本記事は、前記事
「菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求める署名の記者会見書き起こし(談話篇)」の続きです。会見の経緯や元の動画については、前記事をご参照ください。
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――それでは質問に移る。ネットでも現在60名くらいが聞いているが、ネットからの質問はまだないので、会場の質問を受け付けたい。
ではまず私から聞かせていただく。古川先生が話した中の、この問題で政府を擁護する側の人びとの中には、学術会議に入れなくても学問の自由は侵されないだろうと言う人がいるが、それに対する説明を古川先生が非常に早口で話したが、学問を自由を侵すものではないという政府擁護論についての反論をもう一度してほしい。
古川 大学教員が個々の研究をするのは自由だから、学問の自由は侵されないという話だと多分思うが、確か官房長官もそんなことを記者会見で言ってるのをテレビでちらっと見たが、学術会議の存在意義というのは、学問の世界のいろいろな成果を分かりやすく政府なり社会なりに還元していくこと、提言みたいな形をしていくのが一つの役割だと思う。
学術会議の実際の活動を見ても、学問分野を横断したり、あるいは狭い専門分野の中でもさらに専門化された学会のいろいろな人が集まって、ある問題について提言をまとめて出す形になっている。
このように、自由に行われた学問の成果を個々の人が発信するだけではなくて、大きなまとまりでもっと捉えやすい、あるいは応用がききやすいような形で提言を出していくという役割は、いろいろな学問分野が一堂に集まっている学術会議でなければできないことだと思う。
そこのところが、メンバーが恣意的に選択されるようになってしまうと、それこそ俯瞰的にいろいろな学問の中から今必要なことを提言していくという形ができない、偏ったというかある人たちのやっていることはおかしいから入れないみたいな話になってしまって、社会の方が学問の成果をきちっと総合的に受け取って利用できるような形にならないということが心配されると思う。
これは例えば、先ほど鈴木先生も言っていたが、政府の審議会というのは学識経験者が集まっているが、これはやはり政府の意向に基づいているものなので、それとは別の観点で学問的にちゃんとやったらどのような見解が出るかといった、一種のセカンドオピニオンのような形で、学術会議の役割はある。そこが政府の言うことを聞く人ばかりになってしまったら、もう一つ審議会ができるのと同じことで、それこそ存在する意味がないと思う。
やはり学術会議は独立性の高い組織で、それをちゃんと政府が支援しているということが、健全な民主主義というのか、ただ参加するだけではなくて、ちゃんと皆が議論して物事を自分たちで決めていけるような民主主義を保障する一つの仕組みとして、やはり大事だということで、その観点からいうと今回の問題も、学問の自由を広い意味でいえば阻害していく一つのきっかけになってしまうということを考えて、先ほどのようなことを話したのである。
――ありがとうございます。もう一つの審議会になってしまうという危機意識は私も非常に納得するが、もう一つ政府の側が言っているのは、10億円も税金出してるんだぞと。税金貰って何言ってんだみたいなことを平気な顔して言う人もいるが、これは古川先生でも鈴木先生でも結構だが、10億貰っているということで政府の言ってることを聞かなければならないのかというのに対して、反論していただけないか。
鈴木 政府の予算はさまざまな目的があってさまざまな部分に投じられるが、元来日本学術会議法で学術会議を作った時に、これは独立の指定職務を行う機関として作られている。科学者の総意を集めて意見を出すということのために組織を作っているわけである。
私は戦後史は詳しくないが、できた当初の学術会議は今よりももっと科学技術政策に対しては影響力が強くて、科学技術政策の基本は学術会議の方で作っていた。
