青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』を読んで思ったことなど

『鉄道忌避伝説の謎
汽車が来た町、来なかった町』
吉川弘文館歴史文化ライブラリー
アマゾンの画像には帯がないので、特に小生所蔵の帯つきのものをデジカメで撮って取り込みました。
本書の内容はまさに帯に書いてあるとおり、明治時代に宿場の人々が汽車が来ることに反対したので鉄道が町に来ず衰退してしまった・・・といったパターンが典型的な、「鉄道忌避伝説」を一次史料に遡って検証したものです。こういった伝説は、色々な読み物に広く今でも掲載され、知られています。
しかし本書に拠れば、当時各地の人々が鉄道建設に反対したという史料は全く見つからず、逆に誘致運動の史料ばかりが発見され、地図を見てその町を避けたという鉄道の経路を検討すれば、勾配を避けるとか橋の本数を減らすなどの技術的・経済的にごくごくまっとうな経路設定の理由が読み取れます。つまり、昔の人が鉄道を忌避したというのは伝説で、反対した事例も大部分は鉄道そのものに対する反対ではなく、橋を架けたら洪水が起こりやすくなるのではないか、といった個別具体的な利害に基づく事例が見られる程度だといいます。
※このような事例に関して、「げんいけん」=現代文化遺跡研究会でネタに使った八田嘉明の伝記で読んだ覚えがあります(もしかしたら青木槐三『国鉄繁盛記』だったかも・・・)。ローカル線を通そうという時に、「橋が架けられると川が堰き止められて洪水が起きやすくなる」と農民たちが抗議にやってきました。そこで鉄道省では「お話は良く分かりました。ではこの路線の建設は中止します」と回答したところ、「鉄道ができないのはもっと困る」と折れて結局原案通り建設されることになった、のだとか。この話も結構怪しいですが。
ではなぜそのような伝説が広く普及してしまったのでしょうか。
それはまず、地方史が編纂される過程(主に戦後)で、江戸時代に発展していたはずのわが町になぜ鉄道が来なかったのかという理由を説明するために、このような話が昔からの言い伝えとして検証もされずその中に取り込まれたためでした。しかも一度書かれると、その後どんどん話に尾鰭が付いていってしまうことも間々あったようです。
そして、この伝説が広まった(おそらく最も決定的な)要因は、こういった地方史を教材に小学校で「郷土について」などという授業をしたからだと本書は指摘します。地方史では「鉄道反対運動があった"らしい"」と一応出典が不明確であることを示唆していても、小学校の副読本では恰も事実のように断定調で書かれてしまうのでした。
以上が本書の内容です。決して厚くはない(250ページ)中に大きく二つのポイントがみっちりと論じられています。「鉄道忌避」は伝説であるということ、そしてその伝説は如何に広まったのか。地理学者の手になる書物らしく数多く添えられた地図は、分かりやすく「鉄道忌避伝説」の伝説たる所以を伝えてくれます。そして各種の地方史・副読本の記述を付き合わせて伝説の伝播状況を探っていくところでは記述も辛子を利かせ、興味深く読み進められます。
本書は先月末に出たばかりの本ですが、既にネット上でも幾つもの紹介・書評・感想が挙がっています。以下に備忘も兼ねてご紹介。
・ウラゲツ☆ブログさん「今週の注目新刊(第77回:06年11月26日)」
・薩摩焼な日々さん「鉄道忌避伝説の謎」
・三十一提督のぺえじさん「鉄道忌避伝説の謎」
・新・読前読後さん「鉄道忌避伝説あれこれ」
・CAPTAINの航海日記さん「鉄道忌避伝説の謎」
(こちらには他にも関連する多くの記事があります)
・ペーターの館の文書庫さん「鉄道忌避伝説の謎」
・世の中すべてがマテリアルさん「鉄道忌避伝説」
(こちらのサイトは閉鎖されたので、全文を引用して収録しているバーチャルネットストーカー・ヨシミさんの「鉄道忌避伝説ですか」にリンクしておきます)
店頭に出てから一ヶ月立っていない位で、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーという、こういっては何ですがいささか渋めの版元から出された学術系の書物(出典注はないけど)としては、結構よく読まれている方なのではないでしょうか。小生も大学生協で今月初めに買おうとしたら、同ライブラリーの他の11月新刊はあったのに本書だけなく、聞いてみたところ最初に入荷したものは既に売り切れたとの由でしたので。
記事冒頭で「時節柄」などと小生は記しましたが、無論これは教育基本法が「改正」されたことを指しております。この「改正」の問題点については既に多くの方々が詳細な議論をしておられますのでこの場で小生が述べられることは余りありません。しかし、一旦成立した以上は、いつかひっくり返せる日が来るまで執拗に雌伏し続け、そのための材料の蒐集と検討をいつまでも忘れないことでしょう。
今次の教育基本法「改正」で問題となった箇所がいろいろありますが、その一つ、第2条の5項に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」ってのがございます。この条項に関しては前段の愛国心がもっぱら議論の的となっておりましたが、後段の「郷土」というのも考え直してみれば結構怪しいものではないかと思われます。
本書が「鉄道忌避伝説」浸透の媒体として重視した「地方史」や小学校の副読本というものは、上に挙げた本書の感想を述べられた方の言葉を拝借すれば「結局のところ各地域のエゴ」になっちゃってる訳で、それが「伝説」の流布・浸透に一役買ってしまったのでした。「郷土を愛する教育」というのは、身近でより具体的・実感的でありそうに見えますが、だからといって誤謬から免れる可能性が高くなるわけではなかった――むしろ逆――のです。
やれやれ。
小生の書いていることを牽強付会と思われる方もおられるやも知れませんが、しかし小生は本書からかような感想を抱くことは決して的外れとは思いません。何となれば著者の青木先生は東京学芸大学で長く教鞭を取っておられました(現在は名誉教授)。東京学芸大学といえば、小中学校の教員養成については屈指の名門校ですね(今はだいぶ総合大学っぽくなってますが)。
即ち、本書の魅力は、一見「鉄道」という比較的限られた分野を扱った本でありながら、そこからより一般的な問題の認識へと読者を考えさせるだけの充実した内容を持っていることにあるのではないかと思います。実際、青木先生は先日、大阪の旭屋書店で
で、そのような本書の魅力は如何にして生まれたのか、「それまでの研究の蓄積がものをいったのだろう」と指摘しておられる通りとは思いますが、その「蓄積」とはどういうものであったのだろう、と考えた時に、実はここ数日間集中的に論じてきたような話題――いわゆる「オタク」「マニア」的な人々と社会とのかかわりのような、そういった方面に話が発展していくことになるのですが、もう既に充分長いので続きは明日。