サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(2) ~鉄道と女性・阪急篇~
というわけで原氏の鉄道と女性の見方について2つの点で疑問を持つ、と昨日書き、そのうち一点目の話すら終わらないで、ハードディスクの棚卸に終始してしまいました。これはいけませんね。改めて二つの疑問について、先に指摘しておきます。
まず一点目は、「鉄道で女性が働く」ということについて、原氏の見方はあまりに偏ってはいないか、ということです。もう一点は、「阪急の沿線で女性を対象とする博覧会が開かれたり、宝塚少女歌劇が創設された」という阪急=小林一三の女性観が輸送現場に女性を登場させるようなものだったのか、ということです。
ではまず一点目について、昨日の記事の話題も参考にしつつ述べてみます。
原氏は戦前の鉄道における女性車掌の存在を無視しておられ(バスの女性車掌は認識しているようですが)、講演会で触れている女性の鉄道での登場については、国鉄の「つばめガール・はとガール」という、当時の看板列車であった東海道本線の特急列車に乗務していたサービス係についてのみ語っておられます。これが意味するところは何なのでしょうか。
バスが普及した昭和初期から戦後のワンマン化まで、バスの車掌の多くは女性で、また戦前の市電にも女性車掌は結構いたようです。その理由は何なのか、バス車掌について触れた文献は以前に幾つかサイトの題材にしましたが(これとこれ)、つまるところは、
・給料が安くて済む。
・ストライキ対策。
という労務上の理由が大きいようです。上掲のバス車掌に関する文献では、当初少年を採用していたバスの車掌が女性になった理由として、少年の車掌がしばしば運賃をネコババしていたことへの対策ということを挙げていました。女性は労賃が安く済む、という点については、昨日の記事で挙げた参考史料中で女子を雇いたい理由の筆頭に「第一、女子は給料が安い」とあることも傍証となりましょう。
要するに、この時代の運輸事業の現場に女性がいた場合、それは「<女性>性の導入」なんて呑気なもんじゃなかったんじゃないか、ということです。
更にいえば、原氏が挙げている「つばめガール・はとガール」にしても、或いは「バスガールやスチュワーデス」にしたところで、それぞれの世界に「女性に開かれた回路」を導入しうるようなものだったのでしょうか。結局は(主に男性に)見られるためのイロモノ的要素が大きかったんじゃないかと。
日本の場合バスの車掌はワンマン化でいなくなりましたが、彼女たちが運転手に転身したという例はあまり聞きません。バスの女性の運転手はやはりまだあまり多くはないと思います。タクシーはもうちょっと多くなったような気がしますが(具体的統計が見つからん・・・)。
或いは、スチュワーデスがキャビンアテンダントと名前を変えようと、コックピットの要員にどれだけ女性がいるのかということをちょっと考えてみましょう。
以上、原氏の書物について以前「技術的・経営的側面を完全に無視している」と評論しましたが、労働問題的側面も無視しているのではないかと思う次第であります。しかし技術も経営も労働も抜き去った先に残っているのは、ヘタレ鉄道マニアの妄想ぐらいなもんじゃないかと思うのでありました。
しかしそれだけでは済みません。原氏がもっとも持ち上げている小林一三、その経営戦略の方向性を見据えた時、「もし小林一三が輸送事業で女性を積極的に採用していたら」という設定自体が全く頓珍漢だということになるのです。その二点目の疑問については目も疲れてきたことですし(便利だなこのフレーズ)、明日述べることとさせていただきます。
まあ、このブログをある程度読んでいただいた方には、もうオチが読めていると思いますけど(苦笑)。
小林一三さんが宝塚に少女歌劇団を作った切っ掛けは、三越がやっていた少年合唱隊を観てその宣伝力にヒントを得てのことだったと言いますが・・・
ま、まさか少女の方が賃金が安かったからっ!?
むろん少女合唱隊で結果オーライでしたけれど。
(宝塚少女歌劇団が無かったら私の最愛の「リボンの騎士」も産まれないところでした)
少年でなく少女にした理由はあんまり詳らかではないですが、労賃が安いとか労務管理が容易(言うことを聞かせやすい)といった理由は決して無視できないんじゃないかと思います。客層の違いを踏まえた戦略、というのがもっとも無難な回答だとは思いますが。