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筆不精者の雑彙

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日本学術会議の会員任命拒否問題についての個人的備忘(1)

 11月は半ばから新型コロナウイルスの流行が激しくなり、明確に第三波の襲来となって、メディアもそれにかかりきりなのは、まずは致し方ないでしょう。とはいえ、2カ月前からの日本学術会議の新会員任命拒否問題は、ぽろぽろと政権側の無定見な碌でもなさをうかがわせる情報が出てくるものの、具体的な進展はなく、このままコロナでうやむやにしてしまおうというところでしょうか。飽きやすく冷めやすいと評される日本の「国民性」からしても、コロナ第三波以降もこの問題をしつこく批判していると、ただ批判しているというだけ、「今更なんだ!」と叩かれそうです。
 しかし、この問題は決して一過性のものではなく、学問の自由にとどまらない、表現の自由や、政治権力と国民の関係であるとか、政治における手続きの大切さなど、さまざまな問題を孕んでいることは、本問題に関して私が作成した書き起こしでも、明らかであろうと思います。

 本問題に触発されて、私もいろいろと考えをめぐらせているのですが、それを形にする前に、ここまで私が本問題について知った報道の主なものや、本問題を論じた記事で私が読み、多かれ少なかれ影響を受けたであろうものをまとめておこうと思います。





 この問題が発覚した初日の報道から一つ。すでにこの時点で「総合的、俯瞰的」の文言が出ています(まあ、以前の学術会議に関する検討の中で出ていた言葉なのですが)。

 続いて、外された諸先生方のコメントの記事を。


 「学術会議は学者の利権だ!」と叩いていた連中はゴマンとおりましたが、実際のところはわずかな日当でボランティアに近く、「仕事が一つ減った」と、ほっとしているという松宮先生の言葉がそれを示しています。

 で、私の記憶では、この問題が報じられた直後には、加藤陽子先生を指して「共産主義者」と罵倒したり、中国の「千人計画」とやらを持ち出して外された先生方を「中国のスパイ」のように攻撃するものが、ネット上では目立ちました。思想的には共産主義を信奉したって別に個人の自由でしょうが、ここではおそらく「共産主義=中国の手先」という、反共以上に反中的感情の方が先に立っていたと思われます。
 加藤先生が学生時代に日本共産党系の組織にいたのは確かですが、思想的には日本共産党と中国共産党は仲が悪いので、加藤先生が日共のシンパであれば一層中国の手先にはなりにくいんですが……おそらく、そんなことを理解するには悲しいほど思考回路が短絡している人が多いのでしょう。そんな短絡ツイートをまとめてくれたツイートがありましたので貼っておきます。

 また、学術会議が軍事研究に関する声明を過去に出していたことを捉えて、「日本の軍事研究を妨げていた! 学術会議は反日!」という、何でも「反日」「親日」で分かった気になっている連中も湧いてきました。まあ、さっきの「中国の手先」とだいたい重なっているのですが……。こういう連中こそ、「日本」が何であるかを碌に考えず、政治権力と自己を一体化させて、誇大妄想に浸っている痴れ者といえましょう。そこでまず「日本とは何か」から考え直すのが人文科学や社会科学なのですが。
 こういった「反日」大好き連中の例として、権力へのおべんちゃらを商売として「日本スゴイ!」を連呼し日本の現状を批判すれば「反日」のレッテルを張る、権力の周囲をうろつく玉つき宦官の一人のツイートをリンクしておきます(埋め込む気にならない)。こんなのに1.4万も「いいね」がつくなんて。
 
 翌日にはもう、外された先生方の過去の政治的発言が原因ではないのか、という推測記事が出ています。

 この記事でも、軍事研究について不満に思う自民党の態度が報じられていますが、それには歴史的経緯というものがあるわけです。そういった歴史への反省がとりわけ足りていない現政権の姿勢自体が、日本における軍事研究を野放図にすることへの危険性を再帰的に立証しているといえるでしょう。

 ことが明らかになってから早い段階で書かれたもので、私がこの事件に関する論説でもっともすぐれたものの一つ――簡にして要を得たという点では随一と思います――と考えているのが、4日に発表された松沢裕作先生の文章です。
 ごく手短な文章の中で、この問題の本質が権力の恣意的な公私にあることを指摘し、筋違いの話へ散らかることを予防すると同時に、研究者の側の「内輪もめ」をも戒める、きわめて公平で公正なものです。松沢先生も加藤門下でありながら、抑制の効いた論調で、しかし根本の不正義への怒りははっきり読み取れるこの文章を読んで、私は松沢先生に一層の敬意を抱きました。
 しかし同時に、ある不安も感じたのです。松沢先生は、権力の濫用という万人にとっての不利益となる問題の根本を指摘し、話の散らかりや「内輪もめ」を戒めました。それはたいへん公正で、万人のためになることだと考えられます。しかし――まさにその、「万人にとって正しい、公正」であるということ自体が、この問題で学術会議や研究者を叩く人々には伝わらない要因になってはいないかと。少なからぬ人にとって、「万人にとって」以上に、自分にとって気に食わない連中がひどい目に遭うのを見たい、そのためには権力の濫用は意としないし、むしろ自分にとって有利に濫用されるなら結構だ、という思いがあるのではないかと、私は悲観せざるを得ないのです。「万人に普遍に適用される人権」とは、自分の気に食わない連中にも適用されるから、そういう視点からでは「不公正」に映ってしまうわけです。
 松沢先生は、誰にとっても正しくあるように、万人を包摂するような論理で先の文章を書かれたのだと思います。しかし、万人を包摂するがゆえに、少なからぬ人にとっては、「自分には正しくない」と思われてしまうのです。その中には、ネポティズムに陥ったと評される前政権の「継承」を掲げる、現政権も含まれるであろうと思われます。

