まだしばらく
・・・つまりいつもと同じ、ということでしょうかね。
書きたいネタは幾つもあるのですが、それを書ききるだけの気力が初手から萎えているような感じです。
朝食を摂りながら日本経済新聞の国際面を読んでいたら、こんな本の広告が下の段に著者二名の写真入ででかでかと載っていたのを見た時、今日は駄目な日になりそうだという嫌な予感がしましたが、見事的中してしまった感じです。
戸井田議員のブログのコメント欄で、拙ブログ記事が「サヨクの誹謗中傷」と題されて挙げられております。「good2ndの日記」さんと同列に並べられているのはちょっと畏れ多い気もいたします。
小生の政治的志向が、右か左かと二択で迫られれば左なのは確かですが、あの記事で説いた史料保存の重要性は左右問わない価値のあるものと思っていただけに残念です。戸井田議員個人の資質について疑念は呈しましたが、それは別に左翼的な理論に基づいたものではないつもりです(自分の正統性を過信して暴走する人は左のほうにも大勢おりますわな)。
ではあの記事のどこら辺が左翼的かと自己批判を試みるに、やはり最後の『ココロ図書館』がまずかったのではないか、そう結論付けるに至りました。あの作品のアニメは反戦的で、かつ昨今流行の行政改革が市民運動によって打倒されるという点が、きっと9条を支持する「プロ市民」(やな言葉ですね)の一派と見做されたのだろうと思った次第なのでした。
プロ市民という単語の良さは「職業市民」が存在しないことにつきるわけですが、ドキュメンタリー番組で「スターリングラード市民」といった肩書きを見るにつけ、市民とは須くプロであるという考えになりつつあるので、やはり好ましくない表現である気がしてきました。
プロ市民などといったジャーゴンを用いずに、「暇なおばさん」「単位のとれない大学生」「ヒモ」などといった実態を示す用語を使うべきだと思います。
まあ売って儲ける本ですから(売れるから徳間は作ってるんでしょうが)、電波度もマイルドなものになっているんでしょうね。
>ラーゲリ氏
確かにレニングラードなどの市民は皆プロであったのかもしれません。
ただ、「プロ市民」というジャーゴンの特徴は、その「プロ市民」自身の属性より、彼らをそう呼ぶ者の立ち居地と距離感とによって定義が決まる所にあろうかと思います。
「プロ市民」発祥については、以下のページが参考になるかと思います。
http://hp1.cyberstation.ne.jp/negi/DEMO/topic/t044.htm