はや一年
ついでに機器の調子がまた悪く、更新が時間通りに出来ていません。
本日は大学院の修士論文提出締切日でした。ので、小生も昼頃をめどに出かけ、大修羅場になっている修論提出者の最後のお手伝いをしてきました。幸い今年は当研究室、誰一人落とすことなく論文提出。めでたしめでたし。
ちなみに修論(卒論もだけど)の提出時には、本文と注とを別冊にすることが求められます。で、今時皆ワープロで論文を書いているのですが、草稿の時点では本文にページごとなり文末なりに脚注をつけるという形で執筆し、最後に本文と注とを別々のファイルに分けて提出用の書式に合わせる、というのが大体の人の作成手順のようです。小生もそうでした。
しかし、ここで『一太郎』と『Word』とで、作業効率に大きな差を生じる機能の相違があります。『一太郎』は脚注のみ切り離して別ファイルにする、という機能があるので、注の別冊作りはごく簡単に終わるのですが、『Word』にはそんな機能はありません。脚注部分をコピー&ペーストで別ファイルに貼り付けて作ろうとしても、本文なしに脚注だけ貼り付けると脚注の番号が全部「1」になってしまいます。脚注そのものを印刷して別冊の原稿にしようにも、脚注自体の書式を細かくいじれないので、提出用の規格に合わせることができません。結局手作業で番号をつけ直していくしかないのですが、修論ともなれば注の数は百や二百は下らないので、えらく時間がかかります。
というわけで、向後当学部・研究科にて論文提出のご予定のある方は、『一太郎』の使用を推奨します。いやほんと。
今年は提出締切が極めて厳しく、一秒でも遅れると駆け込んできた人を締め出すということで、何でも締切時間直後には大変な状況が展開されていた由です。究極的には独立行政法人化に伴って事務方の力が強くなったことに起因する変化だそうです。別に規定を厳しく守ること自体に問題はないですが、しかしこれは一体何のための改革なのであろうかといささか思わなくもありません。
思い返せば一年前の小生も一大修羅場を演出してしまいましたが、研究室の皆様のお蔭で無事提出に漕ぎ着けました。時間ぎりぎりで提出の部屋に駆け込み(この部屋は手伝いの人間などは入れず、時間が来たら扉を閉じる)やれやれと思ったら、博士課程進学用の書類を忘れていました。そこで暫く記憶が飛んでいます。多分はたから見たら、耳からエクトプラズムが出ていたと思います。
結局事情を話して部屋から一旦出してもらい、書類を取って戻って提出して事なきを得ましたが、今年だったら駄目だったんでしょうか。
事務の増長はその副作用のようなものでしょうか。責任の軽い下っ端ほど思い上がるものです。鬼の教務課で有名な駒場の方ではむしろ優しくなった気もしますが。
それでこの記事から私は「修論は内容より期限が大事」という教訓を得ましたが、如何。
成る程駒場の場合にはそういった意義はあるかもしれませんね。もっとも本郷では既にそういった勢力は根絶に近い状況なので(除教育学部)、意義よりも疑問点が目に付きやすいのだと思います。
>それでこの記事から私は「修論は内容より期限が大事」という教訓を得ましたが、如何。
提出されなかったどんなに素晴らしい論文よりも、どんなに下らなくても提出された論文の方が大事、だということはその通りだと思います。