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筆不精者の雑彙

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伊藤隆太「『なぜ日本は真珠湾攻撃を避けられなかったのか』そこにある不都合な真実」への疑問

 日本学術会議の問題についての記事も書き上げていないのですが、ネットで目に付いたとある記事に強い疑問を感じ、どうしても一筆せざるを得ない感を受けたので、ここにまとめておきます。

 その記事とは、プレジデント・オンラインに掲載された、以下のものです。

 論者の伊藤隆太氏は、慶應大学の法学部で博士の学位を取っておられるそうです(審査報告はこちら)。しかるべき学問的業績を持っている、ということの証左のはずなのですが、正直なところこのプレジデントの文章には、歴史を学ぶものとしていろいろと疑問点が湧いてきました。順に論点を立てて述べていきましょう。



 「進化政治学」は学問として成立しているのか?

 伊藤隆太氏のこの文章は、「進化政治学」という考え方を使うことで、勝ち目のない太平洋戦争を日本が始めた原因を解明するという触れ込みです。しかし、この「進化政治学」なるもの、ちゃんと理論づけられている学問体系なのでしょうか?
 この文章では、「進化政治学のパイオニアの一人、森川友義が説明している」という「3つの前提」が掲げられ、進化政治学の知見はそこから演繹的に導かれるそうです。その前提を引用しておきましょう。
①人間の遺伝子は突然変異を通じた進化の所産で、政策決定者の意思決定に影響を与えている。
②生存と繁殖が人間の究極的目的であり、これらの目的にかかる問題を解決するため自然淘汰と性淘汰を通じて脳が進化した。
③現代の人間の遺伝子は最後の氷河期を経験した遺伝子から事実上変わらないため、今日の政治現象は狩猟採集時代の行動様式から説明される必要がある。
 しかし、これらの前提が正しいという保証はどれだけあるのでしょうか? それが説得力を持って論じられていないと、この前提をもとにした演繹的知見も、空中楼閣になってしまいます。

 そこで、「進化政治学」というワードをこの記事で初めて聞いた私は、日本語の論文を探す基本アイテム・CiNiiで「進化政治学」を検索してみました。どれほどの研究蓄積があるのかと。
 ところが、検索して見つかった記事はわずか5つでした。 
 なるほど、「パイオニア」という森川氏の論文が2本ありますが、タイトルが同じなので、これはどうも同じものが転載されたように見えます。これで「進化政治学」の記事は事実上4つになり、しかもその一つは問題の文章の筆者である伊藤氏の本の書評です。後の2本も政治学ではないようです。森川氏からして、「進化政治学」を2008年に言い出したものの、その後12年間も放置しているようです。
 日本語ではダメなのかと思い、"evolutionary political science" で検索してみましたが、目ぼしいものは見つかりません。アメリカでは本が出てるのかと思ってアマゾンで検索しましたが、タイトルに冠した本はないようです。余談ですが、このワードで検索したら、オーウェルの『1984』が引っかかってきたのが何とも皮肉で、苦笑させられました。

 というわけで、「政治現象は「狩猟採集時代」から説明される必要がある」という伊藤氏の大上段に構えた前提自体が、どこまで支持されている概念なのかというと、はなはだ心もとないと言わざるを得ません。前提が間違っているのだったら、そこから演繹したってなにも出て来ようがありません。
 この前提自体が、生物学や考古学、人類学や心理学などの多角的な検証なしには、受け入れるのは困難です。しかしそれは個人の研究の手に余ると言え、まず概念を誰かが提唱したにしても、それにインパクトを受けた研究者たちがその概念について検討を重ねて、「使えそう」ということになって、個別の研究に入るのが筋のように思われます。
 もっとも、伊藤隆太氏が天才で、個人でそれをすでに成し遂げているのでしょうか。プレジデント・オンラインの記事の著者紹介を見ると、こんな風に書いてあります。
コンシリエンス学会・学会長。2009年に慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学大学院法学研究科前期および後期博士課程修了。同大学大学院研究員および助教、日本国際問題研究所研究員を経て今に至る。海上自衛隊幹部学校で非常勤講師、戦略研究学会で編集委員も務める。専門は、国際政治学、国際関係理論、政治心理学、安全保障論、インド太平洋の国際関係、外交史と多岐にわたる。その他、思想・哲学(科学哲学、道徳哲学等)や自然科学(進化論、心理学、脳科学、生物学等)にも精通し、学際的な研究に従事。主な著作に、『進化政治学と国際政治理論 人間の心と戦争をめぐる新たな分析アプローチ』(芙蓉書房出版、2020年)がある。
 ……正直、「臆面もない」という言葉が浮かんでしまいます。若くしてそんなに専門が広くて、さらに広い分野にも精通しているとは、本当に天才なのか、イキっているかどちらかです。ただ、何かを勉強すればするほど、「精通」などとはそう軽々しく言えなくなるもんじゃないかと、鈍才の私は思うわけですが。


