最近の記事に関する補足的内容2点~土木工学とアーカイブズ
まず1件目から。
これは昨日の記事「江戸時代の儒者・熊沢蕃山に学ぶ『荒らし』対策」に関連する内容です。
先日店頭で見かけて購入した、中岡哲郎『日本近代技術の形成 〈伝統〉と〈近代〉のダイナミクス』(朝日選書)を読了しました。中岡先生は技術史の大家として知られ、小生も今まで幾つかの論文を読んだ覚えがありましたので、購入した次第です。
本書は、朝日選書(のような形態の本)としては異例の500ページになんなんとする厚みを持つ本で、中岡先生の技術史に関するこれまでの蓄積を総まとめにしたような、大変面白く読み応えのある本です。大雑把に言えば、日本の開国以降の産業と技術の発展を、西欧からの「近代的」産業・技術と、日本の「伝統的」産業(これらのことを専門用語では「在来産業」と呼ぶ)・技術との相互作用から描いた書物です。往々にして、いわゆる途上国に先進国からの産業が移植されても、現地の社会と関わりを持たずに労働力ばかり搾取されて、途上国の発展に繋がらない場合がありますが、明治の日本がそうはならなかった理由を分析しています。それは外来と在来の産業が結びつくことができたから、というのが本書の趣旨を乱暴にまとめたものです。この分野に関心のある方には強くお勧めできる本で、できれば詳細に書評したいところですが(ネット上に先行する幾つかの書評を読んで思うところもあるので)、相当の時間をかけて書かねばならなさそうなので、本日は見送らせていただきます。
で、本書の中ではやや傍流的な内容であると言えなくもないのですが、昨日の記事に関連して、なぜ儒学者が土木工学者のような仕事ができたのかということについての興味深い指摘がありますので、それを第八章「日本近代技術の形成」から引用します。
三枝博音は古市公威を論じながら、明治の土木技術の位置づけについて、きわめて興味深い考察を行っています。補足しておきますと、工部大学校や工科大学のような明治初年の高等教育機関の学生は、士族出身者が多く見られました。
第一に、「ピラミッドや、万里の長城のような驚くべき大工事が既に古代において遂行されたのである。土木技術における古代的、中世的なものと近代的なものの間には、他の諸技術において見るような質的変化」を伴う巨大な差は見られない。明治に移転された西欧技術のなかでも土木技術は、在来技術とのあいだの差がもっとも少ないものだったのです。
第二に土木技術は大規模な技術である。「治水、灌漑、水道、築城、軍道、交通等、実に国家的、国土的なスケールに於て行われ、その時代の文明全体にゆきわたるを常とする。・・・・・・それは古いにせよ、新しいにせよ、文明の技術、国土の技術、・・・・・・『王者』の技術である」。だから近代以前の土木工事を指導したものは、専門技術者というよりは、その時代の「指導者階級の知識層」から出たとして、三枝は、奈良時代の指導者階級に属する僧侶(例えば行基)、戦国時代の武士、徳川時代の儒者(例えば野中兼山)を挙げています。
だから近代国家日本の指導者階級の知識層を代表する留学帰りの古市や、工部大学校卒の田辺(引用注:田辺朔郎。琵琶湖疎水建設を指導、運河と水力発電(この電気で日本最初の電車が走った)を実用化し、京都の近代における再発展の基礎を築いた)が土木工事の指導に当たることに、日本の伝統は違和感をもたなかったのです。加えて過去の土木事業における知識人の役割は、主として、地形の把握、流路の性質の理解、測量、計画といった側面だったことを考えると、そこでは近代工学の、調査、測量、設計、計画の手法が過去のものより格段に優れていました。留学帰りの古市が、ただちに内務省土木局で腕をふるい得たことも、その彼が工科大学(引用注:現東大工学部)の学長となったことの意味も、彼の担当した土木工学科がその後の工科大学で占めた位置も、見事に了解できます。土木技術は「近代国家」日本の、文明の技術、国土の技術、王者の技術でした。戦前の大学の工学部で土木工学科はもっとも権勢を誇った学科であり、以後今日まで上昇志向の学生の集まる学科です。(同書pp.447-448)
