酒井翁再び立つ・完結編
というわけで、今年はじめにこのブログで報告した鼎談「メイドさん放談2007」が、酒井シズエ翁のサイト「旦那様と呼んでくれ」にアップの運びとなりました。昨年と比べ公開の日付が遅れているのは、多分小生が録音から起された生原稿を読んで、自分の喋ったことのあまりのイタさに握り潰してしまいたくなって、しばらく修正作業をせずに放っていたからだと思います。すみません。
今年は、昨年のごとくきっしーさんに「管巻いてる」とは言わせない、という意気込みで収録に酒井さんも北庭さんも、そして小生も臨んだはずなのですが、差し入れと称して持っていった葡萄酒を一人で一本飲んでしまったせいか、一人で延々と喋り捲ってイタいこと限りなかったのでありました。特に第1部の終わりあたり。
あと、「続きのシャーリーも単行本になると思って読んでませんけど、ならなかったら困りますね」とか言ってましたが、結局『シャーリー』の載っているビームの増刊は買ってしまいました。山名沢湖も載っているならいいかな、という理由が大きかった気もしますが。
とまれ、ご関心のある方はご一読を。酒井翁と北庭さん、そして小生の「メイド」観は実は結構違っているところもあって、その対立がある種の面白さを生んでいるのかもしれない、そんな感想を今となっては抱きます。
そして、長時間のテープ起しの労をとってくださった酒井さんに心よりの感謝を。小生は元々声が低い上に早口で聞き取りにくく、おまけに語彙も偏っているので、さぞ判りにくかっただろうと思います。ありがとうございました。
しかし、去年の記事に関する自分の感想も「えらく一人で喋くってましたな。なんだかイタイ人みたいだ」・・・進歩が無い。
※追記:この記事へのコメントに応えて更に発展させた記事はこちら
ダイクストラの『倒錯の偶像』は私も好きな本です。著者が本文で「倒錯」と懸命に定義しようとする図像自体が、コトが単に「倒錯」という図式では語れないという事態を図らずも証明してしまうところが何とも(笑
・・・このあたり、意味の過剰という点で「メイドさん大統一理論」のあり方とも関係しそうですね。自分のところのブログで若干考察させていただこうかとも思うのですが、その際はリンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか?
グダグダな部分をカットした感じですね。オフレコの部分が気になりますw
今の『メイド好き』な人って、表層的な『好き』って感じがします。あまり深く考えてないというか。それだけならまだしも、それが『忘れやすさ』に繋がっている気もします。昔何があったのかなんて、今ハマってる世代には全く通用しませんですね。
『メイドさん大統一理論』はある意味、成る程と思いました(笑)。というか、大抵の人がメイドを語ると、何故かその人の『理想の女性像』に近くなる気がします。それと、今語られている『メイド』って、実在していたメイドを萌え化したものだと思うのですが。実際、どうなんでしょう……?
自分も『メイド』にある種の妄想を持っていて、それを捨てきれないのも、やっぱり業が強過ぎるからでしょうかw とはいえ、自分はメイドさんの醍醐味を『萌え系学園モノ4コマ漫画風ノリ』にあると思っているのですが。あと、しづ子さんの中の人って、あの後メイドうんたらなどに溜息吐いていたりして、ただ単にメイドものに飽き飽きしている気もしますが……メイドカフェにはあんなにも鷹揚だったのにね。
コメントありがとうございます。
『倒錯の偶像』をお好きな方が他にもいると知ってとても嬉しく思います。是非、鏡塵さまの考察を読ませてください。リンク・TB何時でも歓迎しております。
もう2年余り前から、『倒錯の偶像』を手がかりに「メイド」の流行る状況を分析してみたいと小生も考えておりましたが、何せ大部な本ですし、未だに手がついていないのがなんとも情けないことです。
ご無沙汰しております。今度のコスカにはご参加されないのでしょうか。
昨年よりも鼎談のグダグダぶりの改善を感じていただけたのでしたら、なによりです。
アニマって言うんですか、理想の女性像の反映というのは、好きなキャラクターについて論ずれば大概そうなりそうですね。ただ「メイド」の場合は、身分のような人間同士の関係性も含んでいるような感じがするので、理想の女性像のみならず、論者の価値観がより広汎に反映されるのかもしれません。
とまれ、「メイド」という器はいろんな妄想を受け入れているとは言えそうです。その間口の広さがどのようにして形成されたかということは、今後も考えていきたいと思います。
それにしても,メイドさん業界は先のブームからこの方,静かになっていくばかりなようで,寂しい限りです.と言っても,流行ったら流行ったであれは違うのこれは違うのとばかり言っていそうですが.
お話の中であった,「主従関係はなくなってよかった」という墨東公安委員会さんの言葉は,僕には青天の霹靂というか,目が覚めたというか,僕は白人的な「人間と召使」みたいな関係性に,メイド観の中でそれなりの価値を与えていましたから,あー,そんな考えでもいいのかと思わされました.
きっと,メイドさんがあんまりエロすぎるから,僕は自分自身の妄想に囚われていたんでしょう.
次のきっしーさんも交えたメイドさん放談を楽しみにしております.
自分が言及されているのは気恥ずかしくもありますが、資料を調べれば調べるほど、妄想的な道へ傾く理由を考えてみました。
資料を作る作業は「果物・野菜」を育てるのと似ています。
時間をかけてもいいものが出来るかわかりませんが、
時間をかけなければ、いいものには出会えません。
最初の頃は収穫した果物を「食べやすいように」と皮をむくレベルかもしれませんが、次第にジャムにしたり、パイを焼いたりと、段々「そのものの姿」から離れていくイメージですかね?
本物の素材に接すればこそ料理したくなる、それだけだと思います。
また、言及されていた箇所について、僕個人は学問的視点に興味は無く、生きていた温度を、実際に残された彼女たち、或いは彼らの声から感じられればいいと思っています。
貴族的なものへ熱い視線を注ぐのも、屋敷や男性使用人、或いはメイドの多様な職種が語れないのが大きいです。
事実を丁寧に調べようとしながらも、妄想に行き着いた現在の矛盾というのは面白いですが(笑)
それと宣伝ぽい&だいぶ先(たぶん来年)の話になりますが、放談の最後で触れたようにちょっとずつ人が増えてくれればなと思ってますんで、「俺にもメイドさんを語らせろ」「奴ら(今回参加者)に言いたいことがある」という方は是非、次回のメイドさん放談への参加をご検討ください。貴島さんに華麗にスルーされたのでちょと必死ですw
コメント欄も随分長くなってしまいましたので、皆様のコメントには改めて記事を起こしてお応えさせていただきたいと思います。例によって筆不精なので、もう幾日かお待ちいただくことになってしまいますが、必ず。
それまで、しばしのご猶予をお願い致します。