 歴史学の先行研究との関係

 しかし、もちろん、新しい概念だったら、まだ本が出ていないのかもしれません。新理論の可能性を、既存の研究の乏しさを理由に切り捨てるのは、良くないといえばそうです。そこで、その理論で何か生まれたかを見れば、逆算してその理論の価値も分かるかもしれません。そちらの方向からも考えてみましょう。
 ところが、伊藤氏が出した結論は、

「日本の真珠湾奇襲は決して不可避ではなく、アメリカがハル・ノート提示という日本にとり屈辱的な政策をとらなければ、歴史の道筋は変わっていた可能性がある」

 ……そんなの、何も目新しくないのではありませんか? 言い換えれば、ハル・ノートで日本は最終的に開戦を決断したというのは、起こった出来事からすれば自明のことで、何もわざわざ改めて言うようなことではありません。アメリカ側だって、戦争になるであろうことを承知でハルノートを出したのです。大事な問題は、なぜハル・ノートに至ってしまったか、の方ではないでしょうか。
 ハル・ノートが太平洋戦争の直接のきっかけになったというだけのことでしたら、普通の高校日本史教科書にも載っています。手近な山川の『新日本史B』を見てみたら、ちゃんと「ハル=ノート」が太字で載ってました。
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 伊藤氏は、ハル・ノートが開戦の直接要因になったという分かり切ったことを、「怒りの報復モデル」なるものを持ち出して、「日本の対米開戦の直接的要因はハル・ノートが引き起した日本の政策決定者の憤り」と論じますが、別にそんなもの持ち出さなくても、とっくに分かっていたことではないですか。
 そしてハル・ノートに至った、一連の日米交渉の経緯も考えなくては、ハル・ノートの意義は見えません。伊藤氏の「進化政治学」を使うなら、ハル・ノートを出すアメリカ側にも、日本に対する怒りがあったのではないでしょうか。ではそれが何か? 比較的有力な説は、1941年7月の南部仏印進駐でアメリカは対日戦を覚悟しており、ここで引き返し可能な地点は越えていた、というものです。南部仏印進駐で「怒りの報復モデル」がアメリカに成り立てば、決定的なポイントはこっちにすべきかもしれません。なぜ他でもなくハル・ノートなのか、その肝心の点がぜんぜん説明されていないのです。
 なお、ハル・ノートを開戦の直接のきっかけとすることに対し、否定的な考えもあります。日本学術会議の会員任命拒否問題で署名運動をされた古川隆久先生は、著書『昭和史』で、ハル・ノート第一報が入る「直前」の大本営政府連絡会議で、12月8日の開戦が政府と軍部の合意事項となっていたことを指摘されています(169ページ)。


