某Y氏への私信(「メイド」喫茶取材方針に関する一提言)
◎「メイド」喫茶(厳密には「メイド・コスプレ」喫茶)の歴史に関しては、こちらのグラフとこちらの表が分かりやすい。但し既に情報がやや古いが、これは昨年書いた記事作成時に見つけたものなのでやむなし。ウィキペディアの「メイド」の項目も良くまとまっているとは思うが、小生はそのまとめる視点を評価しない。この点については拙稿参照。
◎以下に世紀転換期における「メイド」事情を略記すれば、
・1996年の『殻の中の小鳥』およびその続篇の『雛鳥の囀』(18禁ゲーム)のヒットが「メイド」というものを日本のオタク業界に定着させた端緒とされる。ただし本作及び本作に続いて出された多くのエピゴーネン、さらにここから発展して成年コミック業界に「メイド」が進出して生まれた作品の大部分には、SM文化の影響が濃かった。
・世紀末に向かって、「メイド」ものはそれまで既にあった制服趣味(アンナミラーズとか)と融合しつつ、SM系のエロ色を薄める方向へ発展してゆき、「衣裳可愛さ」「主従関係萌え」といった嗜好が出ることで女性の参入など支持層を広げる。この頃同人界では「制服学科メイドさん学部」による史実への視野も含んだ活動や、同じくヴィクトリア朝英国テイストに重きを置いた森薫(当時は県文緒)の活動があった。
・2001年に最初の「メイド」喫茶というべきCure Maid Cafe開店。但しそれ以前に、蔵大平山(店員がアニメのコスプレ)とか名古屋の月天(同じく巫女のコスプレ)はあったと思う。「メイド」喫茶が増え始めたのは翌2002年のMai:lishと名古屋のM's Melody開店以後で、これらの店舗は積極的なイベントを仕掛けるなどして話題を集め、現在の「メイド」喫茶の基本形をつくった。
・この頃にはメイドものの18禁ゲームはひところのような勢いはなく、一方で森薫『エマ』の連載は2002年から始まるなど、エロを抜いたことでオタク文化の諸方面へ「メイド」が拡散する傾向が一層進む。それと前後して、制服マニアにとっての趣味対象であった店は逆に減少傾向を示し、アンナミラーズが続々と店舗を減らし、日野橋ブロンズパロットも閉店した(2000)。
・「メイド」喫茶の本格的な膨張は2003年に起きる。オタク業界でもこの頃から「メイド」全般というよりも「メイド」喫茶そのものに力を入れてレポをするサイトが現れ、オタク業界内でのブームを牽引した。一方で前世紀末のエロゲー以来の「メイド」趣味者たちの活動は休止傾向になっていった。「制服学科メイドさん学部」は月姫ファンジンに転じ、例えば小生がお世話になっている酒井さんのサイトも更新頻度が極度に低下する。
・この時期に活躍した(している)サイトとしては、
はげ丸のメイド喫茶レポ(現在も盛業中)
メイドカフェでGO!(商業化したサイト)
takaxoの食い物屋レポート(今年に入って更新なし)
電脳メイドしづ子20GB(今年5月一杯で更新停止を宣言)
などが挙げられよう。また2003年末には、オタク業界の「メイド」を包括的に扱った始めての商業出版物『ご奉仕大好き! メイド本 ~エプロンドレスで尽くします~』(日本出版社)が発行されている。この本には「メイド」喫茶の紹介はあれど、18禁のメイドゲームやメイドを扱った成年コミックは全く扱われていない。当時それらが往時に比して活力が低下していたということはあるにせよ、そもそものエロという由来がオタクの中でも回避される傾向を生じてきたとすれば興味深い。
・2003年から現在に至るまで、当初バブルと思われた「メイド」喫茶は拡大を続け、喫茶以外の様々な業態にも展開している。2005年初めには、それまで同人界で行われていた「メイド」喫茶紹介・評論本が商業出版されている(『メイドカフェ・スタイル~お帰りなさいませご主人様~』二見書房)。この本の編纂も、上に挙げたような「メイド」喫茶紹介サイトの中の人たちの活躍によるものであった。
