知覧についてわたしが知っている二、三のこと
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
なる映画が上映されておりまして。12日公開だったようです。
この映画は特攻隊を題材に、特に知覧で「特攻の母」として知られた鳥浜トメさんの逸話を中心に描いたものだそうですが、「脚本・製作総指揮:石原慎太郎」「出演:窪塚洋介」という時点でお金を払って見に行く気力がなくなったとしても、それは左翼的偏見とばかり批難されるものではない、と信じます。だってタイトルのセンスからしてあれですから。あとマンションから「発進」した窪塚氏を特攻隊映画に起用したのは何の冗談なのかと。
ちなみに今、この映画の題名で検索したところ、こんな映画批評が見つかりました。「マンション特攻」って酷すぎ(←褒め言葉)。
見るつもりもない映画について悪口を書くのが上品なことではないのは事実でありますから、ここで小生が「知覧」と聞いて思い出したことをつらつらと書き連ねて見たいと思います。実は小生、数年前にある事情で知覧を訪れ、特攻隊関連の近代遺跡を見て廻ったことがありまして、おそらくは大概の人より知覧の特攻関連のことについては詳しい(それも普通の詳しさとはやや違った方向で)と思いますので、何ぞ書くことも無意味ではあるまいと。もっともこの調査の顛末については、過去に『東京大学戦史研究会会報第43号』に詳しく述べましたので、ご興味のある方はそちらをご参照いただければ。
で、その調査の際にもっとも印象に残っていることは、知覧の特攻平和祈念会館の年間入場者数は60乃至70万人にも達し、この種の施設としては珍しく独立採算を維持しているのだということでした。ちなみに特攻平和会館と隣接している知覧の民俗資料館の年間入場者数は3万人だとか。まあ地方のハコモノとしての博物館類であればそんなもんでしょう。それだけ特攻隊の威名恐るべし、であります。
知覧町ではこの財源を生かし、野外博物館として町の各種の史跡整備に色々と意を用いているようで、正直その時見た範囲ではまだあまり奏功していないように思われたのですが、しかしその方針は大変優れたものではないかと思います。ただ、この映画に見られるように、「特攻」というものの消費のされ方が、史跡整備の方針としてはかなり正統的で有意義であろうその方法論と、必ずしも噛み合っていないのかもしれません。小生は町当局の方針を強く支持する者ですが。
うーむ、どうもうまく書けませんね。特攻平和会館に行って、遺品を見て涙を流しておればいいのかもしれませんが、そういうような語りは(左右どちらとも)小生は極度に苦手で嫌なのです。しかし特攻に関しては、斉藤由貴の歌でもないけど、涙を流さないと「非人間的」「非国民」と痛罵されそうな空気が一部にあって(しつこいけど左右問わないよここは)、しかもこのような映画がそのような空気を折々再興しているような被害妄想に時としてとらわれるのです。
てなわけで、自分で書くことをとりあえず棚に上げて、小生がネット上で見つけた、「知覧」について書かれた最も優れた文章と感じたものをご紹介させていただきます。それは、サイト「それだけは聞かんとってくれ」の以下の記事です。
「カツカレーがだめです」(元サイト消失につきアーカイヴ)
「カツカレーは駄目ではありませんでした」(元サイト消失につきアーカイヴ)
うーん、久しぶりに読み返したけどどうにも面白い。
この文章を読んで少し元気を取り戻して、特攻平和会館の関係者から小生が聞いた特選情報を、以下に付け加えたいと思います。
カツカレーもいいけど、特攻平和会館裏手の「ラーメン隼」のラーメンはなかなか旨いです。店名の由来はやっぱり一式戦らしいとか。
で、今「ラーメン隼」で検索をかけてみたところ、「最近店を改装した」という情報と、「味が甘くなりすぎて落ちた」という声を入手いたしました。確認のためにいつかまた知覧へ行きますかね。
これで終わるのもなんなので、真面目な「特攻」の話を一つ。
知覧は航空特攻のみならず、海上の特攻隊である震洋の出撃基地もありまして、その遺構も残っています。聖ヶ浦というところで、幸いにも出撃前に戦争は終わった由です。
で、「知覧」「震洋」で検索すると、この基地の存在を記したサイトは幾つも見つかるのですが、遺構の写真を上げたサイトはないようです。それは恐らく、町が立てた案内板の不備によるところもあるのではないかと思います。というのも、小生は町の関係者の方に案内していただいたのですが、その言うなれば看板を立てた方々が、看板のところから基地の遺構に辿りつくのにえらく苦労しておられたほどですので。今は改善されていればいいのですが。
というわけで写真を一枚。
探すには、一旦波打ち際まで降りて入江の波打ち際を辿っていくのがいいと思います。但し、足場は悪いので、それなりの格好で行くことをお勧めします。
私もその昔、修学旅行で特攻記念館行きましたよ。
広島のはただただ怖かったのですが、知覧のは怖いというより、
あの淡々と個人写真が羅列されているのが、なんとも悲しくて、
胸が苦しくなったのを覚えてます。
自分達と同世代の若者が何でこんな思いをしなければならなかった
のか?と、中学生ながらに苦悶したのを思い出しました…
ご無沙汰しております。メイド屋の皆様もお変わりないでしょうか?
コメント返信が遅くなって失礼致しました。
特攻については、全く個人的な見解ですが、あれもまた一種のポトラッチ(あまり適切な使い方ではないかもしれませんが)だったのではないかと思います。意味があるからやったのではなく、やったのだから意味があるのでなければならないとされているのではないか、それが今次の映画にまで繋がっているようで。
>ラーゲリ氏
「それ聞か」は頗る面白い雑文サイトですが、更新が止まってしまったのが残念です。自分も所謂「ブログ」より、ああいった「雑文集」的なものを目指したいと思っているのですが、それは臨んでも叶わぬ夢。