徴兵・傭兵・義勇兵
テーマは10くらいあるが、例えば、子供たちに、1人で生きているのではなく、社会みんなで助け合って生きているのだと実体験してもらうために、奉仕活動、ボランティア活動を必修化しようという案がある。これ以下の、アベ先生の「教育」構想の頓珍漢ぶりについては、先に指摘している方も多いのでもう今更本記事では致しません。アベ先生が首相になることが決まってしまった以上、これから日々それにどう立ち向かうかが既に問題です。
高校卒業は3月だが、大学入学は9月にする。半年のブランクのうち3カ月間は、介護施設などで奉仕活動をしてもらい、その経験がなければ大学に入学させない。
で、カマヤン氏のブログを拝読すると、早速次のように実践行動を行っておられました。
塾にて。「今日、安倍晋三が自民党総裁になりました。26日には総理大臣になります。ですから、君たちは高校を卒業したら、半年間、農業強制労働をすることになりました。安倍晋三の教育政策とはそういうものです。なお安倍晋三本人は生まれてこの方、受験勉強すらしたことはありませんし、もちろん農業労働なんてしたことはありません」さて、小生の今日の授業はアメリカ独立革命でした。
小生の教育相手は、カマヤン氏のように小学生ではなく、また高校3年生が主体ですから、制度作りの時間上、来年矯正労働(多分こっちの方が字としてはいいと思う)させられるのは何とか免れそうに思われます。なので、小生は授業にラファイエットやコシューシコが登場したのをちょうどいい機会だと思い、以下のように述べました。
「『義勇軍』のことを英語で volunteer といいます。『義勇軍』というのは、理念に共鳴して自ら戦場に身を投じた人々のことです。ですから「ボランティア」というのは個人の自由意志によって行われることです。しかしアベ新総裁は勉強が足りないのか、『奉仕活動』を義務化しようとしています。これは徴兵で集めた軍隊を『義勇軍』と称するようなものです」
もっともその後に、「朝鮮戦争に介入した中国軍は、『義勇軍』と称していたという実例はありますが」と付け加えたのには、生徒は意味がよく分からなかったようですが。
・・・あ、スペイン内戦のコンドル部隊とかはどうなんだろう。あれは志願か? あの当時ドイツは徴兵制を復活させてたと思うけど。イタリア軍はどうだったんでしょう。スペインに従軍するかどうかはある程度自由意志でも、集められた当初は徴兵だったのかな。
閑話休題。
そんなご時世に、このような判決が出されたのは、些か驚きましたが、しかし最近には少ない喜ばしいニュースでもありました。
国旗国歌:都教委の「強制は違憲」東京地裁が判決というわけで、アベ総理の「教育改革」船出に相応しいニュースかと思います。司法についてもこのところしていなかった期待が少し戻ってきたような。
入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制するのは憲法で保障された思想・良心の自由を侵害するとして、東京都立高の教職員ら約400人が都教育委員会を相手取り、起立や斉唱の義務が存在しないことの確認を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「強制は違法、違憲」と判断し、起立や斉唱の義務がないことを確認したうえ、一人当たり3万円の慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。(中略)
判決では、「国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずおり、このような主義主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利。起立や斉唱の義務を課すことは思想・良心の自由を侵害する」と判断。
さらに、「通達や都教委の一連の指導は、教職員に対し、一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく、教育基本法10条1項で定めた『不当な支配』に該当し違法」と指摘した。
で、今日は新司法試験の最初の試験結果が発表になった日でしたね。合格率はなんだかんだで、有利な初回であるにもかかわらず半数を切ってしまったようですが、ともあれ、今後暫くは(また制度が変わるかもしれないけれど)この制度の下で法曹界に人材が送り込まれることでしょう。
小生の個人的な知り合いに、このロースクールに通っている人が少なからずいるのですが、この新制度で育った人が将来斯界で活躍する時、どのような仕事をしてくれるのでしょうか。今回のような思い切った判断を下したり、或いはこのような訴訟にも関っていくような、そういった人材は出るのでしょうか。
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期待はできますが、期待のしすぎは禁物、やはり裁判所頼みでなく自分で戦わなきゃ最後は駄目、ということですかね。
