鹿島鉄道・栗原電鉄を惜しむ駆け足紀行 前篇
茨城県の鹿島鉄道と、宮城県のくりはら田園鉄道(十年ほど前までは栗原電鉄)です。
数日前の記事でちょっと触れましたが、ない時間を無理やり捻出して、この2路線を巡ってきました。以下にその顛末についてなるべく簡単に、写真を適宜織り交ぜつつ、述べてみたいと思います。
3月29日の早朝に小生は自宅を出、上野から常磐線に乗って鹿島鉄道の出る石岡へと向かいます。鹿島鉄道に乗った後に常磐線で仙台に向かい(常磐線の北半は乗ったことがなかったので)、仙台で一泊して翌日の午前中に栗原を乗って戻ってこようという予定です。
石岡の駅では少なからぬ同好の士が共に鹿島鉄道のホームへと向かいます。駅では土日限定だった一日フリー切符が、26日以降も廃止までずっと使用可能となっていたので購入します。なにしろ片道(石岡~鉾田)1080円のところ1100円で乗り放題というえらい価格設定でしたので(えちぜん鉄道も似たようなものでしたが)。
鹿島鉄道は、上でリンクを張っておいたウィキペディアに概説されている通り、「鹿島鉄道を守る会」「かしてつ応援団」など様々な存続運動が盛り上がっていたのですが、やはり如何ともしがたく廃線になってしまいました。石岡駅のホームに存続を訴えた幟が色褪せて立っているのもうら寂しさをかきたてます。

鹿島鉄道は古い気動車が数多く現役で活躍していたのが特徴の一つで、小生も以前訪問した際に床が木張りのディーゼルカーに乗り、床板の隙間から線路が見えたことを覚えています。その時のことでもう一つ覚えているのは、我々(その際はたんび氏と一緒に乗りに行ったものですが)の向かいに坐っていた女子高生の、あまりにあまりなコギャル(死語)ぶりでありました。
話が逸れますが、鹿島鉄道は関東鉄道のグループ企業で、関東鉄道は常総線という長い路線と、竜ヶ崎線という短い路線を有しています。たんび氏と以前鹿島鉄道に乗った際、ついでに竜ヶ崎線にも乗りました。その時の車内での衝撃的な経験は、小生は死ぬまで忘れられないでしょう。
関東鉄道竜ヶ崎線に乗って竜ヶ崎まで行き(といってもたった二駅)、折り返し戻ってくる車中のことでした。車内に若いカップルがおりました。髪の毛が共に茶髪で、肌も焼けていたように記憶しています。風体も、まあそういった文化的ハビトゥスに相応しいものであったと思います。
で、そのカップルはこれから渋谷に行くらしく、何やらそれにまつわる会話をしています。
「ねえ、代官山ってどんな山?」
「どんなだろうねぇ」
彼らがネタでこの会話をしていたようには、到底見えませんでした。
小生は(そしておそらくたんび氏も)、この瞬間に刷り込まれた「茨城」のイメージから、一生涯抜け出すことはできないでしょう。
話を戻します。
鹿島鉄道は古い気動車が名物なのですが、今回小生が乗ることになったのは新しい方の車輌でした。この写真もクリックすると拡大します。まあ構図としてはよくあるものですが。


かくて沿線住民とマニアを乗せて、ディーゼルカーは発進します。天気はまずまずとあって、沿線にも大勢の鉄道趣味者がカメラを担いで繰り出していますが、一つ印象に残っているのが、そのようなマニアに混じって、野球帽タイプの帽子を被ったいかにも農家、といった格好(横には乗ってきたと思しき軽トラが停められています)のご老人がカメラを列車に向けていたことです。
鹿島鉄道は霞ヶ関の湖岸を暫く走り、やがて湖岸を離れると今度は丘陵地帯を切り通しで抜けながら走ります。そう長くはない路線ですが、湖岸と森や丘と、めりはりがあってそれなりに楽しめる車窓です。浜駅の周辺など、湖岸に沿った一面の草原で、なかなかに風情がありました。まあそれだけ人口が希薄だということで、廃線に至ってしまった理由でもあります。
車窓では桜はまだでしたが、菜の花が畑の一角に咲いているところがあって、目を楽しませてくれます。もっともそのような場所には必ず、菜の花と列車を一枚の写真に収めようとする鉄道趣味者の姿も見出されるのですが。
などと車窓に目をやり、また昔話を始めるご老人のお話に聞くともなく耳を傾けたりしているうちに、一時間弱で終点の鉾田に着きます。この写真もクリックすると拡大します。


