神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その4
高岡の万葉線を往復し、今度は北陸本線に乗って金沢へと向かいます。高岡でたんび氏は「ますのすし」など購入していたような。金沢までは一時間足らずでした。石川県に足を踏み入れたことで、本州の都府県はすべて行ったことがあることになります。ついでに九州と四国も全県行ったことがあるので、残るは北海道と沖縄・・・。
金沢到着。駅は高架化されて立派で、なにやら駅前に巨大なモニュメントのようなモノが建っています。その趣旨は良く分かりませんが。
この高架化と一体の事業だったようですが、これから乗る北陸鉄道浅野川線の金沢駅はその際に地下化されたようです。エスカレーターに乗って巨大な半地下のコンコースに降り立ちます。広さの割りにあまり人は歩いていません。時間帯のせいでしょうか。そのコンコースの横手に、こじんまりと浅野川線への改札口がありました。
北陸鉄道浅野川線は、金沢から反米闘争で有名な内灘までを結ぶ路線で、車輌は京王井の頭線で使われていた3000形が中古で入っています。長らく井の頭線の顔だったこの電車も多くが隠退して地方私鉄に去り(車体長が手ごろなステンレス冷房車ということでそれなりに引き合いがあったようです)、残ったものも改装を受けてオリジナルの面影が薄れています。井の頭線沿線の学校に長らく通ったため(まあ中高時代は、井の頭線ではない別の路線の駅から歩いていましたが)、多少の懐かしさを感じます。井の頭線時代にも乗ったことがあったはず。
ちょっと暗めの頭端式ホームにこの電車が二本並んでいると、なんだか改装される前の渋谷駅を思い出してみたり。
電車はそれほど混んでいませんでした。地下線を少し走り、カーブしながら地上に顔を出します。金沢の平野部を走るこの路線に勾配はほとんどないようです。沿線は住宅が多く、民家の間を縫って電車は走ります。
と、ある途中駅で、小学生の大群が乗ってきました。皆お揃いの制服に身を包んでいます・・・と思いきや、紺のスカート/ズボンに白のブラウス/シャツというのは共通していても、上着の細部は微妙に異なっている様子。制服というより標準服というのが適切なのかもしれません。どうも私立ではなく公立の学校の児童のようでした。後で聞いたところでは、石川県では小学校に制服のあるのが普通なのだそうです。いっそならセーラーとか、或いはもっと地場的な・・・(笑)
大勢でがやがやと賑やかにしていますが、基本的には空いた電車なので別に迷惑ということもありません。面白いことに彼らは皆同じ駅で降りていきました。
20分と掛からず終点の内灘に着きます。
車庫が併設されていて、電車が何両か停められています。皆同じ元井の頭線3000形ですが。ちなみに小生らが乗ってきた電車は、ドアが片開きで、車体幅が少し狭く裾を絞っていない初期形車でした。北陸鉄道では初期形を8800形、両開きになって幅も広くなったのを8900形と区別しているようです。内灘の駅でその両方を見ることが出来ました。
電車はすぐに折り返します。乗ってきた電車でとんぼ返り。途中の駅ですれ違った電車は、やはり小学生を満載していました。
北陸鉄道にはもう一路線、石川線という路線があります。この路線の起点は野町といって金沢市街地の中心から少し南にあり、金沢駅とは大分離れていてバス連絡の必要があります。鉄道の場合は、北陸本線の次の駅である西金沢で連絡しているので、そちらで乗り換えることとします。ホームに上がるとちょうど札幌行きのトワイライトエクスプレスが停まっており、間もなく北へ発車していきました。
と、そこにメールが。この少し前に、金沢出身で大学の鉄研・研究室の後輩であるH氏から所用で連絡がありました。返信を出しておいたのですが、そのついでに「貴殿の実家の近くにおります」と書き添えておいたところ、返信が来て、H氏もご実家の金沢におられ時間も余裕があるとの由。そこで西金沢で合流することと相成りました。
今度は帰宅の高校生(セーラー服が多くて嬉しいが、どこの学校かはよく分からない)の大勢乗った電車に揺られて一駅、西金沢駅で下車し、JRの駅の南側にある北陸鉄道の西金沢駅に向かいます。随分とカーブしたところにある駅だなあという感じです。国鉄の路線に何としてでも近づけようとしたのでしょうか。
ここでH氏と合流し、石川線の加賀一の宮に向かいます。
つづく。
当局の説明によると和太鼓か何かをイメージしたもののようです。
しかし私の身近にいた人のほとんどが「センスがない」と叩いていました。
ガラス張りの屋根(雪国なのに)と並んで何か間違えているような気がしてなりません。
ガラス張りというのも最近流行りですが、災害やテロに対しては結構危険じゃないかと思います、あれ。破片が飛び散るので。