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筆不精者の雑彙

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参院選を前にウクライナ侵攻当初の橋下徹の発言から維新の危険性を考える

 今日でロシアによるウクライナ侵攻からちょうど4か月になります。ロシアが当初狙ったであろう、電撃的侵攻による首都陥落と傀儡政権樹立は、ウクライナの抗戦で阻まれましたが、現在も戦闘は継続し、停戦への道筋は見えていません。長期化する戦争に、日本を含む国際社会もやや関心が低下している感は否めませんが、ロシアのプーチンによる一方的な力による世界の秩序の破壊は到底許されるべきものではなく、粘り強くウクライナ支援を続けなければなりません。
 そんな中で来月10日に日本では参議院議員選挙が行われます。絶対優勢を予想された与党陣営は、急激な物価高でやや失速しているという見方もあるようですが、一方で野党では日本維新の会(以降、「維新」と略記)の躍進が予想されています。私は自民党のここ十年余の秕政に強く反発するものであり、とりわけ学術会議任命拒否問題を引き起こし、またそこへの道筋を作った前首相と前々首相については政治生命を断つべき存在と考えますが、だからといって批判票のつもりで維新に投票することは、悪を避けようとして極悪を掴むような大変な錯誤であるとも考えています。極論すれば、自民党員(の多く)と共存してやっていくことはできても、維新の支持者とは社会生活を共同して営むことからして危ぶんでいます。
 そこまで私が考えている理由について、ロシアのウクライナ侵攻当初の橋下徹の発言をきっかけに以前ツイッターで述べましたが、参院選を前に、再度ブログにまとめておくことにします。




 問題の橋下徹の発言については、ネット上にデータが残っています。



 端的に言えば、戦争は人命を損なうので、国民は国外へ逃げて早期にロシアと妥協すべき、という主張です。ロシア批難の声が世界的に高まっている中で「逆張り」したのかもしれませんが、普段威勢のいい橋下にしては、なんだか絶対非暴力で人命尊重というのは一見不思議な意見とも思えます。実際、橋下の暴論は大して支持を得られず批難ばかりを集めたような印象です。もちろんその一方で、彼らしく戦争反対の声を冷笑してもいましたが。
 これについては、現在は維新に所属している鈴木宗男が、戦争に至ってもロシアべったりな姿勢なのを擁護するためなのか、といぶかる声も出ていました。

 このような声も出るほどで、私も橋下の発言には不快に感じると同時に、不思議な思いもちょっとしました。ですがちょっと考えてみたところ、橋下なりには整合性がありそうだ、ということに気づいたので、以下にまとめておきます。

 橋下徹がウクライナの抵抗を否定し、反戦の声を腐しているのは、単純に「プーチンの世界観に同調しているから」だと思います。それは何か、「力のある者には総取りする権利がある」という発想ではないでしょうか。
 ここで(変な話ですが)プーチンのために弁じておくと、彼の世界観はおそらくそこまで単純ではなく、そのような発想がどこかにあっても、それをもっともらしく思想の系譜にねじ込むことはしています。この点については長谷川晴生さんのご指摘を引用しておきます。
 またプーチンの思想については、戦争前にフランス人研究者がまとめた本が、『ウラジーミル・プーチンの頭のなか』と題して来月にも翻訳出版されるとのことです。

 しかし橋下一派は、そんな文化的な虚飾すらもない、もうむき出しの「力」の志向だと思うのです。「力のあるものには総取りする権利がある」、これが橋下らの世界観なのだと私は考えます。だから彼らには、万人に普遍の人権なんて発想はない。それは「劣った弱者」に「優れた自分」と同じ権利を与える「悪平等」であり、「優れた自分」が得て然るべきものを奪われた、「人権侵害」になるのです。
 橋下的世界観では、人間は力のあるものからないものへとヒエラルキー化されていて、上の者は下の者に対し「総取り」の権利を当然視します。ではもっと強いものに対しては? それは媚びへつらっておこぼれにあずかり、しかもそれを「立派な行為」だと開き直って正当化するのです。
 橋下的世界観ではしたがって、常に相手との「上下関係」を測り、少しでも上に立とうとして攻撃して回ります。そうやってマウンティングして「下」の者に威張り散らすことが一番大事なのです。力を見せびらかすプーチンの強権体制に、橋下がなびくのは理の当然と言わざるを得ません。

