にである。
その時、すぐ自分に何かできることはないかと思ったときに、オンライン署名ということを考え付いた。私は別に学会で会長などをやっているわけでもない一研究者ではあるが、今回の事態が見過ごされてしまうことは、社会にとっても非常に損害であると思ったので、この事態の不当性を社会の皆さんに広く認識していただくためにもオンライン署名という形がいいのではないかと考えた。
一人だけでやるといろいろミスもあるので、相談でき信頼できる呼びかけ人をもう一人作りたいということで、もともと大学と大学院で同級生だった鈴木さんに、呼びかけ人に一緒になってもらった。
最初の3人の賛同人はベテラン筋の方をこちらからお願いしたが、それ以外の方々のほとんどは、こういうことやるよとあちこちに知らせた後に、自発的に名乗り出てくださった方たちである。
早く開始したいということもあって、結果的には名乗り出てくださった方々の中では女性が一人だけだったので、これはジェンダーバランスが取れているかということが、実は賛同人の中からも意見があり知人からも指摘があったが、やはり早く始めて進めたいということもあって、とりあえず名乗り出てくれた方だけでやった。これは今後の課題と考えている。
それで、数は何人を目標にするかということは何も考えておらず、とにかく早く始めなければということばかり考えていたが、最低限、プラットフォームになった change.org とか、あるいは google で検索して引っかかるくらいの数はないとやってる意味がないとは思っていた。そこまでいけば、全然我々と関係なくても、どこかで検索して、これはいいと思った方がやってくれると思った。
最初のうちは、もちろん知り合い関係から流れてつながっていったと思うが、たった二日で10万もいくというのはまったく想像外のことで、その後も4万何千か増えたわけだが、3日以降の増加には、実は最初の10万の中で2600人余りの方が、change.org に広告用の寄付をしてくださって、それを使って change.org を使ったことのある人に広告メールを出し、それでどっと増えたということもあった。
10万を超えてこっちの予想外に増え、またハッシュタグで20万広まったという話もあったが、このニュースに驚いたり怒ったりいろんな不安を抱いた方々の受け皿になったのではないか。こっちがわざわざ火をつけたのではなくて、ちょっとでもマッチ擦ったらすぐ広がるくらい、そういう不安な雰囲気がいろんなところに広がっていたのではないか。それがこのとりあえずの10万、さらに最終的に14万を超えたということになったのではないかと、私は思っている。
この署名活動ではまずとにかく、6人が任命拒否されたという不当性が大きな眼目になる。なにしろ理由が明示されておらず、このままいくと忖度で学術会議の機能不全、そこまでしか趣意書では書かなかったが、それがさらに、その後いろいろな賛同人や知り合いの方々の指摘で考えると、例えばこれが国立大学の教員人事、それからさらには、科学研究費補助金という研究に国が補助金を出す制度だとか、さらには報道やいろいろな芸術分野に関するこういう問題はすでにあいちトリエンナーレで起きているが、そういったことに広がってしまうのではないか。
やはり異論ある社会の維持は民主主義社会の維持に必要だろうと考える。そしてそれを維持することは多分国家の責務であろうと思う。
学術会議に問題があるとして、それはその6人を任命しない拒否の理由にはならないと考えるので、何か問題があるとしても、6人を任命した上でオープンな場で公正な形で議論されるべきであろうと、我々は主張してきた。以上のような問題提起として、この14万という数字に表れた方々の思いが、政治や社会に受け止められていくことを強く望んでいる。
最後に補足を3点。
趣旨文では戦前戦時の学問への政治介入を例示して、こういうことが良くないということを述べ、その後新聞取材ではここに挙げた以外の事例も触れたが、触れた意味は、まあちょっとこれぐらいならいいやということで黙認しておくと、いつの間にかもっといろんなことが起きて、気がついたら息苦しい困った事態になっているということになりかねないという意味で、戦前の話をした。
しかし戦前との比較だけではなく、この学術会議自体にどんな意味があるかということについては、このあと鈴木さんからも話があるだろうし、それから現代的な問題という意味では、例えばモリカケとか検察官の定年延長問題とも関連するという別の意味合いもあると思うが、それについてはあとで瀬畑さんから話があると思う。
