神岡鉄道と北陸の私鉄巡り その8
えちぜん鉄道を乗り終え、田原町で福井鉄道に乗り換えます。
福井鉄道は福井と武生を結ぶ鉄道ですが、福井の市街地では路面電車として道路上を走るのが特徴です。もっとも、市街地は路面(併用軌道)・郊外は専用軌道というのは、昔(日本で言えば1910年代以前)の電鉄の形としてはごく普通のもので、むしろ福井鉄道はその古典的な形を現在までとどめている例といえます。
福井鉄道では近年まで、普通の床の高い電車が路面区間ではステップを使って乗客を乗降させながら走っていましたが、最近廃止になった名鉄のローカル線の電車を譲り受けて、路面区間での乗降をより安全なものへと改善しました(福井鉄道は名鉄のグループ企業です)。名鉄の岐阜周辺には、岐阜市街地内を走る路面電車と、それに乗り入れて岐阜市街中心部まで走る郊外電車がありましたが、どちらも2005年3月で廃止になってしまったのでした。小生はこの廃止になった名鉄のローカル線に良く通っていましたので、思い出も一入です。
さて、待っていた福井鉄道の車輌は880形、名鉄の美濃町線(岐阜と刃物で有名な関、更にその先の美濃市までを結んでいた)でかつて活躍した電車です。車番を控えていませんが、多分岐阜時代も乗ったことがあるはずです。
ちなみに、同形車の名鉄時代の姿を次に挙げておきます。
余談ですが、当ブログの看板画像になっている「線路内を耕作しないで下さい」の立札は、この写真を撮った附近で見つけたものです。それ以外にも手書きのものやワープロ打ちの紙片をはりつけたもの(この写真に写っています)など何種類かあり、一体ここの沿線住民はどういう電車観を持っているのだろうかと思いました。まあだから廃止になっちゃったのか。
ついでなのでその看板画像を挙げておきます。
※この看板と同じ辺りにあった類似の看板の写真は、こちらの記事にあります
話を北陸に戻します。
帰宅の高校生などでそれなりに座席の埋まった電車に乗り込みます。電車は右にカーヴして駅を出、道路の上へと進みます。道路の交通量はあまり多くなく、電車はまずまず順調に走ります。もっとも歩道を走る高校生の自転車と大差ない程度ですが。車内から見ていると、女子高生がスカートを盛大に翻して力漕し、電車と並走していました。電車の揺れ具合は特に問題なかったように思います。
福井鉄道の路線は単純な一本線ではなく、市役所前電停から福井駅前まで一電停だけ延びた支線(ヒゲ線と俗称)があります。昼間の電車は、このヒゲ線に一旦寄り道してから武生に向かいます。武生から来た電車も、やはり寄り道をしてから田原町に向かいます。
市役所前の電停から左手に折れてしばし進むと、商店街の真ん中で線路がぷつりと切れて、福井駅前電停になります。以前探訪したというたんび氏によれば、前より少し電停が手前になったようだとのことでした。電停も綺麗なので、おそらく名鉄車受け入れに際して改装したのでしょう。福井駅は商店街を抜けてもう少し先のところだそうです。電車はここの電停で暫く停まります。折角なので車掌に断って降り、写真を撮ります。
途中、橋の架替工事をしているところがあって、電車が仮橋に迂回していました。この工事が終わればもう少しスピードアップすることでしょう。
路面区間は市役所前から電停二つを過ぎて終わり、福井新からは専用軌道になります。路線はおおむね直線で南下します。電車はそれなりに飛ばして走ります。線路は単線になりましたが、結構多くの駅に交換設備があります。豪雪地帯らしく、ポイントを雪から守るスノーシェッドが駅の前後のポイント部分に設けられているのが目を惹きます。冬季にも探訪したいところです。
駅のホームが名鉄車導入に合わせて低く改造されているのが面白いところです。ホームのかさ上げ改造というのは良くありますが、低くするのは聞いたことがなく、また工事としても難しいのではないかと思います。昨日乗った富山ライトレールの場合は、前の駅を取り壊して作り直すか少しずれた位置に作り直すかしていましたが、ホームそのものを低くしたというのは珍しいですね。
