神戸屋の歴史をさぐる(戦前篇)
で、昨日に引き続き、コスカ前特集と称して制服方面の話題をひとつ。昨日はコスプレ喫茶について江戸時代まで遡りましたが、今日のお題はウェイトレス制服で名高い神戸屋です。
先に書いたように、小生は今度日本近代史に関し若干の報告をさる会で行う予定なのですが、その準備として読んでいた資料のひとつに京阪デパートの営業報告書がありました。京阪デパートは、1932(昭和7)年に京阪電鉄が大阪方ターミナルの天満橋に作ったデパートです(正確には、それまで京阪が沿線で展開していた「京阪ストア」も譲り受けて営業しています)。その後京阪は阪急に併合されたりまた独立したりしますが、戦争前後の物資不足で天満橋の百貨店は閉店し、のち松坂屋がテナントとして入り、松坂屋撤退後は京阪シティモールとなっています。
現在の京阪百貨店は、これとは別にずっと後になって、あの守口市駅に作られたものです。
で、その京阪デパートの第2期営業報告書についていた株主名簿を見ていたら、こんな名前がありました。
ちなみに第1期営業報告書の株主名簿には神戸屋の名前はありません。営業報告書を読むと、この第2期の期間中、1933年9月23日に天満店を正式開店し、10月9日定款の変更を届けて「飲食物営業」の一項を追加しています。そしてこの第2期中に神戸屋が株を取得していることからすると、京阪が天満の百貨店を正式開業した際に、今で言う「デパ地下」のように神戸屋のパンを扱いだした、ということなのかもしれません(ただ単に食堂の営業を始めただけなのかもしれませんが。まあそれでも洋食のパンは神戸屋が納めたでしょう)。デパートに出店することで販路を広げるという神戸屋にとってのメリットだけでなく、京阪デパートにとっても約款を変更して?迎え入れるだけの価値があったのかもしれません。
余談ですが、戦前の私鉄の百貨店兼業として有名な阪急や東横は電鉄直営で(他には大阪電気軌道)、別会社を立てた例はこの京阪や大阪鉄道(現近鉄南大阪線)が目立っています。この二社の共通点は、百貨店兼業に乗り出したときの会社の経営状態が悪かったということです(笑)。だから直営で兼業百貨店を創業する資本が調達できず、別会社を立てて出資を外部から募ったようです。神戸屋もそれにつき合わされたのでしょう。
まあ、こういったこと(?)を学会で発表の予定です。
もう一つ余談ですが、神戸屋は非上場企業なのですが、暫く前に非上場企業を集めた四季報を読んでいたら神戸屋が出ていました。で、筆頭株主はやはり今も社長である桐山家・・・かと思ったら、桐山家の名を冠した育英を目的とした財団でした(正確な名称を失念してしまいましたが)。神戸屋の利益が上がると奨学金が増えるようです。まこと、結構なお話ですね。食べて美味しく儲けて学べる。
話を戦前に戻します。
さっきリンクを張った、神戸屋公式サイトの会社沿革によると、神戸屋直営の小売店の第一号は1936年に「直営店の第1号店、神戸屋今池店オープン。パン料理、喫茶として好評を博す」とあり、単なるパン屋にとどまらず、料理も提供するレストランに近い性格を持っていたのではないかと察せられます。
で、この1号店が出来たのは「今池」だそうですが、これは具体的にどこなのでしょうか。当時の神戸屋は大阪の会社ですから、大阪のどこかなのでしょう。小生は地名辞典の類を大学の図書館で目に付くだけあたってみました。その結果、大阪市内の「今池」は1箇所しかないということが判明しました。現在それは阪堺電車の駅名にのみ残っています。マピオンの地図によると、ここです。
大阪環状線の新今宮の南、南海本線の萩之茶屋の東。
マピオンの地図では決して分かりませんが、この駅の位置は、当時の言い方をすれば、釜ヶ崎と飛田遊郭の間ということになります。
ここに食事も取れるパン屋が出来た場合、客層はやはり遊郭方面の関係者が多くなるのでしょうか。パンの耳を巡って店の裏口では行列が出来るのでしょうか。
神戸屋一号店は、こんなところにあったんでしょうかね。