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筆不精者の雑彙

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鉄道150年記念・鉄道史のおすすめ本紹介15点+α

 今日は1872年に日本で初めての鉄道が新橋~横浜間に開業してから(厳密には品川~横浜間で仮営業してましたが)、ちょうど150年の佳節にあたります。有為転変を経ながらも、日本社会で鉄道が一定以上のプレゼンスを保ちながらここまで発展してきたことは、一ファンとしてまことに喜ばしく思います。現在は新型コロナウイルス禍によって鉄道事業も大きな打撃を受け、また近年の温暖化に伴う天候の激変によるものか、被災による運休や廃止も目立ち、現に復興が問題となっている路線もあります。今後の鉄道事業の様相は予断を許さず、国鉄の分割民営化のような大きな変化が起こる可能性(いや必要性というべきか)もあるでしょう。しかし、鉄道を一貫して基幹的な交通機関としてきた日本では、今後もその社会の構造自体がすぐに大きく変わるわけではないでしょうから、まず当分は鉄道は重要な交通機関であり続けると思っています。

 という口上はひとまず措いて、鉄道史を専門としている私としては、この機会に鉄道の歴史についての面白い本をいくつかご紹介して、記念日の賑やかしにできればと思います。まあ過去に取り上げた本の再紹介になる場合も結構ありそうですが……。
 取り上げる本については、なるべく一般の読者の方を想定して、鉄道に関心のある方が読んで面白そうなものを取り上げたいと思います。ですので学術書としては古典であっても、例えば中西健一『日本私有鉄道史研究(増補版)』ミネルヴァ書房(1963年初版、2009年再々版)などは、除外することとします。
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 鉄道の本はたくさん出ており、それなりに読んでいるつもりの私でも到底網羅できているわけではありません。あくまで一ファン、私鉄の歴史に傾いた者の思い付き(割と愛読して記憶にある本)ですが、何かしら手引きになりましたら幸いです。




1. ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』法政大学出版局(1982年初版、2011年新装版)
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 最初は古典と呼べそうな本から。そこそこ古い本ですが、新装版が出ています。ドイツ人が著した、鉄道で旅行することで人々の世界の見方がどのように変わったかを論じた本です。鉄道は19世紀の早い段階で時速50マイル以上に達しましたので(その割にブレーキの開発は遅れて事故が……)、それまでせいぜい馬に乗って駆ける程度の速度しか知らなかった人間は、まったく新しい世界の見え方に直面することになります。私たちが今や当たり前に見えている世界は、ほんの二百年前の人びとにとっては新たな世界だったのですね。
 著者のシヴェルブシュは他にも、照明の進化で世界の見方がどう変わったかを描いた『闇をひらく光』 や、酒タバコにお茶とコーヒー、スパイスなどの嗜好品がどのように受容されてきたかを描いた『楽園・味覚・理性』など、面白い本をいくつも書いており、邦訳されています。私も『鉄道旅行の歴史』を読んでファンになり、このほかにも何冊か買って読みました。新装版が出ていることが面白さの証左になっていると思います。訳文はちょっと堅いですが、読みにくいというほどではないと思います。


2. 原田勝正『日本鉄道史 技術と人間』刀水書房(2001年)
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 今年の鉄道150年を期して、JR肝煎りで『鉄道150年史』が編まれていると聞きます。それ以前も、1922年の鉄道50年を期して当時の鉄道省が『日本鉄道史』という歴史を編纂し、そして1972年の鉄道100年には大作の『日本国有鉄道百年史』が編まれました。その百年史編纂の中心となったのが原田勝正(1930~2008)です。歴史学者として日本の鉄道史を学問として成立させた功労者というべき方で、学問的な本だけでなく一般向けの本も書き、趣味的な本の監修もされていました。
 その原田の集大成というべき本が『日本鉄道史』です。日本の鉄道史を通史的に、さまざまなトピックを取り上げて多角的に論じています。その中には原田自身の経験に基づいた記述も多く、貴重な歴史的証言となっています。本書の中で一番面白いのは、たぶん信号についての章ではないかと思うのですが、幼少のころから鉄道信号の面白さに目覚めていたというのは、栴檀は双葉より芳しという言葉の適例となっています。
 ちなみに原田晩年の著である本書ですが、そのころの原田先生の名言にこんなのがあります(盟友で後出の青木栄一先生から聞きました)。