現在はそれは政府の会議の方で作っているという大きな流れがあって、それは科学技術政策というのが非常に大きくなってきて、専門の科学者の議論だけではなくてさまざまな方の議論を総合しなければいけなくなってきて、それには政府の作る会議の方がふさわしいという流れで、これは法律的にもそのように作られてきているから何ら問題がないことであるが、学術会議の方の持っていた独立性という性格は、元来そのために予算を出していたので、政府の政策から独立した学者たちが議論するということに対する予算をここで止めるのか、そういう考え方、発想自体を否定するのかという問題。
もちろんアカデミーの在り方は世界的にもいろいろあるが、国がそこに予算を出すというか、国家の機関としてそれを作るというのがスタートであって、これから先も携帯については議論があると思うが、私はやはり独立性というものが大事で、形態はどうであれその独立性ある科学者の意見を総合する機関があって、そこに国がある程度のお金を出すということは、今後とも必要なのではないか。
それは先ほど説明したように、国民に対して、それこそ国民が総合的俯瞰的に考えられるようにというか、政府の行っている判断の政策過程を見える化していくために、専門家としてはこういう意見を出すぞ、政府としてはこう判断しているぞと、そこが分かりやすく示される必要というのはあって、そのために税金を使うというのは非常に当たり前のことなのではないかと思う。
――政府のイエスマンではない人のところに、税金を使って意見を言ってもらうのは当たり前、いうなれば常識だろうということでよろしいか。
鈴木 そういう国のあり方を目指して欲しいということ。
――戦後は、今まではそういう国であったはずということで。
古川 私からもう一つ。この10億円が大きいか小さいかという問題もあると思う。
私は会員ではないが、学術会議のシンポジウムに最近参加して聴講して、そこでもやってた方々の話をちょっと聞いたが、実は連携会員にも会員にも高額の給与が払われているわけではなくて、必要な活動費が若干出ているだけ。それでもたくさんの幅広い活動が行われているから、一人一人はちょっとしかなくてもその金額になっているだけで、最近ちょっと話題になっている、数年前に有識者会議が学術会議のあり方について提言したものを見ても、むしろもっと予算をつけて活動をさらに活発化されるべきだと書いてあるくらいで、これがものすごく大きな金額で無駄遣いしているというような印象をもし持たれているとしたら、それは不公正な認識、あるいはそういうことを発言すること自体が不公正なことであって、敢えて言えば少し無責任なんじゃないかと思う。
あの活動をきちっと見れば、10億円が決して高いものではないということは常識的に判断されるのではないかと思っている。
――ありがとうございます。瀬畑先生にも一つ質問があるが、おそらく文書を作ってないのではないかと言ったように聞こえたが、やはり作っていないか。
瀬畑 実際に、情報公開請求を新聞社の人がむしろかけて欲しい。
決裁文書は当然残っていると思う。最終的に総理大臣が決めた文書は当然残っているし、首相も当然それは見たというようなことを言っているので、決裁を受けているのは当たり前だが、それに対してどのような説明がなされてその決定が行われたのかという部分に関しては、これまでの他の文書の残り方を見ていても、さてどうなんだろうという感じ。
ただそれは実際に、本当に作られていることを検証しないと分からないので、ぜひとも今その場にいる記者クラブの方が、情報公開請求をかけて、本当にどういった公文書が実際に作られているのかということは検証していただきたいと思っている。
――それは間違いなくすると思うのでお待ちください。では会場から質問を受け付けたい。
北野(朝日新聞) 鈴木先生の発言の中に戦前の学術研究会議についての言及があった。これが軍事目的の研究に同意する役割を果たしたと書いてあるので、やはりそこへの反省という点、ご専門の戦前の歴史にも関わるところでもあり、もうちょっと詳しくお伺いしたい。
鈴木 考え方はさまざまだと思っていて、戦争をやって勝っていると、それに動員されたことは科学者の誇りでしかないという、アメリカとかイギリスとか戦勝国ではそう。だからそこを問題視したのはいかがなものかという考え方もあるわけだが、戦後の科学者のあり方では、これは文系まで巻き込まれていたということもあるが、やはり学術研究会議で研究班を作ってそれぞれ軍事目的ということで研究費がついて、それの配分を自分たちで決めて研究してしまったという、何も意見を言わなくてただ連絡して配分するだけの期間だったという反省があったものと思われる。
