電鉄資本と近代家族的ライフスタイルについて
今から2週間ほど前、とはつまり昨年末の30日、日本経済新聞の土曜版に「意外に短い初詣での歴史」という記事が掲載されました。その内容は、江戸時代末期の都市で「恵方参り」と呼ばれるその年の恵方の寺社に正月参拝することが流行り始め、明治以降鉄道の普及によってこの習慣が広まり、そして鉄道会社は恵方に当たらない年でも自社沿線の寺社に乗ってもらうため「初詣」という言葉を作り出し、明治~大正期に広まった、というものです。
この初詣の研究をされた平山昇さんの業績は、小生は以前サイトのネタに使った覚えがありますがありますが(これとかこれとか)、それは以前平山さんの報告を聞いたり論文を読んだりしたことがあったりしたからであります。氏の業績が世に広く知れ渡るに至ったことを、心より嬉しく思います。ええまあ、今まで知る人ぞ知るだったネタが使いにくくなるのが残念でなくもないですが・・・(苦笑)。
とまれ、この平山さんの話を中心とした日経の記事の末尾は、「鉄道が百貨店や遊園地の発展に大きな役割を果たしたことは知られているが、初詣でにも深くかかわっていたようだ」と結ばれています。鉄道関係の歴史を漁っている小生としてはこのような鉄道、ことに都市部の電鉄企業が現在の社会の文化的側面に及ぼした影響というのは非常に興味のあるところで、昨日のまとまらぬ記事にも触れたように、それらを包括的にまとめるのは「近代家族的ライフスタイルの形成」ということにあるのではないかと考えています。その中に「伝統」の装束を纏ったこのようなイベントもあるということは誠に興味深いことであります。
ただその後、平山さんのご研究は、「明治の文明開化により知識人層からは『迷信である』として一旦は見捨てられた寺社参拝が、如何にして『初詣』などの形で再生したのか」といった方向に向かわれたようで、電鉄業の影響力という面からはやや離れられたように感じます(といっても、一昨年の学会報告で聞いた報告の内容なのですが)。ので電鉄マニアとしては幸いにも考えを深める場所が残された、という状況なので、この機会に思いついたことをちょっと書いてみたいと思います。
なお平山さんのご研究では、寺社参拝のいわば「復活」には、これもいつぞやネタにしたように、明治神宮と登場がかなり重要なファクターのようです(レジュメが見つからん・・・)。
一つまず小生が思っていることは、誰もが現在ありがちな年中行事と思っているものの誕生に、鉄道が如何に関ったのかということです。
昨晩小生は、新番組である『ひだまりスケッチ』というアニメを見ていました。4コマ原作というところから『せんせいのお時間』みたいな感じかなと思い、そして『せんせいのお時間』は(1巻を仙地面太郎氏に譲っていただいたというきっかけもあって)単行本をそろえてしまったりしていたので、一つ見てみたのです。見てから小生は『ひだまりスケッチ』と『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』を混同していたことに気が付きました。
でまあ感想はといいますと、・・・ももせたまみ先生は偉いなあ、ということで。
で、この話が本題にどう関係するかといいますと、『ひだまりスケッチ』アニメ第1話は「1月11日 冬のコラージュ」という題名で、第2話がなぜか「8月12日 ニッポンの夏」という題だと次回予告で見て、そういえばアニメの学園モノでは正月の初詣と同じくらい、夏のイベントというのが出てくるなあと思ったのであります。・・・話の繋げ方が無理やりですね。
で、夏のイベントといえば海水浴ですね。初詣イベントが美少女キャラクターの振袖姿を見せるために必要なイベントであるのと同じ様に(或いはそれ以上の重要性を持って)、水着シーンを登場させるという重大な使命を持っています(笑)。
それはともかく、海水浴と鉄道に関しては、ヴィクトリア朝の英国でのブライトン海水浴場とブライトン&サウスコースト鉄道の話などが有名ですが、日本でも同様の事例があったのではないかと思います。電鉄沿線の娯楽・観光地というと何よりもまず阪急の宝塚が思い浮かべられ、或いは幾つもの電鉄が手がけた遊園地が(先ほどの新聞記事にもあったように)真っ先に思い出されるところですが、海水浴もまた決して馬鹿に出来ないウエイトを占めていたのではないかと思われます。
小生の手元に昨年買い込んだ『阪神電気鉄道百年史』がありますので、今これを紐解くと、
阪神電鉄でもっとも早く手がけられた娯楽施設は海水浴場である。最初の娯楽施設となった打出海水浴場は、1905年(明治38)年7月に開設された。というわけで、結構力を入れていた様子が伺えます。阪神はその後も海水浴場開発を行い、現在では球場のみ有名な甲子園を開発するに当たっても海水浴場を設けています。