「最近は家から出なくても本が書けるようになりました」

 もちろんこれは、ネット環境が整備されたという意味ではなく、本を書けるだけの資料の蓄積が長年のうちに成し遂げられていたのです。マニアとして死ぬまでに一度は吐いてみたい言葉ですが、今はネットの情報が充実したからある意味簡単になってしまいました。
 ともあれ、日本の鉄道の黄金時代とともに人生を歩んだマニアにして研究者の珠玉の一冊、これからも長く読まれる価値があると思います。


3. 宮脇俊三『増補版 時刻表昭和史』角川文庫(1980年初版、1997年増補版、2001年文庫版)


 人生を日本の鉄道の黄金時代とともに過ごせた幸福な鉄道愛好者、といえば宮脇俊三(1926~2003)です。言わずと知れた鉄道紀行作家で、個人的には最近変な持ち上げ方をされてるんじゃないかという気もしますが、しかし面白い鉄道本を多く世に送り出した人であることは確かです。その著作の中で、どうしても時代の変化を感じさせる旅行記類と違って、もっとも長く生命を保ちそうなのが本書です。著者も一番の力作と自負していたけれどあまり売れなかったそうですが……。
 国会議員の息子という恵まれた立場をフルに利用して、戦前・戦中(!)にも列車に乗りに行った経験談は、これも歴史的資料と言っていいでしょう。増補版では戦後しばらくの時代も書き足されています。それにしても、戦時中の「不要不急の旅行はやめましょう」というコロナ禍の近年みたいなことが言われていた戦時中、関門トンネルができたといって乗りに行くのは、鉄道マニアの鑑ですね。戦時下の鉄道マニアの時世に屈しない話としては、戦後『鉄道模型趣味』誌を発行する山崎喜陽(1921~2003)が日本で初めて16番ゲージ(今でもNゲージに次ぐポピュラーな規格)の模型を作ったのも戦時中だといいます。他にも、空襲後に焼けた路面電車の番号を調べて歩き、路面電車事業者よりも詳細に被災状況を把握していたマニアの逸話もあります。偉大なる先人の業績に頭が下がります。
 そんな鉄道趣味界の偉大な先人の代表作というべき一冊です。これも末永く読まれるでしょう。

※追記(2023.11.15.)
 2023年6月、本書は関連する宮脇の文章や北杜夫との対談を加えて、「完全版」として再版されました。



4. 齋藤雅男『驀進 鉄道とともに50年から』鉄道ジャーナル社(1999年)



 鉄道を外部から愛した人の本を続けて紹介しましたが、鉄道は大規模で労働集約的な産業ですので関わる人も多く、当事者の回想の類も結構あります。その中で一番面白いのは、といえばやはり齋藤雅男(1919~2016)の『驀進』ではないかと思うのです。この本は『鉄道ジャーナル』誌に長期連載されていたのをまとめたもので、戦前の鉄道省時代に国鉄入りし、戦後の復興から発展の時代に各地で働き、そして何よりできたばかりの東海道新幹線の運営に当たったという、日本の鉄道の画期となった時期を内部から見ていた人の証言です。鉄道史のみならず、組織の運営についても学ぶところは多そうです(まあ、回顧譚なので多少盛ってる可能性なきにしもあらずですが)。
 齋藤氏は長寿を全うされた方で、晩年までお元気でした。私は幸いにも、学界で何度かその謦咳に接する機会があり、さすが鉄道の生き字引的な人だと何度も感心した覚えがあります。イギリスネタの小話は当ブログでも昔書きましたが、もう一つエピソードを書いておきます。学会のある発表で私が若輩ながら司会を仰せつかった時、質問時間で齋藤さんが手を上げられました。正直、こういう学会でのお年寄りは、ついつい自分語りをして質問時間を費消してしまいがちなので(苦笑)、私も一瞬身構えたのですが、発表を補足する内容を的確にまとめて指摘され、時計を見たら時間はたった3分しか使っていませんでした。さすが、仕事ができる人だと感心したことをよく覚えています。


5. 阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』河出文庫(1983年初版、1991年文庫版)


