磔愚談つづき
特段危険な画像の登場予定はありませんが、きわめて読み手を選ぶ話題なので、ご承知の上先へお進み下さい。
さて、前回・前々回の記事で、小生はあることを断りなく前提として記事を書いておりました。それは「磔=日本における処刑の様式」ということで、キリスト教の宗教画でおなじみのような、西洋の――というか、古代ローマで行われていたようなそれを全く無視していたわけです。その理由を説明することが、前回の記事の末尾で出した課題の答えにも繋がるので、まず古代ローマの処刑法をあえて話題にしなかった理由を述べることとします。
「磔」という漢字を漢和辞典(旺文社の『漢和辞典』p.750)で引くと、
・罪人のからだを引き裂いて殺した刑罰。車裂き・牛裂きなど。
・城門でいけにえを裂き殺して悪気をはらう祭事。
・死体を市中にさらしてみせしめにする刑罰。
・はる。はりのばす。
・筆法の一つ。
・裂ける音。
・(日本での意味)地上に立てた十字架にしばりつけ、槍で左右から突き殺す刑罰。
といった意味が並んでいます。つまり「磔」という漢字は、こういった人体に強い衝撃を与えて破壊するような処刑方法を意味するということが分かります。前出『拷問刑罰史』でも、「磔」の漢字には以上の意味があるので「古文献だけの記録では、単に刺し殺したものか、引き裂いたものか、はっきりしない(p.113)」と述べられています。
さて一方、キリストを処刑したことでとみに著名なあの十字架に架ける処刑法、あれの死因は何なんでしょうか。
ここでマルタン・モネスティエ『【図説】死刑全書』を紐解くに、
十字架上で死ぬのは、多くの人々が考えているように飢えや渇きによるものでも、また出血によるのでもなく――釘打ちではごくわずかしか出血しない――窒息によるからである。十字架にかけられた者は、腕より上に体を引き上げないかぎり呼吸できない。さらにそのような姿勢で、釘に体を支えられて激しい苦痛にみまわれるため、たちまちすべての筋肉が激しく収縮する。その一方で、胸郭は空気をいっぱい吸い込んだきり、それを排出することができない。(p.62)とあります。
一方、小生の最も印象を受けた死刑関連書籍であるK.B.レーダー『図説 死刑物語』には、
架刑での死亡は、たいていの場合、血液の循環が阻害されて心臓がまいってしまうことに起因しているといえる。ほとんど身体を動かさないで吊りさげられていると、血が下半身にたまってくる。ついで、脳の中の血が欠乏してきて、心筋の痙攣による呼吸困難、心臓細動、そして失神を引き起こす。(p.112)とあり、若干の相違はありますが、吊り下げられるという不自然な姿勢による呼吸や血流の不全により死に至らしめられる、ということのようです。
この方法を採る理由についてレーダーは、「囚人を死に致すという本来の仕事は第三者的なものに委ねて、その罪人の死に対する責任は執行者に負わせないようにしようという意図(p.105)」によるものだと指摘しています。人間がする事は吊るすだけで、死ぬのは自然の力に任せるという発想だというのです。そのような発想の持つ呪術的な意味合いについては、レーダー書をご参照下さい。
つまり、日本で行われていた「磔」と、古代ローマの処刑法――これを爾後レーダー書の訳語に従って「架刑」と呼ぶことにしますが――は、一見似ているようでいて実は大きな違いがあるということです。前者が人体に強い衝撃を与えて破壊するようなものであるのに対し、後者は吊るすことによって死に至らしめるのであります。系譜で言えば前者は現在の銃殺刑に繋がり、後者はレーダーの意見を斟酌すれば絞首刑に繋がることになります。(ここらへんについては昨日アップした記事も参照)
で、結局、日本式「磔」の描写に妙なのが多いのは、古代ローマ式「架刑」を実態と乖離した聖像(イコン)としてしまった、キリスト教千数百年の積み重ねが混入してしまったからなのだろうと推測されるわけです。
ではそうなると、百五十年前まで実践だった(そのため写真まで残っている)日本の「磔」のイメージに、何故西洋のそれが混入したのか、ということも考える必要があります。それは恐らく、キリスト教の宗教芸術類のイメージ蓄積が膨大なもので、更にそれが洗練を積み重ねることで強い訴求力を持つに至ったということが根本的な理由であろうと思います。
これはレーダーの指摘ですが、キリスト教の普及によりキリストの処刑法であった架刑が神格化され、そのため様式化されて実態に即さない宗教芸術がゴマンと作られたため、架刑に対する実態と乖離したイメージが普及してしまったといいます。実際のキリストの処刑は、十字架ではなく一本の柱に括りつけられていた可能性が高いとレーダーは主張しますが、これは十字架の方が宗教的なシンボルとして訴求力が強いから、そちらが宗教的シンボルとして採用されたのだといいます。
で、話は飛びますが、19世紀は「写実的」な歴史絵画が結構流行っていた(ドラクロワとか)時代だと思いますが、こういった絵によって十字架刑の(イコンとしての)訴求力は極限にまで高められ、それが明治以後日本にもキリスト教徒一緒に流入してきて、何がしかの影響を与えたのではないかと思います。キリスト教的な架刑をモチーフとした芸術自体が、歴史的事実よりも訴求力に重きを置いて磨き上げられたものですから、明治以降の日本で江戸時代の記憶を上書きしえたとしても不思議ではありません。
しかもそういった「表口」だけではなく、19世紀末以降興隆していったSMプレイやボンデージにも架刑のモチーフが採用されて、「裏口」からも「はりつけ」に対するある種のイメージが形成されてきたわけです。それが戦後の日本の『奇譚クラブ』あたりで日本式の「磔」と出会って・・・となると、キリスト教イメージの時代劇への混入も納得がいくというものです。
まあ、江戸時代の「磔」の柱が十字架形なのが、そもそも当時のキリシタンの影響という説もあるようですけど。
なんだか話が結局怪しいところに落ちてしまいました。いつぞやの「メイドさん」論と結局は同じオチかい。
レーダーの本は小生も大いに感銘を受け、これを手がかりにもっと真面目に死刑について語りたいと思わなくもありませんが、もういい加減長すぎるので、又の機会ということで(あるのか?)。

