[資料メモ]スクール水着の誕生と傷害保険
学生服大手の瀧本という会社の社史を、さる方のご好意でコピー1部いただくことができました。「スクールタイガー」という学生服のブランドで有名な会社です。同社は1925(大正14)年の創業で、各種の衣料品を扱っていましたが、戦後学生服関係に絞って現在に至ります。その瀧本が1975年に作った、『瀧本五十年のあゆみ』という非売品の社史なのですが、幸運にもコピーが今手元にある次第です。
で、小生の関心の戦前の記述はごくあっさりしているのがちょっと残念ですが、しかし学生服大手の会社がどのように発展していったか、特に戦後では化学繊維の開発とどう歩調を合わせていったかがうかがい知れる、結構貴重な文献ではないかと思います。国会図書館にも所蔵されてないみたいだし。
ざっと一読しただけですが、とりあえず読者の皆さんの興味を惹きそうな箇所を何箇所か引用して見たいと思います。今日はまず、本命の学生服からちょっと外れますが、スクール水着の歴史にまつわるお話を。引用に当たっては数字の表記を横書きで見やすいように変えています。
スクール水着 海水が公害で汚れ、海水泳が思うようにならず、小学校を中心にプールの設置が始まった。当初プール授業の導入で、事故がけっこう懸念されていたようですね。その後実際、プールに飛び込んで底で頭を打って障害を負ってしまったという事故が何件か発生しているかと思いますが、それを思えばこの保険をやめてしまったのは早計だったかもしれません。もっとも、死亡で5万円っていくら1966年とはいえ安いような感もありますが。
当社(注:瀧本)は、こうした情勢の仲で水着の需要動向を調査したところ、一般市販の水着はひじょうに派手なものばかりであり、学校の水泳にはやはり統一された学生向けの水着が必要であるということがわかった。そこで、東レ―八木商店―瀧本の共同企画としてスクール水着に取組んだのが昭和41年であった。
当初の素材はナイロンを使用していたが、ナイロン66(プロミラン)が開発されると、これに転換した。
スクール水着の販売で、とくに重視したことは水禍である。このため当社は、スクール水着傷害保険をつけ、当時死亡の場合5万円の保険金つきという制度で販売した。
プールの急速な普及とともに、スクール水着も伸び、現在(引用注:社史発行は1975年)では数百校の指定を得て、30万枚近い水着を納入するという安定商品になっている。
傷害保険は二、三年続けたが、プールでの事故がほとんどなくあまり意味がないということで、現在は、八木商店サイドで、ベルマークにスクール水着を登録し、学校の設備増強に役立つ方策をとっている。(同書pp.238-239)
で、他にも興味深いところがありますので、機会があればまた紹介引用してみたいと思います。
ちなみにこの瀧本については、ウィキペディアの記事がどういうわけか編集合戦になっておりますが、それ以前に記事本文に誤りがあります。「同社の商標のスクールタイガーは1929年に登録されている」とありますが、社史によれば戦前には「タイガー」印を商標登録していなかったため、戦後登録しようとしたら他のシャツメーカーが既に使っておりさあ大変。とりあえず特許事務所に相談して、「スクールタイガー」はじめ「タイガー」+〇〇という商標を登録する一方、そのシャツメーカーに対し商標無効を訴えます。これが1952年のことのようで、「スクールタイガー」商標は翌年に認められた由。
これはそのシャツメーカーから「スクールタイガー」の商標はうちの「タイガー」を侵害すると逆に訴えられたりしながらも、遂に瀧本が戦前から広く「タイガー」印を使っていたことが認められて勝訴となるのですが、それが1971年。19年もかかったのか・・・(以上、社史pp.188-192)
知財だの商標だの著作権だのかしましい昨今からすれば、悠長なお話でした。
ところで、ではいつから「タイガー」印を瀧本が使っていたのかというと、社史を丹念に読んでも良く分かりません。瀧本が子供服専業になった1930年に虎のマークを作ったらしい(p.41)のですが、会社の創業者は創業当初から虎のマークを使いたがっていたらしく(p.40)、一方裁判の話では「昭和2年(注:1927年)頃の手帳などタイガー印の入った証拠品」(p.191)を提出して勝訴したとあるし・・・まあとにかく、ウィキペディアの「1929年にスクールタイガーを登録した」というのではなさそうです。
今の瀧本のサイトを見ると、現在の「スクールタイガーα」のロゴが、社史に載っている30年以上も前の当時(ロゴ作ったのはもっと昔だろうなあ)のそれとほとんど変わらないように見え、それがかえって格好よくも感じられるのでした。
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水がきれいなので、学校にプールを作らず、水泳の授業がないところが多いからだとか。
沖縄で泳げないというのは、ちょっともったいない気もしますが…。
以上、くだらない豆知識でした。

くだらないなんてとんでもない。面白い情報でした。
海や川が汚れたからプールを作った、というのなら、沖縄で学校にプールを作らないという話ともよく符合しますね、
もったいないというのも、地元の人とそうでない者とでは、感覚が異なるのかもしれません。
>昼行灯様
どうもすみません。色々とありまして・・・
ちなみに泳げない自分は配られていた入場券を無駄にして鉄研の連中と都城往復をして、宮交シティをありがたがって参りました。
その説明は宮崎県の公式見解なのか、バスガイドさんのネタなのか、些か気になります。しかしタダ券もらえるんですね。私立はそういうところいいなあ。
修学旅行では、中2の時に箱根登山鉄道の車庫やケーブルカーの巻上室などを見学したことが印象に残っています。あのときモハ114号が分解修理中で、「これが釣掛モーター」と見せてもらったのが、古電車趣味に走る原因だったなあと今にして思います。