 国鉄系の話が続いたので、ここからは私の専門である大都市圏の電鉄、大手私鉄関係の本を選んでみましょう。
 その代表として一冊挙げるなら、この本です。これは今年の年初に当ブログでやった「没後65周年記念企画・小林一三伝記本読み比べ」記事でも取り上げた本ですが、小林一三や阪急電鉄・宝塚を取り上げた本は汗牛充棟でありながら、有体に言ってどれも似たような……というところがあります。それは小林の自伝『逸翁自叙伝』にみんな引きずられているからで、さすが小林は作家志望だっただけあって文章が面白く、引きずられてしまうのは致し方ないとはいえ、歴史研究としては問題があります。それを相対化しつつある近年の研究は、上掲記事で鈴木勇一郎さんの本などを紹介しましたが、その『逸翁自叙伝』を鵜呑みにしない路線の元祖といえ、類書にはない面白さがあります。
 その一方で、本書は阪急沿線民であった阪田の小林への敬愛や宝塚への愛情(娘が宝塚に入っている)も痛いほど伝わってくる一冊で、愛を持ちながら冷静に分析するという、評伝として一つの理想的な在り方を示しているようにも思います。どこかで再版しないかなあ。

※追記(2023.4.13.)
 本書はめでたく再版(単行本、文庫本に続き三度目の出版)されました。


6. 木本正次『東への鉄路 近鉄創世記』学陽書房(1974年初版、2001年再版)


 ノンフィクション・ノベルで私鉄の歴史を取り上げたものはいくつもありますが、その中で一冊挙げるなら本書(上下巻ですが)と思います。大阪と奈良を結ぶだけだった大阪電気軌道が、どうやって大阪から伊勢、そして名古屋を結ぶ大鉄道に発展したのか、その波瀾万丈の歴史を、当事者にも深く取材して描いています。とにかく面白いですし、経営的な面だけでなく、技術的なことにも触れていて、目配りが良い本です。これも文庫化とかすれば今でも売れると思うのですが。というか、木本正次の代表作は『黒部の太陽』で、映画化されて有名になりましたから、これも映画化はいかがでしょう。参宮急行2200形をCGで再現!……ニッチな需用しかないか。
 関西の近鉄に対して、関東の東急を取り上げたノンフィクション・ノベルとして有名なのが、猪瀬直樹『土地の神話』です。これも面白い本で、これだけ面白い本を書く能力のあった人が、どうしてあんなつまらない小物政治家に堕落してしまったのか、小説家として猪瀬に嫉妬した石原慎太郎が潰したのかと思いたくなります。ともあれ面白かった頃の猪瀬の代表作として、東急の社史の一部に関わった私としてもその価値を今でも認めるものですが、さすがに古くなって書き改めるべきところもあります。その一部は社史で示したつもりですが、そこでも参考にした枝久保達也『戦時下の地下鉄』が、東京の地下鉄をめぐる五島慶太と早川徳次の争いについて、新たなに説得的な見解を示しています。併読すべきでしょう。

 

 この分野でも、新たな書き手や作品が登場する余地はまだまだあると思いますので、志のある方はぜひ。


7. 高嶋修一『都市鉄道の技術社会史』山川出版社(2019年)


 東京名物満員電車、というのは大正時代の路面電車の頃からそうでした。いつも足りない輸送力、無秩序に拡大する大都市、その中で満員の乗客を詰め込みながら走る電車。日本人には当たり前の光景ですが、なんでそれが当たり前になったのか、それを鉄道の技術とそれを受け止めた人びとの相互作用として描いた本です。技術者が拵えたシステムが、どうやって乗客に使いこなされるようになるのか。今でも通勤電車は4月になると遅れが増えるといいます。就職や入学ではじめで満員電車に乗る「慣れない」乗客が増えるからだということですが、その「慣れ」とは何なのか。戦前の歴史に遡って検討しています。高嶋先生もまた、原田勝正の系譜に連なる、鉄道愛好者の鉄道史研究者で、大学の研究室にはメルクリンの模型が飾ってあるそうです。その愛を学問で包み、書き上げられた一冊です。高嶋先生には東急の記事で書いたように、公私ともにお世話になり頭が上がりません。
 日本の都市圏というのは、鉄道によって作られたといってよく、それに最適化されているためにモータリゼーションの波が押し寄せても基本構造が変わりませんでした。その最適化の様相が良く理解できます。この様相がどれだけ世界的に見て特異なものなのか気になりますが、そこで併読したいのがイアン・ゲートリー『通勤の社会史』です。世界の通勤の歴史と現状を描いた本で、日本の満員電車にも多くの紙幅が割かれています。