「親族を殺された人々が仇討ちとばかりに罪人の処刑場に集まり次々に鋸を引くものの段々嫌になり、仕舞いには通行人にも白い眼で見られるのですごすごと退散しようとしたところ、自分たちも始末するのが嫌だからきっちり殺してから帰ってくれと役人に引き止められる」という短編小説を昔思いついたのですがとうとう文章化しませんでした。
結論は死刑囚=金大中ということです。
もっとも近世の刑罰、といっても戦国の遺風おさまらぬ江戸時代初期と、いい加減「近代的」になってきた幕末とではかなり違いがあると思います。おまけに江戸時代は地域差も大きかったわけで。
現在物の本に書かれていることの多くは制度が整った江戸時代後半(公事方御定書が定められたのは吉宗時代)に基づいており、その頃は鋸挽きが儀礼化していたとしても、それより昔ならまた別でしょう。
また地域差については、譜代の小藩では幕府の法令を準用していたようですが、島津だの前田だのといった戦国以来の外様の中・大大名なら、独自の法典を施行していたということはあると思います。詳しいことは残念ながら存じませんが・・・。
その短編小説はぜひ読みたいです。
金芝河も忘れないであげてください。
大勢の見物人の前での見せしめとしては、二重三重の効果があったと思います。
それだけに処置の利便の為の固定させるための、今回ご紹介いただきました写真はなるほど! と大いに納得いたしました。
>ここでマルタン・モネスティエ『【図説】死刑全書』を紐解くに、
こちらの欧州式磔での窒息死については、以前自分のHomePage の人形劇で丸々参考にさせていただいたことがあります。(笑)
http://homepage.mac.com/jo_makoto/doll/geki/yume/le5/top92_2.htm
なお、今は同じマルタン・モネスティエ『【図説】食人全書』を読書中です。センセーショナルな記述が多く学術的資料としてはどうかなと思いますが。
そういえば囚人を鉄の籠に閉じこめて高いところに吊るし雨風に打たせて死に至らせる刑罰も「囚人を死に致すという本来の仕事は第三者的なものに委ね」という発想ですね。