沿線風景は特に記憶に残ってはおりませんが、結構昔ながらの家が多く、長閑な雰囲気でした。途中、眼鏡のフレーム生産世界一で有名な鯖江市を通り過ぎ、田原町からちょうど1時間ほどで終点の武生新に到着します。武生新の駅には、名鉄の車輌導入前に使っていて今もラッシュ時には動くという高床式の電車や、今まで乗ってきた880形と同時に名鉄から導入された純然たる路面電車スタイルの800形などが停められていました。
事のついでに、今日は走行する姿を見られなかった800形の名鉄時代の姿を張っておきます。
今回の旅では、富山ライトレール・万葉線・福井鉄道と路面電車が3社ありましたが、どの事業者も苦しい経営状態の中で将来に向けた投資や施策を行っており、また特に富山の事例では住民や行政が軌道交通のインフラ維持に積極的であるというのは興味深く、また環境問題がやかましく原油も騰がっている昨今、結構なことであると思います。そして、地方自治体が交通に関った例としては、えちぜん鉄道の事例は今後の参考になるだけのものであり、現状は比較的うまく行っているようですが、今後ともこの傾向が維持されることを願って止みません。
神岡鉄道は・・・決して長い間とは申せませんがお疲れ様でした、としか言いようがありません。
最後に引き合いに出した岐阜の場合、行政当局は自動車大好きで路面電車を冷遇し続け、軌道敷内への自動車乗り入れ禁止を名鉄の要請にもかかわらず認めず、安全地帯の設置も認めないという態度を貫いてきました。そんな状況下で、儲かっているとも思えないのに、名鉄が車輌に一定の投資を続けてきた(2000年になっても新車導入)のは驚くべきことですが、結局地元の支持がなくては存続できなかったのでした。岐阜では廃止が本決まりになってから存続運動が起きましたが、当然のことながらもう手遅れだったわけで、結局公共交通に対する意識が低い以上はどうしようもないでしょう。
現在日本で最も発達した路面電車ネットワークを有しているのは広島ですが、広島市では警察当局が早くから軌道敷内への自動車の侵入を禁止していました。そのため広島は路面電車の運行が比較的安定し、今日に至るまで活躍しています。
一説には、これらの路線が冷遇されていたのは、当初建設した岐阜資本の美濃電気軌道を名古屋資本の(旧)名古屋鉄道が合併したためだったといいますが、だとすればその心の狭さがこの地域に何をもたらそうと、「よそ者」が気にしてやる必要は無いのかもしれません。名鉄を乗りに行っていた当時目にした岐阜駅前のシャッター通りや、羽島銀座商店街の惨状が思い起こされます。
※現在の名鉄の前身である名古屋の路面電車・名古屋電気鉄道は、市内の路面電車区間が市営化されたため、郊外の線路だけで(旧)名古屋鉄道として再出発します。その後、岐阜の路面電車と関や揖斐、笠松などに至る郊外路線を有していた美濃電気軌道と合併しますが、この際「名古屋に乗っ取られた」という岐阜(美濃電)側の不満を鎮めるため、社名を名岐鉄道に改称します。その後、名古屋以南の路線を持っていた愛知電気鉄道などと大合併して、現在の名鉄が成立します。
というわけで、北陸の諸例は自治体と交通インフラのあり方について、色々考える良い例になりました。そういった小難しいことを抜きにしても、結構乗ってて楽しい路線ばかりだったので、名鉄の岐阜周辺廃止以降乗りに行きたいところがあまりなくなっていましたが、これからはちょくちょく北陸に足を運びたいなあと思っています。
これにて目的に私鉄めぐりは終了し、この後はJR武生駅から北陸線→東海道線で各駅停車を、車中酒を飲みつつ乗り継いで帰宅しました。その経緯自体は書くほどのことはありませんが、ただその車中で話題になったことは、当ブログで今まで論じてきたこととも関連するので、番外編という形でちょっと書き足すことがあるかもしれません。