お気楽アメリカ紀行(6)~フェニックスからセドナを経て
(1)オレンジエンパイア鉄道博物館への道
(2)オレンジエンパイア鉄道博物館・その1
(3)オレンジエンパイア鉄道博物館・その2
(4)パームスプリングスのロープウェイ
(5)パットン将軍記念博物館
(6)フェニックスからセドナを経て(この記事です)
(7)フラッグスタッフからグランドキャニオンへ
(8)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)I
(9)プレーンズ・オブ・フェイム(アリゾナ分館)II
(10)フーヴァーダムを経てラスヴェガスへ
(11)デス・ヴァレー国立公園
(12)ヴェニス これが本当のネオ・ヴェネツィア
パットン将軍記念博物館を出た我々は、K氏の運転でフェニックスに向かいます。存外時間を取ったのでモニュメントヴァレー行きは断念し、フェニックスで観光する方針に。なんと言っても全米で人口6番目の大都市らしいので、何がしか見るところはあるでしょう。
沿道はおおむね沙漠でしたが、カリフォルニア州とアリゾナ州の境目であるコロラド川の谷間は流石に緑豊かでした。もっともコロラド川はそんなに大きな川ではなく、日本の川とも大差ない程度で、車で渡った時にはこれがグランドキャニオンを浸食したコロラド川か?と思ったのですが、そもそも外来河川ですし、あまつさえ上流に大規模なダムが幾つもあったりロサンゼルスに用水路で水を持っていかれたりしたならば、そんなものかもしれません。
昨今石油価格の高騰が頻々と伝えられており、カリフォルニア州でのガソリン価格は1ガロン当たり3ドル半かそこら(正確な数字は忘れましたが)して、日本のそれと大差ないくらいでした。ところが面白いことに、コロラド川を渡るとガソリン価格は1割くらい下がって3ドルそこそこ/ガロンになっていました。カリフォルニアは環境問題にやかましい州だけあって、ガソリンへの課税も高めに設定されていたようです。
そういえば、昔サザンパシフィック鉄道は、自社が使うための石油をロサンゼルス近郊の製油所で精製してからわざわざタンク車でアリゾナ州まで運ばせて購入していたという話があります。それは税金対策だった由。(この話や昨日のパットン将軍の父親の話などの出典は、機芸出版社『トラクションブック』の宮野忠晴「PACIFIC ELECTRIC 南カリフォルニアに展開された巨大電気鉄道網」)
アリゾナに入ると少し植生が変化し、電信柱のように立つサボテンが目に付くようになりました。カリフォルニアよりは植物が少し多いような気がしました。そんな『エル・カザド』みたいな(笑)風景の中をひた走り(この辺は米墨戦争までメキシコ領だったわけで)、昼すぎフェニックスに到着します。
フェニックスもまた延々と数十キロに及ぶ郊外が広がっており、それをつなぐ巨大な環状高速道路(南北約50キロ・東西30キロの巨大な長方形の左下隅が欠けたような形)が整備されています。それだけフェニックス都市圏が広がっているということなのでしょう。
どこを観光するかということで、とりあえずフェニックスの駅に行ってみることにしました。流石に百万都市らしく、中心部に入ると巨大なビルが幾つも聳え立っていますが、土地の使い方が鷹揚なので、ビルが並んでひしめいているという感じはあまりしません。
というわけでパーキングメーターに車を止め、駅の前に行って見ますが、なんだか柵で閉ざされています。近づくと柵が開きましたが、それはこの中で何か仕事があるらしい黒人のあんちゃんがたまたま通りかかって開けたのでした。で、その黒人男性氏曰く、この駅はもう使っていないのだとのこと。全米第6位の人口の大都市の中心駅だったのに、今はアムトラックにも無視されていたのでした。
なお、写真は一部を除きクリックすると拡大表示します。
以上の次第で駅には入れませんでしたので、次なる目的地としてフェニックス美術館 Phoenix Art Museum に行くこととしました。その途中、市街地で路面電車の工事が行われているのを発見。
架線は未設置だが軌道は整備済
長距離旅客鉄道の方は滅びたらしいフェニックスですが、市内交通機関としては復活するようですね。ちなみに物の本によると、その昔フェニックスには延長10マイルのささやかな路面電車があったそうで、フェニックスの中心部から北西のグレンデール Glendale まで走っていたそうです。1910年に建設され、1927年廃止とのこと。80年ぶりの復活ですが、前回のように20年持たずに廃止、なんてことのないように祈っております。
そんなこんなでフェニックス美術館へ。入ってみると常設展に加えて特別展二つが行われており、一つはレンブラントなどのオランダ絵画展、もう一つが戦前を中心にした流線型の自動車展でした。常設展+自動車展の切符を買って中に入ります(つまりケチってレンブラントは見なかった)。
自動車は実に見応えがあり、朝見たごつごつの戦車どもと対照的な、1930年代欧州車を中心とした流麗なラインを堪能しました。世界で一番速かった頃のアルファ・ロメオや、世界一輝いていた頃のフランス車、或いはチェコの名車、コッポラの映画で有名な悲運のアメリカ車タッカーと、これだけで充分楽しかったのですが、常設展もまたえらく見応えがありました。なにせアメリカ、展示スペースは広い広い。しかも一角に「拡張してカフェテリア大きくします」みたいな掲示もあり、まだまだ広げるつもりのようです。
