阪急食堂名物10銭ライスカレーの肉はどこから仕入れたのか
最近電鉄系デパートの話を色々漁っているのですが、その中で最も有名な阪急デパートの昔の紹介本を読んでいたら、有名な大食堂で使っている材料の話が出ていて、何でも戦前の阪急デパートの大食堂で使っていた牛肉は「青島」産だったとか。輸入品だったんですね。
ちなみにグループのホテルで使う牛肉は国産品だったそうで。
・・・あ、でもカレーは何カレーだったんだろう? ポークカレーだったらタイトルは誤報ということになりますね。まあ、関西だから多分牛だろうとは思うんですけど。
で、以上の話は枕で、以下本題。
以前「近代家族幻想と電鉄会社との日本的関係性」という記事で書いたような話の続きのようなことです。
小生の所説として、現在もなお「家族」の通念として根強い拘束規範を持っている近代家族理念の普及に、日本の場合電鉄企業が少なからぬ影響を及ぼしていたのではないかというのがあります。で、この手の規範では一般的に、男は外で仕事・女は家で家事という性的な役割分担を所与のものとします。以前に読んだ本に書いてあった話なのでうろ覚えですが、ドイツなんかの場合はその結果働く女性の地位が社会的に低く見られる傾向が強かったとかなんとか。
で、小生が考えるに、阪急は日本に中産階級的な生活スタイルを普及させ、それと密接な関係にある近代家族理念の普及にも結果として少なからぬ影響を与えたのではないか、そのように考えています。郊外住宅地を開発し、電気を供給して「文化」的生活を広め、昭和に入れば百貨店を開業して消費生活にも深く関与してきたわけで。
さて、その阪急梅田駅ビル名物の大食堂には洋装のウェイトレスさんが大勢働いていたのですが(1936=昭和11年時点で600人)、そして百貨店の店員にも大勢の女性がいたのですが、ここでちと微妙な問題が生じます。阪急的ライフスタイルと密接な関係が関係がある近代家族的理念からすれば女性は家庭にいるものですが、かといって大勢の女性を雇用しているのが百貨店です。なるほどそういった理念と抵触しにくい女性の職場も大正時代には生まれましたが、食堂のウェイトレスはそうではないですよね。「女給」と言い換えると途端に微妙なニュアンスになるし(笑)。
そこら辺をどういう風に説明するのかというと、庶務課長曰く、店員養成の理念は「結婚第一主義」なんだそうな。つまり花嫁修業ということで。
まあ女性の就職を結婚までとする風潮は今尚あるわけですが、そういった形の雇用が広まるという面でも阪急は貢献していたのかもしれない、そんなこともちょっと思ったのでした。
ちなみに彼女たちの待遇は「勤務は十時間三部制で手当は初任給日給八十銭」だったそうです。昔のこととはいえ安いですね。この当時(1936年)の物価を今のそれに換算するとなると、2000~3000倍くらいではないかと思いますが(食堂の客単価を「35銭」としているし)、これに基づいて時給を計算すると160~240円・・・。しかも阪急食堂はチップ類を一切受け取らないことに特徴があったのであります。嫁入り修行とすることで、労賃の安さとチップの排除(これは一種の正札販売ということで、これも中産階級の消費性向に合致したものではないかと思います)を両立したのだとすれば、流石は小林一三、見事な戦略家ぶりですな。
こういった外食産業の人件費切り詰めは、今日的にも結構関心を持たれる様な話題ではないかと思います。
全く余談ですが、「駅の食堂」というビジネスモデルはどこから来たんでしょうね。成る程欧米の駅の食堂は19世紀に数多存在したといいますが、これは長距離旅客の旅行中の空腹を満たすもので、その後列車の牽引力向上等により食堂車に取って代わられるようなものですから、阪急の駅の食堂とは理念が異なりますね。そういえば日本の場合、駅弁の歴史は云々されるのに、駅そばの歴史はあまり聞かないわけで。
まあ、考え出すと分からないことは結構あります。
今日のお話のネタ本は、狩野弘一編『大阪急』(百貨店新聞社1936)でした。写真も結構多くて面白い本です。残念ながら食堂の給仕さんの写真はありませんが、家具調度・美術品、そして電化製品を扱う阪急百貨店6階の課長として太田垣士郎の肖像写真が掲載されているのは、その筋のマニアには受けそうです(意味の分からない人はクロヨン建設の『プロジェクトX』でも見よう)。
以上、某外食・流通グループMBO決定の報道に接した日に相応しい? 話題でした。