そばを食してから、駅周辺をざっと見て回ります。まずこんな看板があって腰が砕けました。


駅舎に戻ります。
駅舎の前はバスのターミナル、というほどでもないですが、バス停となっていて、バスが何台か停まっていました。鉄道が廃止になっても、バスの停留所としてはここは残るのでしょうか。
小生はバスには全く疎いので、様子を見ていても残念ながら何か情報を読み取るということはできませんが、ただ何となくバス停を眺めていて、面白い地名に気が付きました。この写真もクリックすると拡大します。

行き先は「繁昌」でも、残念ながら経営は「繁昌」とは行かないようで。
駅舎と向かい合ったバス停には、何やら軽食屋が入っています。そこでふと今後の予定を思うに、この後は仙台までタイトに乗り継いでいく予定なので、途中で食事をとる時間があるか微妙な状況が予測されます。ならばもうちょっと腹に入れておこうと思い、そこでたこ焼きを誂えました。いや、「たこ焼」の看板を見て突発的に喰いたくなったというだけですが(笑)。

鉄道が廃線になったら、そば屋はなくなってしまうのかもしれません、しかしバスが来るのであればこっちのたこ焼は存続するかもしれません。もし続けてくれるのであれば、廃線跡探訪の方にはたこ焼をおすすめしておきます。
そんなこんなのうちに発車時刻となりました。駅舎に戻り、列車に乗り込みます。



残念ながらこの運動は功を奏しませんでしたが、この経験が関った生徒たちの将来の糧となることを祈るばかりです。でもまあ、こういったプロパガンダ活動って結構楽しいんですよね(笑)。こないだビラ撒きを手伝った経験からしても。
戻りの列車は、行きの列車と比べて少し乗客が減ったような気がしました。そのため、先頭の見晴らしの良い場所に陣取ることができました。そうなるとこんな景色が目に入るわけでして。

途中駅で、旧式の気動車たちとすれ違います。車内はこの列車よりも混んでいるようでした。これから午後にかけて、きっともっと人出が増えたことでしょう。以下の写真はクリックすると拡大します。


鹿島鉄道の駅名表示版は、ローマ字表記が音節ごとに分かち書きになっているところがちょっと面白く感じました。もっともかえって読みにくい気もしますが。住所が合併のせいか一部消されているのも時代を感じます。この写真は拡大しないのでご諒承下さい。


その後、小生は常磐線をひたすら北上しました。海側には電化時に放棄された煉瓦造りのトンネルなど昔の線路の遺構が時折見え、興味深く車窓を楽しめました。他には相馬駅で駅前に「かくまる薬局」という店を発見してその名前はどうかと思ったこと、亘理の駅前に資料館か何からしい巨大な城まがいの建物があって呆れたことなどくらいでしょうか。
そこで話をさっさと飛ばして、さる3月18日に開業したばかりの仙台空港アクセス線について簡単に。
この鉄道は東北本線の名取駅から分岐して、仙台空港のターミナルビルに横付けするところまで敷設された線路です。空港連絡に鉄道敷設というのはここ十年余りで急速に増えた感がありますが、その最新のもの(現時点で)です。
名取駅に着いたのは18時ごろで、日は既に沈みつつありました。やや薄暗い中での初乗りとなりましたが、大体どんな線かは分かりましたので、良しとしましょう。折り返しの間、空港のターミナルビルを見て歩きます。仙台空港駅とターミナルビルが渡り廊下で連結されて便利ですが、動く歩道のような設備がないのが残念で、また動線がちょっと遠回りになっているような気がします。仙台空港には飛行機で来たことも小生はこれまでなく、全く初めてでした。展望デッキに地球儀をかたどった大きなオブジェがあり、ゆっくりと自転しています。地球儀には世界各国の名が記され、流石国際空港に相応しいオブジェだなと思ってよく見たら、重大な問題を発見しました。以下の画像はクリックすると無意味に拡大表示します。