>これはレーダーの指摘ですが、キリスト教の普及によりキリストの処刑法であった架刑が神格化され、そのため様式化されて実態に即さない宗教芸術がゴマンと作られたため、
これの凄い例は名前は不明なのですが、キリストを磔けた横木が下にしなり、キリストの両腕はピンとその横木に打ち付けられ、全体としてキリストの身体を天空に射ち出す石弩を形作っている絵です。
手元にある神保町の新世界レコードで入手したDUX 盤の「中世ポーランドの受難聖歌集」(DUX 0469)のCDのジャケット絵なのですが。
http://collegiumvocale.bydgoszcz.pl/discography/pl_cd02.html
以前、この絵についての解説を別の本で読んだのですが画家の名を覚えていません。CDのパンフレットにも画家も作品名も載っていませんでした。
この絵の生臭さ溢れる豪快さははあまりにも発想の埒外でした。
やはり檸檬児様ですとモネスティエはお読みになっておられますね。当ブログも読者に恵まれて幸いです。そして、人形で何か表現される方々にとっても、磔乃至架刑のモチーフはやはり魅力的なものなのでしょうか。
かごに閉じ込める、というのもそういった面では表現し応えのある様式のようにも思えますね。
ご紹介の『中世ポーランドの受難聖歌集』の発想には驚かされます。この絵の描かれた時期はいつ頃なのでしょう。やはりあまりに様式化された表現に対し、その殻を打破するような芸術家の試みが行われたということなのでしょうか。
私自身が気になっていたのですが、ようやく見つけました。
中世ドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grunewald (1470/80-1528))です。
この作品は「イーゼンハイムの祭壇画」の中央の部分です。
http://art.pro.tok2.com/G/Grunewald/Grunewald.htm
ルネサンスというよりは後期ゴシックと言うべきでしょう。
真摯に救済を求めた絵をゴシック様式最末期に極めた技巧で求め上げて描いた結果、従来の様式化された表現を内側から破ってしまった、ということなのでしょうか。
あらら、このページで紹介されている「聖アントニウスの誘惑」は以前から知っていた絵です。この人だったのか!
皮膚病による病変の描写で本物の患部を描写した絵の例として資料で観て印象に強く残っていたのです。
成る程、一般に西洋史では1492年以降を「近代」としますから、この画家の生きた時期はまさに中世から近代への移行期ですね。
最近は、昔と違って近代の根っこを中世に求めるという見方がかなり有力ですが、「真摯に救済を求めた絵をゴシック様式最末期に極めた技巧で求め上げて描いた結果、従来の様式化された表現を内側から破ってしまった」この作品は、まさに中世が育んだものが近代を切り開いたという感を受けます。
実に興味深いですね。

得に横木の幅は10㌢が限度で、それ以上広くなると緊縛感に欠けます。磔の放置で死に至るのは経験から、遅い痛みが強くなってきて、循環器の不具合によるものだと思われます。私は中野クインで良子女王様と気が合い、二人で特注した磔柱を使っていました。腰掛け木なしで、その部分に5㌢ほどの木を着けて、そこに尻を置いて腰骨の所を強く縛り付けます。これで体重は支えられます。小手縄、高手縄、をしっかりかけ、脚は開いて足首で横木に縛ります。身体は襷縄か菱縄で縛ります。
全く身動きできません。これで2時間、多少蝋燭責めや串刺しをしますが、殆どは放置晒しです。なぜ2時間かといいますと、この位になると遅い痛みが始まり、居ても立ってもいられない不快感に襲われるのです。
この先は危険なので経験していません。
貴重なご経験に基づくコメントありがとうございます。
お詳しい方から、太すぎる横木は緊迫感に欠けるというご指摘をいただけたのは欣快の至りです。それにしても、体重を腰骨で支えるようにしていても、同じ姿勢を続けさせることが生命の危険に繋がるということは、「吊り下げる」ということに目を取られていた者にとって大変参考になるご指摘でした。重ね重ね御礼申し上げます。
今後も、安全にご注意の上、女王様とのよきご交流をされますよう、祈念しております。

「吊り下げる」ことをお考えになっていらしたとのこと。これも経験です。
高手小手菱縄に縛られて、胸と足首で逆海老に吊られたことがこれも数十回あります。この吊りも最高は40分でした。その他に限度がきたらば一度床に降ろして5分程休み、再び吊るというのをやってみました。
その結果は、40分、35分、20分、15分でギブアップしました。これも磔と同じに、遅い痛みが原因で駄目になったのです。この記録は中野クインでの記録になっていると良子女王様の証言があります。
ご参考になれば…
度々ありがとうございます。
こういった事柄は、なかなか記録に残るようなものではありませんので、大変貴重なデータと思います。
縄による釣りで苦痛を与えるとなると、江戸時代の海老責めや釣り責め、駿河問いなどが想起されますが、見た目に派手な鞭打ちの類に比べると今ひとつその苦しさが想像しにくいものです。しかし具体的なお話を伺うことで、その危険性がかなり理解しやすくなったように思います。
くれぐれも事故にお気をつけの上、女王様と充実した日々を送られますよう。

