東海道本線車中点景
今日はセンター試験という重大なイベントの日でもあり(明日もですが)、受け持ち生徒の点数、どんな問題が出たのか、気になるところはいろいろあり、また他にもセンターのネタもあるのですが、記事にするのはまた後日ということで。
電車の社内でそばの人が読んでいる本が何かを観察する、というのはあまり品の良いことではないとは思いつつも、以前にも書いたように小生がついついやってしまうことであります。今回の道中でも同様でした。
行きに豊橋から新快速に乗り込み、久しぶりに転換クロスシート車に乗ったなあと快適に車窓を楽しんでいたところ、刈谷駅で若いOLが隣の席に坐りました。彼女は席に着くや否や一冊の本を取り出し、読み始めました。なんだろうと気になって横目で観察してみたところ、
藤原正彦『国家の品格』
まず最初、「ああ遥けくも名古屋に来つるものかな」などと偏見に満ち満ちたことを考えましたが、しかしやや考え直して、これは公共の車内で『国家の品格』を読むという、高度にマニアックなSM業界の羞恥プレイなのだという仮説を立てておきました。
一方帰路のこと。
小田原から乗った湘南新宿ラインの特別快速で、E231の固いクロスシートに坐っていたところ、平塚でスーツを着た青年が乗ってきて隣に坐りました。彼も席に着くや否や書物を取り出して開きます。何の本でしょう。見れば妙に振り仮名の多い本です。最初はラノベという仮説を立てました。しかしよく観察すると、全くラノベを読まない(除ナポレオン文庫)小生でもこれはラノベに登場する言葉ではない、と判断できる用語が幾つも発見されました。「勤行」、「信心」・・・。そして決定打が。
「威風堂々の歌」
彼の読んでいた本が『新・人間革命』であることはまず間違いありますまい。
そりゃまあ、どちらも昨年のベストセラーですから、確率論的にはよくありそうなこと、なのかも知れませんけど。
で、真面目にまとめようとすると、ベストセラーだとマスコミ報道で知っていても身近な友人知人に読んでいる人が誰一人としていない(しかも小生の友人知人は読書の習慣がある人間がほとんど)、こういった本でもやはり読まれている、しかもそれは自分と地理的・年齢的に遠い人ばかりではない、ということを、迂闊にもこういった経験をしないとちゃんと認識できない、そのことは自分に対しよく肝に銘じておくべきことだということです。そういった人と没交渉に生きるというのも一つの方法ですし、小生自身の人生行路は明らかにそういった方向を指向しています。しかしこういったことをちゃんと認識しないと、ここんとこ書いたような「価値観の相対化」だの、価値観の違う人との共存なんてのも、空念仏に終わってしまいますね。
後どうでもいい話ですが、本のページに神道用語がちりばめられていても「ああ、巫女さんの出てくるラノベか」で済みますが、仏教用語だとこっち方面になってしまうような気がします。昔高校の同級生が『百億の昼と千億の夜』なんて本を読んでいて、「仏教SF」というのが存在すると知ってへへえと思いましたが、「仏教ラノベ」はあるのでしょうか。
仏教SF、というと、海外でもロジャー・ゼラズニイの『光の王』とかが著名でしょうか。私ラノベには詳しくないのですが、かつて『天空戦記シュラト』にはノベライズがあったような(アレを仏教と呼ぶと怒られそうですが)。
・・・ちなみに、『国家の品格』が公共の場で読まれている光景には、私も一度出くわしました(笑)。半蔵門線車内だったと記憶していますが、その読者も確か若い女性だったような。
仏教ラノベというと、思い浮かぶのはティーパーティー・シリーズですね。
ガンダム辞典やらシャア評伝やらで有名な皆川ゆかの出世作(と、個人的に思っている)であります。
講談社X文庫(少女向けレーベル)での発刊だったのですが、はたして当時の娘さんがたはどれだけあの濃い展開についていけていたのやら(そして、当時はまだ数も少なかった濃いラノベ読みは、どれだけ肩身の狭い思いをしながらピンクの背表紙の棚を探し回ったのやら)。
あと、蛇足ながら稗田阿礼ラノベというのを見たことがあります。
内容は……稗田阿礼な部分はまあいいのですが、
それ以外の主に人物設定の部分がなんというか。
詳しくは検索語「ダディフェイス」にて。
それでは。
コメントありがとうございます。
SFファンの方には、名作とアレな本2冊を一つの記事でネタにしてしまったことが気に障らないか、素人としてはひやひやものでした(苦笑)。仏教、或いは、インド哲学もきっと魅力的な素材になれると思いますが、そのもの珍しさに惹かれたのみでは優れた作品にはなれないのかもしれません。
『国家の品格』については、「若い」「女性」というのは二重の意味で読者イメージと外れますが、そういう単純な決め付けはやはり良くないということですね。
>ほそだ様
本当にお久しぶりです、なんとも嬉しいこと。
ラノベには全く疎いので、ご教示ありがとうございます。しかし「皆川ゆかの出世作」の頃といえば、「ライトノベル」という言葉もまだ広まっていなかった時代ではないでしょうか。そんな時代でも書く人は書いていたんですね。
「ダディフェイス」でグーグルにかけたところ、関連検索で「エロ小説 ダディフェイス」と出てきました。なんだこりゃ。
>「ライトノベル」という言葉もまだ広まっていなかった時代ではないでしょうか。
ええ、15年ほど前ですが、当時はライトノベルといいませんね。呼ぶならジュヴナイルです。いつごろ、誰が使い始めた単語なんでしょうかね、ライトノベル。
>そんな時代でも書く人は書いていたんですね。
ロードス島戦記をラノベに数えるなら20年前までさかのぼることもできますし、新井素子をラノベ文体の嚆矢とするならば30年前、朝日ソノラマのアニメノベライズなども考えらればさらに時代は上りますね。
>ダディフェイス
一巻だけしか読んでないのですが。
感想:なんでこれナポレオン文庫じゃないの? という。
おそまつ
先日はどうも。
「ジュヴナイル」の方がかっこよさそうな名前の気がしますが、「ノベル」とつくところに意味があるのでしょうかね。
「ロードス島戦記」と聞くと、水野良と塩野七生とを混同していた若き日の思い出が・・・。
>ダディフェイス
ナポレオン文庫と聞いて急に食指が(笑)
>ロードス島
ちなみに、後日の記事にて言及されていたGAの原作も水野良です・・・氏はよほど固有名詞を考えるのが苦手と見受けられます(笑
GAのアニメ版の放映の際、テレビを見るときは部屋を明るくして離れて視聴するように、という定型のテロップが「トランスヴァール皇帝談」というテロップで流れていた時期がありました。共和国なのに(笑
そうそう、昔旧友が読んでいた『百億の昼と千億の夜』のページをちょっと繰ってみて、「ロードス島」が舞台に出てきて苦笑した覚えがあります。その時には水野良と塩野七生の混同に気が付いていたので。それなりに名の通った島の名前を使ってしまうとは・・・やはり水野氏は固有名詞が苦手なのかもしれませんね。
どうでもいい話ですが、クリスティの「砂にかかれた三角形」という短編の舞台が確かロードス島だったような(勿論地中海の)、と書いて、一応メイド方面にむりやりこじつけようとしてみるのでした。