常設展は芸術作品いろいろで、H氏のような教養人では小生はありませんので良く分かっているわけではないのですが(掲示も英語だし)、日本の浮世絵があったり、また渡辺崋山の鶏の絵があって感心して見入りました。また西洋絵画も植民地時代から現代に至るまで揃っており、まあ鑑賞眼のない小生ですが、肉付きも血色もよく見ている方も明るい気持ちになるような女性の絵画は18世紀や19世紀初頭の作品で、一方幽霊のようにしか見えない夜中見たらちびりそうな女性の絵は19世紀後半の作品で、ああやはり『倒錯の偶像』が述べていた通りだなと、アリゾナまで来て妙な感慨に耽りました。
さらにはご当地の芸術家の作品や現代美術作品もいろいろと充実しており、たっぷり2時間以上見て廻ったかと思います。実に大規模な美術館でした。これでレンブラント展まで見ようと欲張ったらもう1時間はかかりましたね。
フェニックスからは北上して、今日の宿であるフラッグスタッフを目指します。
その途中、フェニックス市内の鉄道公園? みたいなところにちょいと立ち寄り。ミシュランの道路地図にマコーミック・スティルマン鉄道公園 McCormic-Stillman Railroad Park と書いてあったので見てみましたが、ここはどっちかといえば子供向けの公園みたいなところでした。まあ入場無料でしたのでそれはそれでよし。
上の写真に、3月に行ったくりはら田園鉄道の話でも出てきた腕木式信号機の、ちょっと変わった形のが写っています。これは上りと下りの信号機を一つにまとめ、ランプを一つで済ませたタイプのものと思われます。日本でも明治時代には広く使われていたらしく、軽便鉄道では戦後まで残っていたとか。
この公園の最大の眼目の展示物は、次の貨車でしょう。
柵で囲まれているので分かりにくいのですが、よく見るとアメリカの車輌ではないことが察せられるかと思います。ネジ式連結器を装備しているので。展示を斜め読みしたうろ覚えなのであやふやですが、この貨車はアメリカ軍がフランスを解放した感謝の意を表す親善列車として運行されたものの一両なのだそうです。
そんなこんなでフェニックスを離れ、州際高速道路でフラッグスタッフに向かいます。フェニックスを抜けるときに、事故があった関係から少し渋滞しましたが、抜けてしまえば交通量も減って快適なドライブで、インターステート17号をひたすら北上します。沿道は標高が上がっていくためなのでしょうか、カリフォルニアより緑が多く、サボテンと潅木と草に覆われた山並みを越えて走ります。起伏があるのでそれほど単調な感じはしませんでした。交通量も多くなく快適なドライブで、運転していたK氏はオートドライブ機能を活用して、足を使わずに運転していました。
緑の緩やかな山並みを縫って北上する道路と送電線(烏帽子形鉄塔)
途中で運転はH氏に交代しますが、そのH氏の発案で、このまま州際高速道路でまっすぐフラッグスタッフに行くのではなく、途中で州道(179号と89号)に降りて、セドナ Sedona を経由して行こうということになります。セドナは赤い山の特異な地形で景勝地として名高いらしく、道路も山越えのなかなかドライブし応えのあるルートのようでした。この辺の道路の関係についてはこの地図参照。
というわけで片側2車線の高速道路を降りて、片側1車線の州道に入ります。速度も時速80マイルから50マイルへスローダウン。日本の基準ではまだ充分速いですが。
やがてセドナの山並みが見えてきました。赤く、また切り立った形をしています。モニュメントヴァレーには行けませんでしたが、これはこれで趣のある風景です。
セドナの街にはなにやら立派なリゾートホテルなどが立ち並び、保養・観光の拠点としてかなり賑わっているようです。もっとも今「セドナ」と日本語で検索したら、こんなサイトが見つかったり、他にも「癒し」「瞑想」「スピリチュアル」「地中のエネルギー」「ヴォルテックス(渦巻き:「エネルギー」が地上に出てくるポイントらしい)」・・・といった、如何にもなフレーズが次々と芋蔓式に出てきます。人様が感動しておられるのにとやかく言うのは無粋であるかもしれません。
でも思います。セドナの景色は美しい。それで充分じゃないかと。
この山並みは水平な地層がはっきり読み取れ、地質学的にもかなり面白そうです。なんか「精神的」なものを無理に持ち込むことはないんじゃないか、と。
その後、州道で山越えをしてフラッグスタッフに至ります。この峠附近は別荘地として人気があるようですが、これまで見てきた乾燥した土地と異なり木々が豊かな地域でしたので、それも頷けます。もっとも日本人からすれば、木々が多いということは見慣れた山道に近いので、そんなに感動はしませんでしたが。道はアメリカにしては狭く、センターラインこそあるものの路肩は無きに等しい箇所も多く、カーブも急でした。それだけ地形の険しい谷でしたので、インターステートはこの谷筋を避けてもっと東を通ったのでしょう。ちなみにこの附近を南北に結ぶ鉄道はもっと西を通っています。
そんなこんなですっかり日が暮れた頃にフラッグスタッフ到着。ロードサイド型店舗が各種立ち並び、そこそこの規模の街です。今日も昨日と同じチェーンの「高級モーテル」フラッグスタッフ店に投宿。もっとも保養地の店舗とビジネス客向けとでは方針が異なるのか、昨日の部屋より狭めで敷地一杯に建物を詰め込んでいるような感じでしたが。
夕食はデニーズ(笑)へ。店の内装が学食みたいに安っぽかったです。
それにしても、日本のデニーズって考えてみれば凄いですね。洋食のみならず、和食に中華にイタリアン、時には韓国その他各国の料理も提供しているわけで。その点アメリカは・・・。
以下、グランドキャニオン篇に続きます。