神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その3
富山港線を乗り終え、北陸本線で高岡に向かいます。今回は富山地鉄は見送り。また改めて来訪したいところです。
高岡に着き、今度はここで加越能鉄道、と昔は言いましたが、経営難により廃止されるところを地元が引き受けて第3セクターの万葉線に生まれ変わった路線に乗りに行きます。
この路線は高岡の市街地を路面電車で走り、郊外になると専用軌道へ変わります。かつては終点で富山地鉄射水線に接続して直通しており(万葉線も富山地鉄の一部だった時代がありました)、市街地を路面で走って郊外は専用軌道という形で都市間連絡をするという、古典的な形の電鉄でした。それが掘り込み港である富山新港建設のため分断され、射水線の高岡側が加越能鉄道に譲渡されて現在の形になりました。射水線は1980年に廃止されています。
なお、射水線で使われていた電車は、その後和歌山県にあった野上電鉄(1994年廃止)に譲渡されており、小生も乗ったことがありました。その時、他の電車と違って、ドアの高さが低い(ドアの上辺が窓の上辺と同じ高さ)のを妙に感じましたが、射水線が路面区間直通の路線だったことからすれば当然だったのでした(併用軌道区間用にステップがあったが、野上電鉄移管時にステップ部分を切ったらしい)。
閑話休題、電停に行くと、先ほどの富山ライトレールのLRTとは対照的な、まずは典型的な路面電車的車輌が迎えてくれました。この路線にも新型のLRTが導入された(一時故障で大変だったらしいけど)そうですが。なお写真はクリックすると拡大します。以下同じ。
高岡駅前の電停を出発して、駅前商店街の真ん中を単線の併用軌道で走ります。その揺れること揺れること。軌道の状態がだいぶ悪いようです。前世紀のこと、今は廃止された名鉄美濃町線の末端区間(県道の端に沿って走る併用区間だったが、最後まで砂利道状態であった。自動車の通るところしか舗装していなかった。他の区間より早く1999年廃止)に乗ったときに、その揺れ具合の酷さに一驚したことがありましたが、それを上回るかもしれない揺れっぷりです。初手から万葉線の将来が気になりましたが、気がつけば車内に「軌道補修工事をするので9月某日高岡駅前と某電停(忘れた)との間を運休します」というお知らせがあり、ああまだちゃんと直す気はあるのだと一安心しました。
電停を一つ二つ過ぎると軌道は複線になります。それに歩調をあわせるわけでもないでしょうが、乗客も少し増えたりしながら米島口電停に到着します。ここには車庫があり、また万葉線の本社もあります。乗客もまとまって下車しました。ここから一旦専用軌道になり、道路と並んだ跨線橋でJR氷見線と貨物線を越えます。越えたところで再び併用軌道区間となり、道路の真ん中を電車は走ります。
この路面の区間に幾つかの電停がありますが、路面の電停は道路に線を引いただけで安全地帯も無く、待合室は道路沿いにバス停のように設けられ、これも昨年完全に廃止された名鉄の美濃町線の風景を偲ばせるものでした。
幾つか電停を過ぎると線路は再び専用軌道に戻ります。六渡寺から先は、旧射水線の区間に入ります。乗客はますます少なくなり、線路の揺れはまた激しくなり、沿線は海に近いことを感じさせます。冷房も無い旧型車ですが、側面だけではなく正面の窓も開け放しており、車内は涼しくて快適です。正面の窓も開けているため、電車のスピードの割りに風切り音が激しく、モーター音もやかましく聞こえ、それもまた情趣を添えます。
またも昔話で恐縮ですが、今は無き名鉄谷汲線を思い出しました。夏場に何度か訪れた路線でしたが、あの線は昭和初期製の旧型車を最後まで使っており、夏場はやはり正面の窓を開け放して走っていました。旧型車だけにモーター音もブレーキ音もやかましく、しかし駅に停まるとぴたりと音がやんで、開け放した窓からちょっと先の踏切の警報音や沿線で鳴く蝉の声が急に耳に入ってくる、その喧騒と静けさの対比が印象的でした。この万葉線の時も、同じ印象を受けました。