・非オタクの人々にも「メイド」というものが「萌え」という言葉と共に浸透していった。それと共に事業への参入者も増え、これまでのようなオタクと縁の深い事業からではない参入が増えてきたと思われ、さらにおそらくその中にはいわゆる風俗業者に類するものも含まれていたのではないかと想像される。そして「メイド」関連産業はオタク業界の中の話から広く一般に注目されるようになった。
・ここでいわば皮肉な現象が起きる。風俗業者の参入と、20世紀に既に社会一般に(非オタクの人々に)一定程度認知されていたSM系フレンチメイド的なもののイメージが結合した結果、「メイド」商売=お手軽風俗、という認識が非オタク層(新規参入した経営者を含む)に生まれてしまい、そもそも「メイド」事業を支えていたオタク層と認識の齟齬が生じる。オタク層はエロゲー・エロマンガといった「メイド」の故地を捨て(というと言いすぎだが、その地位がオタクの中で大幅に低下したことは間違いない)、「メイド」がエロと違うということを強調することで勢力を拡大してきたためである。しかし「メイド」喫茶に対する警察の扱い(福岡県警など)を見れば、非オタク層にそのような認識が一定あることは否定しがたかろう。
・こういった状況に疲れたのか、電脳メイドしづ子20GBなど「メイド」喫茶ブームに棹差していたサイトの中に活動を休止するものが現れる。同人界の動向もこれに近いものを感じる。ちなみに『エマ』も2006年完結。神戸屋は赤字決算。井村屋も株価が上がってるのにアンミラ閉めるし。
・即ち、「メイド」喫茶的商売の歴史とは、それがオタクの中の一部からよりオタク全般へ、オタクから世間一般へと拡大・拡散する歴史であって、そうやって拡大するたびに、それまで支えてきた人々を切り捨ててきているわけである。従って秋葉原で、或いは各地で「メイド」商売が盛んになることは、オタクとメイドの結びつきを断つことである。もしこの「メイド」業態がこれからも続くとすれば、その断絶が成功するということになろう。その時秋葉原は「IT技術の先端都市」かもしれないが、オタクの聖地ではありえない。逆にメイドとオタクの結びつきが断たれなければ、オタクにとって現状維持的な状況となり、とりあえず安心すべきことかもしれない。しかしそのときにはそのときで又別な問題があるだろうが。
◎以上に基づき、私見ではあるが取材する際に優先すると良いと思われる店舗は、
・発祥なのでCure Maid Cafe
・貴紙の昨年の企画で取り上げたこともあるし、現在の傾向の始まりでもあるのでMai:lish
の二店舗については先日も指摘したが、その後の新店舗・新業態については小生も既に知識が乏しく良く分からない。ただ、玄人筋(笑)に評判がいいのはシャッツキステだと思う。比較的一般マスメディアへの露出も少ないような気もするし、差異化の点でもいいのでは。
・経営的視点はこれまであまり論じられていないので、もし調べられるのであれば調べる価値はあると思う。その場合、確かMai:lishは親会社のT-ZONEから独立した(記憶が怪しくてすまない)と聞くので、狙い目ではないだろうか。秋葉原における新旧の業態の比較が出来るので。具体的な数字について報じられたことはこれまであまりないと思う。
むかしむかし、NHKの歌番組で見た記憶で、吉幾三が「渋谷の街は演歌がいづらくなるばかり」などと歌っていたけれど、まあいわば「アキバの街はオタクがいづらくなるばかり」なのかもしれないですね。狡兎死して走狗は烹られ、革命なって同志は粛清。維新が終われば江藤新平は晒し首、といったとこではないかと。
このまとめは「メイド」趣味業界を左端から横目で見ていた者による極めて恣意的なまとめです。ので、記事にする際具体的な疑問があれば、電話で小生まで問い合わせて下さい>Y氏
