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筆不精者の雑彙

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残酷写真の本を読む

 機器の不調で更新も思うに任せず。

 暫く前に、小学校教諭が子供の死体写真なぞを蒐集して自分のサイトにアップしていたことが発覚し、世論の批難をかった事件がありました。これがリテラシーを全く欠いた愚行であることは論を俟ちませんが、しかしまた人間の心の中にそういった精神がある程度存在することを全く無視してしまうのも、それはそれで逆効果なのかもしれない、と思いもします。小生自身、死刑関連の書籍なぞ集めて読み耽ったりする趣味があったりしますので。
 というわけで、暫く前に買って積んでいた本を斜め読みしたので紹介。

・下川耿史『日本残酷写真史』作品社
 どういう本かはアマゾンの紹介を読んで下さい。要するに、処刑・災害・戦争などの写真を170点を蒐集した本です。写真は大変に「興味深い」ものばかりであり、真面目さを装って言えば「近代史の貴重な史料である」といえます。
 ただし、そういった視点で見た場合、写真はいいとしても解説に当たる本文には瑕疵がないとは言えません。というか、相当に問題があると思います。写真を史料として捉えた場合の「読解」がかなり適当で、周辺の史資料との関連付けも相当いい加減のように感じられます。例えば132ページの『おあむ物語』の解釈とか。例示はこれ以上いちいちしませんが。
 でも、この本の書かれた意図からすればそれでいいのかもしれません。巻末で著者の下川氏はこの本を書いた理由の一つに「世の中にきれいごとだけが蔓延していくことに対する苛立ち」(p.236)を挙げておられ、続けて「きわめて高邁な精神に基づいているように聞こえるかもしれないが、単なるこわいもの見たさと片付けられてもかまわないし、「グロ趣味」と見なされることも結構である。ただ、人間の歴史とは死体の歴史であるという認識を、自分の視野の中に取り込んでおきたい」(同上)と言っておられます。

 で、店頭で手にとってめくった時に上記のような歴史の本としての問題点にはすぐ気がついたのですが、それでも買ってしまった理由は、本書が大変有名な写真の非常に鮮明な状態のものを載せていたからです。それは磔に処せられた男の死体、という珍しい写真です。
 この写真は、小生は十数年前に名和弓雄『拷問刑罰史』(雄山閣)で初めて見かけ、他のこういった行刑史の本にも載っていたことがあったと思いますし、また随分前に『週刊新潮』が巻末のグラビアに掲載したことがあったと思います。そういう意味ではお馴染みの写真だったのですが、ここまで鮮明なものは初めてだったので、つい買ってしまいました。この本は写真が多く印刷が大変そうなのに、お値段が2000円とお手ごろなのもいいところです。
 ただ、同じ写真にしか見えないのに、本書と『拷問刑罰史』とで全く説明が異なっているのは奇妙な点です。本書では「1867(慶應3)年、主人とその息子を殺害したという罪で、信州・木曽村の23歳の青年・壮吉が処刑された」(p.16)とありますが、『拷問刑罰史』にはこうあります。
強盗の手引きをして、主人を殺害したため磔にかけられた十七才の質屋の小僧が、磔台の上で無惨な屍体となって写されているが、大変に珍しい写真である。この写真の発見者は、法学博士、岡田朝太郎氏で、牛込神楽坂の毘沙門天様の縁日の屋台を、ひやかして散歩中、古本見世で偶然発見し、驚きかつ喜び、一円五十銭というのをいろいろ押問答の末三十五銭で買いとったものであるというが、大正中期の三十五銭はなかなか高価な値段である。
 写真は半紙折大のもので、裏に妙な英語が書いてあった。Year of Serpent(蛇の年)とあるので、磔の廃止された明治六年以前の巳年(蛇年)である、弘化二年、安政四年、明治二年の史実を調べていくうちに、やっと横浜戸部監獄で、明治二年、くらやみ坂刑場で執行された処刑をダローサ氏が撮影したものとわかり、同類六名の斬首に使用した刀、磔に使用された非人槍、晒場の戒具が戸部監獄に保管してあったのを発見したので、刑事資料として、帝大法学部列品室に移管してもらい引きとったと聞かされた。
(pp.166-167)
 さて、どういうことなのでしょう。
 状況の説明ではずっと具体的な名和書の方を信用したくなります。写真の値段三十五銭は、大正中期ということなので、今の貨幣価値で言えば2000円くらいでしょうか。帝大ってことは今の東大ですよね、東京の話だから。今度探してみよう。
 しかし、下川説はより新しい発見に基づいているのかもしれません。生憎とその根拠を示してくれていないのですが(写真を紹介していながら、その写真の撮影データに関する説明が乏しいのが、恐らく本書の欠点の一つではないかと思います)。

 で、ネットで色々探して見ました。問題の写真の画像も見ることができます。これらは彩色写真といって、写真に後で色をつけたもののようです。下川書のそれはモノクロですが、画像の鮮明さではまさり、特に死体の表情がはっきり分かる点が優れています。

<長野説>
・幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベース「処刑された壮吉」
(リンク先磔写真あり注意)
・19世紀・世界古写真館 倉庫「Felice A. Beato」
(リンク先はフィルター処理済サムネイルなので安心)
<横浜説>
・コウチ君のスローで優雅な人生「晒し首の写真」
(リンク先晒首写真あり注意)

 というわけで、よく分かりません。長野説も、下川書が「木曽」なのに長崎大のデータは「東信」なので、同じ長野県でも結構はなれています。
 何か発見があったら、補足記事を書くとしましょう。

 で、磔についてこの写真を見て思ったことを書きたいのですが、いい加減長いので明日回し。
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by bokukoui | 2006-12-06 23:58 | 歴史雑談 | Comments(0)