痛みには、なにかにぶつけたりしたとき、鞭打ち、殴打などで起きる短時間の「早い痛み」と、じわじわと来る「遅い痛み」があります。
「遅い痛み」は交感神経の興奮によるもので、血管を収縮させます。その結果筋肉の麻痺が起こり、心臓にも同じようなことが起こるので危険なものです。
身動きが出来ないようにして放置すると、例えば私の経験のように2時間位で始まります。プレイでは長時間はあまりないのでしょうが、私は磔刑の放置で一日とか一晩を考えていたのです。しかし、経験では前述のように2時間が限度でした。2時間で「遅い痛み」がでてきました。この時間は映画やテレビドラマなどの1本分です。これくらいの時間があれば、充分な動画の撮影でもできます。私はいつも9~10時間位でしたが、最後に磔の放置をしていました。
吊りでは吊り縄の圧迫による痛みは快感になりますが、肌へのダメージが大きいので何か外部から見えないところに緩衝材を使うと長続きします。
いずれにせよ、「遅い痛み」には気をつけた方が安全の確保に大切なことです。
またまたありがとうございます。
痛みの種類というようなことについては、これまた普通の生活の中では考えてみる機会の少ないもので、貴重なご報告と思います。
やはりなかなか「一般」の者には分かりづらいもので・・・
とはいえ身動きできないことによる苦痛となると、交通機関マニアとしては「エコノミークラス症候群」を連想し、これは生命に危機をもたらす場合もあるわけで、こういうことの知識が何かの役に立つこともあるのかも知れません。
もっともそのような発想で enma 様の経験譚をお伺いすることは、失礼に当たりはしないかとも懸念します。何卒ご寛恕下さい。

歳を取る程、縛られたい気持ちが強くなりまして、春にMKスタジオで、逆海老吊りと柱縛り、大の字磔をしてきました。資金難で以前のような長時間が取れなくて、それぞれ1時間で我慢しました。
久しぶりのプレイでしたので大いに興奮しました。
写真があるのですが、ここではお見せできないですね。歳は遂に米寿を超えました。でも5時間の連続プレイで気持ちよくなるのは、まだまだ頑張れると思っています。
春にパソコンが壊れて、殆ど全ての記録を無くしました。確かメールアドレスをいただいていたと思うのでっすが、お差し支えなければまた教えていただければ幸いです。私のメールアドレスも変わりました。
mendorestitem@yahoo.co.jp
です。Yahooが勝手に決めたもので、よく読んでみたら、エム・エンド・レスト・アイテムでした。

歳を取る程、縛られたい気持ちが強くなりまして、春にMKスタジオで、逆海老吊りと柱縛り、大の字磔をしてきました。資金難で以前のような長時間が取れなくて、それぞれ1時間で我慢しました。
久しぶりのプレイでしたので大いに興奮しました。
写真があるのですが、ここではお見せできないですね。歳は遂に米寿を超えました。でも5時間の連続プレイで気持ちよくなるのは、まだまだ頑張れると思っています。
春にパソコンが壊れて、殆ど全ての記録を無くしました。確かメールアドレスをいただいていたと思うのでっすが、お差し支えなければまた教えていただければ幸いです。私のメールアドレスも変わりました。
mendorestitem@yahoo.co.jp
です。Yahooが勝手に決めたもので、よく読んでみたら、エム・エンド・レスト・アイテムでした。
こちらもすっかりご無沙汰してしまい申し訳ない限りです。沙堂真赭というお名前には聞き覚えがあるような…。いえ、もうそういった雑誌からも遠ざかってしまって久しいのですが。
お歳を重ねてもなお己が道に突き進まれるお姿は、若輩の者として大変励みになります。そのように年齢を重ねていきたい、そう思わされます。どうか来年も、ずっとお元気で。
小生のアドレスは右に掲げたとおり、rshima@nk.rim.or.jp で変わっておりません。
磔関係では、今年こそは鳥山仁『本当はやってはいけない刑罰マニュアル』の書評を書こうと思い果たせませんでした。来年への宿題です。
またよろしくお願い申し上げます。

沙堂真赭

久しぶりにコメントをいただいておきながら、返事が遅れたまま月が改まってしまい、大変失礼いたしました。
メールも拝見しました。盛んにご活動されているご様子を伺い、嬉しくなりました。
とはいえこちらは、磔方面の活動は停滞しっぱなしで、お恥ずかしい限りです。その手の本の書評をしようと積みっぱなしのまま時間ばかり過ぎていますが、今年こそはと思っておりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