  

 この日本の都市圏を特徴づける、鉄道によって作られた都市とりわけ郊外については、かなり研究が充実しています。その中で一般にも読みやすい近年の成果を挙げるならば、片木篤編著『私鉄郊外の誕生』と、角野幸博編著『鉄道と郊外 駅と沿線からの郊外再生』が主なところでしょうか。今後とも参照していけそうないい本です。


8. 齋藤晃『蒸気機関車の興亡』NTT出版(1996年)

  

 鉄道は技術なくしては動きません。19世紀以来、先端の機会や土木や電気の技術が鉄道にはつぎ込まれてきました。そんな鉄道の技術史を一般にも分かりやすく面白く解説してくれた本、となるとやはり、齋藤晃『蒸気機関車の興亡』とその続編『蒸気機関車の挑戦』『蒸気機関車200年史』が真っ先に挙げられると思います。海外の文献を繙き、英米仏独の蒸気機関車の歴史を分かりやすく多くの図を交えて解説してくれています。何より本書が日本の鉄道本の中で画期的であったのは、それまで日本の蒸気機関車などの歴史は鉄道関係者の手で書かれたため、どうしても自画自賛に陥りやすかったのです。その井蛙的な技術史観を、世界の情報を盛り込むことで一気に書き換えた、そんな意義があるのです。
 1990年代に『興亡』『挑戦』が出て、流れは変わったと思います。日本の蒸気機関車は残念ながら、国産化を達成したという以上の技術的意義には乏しく、貧乏な国情を反映したケチ装備が目立ち、先進的な技術への挑戦はあまりされませんでした。それは決して狭軌の制約によるものではない、と齋藤は南アフリカなどを例に出して説明します。外部の趣味者だからこそ描き得た視点と言えるでしょう。この路線を受け継いだ近年の作品としては、髙木宏之『国鉄蒸気機関車史』が挙げられますが、この本はかなりマニアックで、上級者向けでしょうか。


 電車でもこういった技術史の本が出て欲しいなあと思います。


9. 鈴木淳『日本の近代 新技術の社会誌』中公文庫(1999年初版、2013年文庫版)


 この本は一冊丸ごと鉄道というわけではありません。しかし、さまざまな技術が近代日本の社会で定着するさまを生き生きと描いており、とても面白い本です。その中に、鉄道と関連ある技術が二つあります。一つは路面電車で、汽車の鉄道や電鉄による郊外の出現以前に、東京では路面電車による郊外が現れたことが描かれています。これは鉄道史で見落とされやすい視点ですが、重要な視点です。
 もう一つは人力車です。え、鉄道と何の関係がって? 鉄道は大量輸送には強みを発揮しますが、小回りが利かないのが難点です。駅からフィーダー輸送をどうしても必要とします。西洋でも馬車が一番増えたのは、鉄道ができてから(鉄道で輸送全体が活性化し、フィーダー輸送の馬車も増えた)らしいです。駅まで・駅から人や物を運ぶ手段がなければ、鉄道も宝の持ち腐れというわけです。そこで日本で活躍したのが人力車でした。日本の国情にかない(馬を大量に飼うのが困難)、社会の激変で職を失った人びとの受け皿にもなりました。明治前半には、まだつながっていない鉄道網を補完する長距離輸送すら担っていたのです。鉄道を支えるもう一つの「インフラ」でもあったといえます。20世紀に入って自動車が普及するまで、つなぎの役割を果たしたのでした。

  