 さらにいえば、伊藤氏の論旨も混乱しているというか、先行研究を都合よくつまみ食いしているようなところがうかがえます。
 伊藤氏は外交史の先行研究である波多野澄雄先生の研究を引用して、もともと対米開戦を主張していた日本国内の勢力にとって、ハル・ノートは国論統一ができる「天祐」と考えたことを紹介しています。
 さてこれは、「怒り」の感情だったのでしょうか? もう戦争するしかない、と考え、なのに国内に戦争に後ろ向きの勢力がいる、ということを歯がゆく思っていた勢力にとっては、ハル・ノートは「だから戦争しかないって言ってただろ!」という、「してやったり」といった感情だったのではなないでしょうか? また逆に、交渉に望みをつないでいた人々にとっては、怒りだけでなく、今までの努力が無駄になったという挫折感もあるのではないでしょうか。
 「天祐」という言葉は、このようにいろいろと含みを考えることができます。「怒り」と一対一対応しているというのは、過度の単純化ではないでしょうか。そこは、史料や先行研究を都合よくつまみ食いしているように、私には感じられます。

 そしてまた、怒りを感じたから「狩猟採集時代の行動様式」によって戦争が決まる、というのは単純に過ぎないでしょうか。それは、人間の築き上げてきた文化や社会というものをあまりにも軽んじた発想ではないでしょうか。


 ハル・ノート「暫定協定案」について

 さて、もうちょっと歴史的な議論に踏み込んでみましょう。
 といっても、私は外交史は全く門外漢ですが、そういう人間にとってまことに便利な、日本近代史の研究の現在の成果を手短にまとめてくれた筒井清忠編『昭和史講義』があるので、そこで日米開戦に関する章を見てみましょう。


 本書の日米開戦に関する章は、森山優先生(問題の記事でも引用されてる)が執筆されています。外交史をやっている友人に問い合わせましたが、やはり現在の開戦経緯に関する研究の水準を作っているのは、森山先生といっていい(そしてそれを越えるのは難しい)とのことでした。
 さて、本書で森山先生は、ハル・ノートはアメリカがそれまでの日米交渉での条件を突如吊り上げた、戦争になることを承知した内容であったことを指摘した上で、主要な論点として「暫定協定案」について論じています。つまりハル・ノートが戦争を引き起こすのは、内容と経緯からすれば自明なわけで、論点としては主要なものではないのです。では何が主要なのかといえば、そう、ここで出てきた「暫定協定案」こそが論点なのです。

 率直に言えば、私が思うにここに伊藤氏の詐術があり、氏は小谷賢氏の研究を引用する形でちょろっとだけ暫定協定案に触れてますが、まともにこれを論じていません。しかし、この案抜きにハル・ノートを論じても意味がないのです。ちょこっととはいえ引用して触れている伊藤氏が、暫定協定案の重大さに気づいていないとは思われません。

 ここで経緯を説明すると、日米交渉の大詰めで日本側が出したぎりぎりの妥協案に対し、ハルは当初、当面の日本との妥協を考えた、いわゆる「暫定協定案」と呼ばれる案を当初作成しました。これは、日本軍が南部仏印から撤兵すれば一定の石油などの物資を提供するというもので、成立の可能性はあり得なくはありませんでした。
 ところが、ハルが日本側に回答する直前になって、「どういうわけか」ハルは暫定協定案を諦め、日本側が受け入れそうにない(つまり戦争承知の)いわゆるハル・ノートを出します。これがどうしてなのかは今でも決定的な答えがなく、森山先生も「今後も議論が続くであろう」と述べています。

 ハルがなぜ暫定協定案を諦めたのか、議論の一例を挙げてみましょう。
 『昭和史講義』で森山先生も参考文献に挙げている、三輪宗弘『太平洋戦争と石油』では、ナチスの侵略を背景に対日強硬論が高まっていたのにハルが押され、なお対日戦に消極的だったイギリスとの齟齬もあって、ハルは押し切られてしまったと指摘されています。


