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筆不精者の雑彙

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最近読んでいる本から何となく引用

 このところ所用が立て込んで、何で立て込んでいるかといえばどれも片付いていないからですが、そんな状況とはまた別個に積んである本を片付けようとボチボチ読んでいます。
 かくて、最近読んだ本が、先頃亡くなった鶴見和子の『南方熊楠』で、今読んでいるのが平野威馬雄『大博物学者 南方熊楠の生涯』 リブロポートという本です(まだ読み終わっていない)。何で南方熊楠の本を読もうと思ったのか、別段はっきりとした理由はありませんが、一つには神社合祀反対運動を南方熊楠がやったという話を聞いたことがあったので、その件についてもう少し詳しく経緯を知りたいと思ったこと、それに加えて小生の家系がもともと和歌山県の出であるということがいくらか影響しています。
 鶴見著は読みやすく、南方の業績のあらましを述べるだけでなく、そのどこに特徴があったのか、そして今日の視点から見てどのような意義があるかというところまで、世界全体までを視野に入れて書いていて、大変興味深く読めます。
 現在読んでいる平野著は、どうも皆方没後間もない戦時中に書かれた本に手を加え、1982年に出版したもののようです。なので、昔めいた言葉遣いや、英米文化に対し過度と思えるほど批判的な表現があったりします。本としては構成がかなりごたごたで、しかも昔書いた内容が誤っていたことが後日判明した箇所を、全く書き改めるのではなくその旨を加筆するだけで済ませているなど、この本自体に年輪を感じさせるところがあるのですが、しかしそれが何か混沌としていつつもある種の魅力となっているといえなくもありません。

 南方熊楠について読もうと思ったきっかけである神社合祀問題については、もっといろいろ本を読んで調べる価値がありそうです。年代からすれば、地方改良運動あたりとの関連はきっとあるはずだし、そういう先行研究はあるはず。しかも最近聞いた話では、かの有名な阪急(の前身の箕面有馬電気軌道)が沿線に大量の土地を取得できた一因に、地方改良運動が関っていたということがあるようで、鉄道史研究上も無視するわけにもいかなさそうです。神社を中心としたムラ共同体が地方改良運動と神社合祀で解体され、近代的で地縁・血縁関係を伴わない近郊住宅地が形成されていく――うむ、話の辻褄は合いそうですね。
 結局は、「伝統的」な神道を解体したのは明治政府の戦略で、それを「国家神道」とか「神社神道」と呼ばれる「近代的」統治機構(これを「宗教」と迂闊に呼んだら緒方氏に怒られるでしょう)に再編するために神社合祀は強行される必要があったということなのかな。で、そうやって「伝統的」神道を解体して新規に拵えられた「神社」が、靖国神社やら明治神宮やらということになりますな。まあ、明治神宮が大勢の人の初詣先となっているのは、まさにその「近代性」の故に、「伝統的」神道を迷信として排した層が参拝することができたからだそうですが。
 「伝統」を継続した時間の長短で量れば、神社神道より天理教の方が「伝統」かもしれない・・・?

 慣れぬ分野に話が入り込んで馬脚を顕しそうなのでこの辺で一区切り。
 こんなことまで考えずとも、南方熊楠の破天荒にして筋の通った生き方は読む者の心を打ちますし、だからこそ少なからぬ著述家が南方の生涯について著作を公にしているのでしょう、平野威馬雄も四十年前の本に手を入れたのでしょう。南方のように巨人にはなれなくても、少しは近づけるようになりたいものです。
 で、それと関係しているようなしていないような、そんな一節を備忘のために引用。
 物徂徠の語に“行い浄きものは多く猥語を吐く”とありしを記憶す。ローマのストア派の大賢セネカも、“我が行いを見よ。正し、我が言を聞け、猥なり”と云えり、小生は随分引用和合の話などできこえた方だが、おこないは至って正しく、四十歳まで女と語りしことなく、その歳にしてはじめて妻をめとれり、時に、統計学の参考のためにやらかすが、それすら日記帳に、ギリシャ字などで、やり方すべてをくわしく明記せり。
 これは南方熊楠『自叙』の一節だそうですが、直接には平野威馬雄『大博物学者』の172ページから孫引きしたものです。

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by bokukoui | 2006-09-16 02:27 | 書物 | Comments(0)