http://bewaad.com/20060901.html#c05
http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20060902
まあ、安倍氏とその周辺においては教育というよりも道徳とか伝統的価値の再興の方が主眼のようですから、そもそもこれを教育問題として捉えること自体が間違っているのかもしれません。
東京地裁の判決ですが、これは疑問を感じずにはいられません。義務教育として学校に通わざるを得ない児童・生徒についてはともかく、教員側については自発的な意思で公機関に就職した訳ですから、思想・信条上の理由で国旗・国歌に忠誠を示せないのであれば最初から私立学校を選ぶべきだったのではないでしょうか。どれほど価値中立的な現代国家であっても公教育は国家の統治の一環として行われている訳で、国旗・国歌に対する忠誠心の涵養は(小泉首相も言っているように)思想・信条の自由以前の問題だと思います。どうも裁判長の個人的な価値判断(「日の丸・君が代は軍国主義の象徴であった」等)が過剰に判決に投影されている気がして、素直には受け止められない結果でした。
そう言えば開成も年間予算20億のうち5億くらいをどこかから援助されてるようなので、校歌なんか歌っている暇があったらそこ(都かな?)の歌でも歌えと言いたい。カネは欲しい、礼の一つもしない、では誠意が無いなあ。
自由な社会とか自立するということの厳しさを理解していない人が本当に多いよなあ、とまた関係ない話に飛んで行ってしまいました。
本当に大切なのは「法律以前」の部分であって、社会動学の根本とでも言うべき部分は司法が決定したりしませんからね。あと戦うより布教した方が良いですよ(笑)
私は今回の判決は妥当と考えます。
某後輩氏はこの裁判の訴えているポイントがこれまでと違うことを見落としているのではないでしょうか。この裁判で争っているのは東京都教委が定めた内規が憲法に触れるかどうかではなく、内規以前に国旗国歌に敬礼する法律的義務は存在しないことを争った点で、これまでの原告が負け続けてきたこの手の裁判と異なるのです。
民間企業で、社長の永守重信がガチガチの国粋主義者であることで知られる日本電産という会社をご存知と思います。ここの内規を憲法違反であるとして争っても、恐らくは「会社なんていくらでもあるジャーン」と言われ敗訴するでしょう(これは某後輩氏の指摘するとおりです。残念ながら)。しかし今回はそれ以前の部分を争点にしているため、法律で争うべきポイントを正確に衝いているのです。そのため、東京地裁は原告全面勝訴の判決を出した、たとえ裁判長がガチガチの右翼であったとしても出さざるを得なかったでしょう。
小泉の馬鹿がこの判決に「法律以前の問題」と言っているのは、恐らくこの点を法律論で衝かれたら勝ち目がないことを知っていた(ブレーンから吹き込まれた?)が故の発言と思われます。
この記事は全体で一つの記事なわけで、つまり以下に末端のアルバイトとはいえ一応教育に関連する事業で小銭を稼いでいる身としては、政策提言的或いは学問的な立場から検討するトピックというよりも、より実践的な問題ということになります。従って地裁の判決の法的な根拠云々ということは小生にとって最も重要視されるべき論点ではなく(どっちにせよ知識もないので分かりません)、自分の実践についてどのように資するかという課題の方が重要であるということです。一応、話の全体の構成はそのようになっているつもりですが、あまり分かりやすくはなかったとは反省しております。
なお、別に「一歩引いた立場からの観察」をするのが当ブログの特徴なのか、当人は碌に考えておりません。しかし安倍しんぞうからラファイエットまで話が飛躍して強引にくっつけるあたりは、いつもながらの当ブログらしさに満ちあふれていると自分では思っています。
我が母校も日の丸・君が代には敵対的でしたが、それなりに官僚(一種)を輩出した(している)ところを見ると、愛国心や公共心にそれほど不足はなかったと思われます。本校の場合の問題は、校名に「筑波大学附属」とあるにもかかわらず、筑波大学への愛校心が皆無であるということではないかと思います。
後段のご意見にはまことに納得しました。しかし「布教」も広い意味では充分戦いですよね。今日もまた明日もまた折伏の行軍、と創価学会も歌っている位で。
上の方に某後輩氏に対するコメントにも記しましたが、この判決自体の法的な正当性云々に小生はあまり関心はありません。そして、二審以降もこの判決が覆されずに済むというほど楽観的でもありません。結局のところは自分で戦うしかないわけで。
この判決を巡る議論も、そういった場合のよりよい方法を探る手がかりにはなろうと思います。しかし「正しい」からといってそれが通るわけではなく、「正しさ」を声高に主張すればするほど逆効果になることが少なくないのも間々見られることです。
そこでどうするか、ということは、まあこれからも考えつつ実践していくしかないのでしょう。それを止めてしまえば終わりなわけですから。