 三輪先生は、ハル・ノートに関する章をこう結んでいます。
11月26日のハルの10ヵ条提案でコーデル・ハルのイメージを形成するのではなく、アメリカ国内政治を踏まえて、暫定協定が歴史の舞台から消えていった過程を直視するほうが、豊かな米国政治への洞察と英知をさずけてくれるのではないだろうか(同書121ページ)
 このような先行研究の蓄積を踏まえるとき、伊藤氏の論のなんと浅薄なことでしょう。「豊かな…洞察と英知」の対極にあるといわざるを得ません。ハル・ノートを焦点として結ばれる、日米のみならず英中豪など世界の複雑な関係を、「遺伝子のせいで怒ったからです」で済ますのは、何も説明していないのと同じではないでしょうか。
 なるほど、伊藤氏は、森山先生や波多野先生など先行研究を引用していますが、それらが形作ってきた開戦経緯の議論をつまみ食いするだけで、何も新しいことを加えているとは言えません。ハル・ノートが直接のきっかけなのは「進化政治学」以前から自明であって、議論されるのはなぜハルがノートを出したのか、なのです。

 こうして見ると、伊藤氏の論は過去の政治史・外交史が築き上げられた域を超えるどころか、過度に単純化してその手前にとどまっているに過ぎません。進化政治学なるものはやはり理論としてまったく鍛えられておらず、前提のところからやり直してこいといわざるを得ません。
 プレジデントの文章の末尾で伊藤氏は、「科学は人文学的な議論を補完する役割を果たしえる」ので進化政治学は有効だと論じますが、補完なんかする域に全然達していないのです。「抽象的かつ冷徹な科学的推論」と書いてますが、私からすれば、馬鹿げた単純化でしかありません。すべて無意味に思われます。


 研究する「私」はどこにいるのか

 話を細かい事実関係から、一歩引いた立場に立って見たものに切り替えます。

 で、私が思うに、歴史的経緯からすると「進化政治学」は無意味どころか、危険なものになる可能性すらあります。
 19世紀以降の歴史を省みれば、人文社会系の学問と進化論を安易に組み合わせた社会進化論のような、今日では疑似科学とされるような学問が生まれています。これらは人種や民族の差別を正当化しただけでなく、優性思想にも結び付き、その行きついた先はアウシュヴィッツでした。日本でも、例えばハンセン病患者や精神病者などに断種手術が強行されたことは周知です。
 もしかすると、「ちゃんとやれば」進化政治学というのは成立するのかもしれません。しかしその際には、過去の社会進化論などが引き起こした惨事を反省し、慎重な研究姿勢で進めなければならないでしょう。それに対し、自らを「科学的」と誇る伊藤氏の姿勢は、その慎重さを明らかに欠いています。

 さらに言えば、「科学的」と自らの立場を位置づけ、客観的な観察者ぶる姿勢はどうなのか、という疑問が浮かびます。
 伊藤氏は、自分の議論は政治的な左派・右派どちらにも「不都合な真実」である、それを越えた自分は「科学的」で「冷徹」なんだ!といわんばかりです。しかし、伊藤氏が説く「進化生物学」では、「生存と繁殖が人間の究極的目的であり、これらの目的にかかる問題を解決するため自然淘汰と性淘汰を通じて脳が進化した」のだそうですから、伊藤氏の行動自体もこれによって自省されるべきではないでしょうか。「狩猟採集時代の行動様式」で現代の人間の行動も説明できるなら、伊藤氏のこの執筆活動もまた、「いい女をゲットして子孫を残したい」という、他者に自己を売り込むために力を見せつけるような、そういった面がないではないでしょうか。政治的な左右を斬って見せ、歴史家にマウンティングして、「俺はスゴいんだ!」と売り込んでいるのではないでしょうか。
 もちろん、これはあまりに下司の勘繰りであろうと自分でも思いはしますが、「進化政治学」で政治を分析すると称する伊藤氏自身もまた、分析する自分自身の行動は何によって動かされているのか、という問いも同時に考えなければならないはずです。それを無視して、まるで自分が「科学的で冷徹」な観察者、それこそ神の視点から他者を分析できると考えるのは、傲慢ではないでしょうか。