 ヒエラルキーが肝要な橋下的世界観では、ですから普遍の人権やいったことは「お花畑」と冷笑されます。その内実は、彼らが力を見せびらかして他者を抑圧し、また強者に媚びることしか考えておらず、何が真理なのか、善悪の価値観はどうあるべきかといった思想の欠如でしかないのですが。
 この橋下的世界観をよく表しているのが、今回の戦争にかこつけて維新の連中が「非核三原則」廃止、アメリカとの核シェアリングを言い出したことです。核兵器はいけない、という普遍的な発想を馬鹿にし、しかし北朝鮮みたいに孤立して先軍政治する「勇気」もなく、アメリカ様におすがりしようというわけ。
 まあ、橋下的世界観は「ヤクザ」だと思えばだいたいいいのでしょう。「プーチン親分のロシア組は強い! かっこいい! うっかり喧嘩したらやばい……でも俺だってアメリカ様の盃を受けてるんだ!」てな感じでしょう。

 また橋下的世界観は、私が見るところでは、ヒエラルキー化された力によってしか世界を律しえないため、普遍の真理という観念を欠いています。強いものに媚びるのを当然視するので、精神的に自立した人間という理想を理解しえないのです。これが維新に見られる教育や学問への敵視とつながるのでしょう。
 建前として、学問は権力者ではなく普遍の真理を追究しますし、教育も権力のための駒ではなく自立した個人の育成を目的とします。この建前が、橋下的世界観では気に入らないのです。スポンサーのためにならない研究は無意味、俺に都合のいい人間を育てろ。
 実のところそれは、スポンサーのためにもならず、研究の衰退を招くもの(現状の日本がそうなりつつある)なのですが、それは普遍的真理の追究自体を抑圧するのが真意なのですから、ある意味目的に適っているのです。しかも維新どものやり方は、そうやって研究を衰退させた上で、「研究者はなってない!」とさらに攻撃する口実を見つけるという、きわめて悪質なものなのです。

 そんな維新がなぜ大阪で圧倒的な支持を受け、全国的にも躍進が予想されているのか。どういう人々が維新を支持しているのか。これについては以前に『住民と自治』誌(2018年11月号)の維新特集を参考にしてツイートしたことがありました。
 一夫一婦制は、「力のある男」が女を独占できない「不平等」な制度と、橋下の目には映っているわけです。まさに「総取り」の思想ですね。

 で、そんな維新を支持する層もまた、「力がある自分」という認識を持ち、その自分が「総取り」できないことを不満に思っている連中が中心なのではないかと考えられます。つまり維新のコア支持層は、そこそこ成功したような中間層にありそうです。世間並み以上ではあるけれど、「俺はもっと偉くなれるはず」と自己を肥大化させ、その勝手な鬱憤を弱者への攻撃に向けるのです。

 維新の政治家や、維新が公募した区長だの校長だのに、セクハラやパワハラで問題を起こした連中がやたらと多いのも、これが原因と私は考えます。偉い俺は偉くない奴に威張るのは当然の権利である。文句を言う奴は当然の権利を妨害する「人権侵害」である! 
 これについてはパワハラのみならずセクハラについても考えなければなりません。ヒエラルキーで「上」だと威張りたくても、そう簡単に威張れる「資源」はないのですが、一番簡単で楽な奴があります。そう、「男らしさ」ですね。近代に激化した(男女差別は昔からあったにしても、19世紀を頂点とする近代に頂点に達していました)最も身近な「強者」と「弱者」の関係なわけです。