 貨物でフィーダー輸送を担ったのは荷車でした。江戸時代の大八車が金属部品の採用で性能アップし、行動範囲も広がります(江戸時代の大八車は都市内の輸送に限られました)。明治維新で「文明開化」をより多くの人に印象付けた交通機関は、普及の時間がかかった鉄道より、人力車と改良された荷車だったかもしれません。荷車はフィーダー輸送に限らず広く使われました。というわけで武田尚子『荷車と立ちん坊 近代都市東京の物流と労働』もおすすめです。
 また人力車や荷車を駆逐することになる自動車、やがては鉄道そのものまで斜陽化させる自動車の日本への導入については、中岡哲郎『自動車が走った』が面白いです。その続編というべき中岡著の『日本近代技術の形成 <伝統>と<近代>のダイナミクス』は、鉄道の話はありませんが、私が読んだ日本近現代史の本の中で、一番ワクワクして面白い本と言っても過言ではありません。これも文庫か何かにならないかと願っています。
 話を戻して、鈴木淳先生は私の大学学部・大学院での一番の恩師です。鈴木先生は軍艦マニアで(笑)、鉄道マニアが入門したら、どこか通じるところを感じてくださったのか、出来の悪い弟子を見捨てないでくださいました。そのような恩義を抜きにしても、『新技術の社会誌』は万人にお勧めできる楽しい本です。


10. 青木栄一『鉄道忌避伝説の謎 汽車が来た町、来なかった町』吉川弘文館(2006年)


 面白い歴史の本というものの一つのパターンとして、「従来××と思われていたが実は○○だった」というのがあります。もちろんキワモノもありますが、着実な研究で俗説や思い込みを訂正した研究というのは、読んでいて謎解きを見るような快感があります。鉄道史の分野でそのような本と言えば本書でしょう。地方史の本や鉄道の読み物にはしばしば、「鉄道ができる時に地域の人が、『町がさびれる』『火事になる』などと反対したので、この街には駅ができなかった/駅が町から遠くなった」などという話が載っています。私が今住んでいる熊本も、熊本駅が町の中心からずっと西にあり、新幹線ができて再開発されるまで駅前には何もありませんでした。そのため鉄道が嫌われて駅が遠ざけられたという「鉄道忌避伝説」がある街の一つです。
 しかしそんなのは思い込みだ、後世に作られた伝説に過ぎないと本書は説きます。史料を調べると、鉄道を誘致しようとした史料はいくらでも出てくるのに、反対運動の史料はないのです。「鉄道が村に来るのは嬉しいけれど、先祖伝来の土地を売るのはやだなあ」という「総論賛成、各論反対」はあっても、鉄道自体に忌避感を抱いた例は見つかりません。熊本の話は同書に載っていませんが、別な研究によると、駅を自分の町の近くにしてもらおうと熊本市内の町同士で綱引きをしていることが新聞で報じられています。駅が遠くなったのは、鉄道側の用地確保や線形の関係に過ぎないのです。
 本書の著者の地理学者・青木栄一(1932~2020)もまた、原田勝正と同じく日本の鉄道史の学問としての成立に貢献したのみならず、趣味的な記事の多数執筆し、子供向け鉄道図鑑の監修もしていて、多くの研究者や鉄道愛好家を育てたといえる人です。と他人事のように書いている場合でなく、私自身青木先生監修の図鑑で基礎知識を身に着け、大学院進学後に縁あって青木先生が大学をやめられても続けていた自主ゼミの末席に連なることができ、先生の謦咳に接することができました。それは私にとって掛けがえのない財産です。青木先生の書かれたものは雑誌の記事が多く、まとまった本は意外と多くないのが残念ですが、本書などは一般向けに面白いのではと思います。


11. 平山昇『初詣の社会史 鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』東京大学出版会(2015年)

 

 本書も「従来××と思われていたが実は○○だった」の快著です。日本人の誰もが正月に社寺に参詣する「初詣」、いかにも伝統的行事のようでいて、江戸時代にはそんなものはなく、明治以降に鉄道の発達で旅客誘致に作られたイベントだった! という目から鱗の落ちる発見を平山昇さんがなされたのです。その発見自体を読んで知るのでしたら、新書版の『鉄道が変えた社寺参詣 初詣は鉄道とともに生まれ育った』の方がハンディで読みやすいですが、同書は明治時代までの話で終わっているので、現在初詣「最大手」の明治神宮が出てこないのがちょっと残念です。そこを補い、さらに初詣を共にするということで国民が一体感を得ていく、ナショナリズムを醸成するイベントになってしまうという、鉄道会社の誘客というみみっちいところから始まって壮大な社会の変化にまでつなげていく『初詣の社会史』の方が、読むのには手間でも得られる感動は大きいものと思います。
 平山さんは現在大車輪で活躍されている研究者ですが、学界にも新しい風を吹き込もうと尽力されており、書評なども型破りに面白いものを書かれて、いつも私は読んで感心しています。しばらく前にある学会誌に、松村洋『日本鉄道歌謡史』2巻の書評を書かれていましたが、これが実に情熱的で、ヴィヴィッドに本の面白さが伝わってくる書評でした。私も感心して早速同書を買い込んだのですが、いまだに積んでしまっているのは悔恨の至りです。