それに対して、やはりそうではなく科学者も自分たちで国のあり方というか、どうするかということをちゃんと考えながらやらなければいけないということで、その結果政治的なアピールが出やすくなるということにもなるわけだが、考えないで国の下請けをやっていたということに対する反省ということが、学術研究会議としては敗戦という現実を受け止めた時に、そこに存在したということ。
北野 その続きだが、戦後の日本学術会議が、軍事研究につながる研究に非常に慎重な声明を繰り返し出していることについて、政権擁護する側からそれに反発するというか、中国の脅威があるのに中国と提携するとはどうなのかといった趣旨も含め出ている。要するに戦前のような形に戻せということかもしれないが、そのような主張についてどのように。
古川 その声明というのは、学術会議のホームページにもちゃんと載っているものであるが、ちゃんと読むと軍事研究を別に禁止しているわけではない。
ちょっと言い方があれだが、防衛施設庁のお金を出すケースについてやると、防衛施設庁がいろいろ絡んできて、それこそ自由な研究、それから大学の自治みたいなところに関わりかねないので慎重にやるように、例えばやるときに審査機関を学内に作ってやりなさいといったことなので、それはつまりは国のひも付きでやるということが、ある意味目的が決まって研究しているということになるので、自由な学問の展開ということとぶつかりかねないので慎重にやるべきだということで、軍事に関する研究自体を否定しているわけでは全然ない。
例えばそういうことをやるのだったら、国の方に防衛研究所というのがあるのでそこに学者を集めてやればいいわけで、大学でやるという研究は基本的にはオープンにやるものであって、例えば特許取るということであれば取るまではもちろん伏せておくということもあるとしても、最終的にはオープンにして誰でも使えるようにする、あるいはその研究を本当に適当なものか他の人が検証できるようにするという形が基本であるにもかかわらず、そういうところに関連付けてやってしまうとそこが阻害されかねないということがあって、やはり慎重に取り組むべきだということで、そこから先どうするかはそれぞれの大学の判断に任されているということなので、そういう言い方の議論はきちっとこの声明を読んでいない、あるいはこの声明がこの後どういう形で影響を及ぼしたかということの報告書を実は学術会議が出しているが、それをちゃんと読めばそういうことが分かる。
言いがかりのためにちゃんと証拠も見ずにやっているのかという意味でちょっと乱暴で、何度も言うが不公正な議論ではないかと私は捉えている。
鈴木 これは署名者を代表してということではなくて、皆さんの意見を代表してではなくて、私の個人的見解だが、私は日本が軍事研究を行う必要はあると思っている。
しかし学術会議がそれについて反対の見解を示すというのも、これは正しいというか、良いことだと思う。科学者が議論した結果として、政策などから離れて議論した結果としては、やはり軍事研究は日本はすべきではないというのが出てくる。そして政府はそれに対して、そういう反対論はあるけれども、現在のさまざまな情勢を判断して、軍事研究をやるという判断をすると。それを、科学者の考え方と政府の考え方というのを両方国民の前に見えるようにして、そして国民の審判を仰ぐ。そして政府が支持されているのであれば、それは軍事研究がすすめられるということで良いのではないか。
ただそれが、学術会議の側に軍事研究に反対する人をいなくして、そういう対案が示されない、そういうアイディアを封殺した上で軍事研究を進めるというやり方はよろしくないのではないか、と非常に素朴な考えだが思っている。詳細についてはたぶん古川先生の方がよくご研究なので。
――ネットからの質問。毎日新聞の本村さんから瀬畑先生へ。公文書管理法第4条で、公文書を作る責任の対象に、職員の人事に関することという条文を紹介された。政府は学術会議の会員は公務員だからと説明しているが、瀬畑さんの解釈では公務員=職員として公文書を作成する責任があるという理解でいいか。