ますます話が逸れますが、小生リアル厨房初期の頃、鉄研に初めて入った段階では、普通におとなしくJRなぞ乗り潰していたありきたりの鉄道趣味者であったのですが、中学時代に箱根登山鉄道の車庫を修学旅行で見学したり、先述の野上電鉄に出会ったりしたことによって、古い電車マニアに転向したものでした。しかし中学を出る頃には野上電鉄は廃止、今度は京阪京津線(京都と大津を結ぶ路線で、京都と大津の市街地は路面を併用軌道で走っていた。京都の市街地は1997年地下鉄の開業により廃止、現在は乗り入れをしている)に数度通いましたがこれも数年ならずして京都の路面区間が廃止され、その後はもっぱら岐阜県内の名鉄線を乗りに行っていました。しかしこれも昨年完全に廃止されました。こんな趣味遍歴ですから、正直もう普通のJRのローカル線にはあまり興味を抱かず、私鉄の古い話にばかり関心を持つようになり、大部分の鉄道趣味者とは話が合いにくくなりました(笑)。その結果日本史の院生になって鉄道の話を発掘するようになったわけですが。
というわけで、路面を走るローカル私鉄の旧型車、という状況は、いたく小生の心に染み渡るものなのでありました。
40分ほどかかって終点の越ノ潟に着きました。掘り込み港ができたため終点になってしまった電停で、線路の車止めの目の前はもう海です。無料の渡し舟で対岸に行けるそうで、暇そうなおっさんが数名、港の待合室にたむろしています。駅の周辺はそれ以外、特に目立った建物はありません。コンビニ一件無く、工場もあまり立地していないようです(渡し舟で渡った先はあるようです)。
20分ほど昼下がりの越ノ潟の駅で時間を潰します。越ノ潟の電停には二本線路があったようですが、一本を撤去中で、半ば剥がされた線路敷にショベルカーが停められていましたが、昼休みのせいか作業員は誰もいませんでした。ややあって、高岡方向から新しいLRTがやってきます。
行きによく揺れたということを書きましたが、流石に新しい電車の性能は大した物で、旧型車と比べると乗り心地は雲泥の差、と言うと言い過ぎかも知れませんが、揺れがずっと少なくなっていたのは確かです。ということは、LRTの導入による軌道整備コストの低減は、結構大きなものなのでしょうね。このような超低床車を、老人や身障者にも乗りやすく交通弱者に優しい電車、という名目(もちろん実際に優しいのは間違いないですが)で自治体の補助金を獲得して導入し、同時に保線費の低減も図れるとなれば、なかなか結構なお話でしょう。
帰り道のせいなのか、新型車の走りぶりが大変スムーズだったからか、帰路は速く感じました。実際には旧型車と新型車でダイヤ上の違いは無いようですが。
大変興味深い路線でした。また機会があれば来訪したいところです。
今日は朝の6時から飛び回っているため、この時点でもまだ午後1時台でした。これから金沢に向かい、さらに私鉄の探訪を続けます。
つづく。
母方の実家である富山に帰ると、どうもあの100m先にも自動車で行こうとする田舎臭さに辟易しますが、チンチン電車だけだと行ける場所が酷く限られるので仕方がない(苦笑)。
この記事の二つ下のに書いたように、公共交通機関の整備の程度の低さが、そのようなバランスを欠いた自家用車依存を招く一因となっているのでしょうね。
天気がよさそうですが山は見えましたでしょうか。
コメントありがとうございます。返信遅くなりまして済みません。
残念ながら山はもやっていて見えなかったと思います。
射水線の電車に乗ったことのある者としては、フェリーにも乗って、射水線の廃線跡も行きたかったのですが・・・また行ければと思います。