それから「学問の自由」に関しては、別に学術会議がどうだっていいじゃないか、研究できるじゃないかという話もあるが、まず「学問の自由」に関して言えば、研究というのが大学教員の主要業務の一つであって、これは仕事であるから、ポケットマネーでやる趣味ではないと思う。
そういう研究が自由に行われることで、あらゆる問題の処方箋が社会に用意されて、急に何か困ったことが起きてもどこかに処方箋があるという形になるだろう。そういう意味でこの学問研究というのは社会に役立っているのではないかと思う。
それで、学術会議はそういう研究のひとつづつの処方箋を、膨大にある処方箋を急に探すわけにはいかない時に、それを集約して社会に発信できる仕組みの一つだろうと思う。そういう形で今までも一定の役割を果たしてきたと思うし、私が接した具体的な例はもし後で質問があれば話すが、当然学術会議のこういった活動も趣味でやっているのではないので、国がお金を出してそういう活動を助成するというのはむしろ望ましいというか必要なことではないかと思う。
これはだから学者だけのための仕組みではなくて、学問が社会に生きていくための、広く国民みんなのための仕組みだと思うのである。であるため、学術会議がこの自由を反映しない形になっては、学術会議の社会的役割が十分に果たされない恐れが大きくなるので、そのような意味でこの問題は重要であると思う。
さらに3点目だが、学術会議の実態が本当にひどいのかということは、学術会議のホームページに載っているいろいろな資料を見れば、ほとんどの文句が違うということが分かると思う。
なにかこの6人の任命拒否問題が、そういう本筋とは違う、しかもかなり正確とは言えない話に持っていかれてしまうのは、非常に不公正ではないかと思うので、まずとにかくこの6人の任命問題ということが本筋なのだということをはっきりさせておかないと、学問の自由ひいては言論の自由が危機にさらされかねないのではないかと思う。学術会議に問題があるからこれはもうどうでもいいんだみたいになってしまうのは筋が違うだろうと考えている。
私からの話はとりあえず以上で、次は鈴木さんの方から。
鈴木 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部の鈴木淳です。専門は日本近代史で特に明治期の社会経済史をやっている。今回任命を拒否された加藤陽子教授の同僚。私は学術会議とはまったく関係なく、過去にも現在も会員や連携会員をやったことはない。
個人的には宇野先生とも、東京大学の歴史を編纂するプロジェクトでご一緒したことがある。この二人の人柄や仕事をある程度知っていて特に任命を拒否される理由が思い当たらない、学術会議会員としても大いに活躍していただきたいというのが、今回呼びかけ人の一人となった理由であるが、問題は任命拒否という行為そのものなので、直接存じ上げない先生方も含め、6名の任命を求めた。
署名は古川さんの迅速な提案と活動のお蔭で、10月3日の午前に立ち上げ、5日の午前には10万人を超えている。
当初は運動の盛り上がりの中で、スガ首相の側が何らかの手違いがあったことを認めて早期に撤回してくれるということを期待していたので、何よりも早くと進めた。10万人ないし最終的にこちらで確認した14万3266人という数は、国民全体で見れば確かに0.1%くらいだが、現状のネット署名で、2日間で10万人というのは、かなり画期的であると思っている。
署名数が10万人を超えた後でスガ首相が記者会見して、その後さまざまな報道で事情が分かってきた部分もあるが、趣意書で取り上げた問題は基本的には全く変化していないと思っている。
学術会議法の趣旨、そして改正の際の国会答弁・附帯決議からすれば、任命は推薦に基づいて形式的に行われるはず。
法律の解釈を今回での審議内容と本質的に異なるように改めるには、国会での議論が必要だろう。それが行政府の判断で行われたことは、三権分立に反して法の支配ではなく人の支配であるという点で、法治国家で許されるべき振舞ではないと思う。
この点は先日の検察の人事をめぐる問題とも共通していて、署名が学界にとどまらない多くの方々の賛同を得た背景だと受け止めている。
本日の施政方針演説でも触れられなかったということを聞いて、さらに残念に思っている。
推薦に基づく任命ということについて、歴史研究者として一つ説明したいことがある。
日本学術会議の前身として、1920年に発足した学術研究会議というのがあった。当初は理科系だけだったが、100人の会員が部会に分かれて審議する体制があったという点では、今の学術会議とかなり似た組織である。これはその前年にできた万国学術研究会議に対して、日本の学会を代表するということが契機になったが、当時増え始めていた国内の諸研究機関・諸団体の研究計画を連絡統一するという、調整的な役割を自分たちで行うということもしていた。