瀬畑 むしろ政府が学術会議の会員が公務員だからと言ってるのであれば、よりなお一層のこと、公文書は作られていなければおかしいと思う。
そもそもこの条文はどういうことかというと、職員の人事が恣意的に行われないようにというものであって、つまりその職にふさわしい人が任命をされているかどうかということをちゃんと検証できるように、そのためにきちんとそこの文書を残しなさいという趣旨だと思うので、それはやはりきちんと残されていることが重要と思っている。
尾崎(フリー) この問題について何らかの自分の考えを持とうと思って、報道が盛んになってから主要紙をほぼ毎日図書館で見ているが、真っ二つに分かれている。朝日・毎日・東京グループと産経・読売グループと別れてしまった。日経ははっきり言わない(笑)。この問題の本質はいったい何だろうと一生懸命考えていたが、なかなか分かりにくい。政府あるいは学術会議側にも、公には言えないような何か裏みたいなものがあるのかどうか。僕はフリーなので政府の要人とかに取材できるような立場ではないが、いろいろ見ていたら、学術会議のかなり前の報告書の中に、日本学術界府議の社会的役割という報告書がある。A4で50ページくらい。それにオルテガの『大衆の反逆』を利用している部分があった。
僕なりに解釈すると、専門家・研究者・大学の先生というのは難しいことを難しく緻密に考えると。それが果たして一般の市民に分かるように伝わっているかどうか、その辺を社会的役割として考えたらいいのではという文脈だったと思うが、そこでオルテガの本を見たら、知識層が陥りやすい専門主義の野蛮とか、翻訳によっては専門化の野蛮性と訳されている、その辺のところを、つまり一般市民は政府の言い分と、学術会議側の言い分と、どっちが妥当なのかというのを考える場合、両方を見るとか聞くとかしないと……
――質問をお願いします。
尾崎 ……もう専門的な話になっちゃうと、非常に分かりにくいと。その辺をどう先生方は、特に鈴木先生は考えているのか、聞きたい。
鈴木 これは確かに大きな問題。ある時期まで、専門家が言っていることを黙って聞けみたいな、そういう専門性の傲慢みたいなものがあったと思うが、それはやはり明らかに、少なくとも現代においては誤りで、分かるように伝えていかないと皆さんの税金を使って研究している意義がないというふうに思う。
私は表現が必ずしもうまくないが、身近なところでいうと私の同僚の加藤陽子先生は、日本がどうして戦争の道を選んだかということについてかなり分かりやすい本を書いていて、そういう分かりやすく学問成果を発信するということにかなり熱心な方。宇野先生も、加藤先生ほど分かりやすくはないが、皆さんに分かってもらえるように語り掛けるということについて熱心な方。
そういう意味で、こういう方こそ学術会議に入っていってもらいたいと私がちょっと最初に言ったが、実はそういう期待があった。それが答え。
鈴木先生と加藤先生と宇野先生の、分かりやすく学問成果を発信した本の例 古川 今のことだが、今の学術会議というのがまさに、成果を分かりやすく発信するという役割がかなり期待されいるし、実際やっているだろうと思う。個々の学会が一般の人に直接こう何かするということは実際にはなかなかできないし、学問分野によっては学会自体がすごく細分化されているところもあると思う。
具体的な例を挙げると、私はここの会員とか関係ないが、つい先日、歴史科目の大学入試のあり方に関するシンポジウムというのがあって、大学教員としてはいずれはそういうことをどこかでする立場にあるので参加したが、これは非常に実用的で具体的な内容で、しかも高校の先生も参加していた。パネリストでも質問者でも何人もいて、そういう意味では本当にこういう実務的にも役に立っていて、狭い意味の専門家ではない人たちにも関わるような内容が行われている。
この歴史科目に関していうと、ただ暗記科目では学校で勉強しても意味がないのではないかという発想がもとで、新しい指導要領で科目が代わることに関しても、実は学術会議の提言がかなり大きな意味を持っていた。それでいうとまさに、言われるような専門的なことを分かりやすくして、それから狭い意味の専門家でなくて、もうちょっと広いところも含めて、この歴史科目でいえば世界史と日本史、大学では外国史と日本史に分かれているのが、一緒になってやっているわけで、まさにそういう役割を実はちゃんと果たしていて、実務に関わっている方々はたぶん当然のようにそれを知っていると思う。