で、ここで「野中兼山」の代わりに「熊沢蕃山」を代入しても全く問題ないと思われます。それだけに、蕃山を「現代エコロジーの先駆者」などとするのは、蕃山の業績や歴史的意義を矮小化するものではないかという感を強くした次第です。
なお、ここで中岡先生が引用されている三枝博音の文章は、1943年の『科学主義工業』誌第7巻1号に発表された、「技術家小伝・古市公威」です。
次いで2件目。
これは19日付で書いた「国会議員が「史料」のためにできる(すべき)であろうこと」に関連するものです。皆様から色々なコメントを戴いて充実した記事になりましたが、この話題についてよい展望を与えてくれる記事が本日付日本経済新聞夕刊(14面)に掲載されていました。良い意味で新聞記事らしい、つまり部分引用したくてもどこも削れないくらいよくまとまった記事ですので、以下に引用させていただきます。
これは夕刊文化面の「芸文余話」欄に掲載された、「博物館・図書館の融合」という記事で、編集委員の松岡資明氏の署名記事です。
「MLA」という言葉が最近、博物館や図書館の関係者の間で頻繁に使われるようになった。この言葉、ミュージアム、ライブラリー、アーカイブズ(記録資料やそれを収蔵する施設)の頭文字を寄せ集めた言葉なのである。その三つをなぜ、合わせて呼ぶようになったかといえば、電子化によってそれぞれを分け隔ててきた垣根が低くなり、融合する方向へと向かい始めているからだ。日本でも国立公文書館のアジア歴史資料センターとか、国立国会図書館による明治時代の書籍の電子化とか、情報化に合わせて進められている事業もあります。それは充分有意義でありますが、どうしても、各施設が各個に行っていて融合という面がやや二の次にされている感は拭えません。そもそも日本の公文書保存の問題点自体、各省庁がてんでに行っていて(捨てていて)一括して管理保存する機関がない(国立公文書館にその権限がない)ことにあるわけですが。
日本にいるとそんな状況はほとんど分からないが、欧米に限らず中国、韓国などでは国を挙げてその融合に取り組み始めている。カナダでは既に三年前、国立公文書館と国立図書館が合併した。愛知淑徳大学の菅野育子教授によると、全米十二万二千の図書館と一万七千五百の博物館の「協働」は常識という。
カンザス、ネブラスカ、ワイオミング、コロラドの四州の図書館と博物館が共同で歴史資料や写真、地図、民俗資料などをデジタル化する共同プロジェクトを始めているのはその一例だ。英国では一九九九年、、文化政策に関する諮問機関が再編成されて「博物館・図書館・文書館評議会」ができ、今では一万二千の図書館、二千五百の博物館、二千の文書館を支援しているという。
いずれも目的は、高度情報化への対応、情報格差(デジタルデバイド)の是正による市民サービス充実にあるという。特に未成年と高齢者に重点を置いている。中国、韓国では国立図書館が情報資源共有化や電子化を主導。中国では諜報の意味合いを含む「情報」に代わって新たに「信息」なる言葉が使われるようになった。
ところが財政窮迫の日本では、図書館も博物館も予算を切り詰めることが全てに優先するらしい。MLAとか融合などという高望みはともかく、せめて「消滅」しないことを祈るばかりである。
以上、ブログ記事補足のための備忘のメモ(スクラップ)でした。
こんな風に、昨日読んだ本と今日読んだ本とが繋がったり、先週書いたことと今週の新聞記事が繋がったりするのは、とても面白く楽しいことです。「いやぁ~、読書ってほんっとうにいいもんですねぇ!」と、マイク水野調で締め括らせていただく次第です。