しかしこの団体は戦争が始まると、軍事目的の研究に科学者を動員する役割を果たして、その中で文科系も加わってくるようになっていった。
科学技術政策に関する鈴木先生の著書『日本史リブレット 科学技術政策』山川出版社
戦後、学術研究会議に代わって発足した日本学術会議は、科学者の団体が主体的に活動できずに戦争への協力に終わったという反省から、独立というのを重視して、選挙で会員を選ぶ体制で出発したわけである。
戦前の学術研究会議の会員がどう選ばれていたのかは、百年前の勅令である学術研究会議官制にあるが、学術研究会議の推薦に基づき文部大臣が奏請して内閣が任命する、「推薦に基づき任命」という今回の言葉と同じ言葉が用いられている。
1983年の日本学術会議法の改正の際、会員が選挙による選出から、戦前と同じ推薦に基づく任命制に改められた。
その時に首相だった故中曽根康弘氏は参議院の文教委員会で、任命は「学会やあるいは学術集団の推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命に過ぎません。したがって実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております」というふうに、形式的任命である、それ故に学問の自由独立は守られると首相として答弁している。
戦前の学術研究会議にはなかった学術会議の独立というのは、この任命が形式的であるということのみによって担保されるようになったのである。そこでこの条文の解釈を変えるということは、非常に重要な意味を持っていると考える。それがここで署名運動をしなければいけないと思った理由にもなる。
学問の自由独立についてはさまざまな考え方があるが、この答弁で学問の自由独立が形式的任命であるから保障されると当時の首相が答弁している以上、スガ首相の任命を拒否しても学問の自由が侵されないという発言に関しては行政府の側に説明責任がある、何でそう言えるのか説明する責任があると考える。
科学技術が進歩したこんにち、産業の活動も国民の暮らしも、また新型コロナへの対応も、科学技術の知見の活用なくしては進められない。また政策決定にあたって、歴史的な知見や法律、経済、社会や人びとの在り方についての人文社会分野での知見も重要。
政府の政策決定やその実施に専門家の知見を活かすということは、もちろん明治時代から行われていて、現在では総合科学技術イノベーション会議以下さまざまな審議会・専門調査会などで行われている。これも大切なこと。
しかしこれらのメンバーは、基本的には一つの方向に意見を集約することを前提に政府によって選ばれている。そこで議事録や報告書を見ても、政府にどのような選択の可能性があったのか、当時の学術の知見を背景にどのような選択の可能性があったのかということを知ることはできない。また政府が取り上げなかった問題や課題についても知ることはできない。
日本学術会議が担ってきた、専門家の知見に基づいて独立して提言を行う活動は、別の政策選択の可能性や新たな課題の提示として大きな意味がある。国民は政府の政策決定に至る説明と、そのような専門家が練り上げた見解とを対比することで、はじめて政府の政策決定の当否を判断できるのではないか。
このような政府と異なる見解を練り上げて提示することは、政府の政策決定を助けることと同様に、日本学術会議法で科学者と呼ばれる学問の担い手たちにとって重要な責務であると考えている。
さまざまな専門的技術を組み合わせて活用している現代社会で、人びとが適切な判断をするには、可視化、さらには見える化と呼ばれるような行いが欠かせない。
現在でも日本学術会議の提言は、政策立案者や国会での議論の重要な参考資料となっているが、国民の前に政府の選択あるいは政治の責任を見える化するためには、このような見解の提示というのは大きな意味がある。その担い手から政府が不適切と考える人を外していったならば、それは政策決定における政治の責任というのを見えなくすることになる。それは税金を投じて行われている研究の成果を、国民が参政権を行使するにあたって参照することを妨げ、国民が学問の成果を生かす機会を奪うという点で、重大な問題。
今後の学術会議の改革のためにも、その独立した機関としての現代的な役割を明確にする必要があるので、まずは推薦通りに任命すること、独立性が戦前の学術研究会議と違うのだというところをしっかり示すことが大事だと考える。
見える化にはこのような政府の政策選定の意味の可視化とともに、政府部内での決定過程の可視化も欠かせない。この点と今回の問題との関係については、瀬畑先生にお願いする。