そのようなことをわざわざ華々しく宣伝しないだけの話で、実際には地に足のついた活動をしているのがむしろ今の学術会議のやり方で、それをすっ飛ばした議論がされていること自体に私は、繰り返しになるが不公正だということを痛感している。
中村(読売新聞) 3点質問がある。まず1点目は、古川先生になるかと思うが、署名活動に動かれたときというのはどういった思いで動いたのかというのを詳しく聞きたい。2点目は、今回欠員となっている6名の方はいずれも人文社会科学系の方々だが、これについての危機感について、どなたか答えて欲しい。3点目は瀬畑先生になるかと思うが、いわゆる職員の人事に関する事項のところで今回は6人の方がいわゆる任命されていないということになるが、この任命されていないことに関する公文書というのは通常作成されるものなのか、またそういったものが作成されたとして公開されるものなのかという、これは一般的な話になるかもしれないが、お願いする。
古川 まず私から。先ほども言ったが今回の事態は尋常ではないと思った。とてもそういうことで拒否されそうな、少なくとも私が知っている方々に関してはとてもそうは思えなかった。しかも、あの段階でもそうだし今でもそうだが、どうしてそうなったかを政府が明示しないで、こっちでみんなでいろいろ憶測、忖度するしかないという状況。
そういう状況の中でとりあえず、まあ学術会議の会員でも何でもなく、学会の会長をしているわけでもない私が、それでもやはり何かした方がいいんじゃないかと思った時に、この署名活動というものを考えた。
学会の声明とかそういうのはその学会の幹部の人たちがやればできることであるし、いま現実そうで、学会の声明というのはちゃんと報道がされていくわけだが、それと同じことをできるわけでもないし私がやる必要もないと考えた時に、この署名ということを考えた。
ネット署名ということになると広く不特定多数の皆さんに向けてアピールして、皆さんどうですかとやること。
そこまで深くすごく考えて当初始めたわけではないが、ただ結果的にこういう問題が狭い学界の話ではなくて、やはり広い社会、皆さんに関わってくる問題だということを知ってもらう一つの手段になったのではないかと思っているし、最初実はやはり賛同人のある方からこれは学界向けですかそうじゃないのですかという質問が来た時に、もう即座に私は一般の人向けだと答えたが、ほとんど直感的に、私のようなポジションに人間がやるとしたらやはり一般の皆さんに訴えかけることしかないのではないかと思ったということで、こういう形のものを始めたということである。
鈴木 どうしてこうなったかというのは、こちらには説明の責任はないと思うが、まあこれは人文社会系の先生方皆さんそうだと思っているし、また逆に任命されて「なんで私は」と思っている人もいるかもしれないと思うが、人文社会系の学問とは100%現状を肯定しているということはないと思う。どこかやはり問題を感じるところがある。それが今の政権に対してどうかとかそういうことはもちろん人によってさまざまだが、ないところにも問題を探すようなのが人文社会の本質というか、あるいは問題がなさすぎるのがおかしいと言ってみるくらいまで、人の心とか社会のあり方に対して敏感に感じ取る、課題を探す学問。
そこで、人文社会の人たちの中に今回、任命された人もされない人もいるが、線を引かれてしまったということは、当人たちにとっても我々人文社会系に携わる人間にとっても、辛い思いがする。
瀬畑 まず、任命もされていないということについてはそもそも公文書が作られるのかどうかということだが、私自身は今回の問題に限った話として話せばいいと思うが、かなり慣例を大きく変えた、それまでは自動的に任命されていたものを今回大きく変えたということである。
もともと公文書をなぜきちんと作らなければいけないかというのは、説明責任を果たすためということなので、当然大きく変えた以上は、変えた理由というものがきちんと説明ができなければいけないと思う。
