「ノブレス・オブリージュ」略考続き・19世紀の軍と貴族
「ノブレス・オブリージュ」という言葉でグーグル検索したら、トップのウィキペディアの次に来るサイトに、「1808年、フランスの政治家ガストン・ピエール・マルク(1764-1830年)が高貴な身分に伴う社会的義務を強調しながら初めて使った」という説が出てきて、一体どっちが正しいのかよく分かりませんが、こっちにしたってフランス革命後、ナポレオンの皇帝時代ということなので、「ノブレス・オブリージュ」に「貴族」の存在意義の説明責任という意味合いが含まれているという主張が根拠を失ったわけではない、と主張しておきます。残念ながらガストン・ピエール・マルクという人物の政治的立場やこの発言の文脈が分からないので、これ以上の分析はできませんが。そして恐らく、初出時の意味合いより、普及時の意味合いの方が重要であろうとは思います。もっとも普及の年代を調べるのにはどうすればいいのでしょう。OEDでも引きますか。
それはひとまず措くとして、今日のお題は「ノブレス・オブリージュ」と軍の関係について、として、ちょこっと思うところを述べたいと思います。
ふたたびグーグルで「ノブレス・オブリージュ」を検索し、今度は三番目のサイトを拝見すると「ノブレス・オブリージュ」の定義がいろいろと列挙され、
王侯貴族は特権を持つ代わりに、いざ危険が迫った時には自らが先頭になってその危険に向かって立ち向かわなければなりません。(そうでないと民衆にソッポを向かれ、権威を失い、支持が得られなくなります)と述べられています。このような、「危機の際に先頭に立つ」、つまり軍務に従事するということは「ノブレス・オブリージュ」の重要な要素と受け止められているように思います。日本の戦前の皇室もその実践例と受け止められているでしょうし、緒方氏が数日前の記事に「戦争になったら真っ先に駆けて行けよというような(程度の)話」とコメントしてくださったようなのもその一端と思います。
そのため、近代の貴族の子弟は軍人を志すものが多く、第1次世界大戦においては、イギリス貴族の子弟も将校として参戦し、その死傷率は平民の兵士を上回ったと言われてます。(そのため、戦後の貴族階級の年齢層のバランスが大きく崩れたそうです)
さて、教科書的解釈では、絶対王政を支えた官僚と常備軍という二つのシステムのうち、台頭してきた市民階級は官僚となり、落ち目の貴族階層は軍に身を投じたというのが一般的になっております。市民の成長が遅れていたプロイセンでは、その分をユンカーが担ったという風に説明されますね。
で、19世紀に入ると、産業革命が進展して世の中はますます変化を遂げていくのですが、まず大雑把に言って貴族階層はそこから取り残されていきます。彼らは企業活動や技術的な職業を選ぶことを潔しとせず、では何になるかというと軍人になるものが多かったといわれています。小生の愛読書であるジョン・エリス『機関銃の社会史』の第3章をご参照いただければ幸いです。
非常にシニカルな言い方を敢えてすれば、「ノブレス・オブリージュ」という言葉が広まっていったと思われる19世紀のヨーロッパにおいて、軍務に従事する貴族が多かったのは、それしか彼らの体面を守れる就職先がなかったから、ということなのではないかと思います。「デモシカ教師」ならぬ「デモシカ軍人」ですかね。前掲エリス著に拠れば、軍人となるのには知性、というか、お勉強でいい点が取れることはあまり重視されなかったようです。
で、その結果、軍というのは元々保守的な傾向を帯びやすいものとはいえ、19世紀の軍の将校たちは社会一般の技術の発達などから特に取り残された、きわめて保守的で閉鎖的な集団へと陥る傾向があったといいます。そこらへん、前掲『機関銃の社会史』から引用すると、
・・・士官たちの態度には、単に技術の進歩を理解できないという以上のものがあった。士官たちの多くは貴族出身だったため、ヴァーツグが指摘しているように、産業の時代にありながら時代遅れな夢想家だった。そして、社会的に孤立していたため、彼らの戦争の概念は前世紀のままにとどまっていた。彼らにとっては未だ誉れ高き突撃こそが戦いであり、何よりも、ただの機械ではなく人間こそが、支配権を握っていると信じていた。たしかに火器が兵士を殺すことを認めはしたが、技術の進歩が、最精鋭部隊による統率の取れた襲撃が近代兵器の前では何の役にもたたなくなるレベルにまで達していると、認める心の準備はできていなかった。個人的思い付きをいえば、ナポレオン戦争から第1次大戦まで、ヨーロッパでは複数の列強国家同士の全面的な長期戦争が起こらなかったことが、こういった貴族階層出身の将校の夢想を育む一助になったのではないかと思います。
(前掲書 p.78)
それはともかく、エリスはブライアン・ボンドという人の説を引いて、こういった技術への軽視は単なる頑迷な保守主義ではなく、「戦争の非人格化を受け入れまいとする最後の、絶望的な抵抗だったと見ることもできる(同書 p.90)」としています。
しかし、彼らの「絶望的な抵抗」そのものは、第1次大戦で起きたことから察すれば、戦争の悲惨さを減少させる効果はなかった、というか、むしろ増大せしめられたようにすら思われるのでした。
余談ながら日本の場合を考えてみると、なるほど華族が軍人になった例は少なからず見られ、また逆に功績を挙げた軍人が華族に授爵された例も少なからずありましたが、その結果についてはあまり高い評価は与えられなかったように思います(浅見雅男『華族誕生』に確かそのような記述があったと思いますが、今現物が見つかりません)。皇族が軍務に就いたこともまた周知の通りですが・・・軍縮条約と某宮とかの話を聞くに、先帝陛下の如く皆様生物学でもされていた方が良かったような気がしなくもありません。
ま、後は、以前サイトで取り上げたこともあるロバート・グレーヴズの『さらば古きものよ』でも読んで考えてみるとしますか。