仙台空港からはちょうど快速電車に乗ることができ、途中名取のみ停車で仙台に到着しました。小生は東北地方に来たのは中学生時代以来のことで、中2の時に当時の鉄研の旅行で夏休みに東北を一周し、中3の修学旅行でやはり東北を巡りました。あの頃は50系客車がごろごろいて、840列車(秋田発新津行の、当時最長距離を走行した客車鈍行)も全線乗ったりしたものでした(歳がばれる・・・)。
そんなもので、だいぶ変わったらしい仙台駅は初めてで、仙台の街を歩いたのもほとんど初めてのようなものです。今回の旅は突発的に決めたので、宿だけネットで探しておいたものの、食事をどうするかは全く何も考えていませんでした。しかし鉾田以来何も食っていないので流石に腹が減った。どうしようかなと思って、宿の方向に向かって商店街のアーケードを歩きつつ、周囲を物色します。ああ、こんなことなら、mixiの日記を拝読すると始終仙台にお仕事で出張されている檸檬児さんにあらかじめお伺いしておけばよかったのではなどと思ったりもしましたが、後悔先に立たず。
と、腹の減った小生の前にこんな幟が。


余談ですが、とんかつというか揚げた豚肉を麺の上に載せるのは排骨麺といって中華料理にあります。更に余談ですが、東大の赤門そばにある「瀬佐味亭」の「排骨担担麺」(担担麺に揚げた豚肉が載っている)は旨いです。詳細は日本一担々麺に詳しいであろうこちらのサイトの記事をご参照下さい。
それはともかく、このメニューの怪しさにつられて地下一階に下りてみました。店の前にはこれまた矢鱈といっぱいメニューが張ってあります。

ちと店の前で逡巡し、菅野・立花の著作のそこここが脳裏を去来しますが、まあここは何かネタになるかもなという精神が優って、小生は扉を押しました。
店内は至極綺麗で安心しましたが、夕食時だというのに他にお客の姿がないのは不安の要因です(菅野・立花『あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します』参照)。
店内の壁は手書きのメニューが張り巡らされ、遂には張るスペースもなくなったのか、冷水木や冷蔵庫の扉、しまいには壁にかけられた温度計にまでメニューが張られています。何でこんなに多いのか、色々見ていくと原理が少し分かりました。
基本的にとんかつ屋さんなので、とんかつ(ロースとヒレ)・チキンかつ・コロッケ・メンチカツ・エビフライなどの基本的な揚げ物があり、それを定食にするか丼にするかラーメンに載せるかカレーに入れるかうどん(ざると釜揚げ)に添えるかといったバリエーションがあり、揚げ物自体も各種組み合わせが可能で、さらにここにおでん・うなぎ・肉じゃが・ジンギスカン・ハヤシライス・オムライスなどのオプションが加わって、順列組み合わせ的要領で幾何級数的にメニューが増殖している模様です。故中島らも氏の言葉を借りれば、「メニューとメニューがセックスをして新しいメニューを増殖させていっているとしか思えない。イブ・タンギー的悪夢の世界である」・・・。
それだけメニューが多いのに、お店はお婆さんがたった一人で切り盛りしていました(少なくともこの時刻は)。数多いメニューは実は皆結構安く(400円~1000円の範囲にほとんど納まる)、小生はしばし考えて、膨大なメニューから「チキンかつラーメン」(500円)を注文。排骨麺は食べたことがありますが、鶏とはこれいかに、と思った次第。あとまあ安かったし。
するとおばあさんは「ラーメンは醤油? 味噌?」と。まだ選択肢があったのか!
一瞬ドキッとしますがさあらぬ体を装い「醤油」と頼みます。そして更にさあらぬ態を装って、藤田省三の単行本を読みつつ(読んでいる振りをしつつ)、ラーメンの到来を待ちます。

というわけで、ごくまっとうな醤油ラーメンにごくまっとうにチキンカツが載っかっていました。最近流行の、魚の節を使ったりした妙に懲りすぎた(値段も高い)ラーメンに比し、かかるシンプルなもののよさを再認識しました。醤油ラーメン自体はごくあっさりですが、ここにカツを投入することによって衣の油が沁み出し、スープにほどよく風味を加えていました。一方揚げたてのカツの衣は、スープがしみこみつつも尚サクサク感を維持しており、実はこの組み合わせは結構良いんじゃないかという結論に達しました。しかもお値段500円だし(これはチャーシュー麺より手がかかると思う)。
というわけで、散々怪しい怪しいと描いてきましたが、実はちゃんとしていたのでご安心下さい。「むらまつ」というお店です。興味のある人はどこにあるか自分で探してください。
この後安宿に一泊、明日は始発で出かけるので早くやすみます。
二日目、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道篇につづく。