当時、海水浴はすでに行楽として一般大衆の間に広まりつつあり、1899年7月には伊予鉄道が梅津寺海水浴場で温浴場・休憩所を開設し、私鉄業界の先鞭を切っていた。阪神電鉄の打出海水浴場には、休憩所、食堂、脱衣場などが設置され、貸ボートも用意された。開設当初はチンドン屋を雇って宣伝する一方、仕掛け花火や軍楽隊の演奏を行ったり、社章入りの団扇を配布したりするなど、客寄せのための知恵をしぼった結果、かなりの人出で賑わった。(同書p.95)
あるいはこちらの湘南の海水浴場に関するサイトを参照しても、神奈川県で有名な大磯海水浴場よりも古かったらしい富岡の衰退理由として「もうひとつ、富岡が衰退していった条件を指摘することができる。鉄道の開通である。富岡が交通の便の悪さから、次第に海水浴場としても保養地としても衰退していった」と、これまた鉄道と海水浴との関係が指摘されておりますな。
小生の感覚的な印象ですが、これまでの日本の鉄道史の研究の中で、沿線の海水浴場に関するものはあまり見た覚えがありません。それはなぜか、小生が思うには、その原因は地図を見ればある程度説明がつくのではないかと思います。海水浴場の開発をしようと思ったら、沿線に海がなければなりません。現在の大手私鉄中、関東と関西の鉄道で海岸沿いをもっぱら走っているのは関東の京浜・京成、関西の南海・阪神です。これらの会社は創業が早く、沿線の人口の比較的多い土地を結ぶことができたため、副業にあまり熱心ではありませんでした。
それに対しやや後発の阪急が、もっぱら様々な副業の展開に乗り出すことになったわけで、研究もやはりそういった会社のものが多いからではないかと思います。ここに挙げた四社は創業が早かったため沿線に電気供給事業の区域を獲得することが出来、一般に他の副業よりも規模も大きく儲かる電力業を営めたことも、その他の副業に熱心でなかった原因ではないかと思われます(京浜はのち電力業を売却しちゃいますが)。
そしてまた、戦後電鉄業と海水浴との関係が薄れていったことも、あまり顧みられない原因かもしれません。
関係が薄れていったとは、娯楽の多様化により海水浴の地位が低下したというのが一つ、主たる電鉄会社の沿線は埋立が進んでそもそも海水浴場がなくなったということがもう一つ、そして海水浴が鉄道で行くものから自動車で行くことが中心になったということが、おそらくより重要な要因ではないかと思います。
小生は以前当ブログの記事で、「恋愛資本主義」とは近代家族観念の元での消費の口実として「恋愛」が持ち出されたものであって、先行する存在としてこれも近代家族の観念の元「子供」を消費の口実として持ち出していたのではないかということを書きました。海水浴の場合も、海水浴もまた子供を含んだ「家族」の娯楽から、「恋人」と出かけるレジャーという色彩が混じって来たのではないかと思います。海水浴について調べていないのでいつの頃なのかははっきり分かりませんが。やっぱ若大将?
で、そのような傾向と相前後して、海水浴への交通機関が自動車へと移行していくのではないかと思います。「恋愛資本主義」に関して、流通業と広告業・マスコミ以外で恐らく最も重要な影響を及ぼした産業は自動車産業だと小生は考えます。ラブホテルなどという零細な産業を糾弾している場合ではありません。
長く海水浴に対応して夏場に特別ダイヤを組んでいた京浜電気鉄道→現京浜急行電鉄が、夏ダイヤを廃止したのは、今から十年以上前の1996年のことだったそうです。海水浴の誕生に深い縁のあった鉄道も、現在ではその関係はごく薄くなってしまってきたのであり、それに応じて海水浴のイメージも変化してきたのではないでしょうか。
例によって話がわやくちゃになってきたので適当かつ強引にまとめると、鉄道(それも主に電鉄)はその発達に伴い初詣や海水浴などの文化的側面でも大きな影響を与えてきたと考えられるが、鉄道が得意とした文化的分野は近代家族的なものの中でも初期からあった「子供」を中心とするような家族全体に関るようなものであり、一方近代家族的理念を利用した消費形態でもカップルによって行われる「恋愛」を中心としたもの(これを便宜的に「恋愛資本主義」と定義しておきます)は自動車との関連性が高いのでないか、そして海水浴の場合は娯楽におけるイメージの変化が、海水浴における交通機関での自動車の優位性を進める一因になったのではないか、ということです。
初詣の場合はまだ恋愛色よりも家族行事色が(相対的には)強いですね。その分鉄道の活躍する比率も高そうです。
・・・まあどっちの交通機関を利用するかは、普通に交通における利便性でも説明できるけど(笑)、イメージについてはまあまあ使えそうな理屈かな?
さて、「一つまず小生が思っていることは」と書いたからにはもう一つ思ったことがあるのですが、もう充分長いので今日はお仕舞。明日に続きを書きます。
※追記:初詣についての平山昇さんの研究が一書にまとまりました。