 

 こういった、鉄道によって育まれた文化についての本もいろいろありますが、それでもまだまだ開拓途上の分野かもしれません。私が思いつく面白い本としては、鈴木勇一郎『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』が、鉄道によって育まれたお土産のお菓子というあまり他国にはない文化の成立を描いています。そしてまた、辻泉『鉄道少年たちの時代 想像力の社会史』も、鉄道に付随して生まれた少年文化=鉄道趣味の歴史を様々な角度から分析していて面白いですが(ここまで出てきた青木先生や斉藤晃氏に取材している)、なお検討の余地は大きいようにも思います。

 

 私事ですが、『鉄道少年たちの時代』の書評を某学会誌に書くことになった私は、平山さんの先例に倣った面白い書評を書こうと思ったのですが、力及ばず(当たり前だ)喧嘩を売っているような書評に結果的になってしまったのは反省しています。いや、読んであれこれ考えをめぐらしたくなる本というのは、間違いなく「面白い本」なのですが。


12. 和田俊憲『鉄道と刑法のはなし』NHK出版新書(2013年)


 鉄道というのは前項のように社会に様々な影響を及ぼしました。ということは、鉄道を切り口に社会を見ることもできるわけで、そのお手本のような本が本書です。鉄道を題材として刑法の事例をいくつも取り上げ、法について楽しく学ぶことができます。ある分野を専門として持ってる研究者が、趣味で鉄道が好きという例も多く、その本業と趣味が見事に結びついた本です。というわけで本書の著者の和田さんも鉄道趣味者なのですが、実は私が中学校時代所属していた鉄道研究部の大先輩だったりします(直接の面識はないのですが)。趣味として手掛けられた本がこれだけの完成度を持っているとなると、それを専門にしている者はなお一層、奮励努力せねばなりません。


13. ディー・ブラウン『聞け、あの淋しい汽笛の音を 大陸横断鉄道物語』草思社(1980年)


 ここまでもっぱら日本の鉄道の本ばかりでしたので、海外の鉄道についての本も紹介しておきます。私が読んだ海外鉄道物で一番面白いのは、やはり本書です。1869年(日本に鉄道が開通する前!)に開通したアメリカ大陸横断鉄道の建設の有様を描いた本です。19世紀のアメリカと言えば、やりたい放題の資本主義の全盛期で、鉄道事業も無茶苦茶な競争や騙しあいが横行した時代でした。その無茶苦茶さを面白く描いた本で、とても日本では考えられないような(もっとも鉄道の技術や経営的には日本はアメリカの影響を強く受けているのですが)暴走ぶりに息もつがせず読み切ってしまいます。
 そんな無茶苦茶な経営者たちは、泥棒貴族 Robber Baron などとも呼ばれました。余談ですが、その泥棒貴族の名をサブタイトルに掲げたボードゲーム(DOS時代にパソコンゲーム化もされました。再版希望)が『1830 Railways & Robber Barons』で、株式ゲームと地図の上に鉄道を建設するゲームとが見事に合体した傑作ボードゲームです。1830とはアメリカに初めて鉄道ができた年ですね。私は大学のサークルでやってすっかりはまりましたが、同様の人は多かったと見え、このゲームのシステムを利用して様々な地域を題材にした「18XX」と呼ばれる一大シリーズができました。