瀬畑 瀬畑源です。龍谷大学に勤めております。京都にいるので会場に行けず申し訳ない。
自己紹介すると、私も歴史研究者で、日本の現代史が専門。象徴天皇制の形成というのがもともとの専門だが、いろいろな経緯があって、日本の公文書管理の問題はどういった問題を抱えているのかということをずっと、長年いろいろな発言をしてきた。
私も古川先生や鈴木先生同様、学術会議の関係者ではない。一歴史研究者としてこの場にいる。
今回は公文書管理の点から話をしたいが、今回任命を拒否された加藤陽子先生は、直後に毎日新聞のインタビューに答えていて、これがかなり重要なことを述べていると思っている。
任命されなかった説明を求めるというのが加藤先生の一貫した主張で、つまりこの決定の背景を説明できる協議文書や決裁文書が存在するのか、また学問の自由という観点からだけではなく、この決定の経緯を知りたいのだということ。
加藤先生はもともと、小泉政権の福田官房長官の始めた公文書管理についての有識者懇談会で、もう2001年か02年位だと思うが、そのころからずっと公文書管理の問題について有識者として、自民党の福田さんも関係する懇談会にずっと所属していて、公文書管理法ができる時も有識者会議のメンバーであり、法ができてからも公文書管理委員会の委員として長年務めていて、今の上川陽子法相といった方々と公文書管理法を作り上げるのに貢献された方。
その経緯と、また当然歴史研究者として、いったいこれはどのような政策決定過程で残っているのかということを知りたいと述べているのだと思っている。
この加藤先生の疑問を官房長官にぶつけた新聞記者がいたが、官房長官は誰が任命の対象となっているかは個人情報ということで言っていない、一般論としてこうした文書については内閣において公文書管理法に基づいて適切に適切に対応すべきものだという、この後者の言い回しは、安倍政権の時のスガ官房長官がよく公文書問題で突っ込まれていた時に同じような発言をしていて、実質的には中身については答えていないという、そういった回答をしている。
またスガ首相は総合的俯瞰的という言葉をずっと説明として使っていて、誰がどのようにこの6人を外すと決めたのかということが政府から説明されない、かなり曖昧な言葉を使ってしか説明されないという状況が続いていると思う。
公文書として、本当にこれがきちんと残っているのかというのは、やはり重要だと思う。公文書管理法の第1条には、公文書というのはなぜ適正に管理されなければいけないのかというと、そういった国の諸機関の諸活動を、現在および将来の国民に説明する責務がある、それで文書は適切に管理されなければいけないということが書かれている。
また、文書の作成義務というのが第4条にあって、行政機関の職員は第1条の目的の達成に資するため、つまり第1条の目的に資するために、行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程や、事務事業の実績を合理的に後付け又は検証することができるよう、軽微なものを除いて文書を作成しなければならないと書いてあって、その次に掲げる事項の文書を作らなければいけないが、この中の5番目に職員の人事に関する事項というものが入っている。
なので今回に関しては、どうして6人は外されたのかということについて、経緯も含めた意思決定に至る公文書がきちんと作られていなければ本来はおかしいと法的に言えると思う。
このようなことがないとおかしいわけなのだが、スガ首相のいろいろな新聞社でのインタビューなどを聞いていると、6人が外された決裁文書は見ている、と。名簿なんかは参考資料として後ろについていた、みたいなことを言っている。
新聞の報道によれば、実際に事前に外されるということは説明は受けていたというようなことは、杉田官房副長官から聞いていたというようなことも話しているようだ。では、官房副長官が首相に対し説明した文書というのは果たして残っているのだろうかという疑問がある。
毎日新聞が『公文書危機』という本を今年出しているが、その中で総理大臣に対する説明をしに行っている記録というものは、官邸側は全然作ろうとしていない、残さないという話をしているので、実際には総理大臣にこういうふうに説明して納得してもらっているというのは、きちんと政策決定過程として残っていなければならないと思うのだが、おそらく作られてはいないのではないかという推測をしている。
ちなみにもし残っているのであれば、それを速やかに公開すれば良かったのではないかと思っていて、今回の学術会議の件で問題だといっている人の多くは、説明責任がきちんと果たされていない、つまり何で外されたのかということをきちんと説明をしていないのがおかしいといっている人の数がかなりになると思う。