 さて、この松沢先生の文章の公開から一夜明けて、スガ首相の記者へのインタビューが行われました。概して記者会見などを碌に開かないスガ首相(答える自信がないのか?)ですが、このインタビューはまことに酷いもので、一部の新聞社(ありていに言えば政府に対しあまり批判的ではなさそうな)のみがインタビューして、他の記者は別室でそれを聞かされるとかいう摩訶不思議な形式でした。そもそも記者クラブ自体が閉鎖的と批判され、マスコミの政治部が政局に偏っていて政策を報じないとかは、何十年も言われていることなのですが、そんな問題含みの記者クラブにすらまともに答えようとしないとは、その小心ぶりは首相の地位にふさわしくないといわざるを得ません。
 そのインタビューについて報じた記事がこちら。
 前例踏襲がどうとか屁理屈を述べていますが、かつての政府の答弁との矛盾についてはまともに答えていません。任命しなかった理由も答えないくせに、「学問の自由の侵害ではない」と主張します。それが妥当かどうかを判断するには、任命しなかった理由を説明しなければならないのに。総じて説明になっていない説明です。
 そう感じたのは私だけではないようで、このインタビューに関する反応を一つ挙げておきます。
 まさに、内容のなさが目立ったインタビューでした。流行語大賞の候補にもなった「総合的、俯瞰的」はこれ以降、人口に膾炙することになります。

 しかし、権力からの自由という概念を理解せず、自己を権力と一体であるかのように幻想することでまるで自分が立派な存在であるかのように妄想する人は少なからず、おまけにそういった人々をだまくらかす「おべんちゃらコンテンツ」とでもいうべき権力者への忖度に溢れた発言をする「言論人」も数多いて、本件に関しても学術会議を学士院と結びつけて利権団体であるかのようにデマを流した「解説委員」がおりました。さすがにこれには批判の声もかなり出ましたが、この程度のいちゃもんをつけて喜んでいる手合いは数知れず。参考記事を挙げておきます。
 こうして説明もせずに任命拒否を押し通し、茶坊主どもがそれにおべんちゃらを並べ立てている中で、政権与党は論点をずらして問題をごまかそうとします。
 道理に外れた酷いことをされたので抗議したら、それを逆手に因縁をつけて予算を削ると威しをかける。ヤクザの手法としか言いようがありません。自分からぶつかっておきながら、「お前がぶつかってきたんだ!」と因縁をつけたようなもんです。
 しかもこのヤクザ手法に、「おべんちゃらコンテンツ」をこしらえて政権からおこぼれを預かろう、あるいは俗情と結託することで自己の虚名を博そうとする手合いが便乗し、さらにデマや偏見を撒き散らしていくのです。悲しいことにその中には、れっきとした研究者もいたりするのです。一つ例を挙げておきましょう。
 さすがにこれには批判も殺到し、ご当人はこのツイートに続けて「批判的な意味で述べている」などといいわけをしています。しかし、明らかに政府側に非がある件で、その政府側を「さすがに「喧嘩」がうまい」と「評価」して見せることで、この問題についていわば、自分は当事者ではなく上から見下ろす審判者であるというふりをして、自己の存在を何か偉大なものであるかのように装っているというのが、不誠実な態度であることは間違いないでしょう。そうやってコケ脅しをすることが「国際政治学」なんでしょうか。「喧嘩」の上手下手をあげつらうのが「外交史」なんでしょうか。
 同じ慶応大学の先生なのに、先程の松沢先生と比べ、何と矮小な世界観であり人格なのかと思わず私は嘆息しましたが、そういう比較をすること自体が松沢先生に叱られそうです。

 もっとも細谷氏は、学術会議を軍事研究の妨げと見て非難攻撃する点で、自民党と軌を一にしています。
 しかしこれもおかしな話で、直接兵器に転用できそうな技術とかならともかく、文系の安全保障論や軍事史・戦史などが「軍事研究」として非難されるなんて、もしかすると半世紀前ならあったかもしれませんが、21世紀にそんなことがあろうとは到底思われません。私自身、軍隊についての歴史研究をされている研究者の方を何人も存じ上げており、論文や著作も読んでいます。あれは何? だいたい今回任命拒否された加藤陽子先生がそもそも、日本軍と政治との関係についての研究で業績を上げられた方では?
 さすがにこれも批判が少なからず寄せられています。
 私などは口が悪いので、その院生の論文がリジェクトされたのは、指導教員が「喧嘩の上手下手」で物事を見るようなことを教えたからじゃないですか、とまぜっかえしたくもなるのです。
 なお最近のことですが、国連の人権理事会の作業部会が、日産のゴーン氏逮捕の件について、4度も逮捕して拘留し続けたのは不当であると意見書を公表したことについて、細谷氏は「またもや日本の法務省の敗北。国際的に日本の法制度の適切さを説明できない帰結か。」などとツイートしています。これは、かねてから指摘されている日本の人質司法という問題への配慮を欠いて、当局と一体化して「勝ち負け」で人権を論じるあたり、非常に底が浅いといわざるを得ません。そういう底の浅さが院生の指導にも悪影響を及ぼしたのではないかと、嫌味の一つも言いたくなります。

 このように、デマを捏ね上げて学術会議を罵倒し権力者におべっかを使うような連中が極めて多く、私はこの問題が学問にとどまらない、深刻なわが国の状況を表しているものと、深く憂慮しているのです。

 長くなりましたので、ここでいったん切って、次のまとめを作成することにします。
 次のまとめはこちら。



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by bokukoui | 2020-12-01 19:22 | [特設]日本学術会議会員任命拒否問題 | Comments(0)