 鉄道とゲームというのも、鉄道に関する文化の広がりとして検討されていい分野ですが、全く手つかずですね。
 ともあれ、こうして19世紀の無茶苦茶な資本主義を知ると、アメリカの鉄道事業がその後強く法規制されるようになった(そのため20世紀に自動車と飛行機の攻勢を受けた際、うまく対応できずに破綻する鉄道会社が続出した)のも宜なるかなと思わされます。19世紀の世界の人が共産主義に夢を見るのも、また必然だったといえるでしょう。


14. 小池滋『英国鉄道物語』晶文社(1979年初版、2006年新版)


 本書もまた、ある分野――この場合はヴィクトリア朝の英文学――を専門とする研究者が、趣味で愛する鉄道と専門を結び付けて物した一冊です。日本に鉄道を伝えたイギリス、その鉄道の歴史をかいつまんで教えてくれ、しかもそれだけでなく、文化的な影響などにも幅広く目配りしているのが、さすが英文学者の著作と感心させられます。初版から四半世紀経って再版されるのも納得の古典と言えるでしょう。
 小池先生は東京大学の鉄道研究会の草創期のメンバーで、その縁もあって私も何度かお会いしたことがあります、というかその際にずうずうしくも当時私がやっていた「メイド」趣味サークルの同人誌で、英文史料の分からないところの訳を伺ったことまであります(笑)。小池先生はそんな虫のいい後輩にも親切に接してくださいました。まこと、足を向けて眠れません。
 鉄道と文学もそれなりに蓄積のある分野かなと思いますが、イギリス同様日本に強い影響を与えたアメリカの鉄道についても小野清之『アメリカ鉄道物語 アメリカ文学再読の旅』という本があり、私はこの本も好きです。


 もっとも、この本で一番面白いのは、最後におまけとされている、自動車とアメリカ文学の章かもしれません。スタインベックの名言(迷言?)「アメリカ人の六分の五はT型フォードの中で孕まれた」などを読んで吹き出したりしながら、しかし最後にあとがきを読んでこの章の位置づけに蕭然とさせられる、そんな奥深い本です。
 鉄道と文学については、これからも研究が深められる分野でしょうし、それは映画や漫画などにも今後は広がっていくべきものだろうと思います。その際にこれらの本は、先鞭として再評価されるべきものでしょう。


15. 河田耕一『シーナリィ・ガイド』機芸出版社(1975年)

 このリストは、私が好きでよく読み返したり記憶に残っている本を並べたものですが、それでは鉄道の歴史の本で私が一番繰り返し、擦り切れるまで読んだ本は何かというと――たぶん本書なのではないかと思います。私が中学生の頃、鉄研の同級生が持っていたのを見せてもらって衝撃を受け、頼み込んでプレミアつけて譲ってもらったものです。
 これは戦後の高度成長期、蒸気機関車や軽便鉄道がまだまだ活躍していた頃の、鉄道の情景を集めた資料集です。もともと模型の制作の参考のために、駅のストラクチャーや線路沿いの構造物、駅によくある植物であるとか、駅や機関庫の配線のパターンなどを、豊富な写真と図で説明したものです。しかし今にして思えば、今やほとんど消えてしまった戦後の鉄道情景を、丁寧に記録した歴史資料として見直すことができます。
 それにしてもこの本を眺めると、カッコよく見せようという意識がほとんどないような、昔の駅の建築物や設備が、なんだか不思議な美しさをもっているように感じられるのです。巧まざるゆえの美と言いますか。実際には小汚かった(苦笑)んだろうと思いもしますが、やはり写真を見ると惹きつけられてやみません。模型の参考になるのはもちろんですが、そうでなくても眺めているだけで楽しいですし、川俣線の記録などは貴重な廃線の史料ともなっています。今こそ再版できないかと思うのですが……。


 以上、鉄道150周年を記念して15冊を選り抜いて紹介するつもりが、気づいたら倍以上の本を挙げていました。鉄道趣味にもいろいろありますが、乗り鉄・模型鉄・撮り鉄いろいろある中に、「読み鉄」というのもあっていいと思います。もちろん出かけるのもいいですが、インドアで心の中の列車を走らせるのも、それはそれで趣があります。そんな同志の方の参考になれば、この記事も鉄道150周年に少しは花を添えられたものと思います。


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by bokukoui | 2022-10-14 08:45 | 鉄道(歴史方面) | Comments(0)