これは別に良しにしろ悪しにしろというか、とにかく大きな変えたことである以上は、変えた理由というものがきちんと公文書として説明されるべきだと思うので、他の一般的な事例がどうかというのはさすがに分からないが、今回の件に関してはかなり大きな慣例の変更ということになるので、それについてはなぜそういうことをしたのか、それは実際に、例えば10年20年経った時に、あの時なぜそのような人事が行われたのかというのは、実は行政をする側にとってもなぜやったのかということについてちゃんと証拠が残っていないと、その後の人事のあり方をどうするかということの参考資料にならないということもあるので、任命しなかった部分に関しても、私は今回は作らなければいけないと思っている。
ではそれが今すぐ公開するべきなのかどうかという話だが、一般的に人事の情報が作られたとしてもそれがすぐさま公開をされるか、例えば誰々さんを係長に任命します、では係長に任命した理由を……まあでも普通はきちんと説明しなければいけないのではないかと思うけれども、その文書をすべて一般的に公にするかというと、それは違うだろうと思う。
ただ今回のこれは、特殊の問題だと私は考えていいと思うけれども、大きな慣例を変えた、かつこれだけ大きな社会問題になった、かつ当事者の先生たちが理由を知りたがっている、かつ実際に当事者の先生たちの名誉の問題にかかわってきてしまっているわけで、学術会議法では優れた研究および業績がある委員をもって組織すると第11条に書かれているので、今回拒否されたという理由になってしまうと、結局すぐれた研究や業績がないと見做されたとも言えるわけである。
本来どう見てもそうじゃないだろうと思うけれども、そういった本人たちの名誉を実際に傷つけるという状況になってしまっている以上、政府はなぜそういう決断をしたのかということについて、これは政府の決断でもってきちんと文書を公開した上で……むしろ政府は別に正当化するためでいいと思う。
自分たちがこういう意志でこういうことをやりましたということを説明するということも、私は必要なことだと思っていて、最終的にそれが良かったか悪かったか判断するのは国民の判断だと思うので、今回の問題に関してはかなり大きな問題とここまでなっている以上は、それは公開をしてむしろ信を問う、むしろ堂々と公開をして自分たちのしたことに関して国民に信を問うべきではないかと思うのである。
古川 ちょっとそのことで一つだけ補足がある。今回は後から、実は政府が解釈変更していたという報道があったが、知らないうちにこういう任命拒否になったわけで、これは俗っぽく言えば「後出しじゃんけん」で、やはり不公正ではないかと思う。
もしやり方を変えるなら、本来ならちゃんと任命した上でどういう理由でやり方を変えるかということをオープンに議論してやっていかないと、この6人の方はどういうことでこうなってしまったのかということが宙ぶらりんになってしまって、そのままごまかされてしまうという形になるのは、今も瀬畑さんが言ったように、この6人の方の名誉にもかかわるし、本当に公正にちゃんとそういう公的なところの人事が行われているのかということにもかかわってくるし、これが前例になってしまうと、何だか分からないから忖度して引っかからないようにしようとして、まさに学問の自由の侵害に関わってきてしまうことだと思う。
この問題に関しては説明すればいいというわけでも多分本当はなくて、本来は6人をちゃんと任命した上でそういう解釈変更が妥当なのかとか、あるいは学術会議のあり方を考える上でもどう考えるかということをやるのが手順ではないかと。呼びかけ人としてはそのようなことも含めて、いろいろな問題があっても6人の任命ということが先ということを言ってきたが、そういう意味で言ってきた。
――時間が過ぎているがネットからの質問がある。どなたに答えて欲しいと書かれていないが、私が独断と偏見で最初の質問は古川さんにお願いする。まず個人会員の和気さん。今回ネットを活用した迅速な署名活動で成果を上げたが、ネットでは自民党の幹部や評論家を発信源としたデマも拡散している。対抗策を講じるお考えはないか。
古川 こちらは組織でやっているのではなくて、本当に徒手空拳で、敢えて特定組織を掲げないというのが、たぶん我々のやったことの意味の一つでもあって、だからこそ10万もバッと署名が来たのは、例えばこれがどっか特定の色付きだったら、避ける人ももっといたのではないかと思う。
