日曜日の記事へのコメントに返信・および古書市の補足
遅くなって済みません。
>ラーゲリ緒方氏
以前貴殿のブログのコメント欄で話題になっていたことと上手く繋がったとすれば幸いです。
戦争についての言説の場合に特徴的に現われますが、国家を擬人化した挙句感情移入して自分を見失う方はよくあるものです。安易な擬人化は人の判断力というか理性というか、そのような能力を低下せしめる危険性があるように思います。あと戦争の場合、安易に指導者に擬人化した国家を重ねてしまうということもありそうです。
なお、先日の「萌えコスカ」では、「各国の通貨擬人化本」(成年向)があったそうです。
やっぱルーブル総受けなんでしょうか。オタ的にはルーマニア萌えとかでいいんでしょうか。
>憑かれた大学院生氏
小生のアニミズムへの認識はこの本から多大な影響を受けまくっているのですが、アニミズムは文化の基盤として相当普遍的に存在しており、宗教的世界観も科学的世界観もアニミズム世界観を全く代替したのではなく、その基盤に上積みされただけであるように思っています。
まあ、限界を分かった上で楽しむのはいいのですが、あくまでデフォルメである/入門用であるということをわきまえておかないといけませんね。高等教育の目的というのは、何か一つの分野をある程度学ぶことで、他の分野のデフォルメ/入門編を見ても「この向こうにはきっとより複雑な世界が存在しているのだろう」と想像する能力を持たせることにあるのだと思います。
・・・自分でも書いてて恥ずかしくなってきました(苦笑)
下の古書市の件に関して、重要なことを書き忘れていました。
『金ぴか時代のアメリカ』という本、これは学校の図書室の廃棄本なんです。しっかりバーコードと整理番号がつけられ、背表紙の番号はマジックで抹消されています。小口には学校名の印と、それを抹消するための「除籍図書」という赤い判子がくっきりと。
実はこの古書市に、同じ学校の廃棄本が大量に出展されていました。現代世界文学全集とか(ボルヘスでも買おうかと最初思ったのですが、今日行ったら流石に売れていました)かなりのしっかりした本が廃棄されていて愕然。山川の日本通史全三巻は買おうかどうか真剣に迷いました(院試の時の勉強に使ったなあ・・・)。でもこの本、どっちかといえば個人で買うというより学校の図書室に常備しておくべき本、という気がします。
しかし、いかにも学校の図書館にあるべきような本をこれほど大量に廃棄してしまって、この学校の図書室には一体どんな本が残されているのでしょう。そもそもどんな基準で廃棄したのでしょうか、異論は出なかったのでしょうか。その学校の生徒の教養水準は維持されるのでしょうか。自分で買っておいて言うのもなんですが、心配でなりません。
その学校の名は、早稲田中・高等学校です。
「オトメは軍隊の擬人化である」という妄想を今思いつきました。サンライズ社屋前で街宣してみますか。
今回は「偉大なる指導者同志=国家」ということで一旦考える事を停止したいと思います。夜も遅いので。
通貨擬人化本、実に興味深いですね。何より交換レートが設定されているという非情さが素晴らしい。旧ルーブルが新ルーブルに取って代わられるのも切ないです。通貨の切り上げ切り下げの度に切られたり伸ばされたりするんでしょうか、どこかの拷問危惧のようです。是非氏賀Y太先生に書いて頂きたい。
ルーブル総受けはもっともです。でも世界にはもっと弱い通貨が沢山あります。「主要通貨からはいつも攻められているルーブルが、より弱くて自分が攻めに回れる通貨を探しに旅に出る」馬鹿同人誌を思いつきましたが火葬しておきます。
取りあえず早稲田中学に闖入する算段を立てましょう。それでは。
まあ、そのうちまた考えましょう。
通貨擬人化で疑問なのは、ニクソン・ショックですね。
あるいは兌換券と非兌換券で擬人化はどう変えるべきなのか。金本位制っていいですよね。
旧マルクがレンテンマルクになるところを擬人化したら、ホラー漫画としてもいけそうです。ここは楳図かずお先生ですかね。
下らんことならいくらでも考え付くなあ。