なのでもしスガ首相たちが、自分たちのしたことが自分たちにとって何も問題がないと思っているのであれば、こういう理由で外したという公文書をきちんと公開をして話をすれば、実は納得する人はもっといたのではと思っている。
それはむしろ、首相は自分たちのしている政策の理解を、公表をすることでもっと求めた方が実際には良かったのではないか、つまり自分たちのやったことを理解してもらえるということにもつながったのではないかと個人的には思うし、もしそうやって残せない、公開できないような理由で外しているのであれば、恣意的という批判を免れないだろうと思う。
最近ずっと、政治主導ということが言われ続けているわけだが、政治主導というのは別に、権力を持ったから何をしてもいいという話ではなくて、それをするからにはどうしてその決断をしたのか、ということをきちんと公文書として記録して、それを公開して、自分はこういう理由で主導してこういう政策を行ったのだという、そういったやり方で信を問うべきだと思っていて、口頭でごまかしたりとか、文書を作らないとか、そういった検証ができないやり方で行うというのは極めて問題になることだろうと思う。
ただこの問題は、今回は学術会議の問題だが、安倍政権で繰り返されてきた、口頭説明で説明をごまかそうとするという話とつながっているのではないかと思う。
これは森友の問題でもそうだし、加計の問題でも、桜を見る会の問題でも、実際公文書が捨てられているとか、森友の場合は改竄されているということが起きてしまった。実際に、口頭で説明をして曖昧に説明をしていれば、いつかはみんなが飽きるというか、忘れるという、それで野党がいつまでやってるんだという世論が湧き上がってくるのを待つといったことがずっと、繰り返し行われてきたのではないかと思うのである。
実際に説明責任を果たすための公文書が作成されないというのは、ずっと起き続けている問題で、例えば新型コロナの有識者会議の議事録も作らないとずっと言い続けていたのである。そういったことと今回の説明をしないというのは一連の流れになるのだと思っている。
ただこれは安倍政権やスガ政権だけの問題ではないと思っていて、政府が説明責任を果たすための公文書作成であるとか公開であるとかは、それ以前から長らくずっと起きていることだろうと思う。国会などで口頭で説明をするとか、そういったことで進むのがむしろ当たり前になってきた。
国民の側も、ちゃんと公文書を出して説明責任を果たせということを言うのは、ここ数年はかなり大きな声になってきたと思うが、しかしそれ以前からずっとそのような追及がなされてきたかというとそうではないだろうと思う。
また記者クラブで話しているので新聞記者の話をするが、新聞記者の人もそれを良しとしてきた文化がなかったかと。
つまり政治部の記者などが典型的だが、裏で情報を得てきて、口頭でこんなことを言っていたということを報道するのがむしろスクープだと思っていて、公文書とか表の文書をきちんと使って書くということを「紙取り」だとかいって結構バカにしていたという文化も実際あったと聞いているが、そういったことも実際になかったかということもやはり考えないといけないと思う。
ただ近年では、特に毎日新聞が積極的であると思うが、情報公開制度を使って調査報道を展開している。これは毎日だけではなくて、他の新聞社も同じようなことをだんだん行い始めてきていて、実際にきちんと公文書が作られていないといったことが追及されるようになってきたことは、非常に良い傾向だとは思っている。
今回の学術会議問題というものは、やはり政府の説明のあり方そのもの、説明責任をどう考えるかということを、きちんと考える題材にしていかなければならないのではないかと思う。
学術会議自体の問題というのは、それはいろいろあるにしても、やはりこういった政治主導で何かを行った時に、それに対してどのように説明責任を果たすのかという、果たし方自体が今問われているのではないか。実際に、口頭で説明をするというのはあとでいくらでもごまかしがきくわけで、もちろんちゃんとその時その時に作った公文書を公開して、それで自分のやってきたことについて、国民から判断を仰ぐということ自体が、まさしく民主主義とはそういうことであろうと思う。 なのでぜひともこの問題をきっかけにというか、きっかけはもう過去に山ほどあったと思うが、やはり一連の、説明責任のされ方とかあり方自体を問うような問題として、この問題は捉えるべきだと私は思っている。
私からは以上です。
============<書き起こしここまで>============