「東インド会社」をどうイメージするか
昨日まで三日間、集中的に世界史と地理を教えていました。その授業に対する生徒の感想から思った下らないこと。
世界史では17世紀~18世紀末のヨーロッパ近代を教えたのですが、その時代のヨーロッパ史だと「東インド会社」というのが幾つも存在します。オランダ、イギリス、フランスの三国のそれが世界史に登場しますが、他にもスウェーデンやデンマークにもあったといいます。世界史の授業では、先に挙げた三国の東インド会社については、設立年代も出てきて、それなりに重要な存在として扱われます。
で、生徒の感想とは、ある生徒が「東インド会社とはどういうものかよく分かりません」と言うのです。これは教える側としてはまずい話で、やはりきちんとフォローしなければなりません。
東インド会社関連では、オランダ東インド会社のことを「世界最初の株式会社」と言ったりしますが、しかしその実態は現在イメージされる「会社」とかけ離れているのもまた事実です。会社でありながら同時に軍隊を持って戦争をしたり、植民地の統治機関だったり、また貿易業務に関しては独占的権利を認められているなど、今の会社の活動とは相当に違っています。
独占ということに関しては、専売公社の存在を辛うじて覚えている世代(笑)にとってはイメージしやすいかもしれませんが、会社が植民地の行政権を持っているというのは、日本の場合それこそ南満洲鉄道を知っていないとイメージしずらいのかもしれません(満鉄初代総裁の後藤新平は、満州の鉄道利権を日本が獲得できるとなった時点ですぐにイギリス東インド会社の調査をしています)。もっともあの会社は軍隊を持ってはいませんでしたが。逆に関東軍が満鉄に介入しようとして、満鉄改組問題という問題を引き起こしていました。
とそこまで思って、ふと下らないことに思い至りました。
軍隊(のような暴力装置)を持って、行政を支配して君臨する超巨大企業、と言い換えると、なんだかアニメとかに良く出てきそうな気がしませんか? 具体的には、例えば SoltyRei に出てくるR.U.C.みたいな(微妙に偏った例ですみません)。
よく漫画・ゲーム・ラノベには「ファンタジー世界」と総称されるような世界設定があります。「剣と魔法の世界」という奴ですね。これも小生小学生の折、太平洋戦争の日本軍の、日本刀を持った斬り込み隊が米軍の火力の前にあえなく斃れる話を読んで、「戦争は火力である」という感想を抱き、また「魔法」に関しては魔女狩りについての本を読んで、「魔法遣いに大切なことは宗教裁判と拷問と火あぶり」という観念を獲得しました(小学生のこととて偏向の程は御寛恕ください)。ので、「剣と魔法の世界」というのにはあまり興味を抱けなくなってしまったのです。
かかる偏見を持って「ファンタジー世界」を瞥見すると、どうも今ひとつ妙な感じがして、というのも一見ヨーロッパ中世的世界のようでいて、王権は絶対主義的に位置づけられているのではないか、そんなちぐはぐ感を感じたのです(小生はあまり中世には詳しくありませんが)。魔法を除く軍事技術は中世的ですが、一方王権の絶対主義的な強化に近世の軍事技術の発達(イタリア式築城術とか、小銃を持った歩兵とか)が重要な影響をもたらしたというのは、ジェフリー・パーカーの本など読めば明らかな通りですよね。
『PrincessHoliday』という、人気があったらしいエロゲーがあって、小生はやったことがないのですが、このゲームのキャラクターの抱き枕を、共同出資を募って買って某氏に贈呈したことがあって(この件の顛末は某氏の許可が出ればネット上で公開したい所です。※追記:許可が出たので公開しました。画像資料付きです。こちら)、その際に情報収集の一環としてこのゲームのビジュアルファンブックなるものを借りて読んだことがありました。当の某氏からですが(笑)
その際、このゲームの世界設定についてスタッフが「ヨーロッパ中世世界を、ゲームの世界をモデルにした」旨が書いてあって、この人たちは「ヨーロッパ中世」をどのように把握したのか極めて疑問に思ったものでした。
一方で森薫『エマ』の世界を「中世」とか書く人もいて(検索してみよう)、近代の中の近代というべきヴィクトリア朝を捕まえてそりゃないだろう、と苦笑したこともあり、どうも「中世」という言葉は人をひきつけるところでもあるのでしょうか。なら網野善彦の本でも読んでればいいのに。
話があさっての方向に逸れ始めたので軌道修正すると、物語の舞台設定としてヨーロッパ近世というのは結構使える割に未開拓の分野なのではないか、ということですね。
軍隊を持った貿易会社、カルト教団が作る植民地、傭兵上がりの白人がアジアに立てた王朝、自分の批判をしたパンフを拵えた印刷業者をぶん殴る首相、ヨーロッパ中から大男を拉致してきて一個連隊編成して悦に入る王様、いろいろおりますな。18世紀ともなれば貴族社会も煮詰まってきていい感じだし、考えてみればサド侯爵もこの時代のお方でした。高山宏の書物など読むと、感興がいろいろと湧いてくるのではないでしょうか。
でも実際のところは・・・以前評したこんな本みたいになっちゃうのがオチなのでしょうか。中里融司の『北の雷鳴』という三十年戦争ものラノベを、昔戦史研で三十年戦争特集をやった時、誰かが持ち込んだので読んだ覚えがありますが、全く感銘を受ける点がありませんでした。
しかしまあ、やりようではまだまだ開ける可能性はあると思います。多分。
そういえば私の記憶では満鉄そのものが敵役の「超鉄大帝テスラ」という作品がありました。近未来まで存続した満州国を舞台に、主人公が巨大ロボを駆り満鉄+関東軍に立ち向かうというものすごい作品でした。しかもそのロボットはパシナ型が変形するという凄まじさ。さすがは大塚英志原作。
それから東インド会社の中核事業だったと言われる「胡椒」ですが、現在もご当地の主要産業です。つまり東インド会社を出すということは同時に「その中核は現在にまで繋がっている」ということを意味するんだろうなあ。とイメージします。
そんなこんなで、私は「ファンタジー世界の近世」と「ファンタジー世界の現代」を結ぶ鍵としての「ファンタジー世界の東インド会社」という設定なら納得して読めると思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060901-00000045-mai-soci
http://watch.impress.co.jp/game%2Fdocs/20060829/crest.htm
なるほど、大塚英志氏なら思いつきそうな題材ですね。
それにしても、この作品も完結していないようですが、『オクタゴニアン』も大丈夫なんだろうか。
>緒方収容所長
>「その中核は現在にまで繋がっている」
それもまたヨーロッパ近世の魅力ですね。
ところで「ファンタジー世界の近世」と「ファンタジー世界の現代」の間には、「ファンタジー世界の市民革命/産業革命」が発生するのでしょうか。
>某後輩氏
情報ありがとうございます。
しかしうーん、コーエーでは・・・まあ地名くらいは覚えますかね。
ただ、「学校の授業」でない、別回路で主体的に取り組んだから、ゲームによる歴史学習は成功するのだという気もしないではないのですが。