眠い
まあ昨日付けで事実上二本記事を書いたということで・・・
ロシアのエリツィン大統領が亡くなったそうで。
ゴルビーやエリツィンの時代のロシアは、ある意味「よい」というか、周辺諸国がロシアの進む方向を好意的に見ることが出来たような印象がありましたが、その後すったもんだの末、プーチン時代になって「あるべき」姿に落ち着いたという印象があります。つまり何やらかすか分からない、おっかない国だということで。
ジョルジュ・ボルトリ『スターリンの死』に、ソ連が自国にやってきた外交官に対し厳しい移動制限を課し、モスクワ近郊の町ですら「宇宙の星のように」行くことが叶わなかった、という一節がありましたが、今のロシアも旅行者が自由に国内を巡るのはかなり難しいそうです。大体帝政ロシア時代の農奴に移動の自由はなかったし、ソ連時代も自国民の国内移動すらパスポートが要ったわけで(まあそういう国は、19世紀頃までは結構あったようですが)、まして外国人においてをや、というわけなんでしょうけど。
ソルジェニーツィンの作品の舞台になったコーチェトフカ駅を見に行くのは、かなり無理そうですな。
書きたい話題は多々あれど、どうも色々不具合が多くて・・・
ロシアの農民の土地への緊縛は、世界的にも異常なレベルなのかもしれない。そんなロシアでも貴族は自由で、ヨーロッパを遊び歩いているし、『戦争と平和』では戦場を優雅に見物していますね。
小生は近代専門なもので、前近代のことをちっとも想定せず、近代の範囲内でのみ書いてしまいました。具体的には、要するに19世紀ドイツ帝国の国内移動の制限などを念頭に書いていたということです。この時代になると、ご指摘の近世の事例のような放浪は難しくなるでしょうね。
勿論身分などによっていろいろあるでしょうが。放浪を支える人的なネットワークがどの程度あるのかということが、それを決めているのでしょう。
ロシアの場合、下手に出歩くと遭難しますから。あと交通の途絶した村に古語が残ってたとかありますかね。そう考えると伊勢参りはすごいと思うんですが。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はいはいグランツーリスモグランツーリスモ
`ヽ_っ⌒/⌒c
藩みたいといえばそういう面もあるかもしれませんが、将軍が大名の改易や転封を(比較的)自由にやっていたということを知れば、ハプスブルクの皇帝陛下たちは羨ましさのあまり憤死するかも。
ロシアと日本では人口密度が違いすぎるので、それもまた移動のしやすさ・しにくさの一因なのかもしれませんが、やはり東雲氏のご指摘のように、ロシアの移動制限はかなり異常なのかもしれませんな。