私は初期メンバーではないので正確ではないかもしれませんが、学科でも『殻の中の小鳥』を分水嶺として挙げる方は多かったようです(私自身はいささか年嵩でしたので『D.P.S.』などを挙げておりましたが)。学科自体はニフティのパティオというシステムで始まったものですので、同人誌を出すサークルという性質は希薄だったように思います・・・どういう経緯だか詳細は失念しましたが、オフ会での酒の勢いかなにかがきっかけで、本を作ろうということになり、最初に作った本に比較的良い反響をいただいたので、せっかくだからネタが続く範囲で続けましょう、という話になったように記憶しています。これが斯界の動向とどのような関係にあったのかは図りかねますが・・・。
関わっておられた方からの貴重な証言、誠にうれしく思います。私見では、「制服学部メイドさん学科」のご活動は、世紀の変わり目ごろの同人界での「メイド」を巡る活動の水準を大きく引き上げたものと思います。歴史的情報と、エロを含めた「メイド」ものの評論とが一体となっていたところが、今にして思えば20世紀末のエロゲーでの「メイド」流行りと、その後主流となる『エマ』などの路線とを橋渡しする存在であったのではないかともいます。ただその後は、「制服学部メイドさん学科」のようなバランスのよい目配りをする人々はあまり多くなく、「メイド」喫茶的な方向に偏って、その先で拡散して行ったのだと思います。
まあ、かくいう小生も目配りが良いわけではありませんし、最近はメイド関連の活動もすっかり低調になってしまっております。そんな時、Y氏のおかげで越し方を振り返る機会が得られ、鏡塵さまにコメントしていただけたことは、何よりうれしく、冬コミへの活動意欲も新たになる思いです。
どうもありがとうございました。
#たまたま表紙などを担当した時期はありますが、これは当時学科に絵描きが少なかったことによります。後に合冊になった際には、専門の絵描きの方が表紙を担当されています。
bokukouiさまのご活動を知ったのは、mixiの「クラシックメイド」についてのコミュニティで、私が場の空気を読まない発言をしていたのを拾っていただいたのがきっかけだったかと思います。前世紀末には、「メイド喫茶」(厳密に表記するならば「『メイド』喫茶」となるでしょうか)という業態がこれほど流通し、「クラシックメイド」がいわば「物神化」することになるとは想像だにしておりませんでした(笑
ご指摘の通り、当時の話のネタはエロゲーが主で(他に思いつくままに挙げれば、『アルバムの中の微笑み』『夢幻夜想曲』『リトルMyメイド』『SnowMemoria』など)、それに付加される形で、歴史的考証とフィールドワーク(笑)が行われていた、という感じでしょうか。
拙稿でも書きましたが、mixiでは鏡塵さまが発言されたというのに、誰も発言者がどういう人なのか気がついていないということに愕然としました。「歴史的」な「クラシックメイド」がどうこうというくせに、ここ十年の日本における「メイドさん」の歴史すら碌に調べていないのか、と・・・。
(下に続く)
「制服学部メイドさん学科」の本は、トピックが実に広い分野に渡っていた琴が魅力でした。「メイド」趣味が成長しつつあった当時、「制服学部メイドさん学科」のご活動は、「メイド」趣味の取りうる可能性の広さを示してくれていたように思います。もっとも皮肉なことに、その後の展開は「メイド喫茶」という方向ばかりがもっぱら肥大化し、それがゲームや漫画に逆輸入されるという展開になってしまいました。阿羅本様は「六畳一間メイド」的なものを「メイド」である意味がないから「メイドさん者の世界の外にあるメイドさん作品」だと指摘しておられましたが、実際はそういった意味を振り捨てて交換可能な属性の一つとなることが普及のためには意味があったのではないかとも思うのです。
「制服学部メイドさん学科」の皆様が広い可能性を示唆してくださったのに、それが育たなかったというのは今から振り返れば残念なこととも思えます。しかしまた、それにもまた相応の理由があるのでしょう。
向後ともご意見を頂ければ幸いです。