 ここで参考になる一文を引用します。
フェミニズムはイデオロギーなんだよね、と言う人々に対して返す刀は、中立的・客観的な装いのもとにおこなわれているその学問の党派性・政治性こそが問題だ、という問い返しである。むしろ中立性・客観性の名においてこそおこなわれる「政治」、政治の隠蔽によるフーコー的な意味でのミクロの「政治」こそ、女性学が撃とうとしてきた当のものである。
上野千鶴子『差異の政治学』342ページ

 この上野先生の言葉は、直接的には女性学の話ですが、しかしどんな学問でも、そう簡単に自分を中立だの客観だの言うのは危ないよ、という戒めは持つべきことです。
 歴史学は過去と現在との対話である、とカーは言いましたが、問いかける「私」がいてこそ学問は始まるのです。


 というわけで、この長々したツイートも、曲がりなりにも歴史を学んでいる者が、自己の歩む道の正しさをアピールする「政治」に他なりません。しかし私は、多くの先人のおかげで、これによって「豊かな洞察と英知」が、万人に開かれる可能性があるのだと信じています。

 他にも数多指摘したいことはありますが――例えば、歴史認識で中韓を論うところにみられる意識など――すでに十分長くなり、論点も多岐にわたった文章は、ひとまずここで締めくくります。
 ただ、余計な話と思いながらも書き留めずにはいられないのは、最初にこの伊藤氏の文章をプレジデント・オンラインで見たとき、ヘッダーの黒煙を上げるアメリカ太平洋艦隊の戦艦の写真と、本文の間に、こんな広告があったのです。
伊藤隆太「『なぜ日本は真珠湾攻撃を避けられなかったのか』そこにある不都合な真実」への疑問_f0030574_02250305.jpg
 ……見覚えのある本の広告が。ビジネス本屋が一枚噛んでる歴史修正主義の本ですね(この広告についてはこちらの過去記事を参照)。なんとまあ、お誂え向きの組み合わせか。

 なお、プレジデントの碌でもない文章では、もっと酷いものがほぼ同時に目につきまして、それについてもツイッター上で批判しました。まとめ記事を作るほどではないので、以下のツイートから辿ってみてください。


※本記事は2020年12月12日のツイートを編集し、加筆修正して作成したものです。

Commented by 桜井 誠 at 2021-05-13 16:51 x
南進!?バカの一つ覚えか!?
(by テコンダー朴より)

ソ連、グラーグを解放せよ!ウクライナを解放せよ!
全ての被抑圧民族を大東亜共栄圏の理念の下に、解放せよ!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6%E4%BA%89

https://www.amazon.co.jp/dp/4000291033/
『シベリアに独立を! 諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす』(岩波書店〈岩波現代全書〉 2013年)
Commented by 魚屋 at 2021-08-10 11:04 x
森川氏は恋愛学など胡散臭い活動が目立ちますが進化政治学?分野でトップ英文誌に複数の業績があるようです。学問体系としてのクオリティはわかりませんが、本人の業績一覧を確認していないのは迂闊ではないかと思います。
http://tmorikawa1221.net/Articlescontinued.html
伊藤氏の議論が乱雑かつ問題のあるものであり、そちらを擁護するつもりは一切ありません。
Commented by AJAX at 2021-08-11 17:38 x
伊藤氏のツイートに関するブログ主様のツイートなども拝見しました。伊藤氏の考え方って結局社会ダーウィニズムですね。個人的には伊藤氏が日本人に向けられた「ステレオタイプ」にどのようなお考えを抱いているのかは興味のあるところではあります。
Commented by chintaro3 at 2021-08-12 00:50 x
当時の満州国がいかに麻薬で汚染されていたかを調べてみてください。さらに日本政府は石油を買うためのドルを稼ぐために、あろうことか麻薬をアメリカに密輸することまで画策していて、それがアメリカ政府にバレてしまいました。そのことがアメリカの逆鱗にふれた、というのが事の真相では無かったかと思います。とにかく、当時の麻薬問題を抜きにこのことを説明しようとするのは無理があるのです。
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by bokukoui | 2020-12-12 23:59 | 歴史雑談 | Comments(4)