 維新がIR=カジノにやたらこだわるのも、利権というのもあるでしょうが、私が思うに「飲む・打つ・買う」の古典的な男らしさの誇示への執着ではないでしょうか。それを思えば、IRに「売春特区」を入れないだけ自制しているというべき? いや、橋下は在日米軍の性犯罪対策に風俗活用とか言ってましたね。
 維新の大阪市政は、従軍慰安婦問題でサンフランシスコとの友好都市を破棄するという暴挙をしましたが、それは真理をバカにする彼らが歴史修正主義に染まりやすいのみならず、「金で女を買うのは男の権利」であり、買った以上は何をしてもいい、という強者の総取りの権利の発想があったからでしょう。つまりは力を見せつけ、弱者を踏みにじる快楽は、彼らには何にも勝る喜びなのではと思うのです。

 つまり、これは維新に限らない現象だと思うのですが、「女を殴って男らしさを誇示する権利」というのが「基本的人権」だと思い込んでいる「有害な男らしさ」というのがこの世界には存在しており、とりわけ維新はこの「人権」の擁護に熱心な党派で、それに同調する連中も少なくないのです。現在一部で話題になっている「共同親権」も、その実態としては、離婚原因を作った男が子供に対する権利を主張して、子供を道具とすることで自分の自尊心を満たすものでしかないようです。これもまたその一見しての美名とはかけ離れて、「有害な男らしさ」を満たす道具でしかないのです。
 私も一男児の父として、子供がそういった「有害な男らしさ」にはまらないか心配になります。まずは太田啓子さんの『これからの男の子たちへ』を読まなければならないと思っています。


 しかしもちろん、「男らしさ」が常に有害なわけではありません。男性性の誇示が時には世界を動かすこともあります。そこで参照すべきが藤野裕子さんの『都市と暴動の民衆史』です。都市暴動に参加した男たちの、時には敢えて弱い側につくような対抗文化を検証しています。

 そこで見られる「男らしさの誇示」には、弱い者いじめではなく、仲間意識や権力への対抗心というものがあります。これが時には、助け合いとして機能することもありました。ただし権力にこれが回収されると、関東大震災の時の朝鮮人虐殺のような方向にもなりうるのですが……

 ですので「有害な男らしさ」と、そうでない男らしさの差としては、対等な同胞という意識が一つキーになるのかもしれません。すると、世界をヒエラルキー化して上下で態度を変えることを当然とする橋下的世界観は、「男らしさ」の良き部分を捨象し、悪いところを煮詰めたものといえるかもしれません。
 で、同胞の中に上下関係を持ち込んでしまうもの、その例の一つが金銭の貸し借りです。これは借りた方が貸した方に頭が上がらなくなってしまいます。そういう負い目が回収には有利だったりするわけですが……。で、なんと、そういった庶民間の素人高利貸が、実はサラ金の発祥だったのです。これは小島庸平さんの『サラ金の歴史』という素晴らしく面白い本が解き明かしたことです。


 こうして話は最初に戻ります。維新の首脳がサラ金の弁護士だったことには、歴史を背景にしたいわば必然性があったのだと。
 話にオチが付いたので、この辺で一区切りにしておきます。

 なお、5か月もブログの間が空いてしまったのは、私がブラウザに Firefox を愛用していたところ、けしからんことにエキサイトブログが最近、Firefox 非対応になってしまったため、ログインすらできない状況になってしまっていたためです。しかしツイッターもイーロン・マスクが買収するだかしないだか、先行きや運営も必ずしも信が置けないので、ツイッターで長々ツイートした内容は、今後発掘してブログにまとめていくようにしていこうと思います。

※本記事はツイッターで2022年3月2日にツイートした内容に、加筆修正して作成したものです。



Commented by りょう at 2022-07-04 02:20 x
内容は概ね同意ですが、共同親権については、欧米では標準であり、「離婚原因を作った男が子供に対する権利を主張して、子供を道具とすることで自分の自尊心を満たすものでしかない」というのは穿った見方です。

DVなどは別途対応は必要ですが、子どもを勝手に母親が連れて行って帰って、父親が会えない、というような問題があります。ハーグ条約も絡んでいます。

共同親権には、賛成派も反対派もいますが(私は賛成はですが)、その双方にトンデモが混じっている印象です。その賛成派のトンデモに、ブログ主は目を奪われているのでしょうが、共同親権そのものは検討に値する案です。
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by bokukoui | 2022-06-24 21:09 | 時事漫言 | Comments(1)