江戸時代>明治時代?
江戸時代の代官所として現代に残っている史跡として、高山陣屋というのがあります。江戸時代幕府直轄領だった飛騨地方を治める拠点だったわけですね。
さて時移って幕府が倒れ、明治政府が成立し、廃藩置県が行われて地方制度も改められます。小生はあまりこの辺のことは詳しくないのですが、今では地名にかすかに痕跡をとどめていたのも昨今の市町村大合併で消えてしまった場合も多い「郡」という単位が、地方の政治の単位としてそれなりに重要なものとして位置づけられていました。ですから郡役所というのが設けられ、郡長といった人々がそこに配置され、郡会も置かれていたのです。明治政府は、「郡」レベルで名の通った地方名望家層を地方統治の要にしようとしていたようです。
しかし郡制度は大正時代に原内閣によって廃止され、現在のように影の薄い(どころか消滅寸前)になったのでした。なぜ原敬が廃止しようとしたのか、その辺については詳しい書物が幾つもあり、研究の層も厚い分野ですので、図書館にでも行って探してみてください。
で、話を少し戻してその郡役所なのですが、これは少なからぬ場合、旧来の代官所などを転用して設けられたそうです。高山陣屋もその一つで、建て増しとかをして郡役所に看板を付け替え、使われていたのだとか。
郡役所の現存例はこちらに一覧がありますが、洋館めいたものが多いですね。もっとも実際のところは、こういう凝った建築は少なくて、高山のような旧来の建物の方が多かったらしいのですが、やはり目新しかった建物の方が良く残っているようです。
その高山なのですが、高山陣屋サイトに「足かけ16年の歳月と、約20億円という費用をかけて復元」されたそうですが、その際に明治時代に郡役所として建て増しされた箇所を取り壊して「江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ再現」されたのだとか。
「代官所のためなら郡役所壊してもいいんかい?」というのが、その先輩のお話でした。
どうも近現代史の遺物は、それ以前のものと比べて重視されていないような気がします。このブログでこのところ扱っているデハ5001号の事例をみるにつけ、近現代の遺産は扱いが軽いと実感せずにはいられません。
しかし歴史的遺物の価値は、その古さによってのみ測られるものではなく、その時代にどの程度典型的なものであったか(その時代の特徴をどの程度よく表しているか)、その後の歴史に及ぼした影響もまた重視されるべきことであろうと思うのです。