そう見ると、我々はそういう大きな力に対抗する手段はない。むしろそうではない形で14万の方が賛同されたということで、我々のやったことの意味を考えてもらえればいいのではないか。これ以上何とかの会を組織してそれに対抗するということをやること自体が、今までやってきた趣旨とちょっと違ってきてしまうので、そういうことをするつもりは今のところはない。
――次は鈴木先生に、個人会員の松野さんから。今回の会見によって、今後科研費の獲得、人事などで圧力を加えられるかという懸念は持っているか。あるいはすでに、何らかの圧力や嫌がらせを受けていないか。
鈴木 私が鈍感なだけかもしれないが(笑)、今のところは感じていない。古川氏の答えに補って言うと、我々は歴史学として、実証的であれということを非常に大事にして、皆さんに伝えているつもり。大学教育でもそうだし、高校の教科書でもそうしているつもりである。
今回の件ではファクトチェックがいろんな形でなされているというのは、なかなかそれも見るべきものがあって、みんなただ信じ込まないで自分の目で確かめるということを、運動としてやるよりは国民みんながそういう力を培っていくことが大事だと思っているし、そのためにできることを、事実を確かめることの大切さというのは伝えていきたいと思っている。
――予定の時間を15分ほどオーバーしてしまったが、どうしても聞きたいという方は……
小岩井(個人会員) 欧米主要国の科学アカデミーと日本学術会議の大きな違いは、政府機関であるというところだと思う。それは歴代学術会議の会員の方を含めて、日本の科学者の方が政府機関であった方がいいと考えてきたからこうなったと聞いている。鈴木先生と古川先生に聞きたいが、欧米主要国のように政府や議会は金は出すけれども活動に口は利かないと、こういうような日本学術会議に実際になるためには、政府機関から離れた独立の機関になるのが一番早道と思うが、現実的にそういう議論が高まって日本でもそういうことが可能になると考えるか。
古川 どちらがいいかというのは、私にはにわかに判断できるほどの情報などはないが、さっきもちょっと言ったように、政府から独立した機関が政府の一部にあるということ自体が、それがちゃんと機能しているということが、日本の民主主義が健全だということを示す一つの、それだけではないけれど、一つの証になると思う。
学問の世界はみんなお金持ちであるだけでもなく、ただ諸外国のそういうアカデミーでも、政府機関ではなくても政府が補助金をちゃんと出して活動を支援している国とは、実態としてはそれほど変わらないのではないかと思う。
だから政府機関であるかということはあまり本筋ではなくて、税金出すんだから言うことを聞けというのではなく、客観的なセカンドオピニオンをもらうためにちゃんと税金を出しているのだということが実は大事だと思うので、質問とはダイレクトにはつながっていないかもしれないが、政府機関かどうかということは実は本質的な問題ではなくて、そういう批判的なところにちゃんとお金を出せるような健全な民主主義が成り立っているかというところが、私は問題だと思っている。
鈴木 古川氏と同感で、小岩井さんの考え通りそういう道もあると個人的には思うが、二人とも学術会議とかかわったことが全然ないので、やはりそれは学術会議で今までやってきた方々がどう考えているということも含めて、議論していかなければいけないと思う。
――ありがとうございました。これにて会見を終わります。
============<書き起こしここまで>============
前後編あわせて2万3千字という大長編になりましたが、それだけの内容はある会見であったと思います。日本学術会議の新会員任命拒否問題については、個々の研究者に対して、また学術会議に対して、さらには学者全体についても、メディアでもネットでもいわれない罵詈雑言が繰り広げられている中で、この会見が提供している情報はたいへん有用であると考えます。そして、おそらくはこの問題が長期化するであろうことから、それに対する情報を提供する記録として、多少の意義が本記事にもあろうと思います。
さて、本問題についての私個人の思いも、これらの記事を材料に述べたいと思うのですが、それにはなお少しばかりの時間が必要であり、この記事も十分長いことから、次の機会とします。