小田実氏の訃報に接し若干の感慨
尾篭な話で恐縮ですが、ここ一月あまり消化器の具合も思わしくなく。
表題の如く小田実氏が亡くなられたという報を新聞で読みました。
小生は氏の代表作『何でも見てやろう』を読んだことがあります。そも遡れば、本書の題名を知ったのは、北杜夫氏のエッセイを読んだ時のことでした。なんでもどこぞの書評に、小田氏の『何でも見てやろう』と北杜夫氏の『どくとるマンボウ航海記』を比較して、「小田実のユーモアは、北杜夫の白痴的ユーモアよりも数等優れている」などと書かれていて、読んだ北杜夫氏がフンゼンとするという話が載っていたのでありました。出典のエッセイの本が思い出せないのですが・・・。
で、大学に入ってから、確か何かのバイトで小田実の書いたものをざっと読む機会があり、その際に読んだ内容をMaIDERiA出版局の「今週の一冊」の中で使ったりもしましたが、その時に『何でも見てやろう』も読み通しました。結構面白かったですよ。
で、小生が小学生の頃から愛読していた『どくとるマンボウ航海記』と比較した時、一昔前の書評者が『マンボウ』を「白痴的」と評した理由が少し分かった気もしました。『マンボウ』には直接的な社会批評的内容は全くといっていいほどないのです。言い換えれば、小田氏の作品は『何でも見てやろう』という通り、世界一周して「見てやろう」という問題意識が強くあります。しかし『マンボウ』にはあんまりそういうのがないんですね。こだわって見に行くのはトーマス・マンゆかりの地ぐらいなもので、その問題意識の(表面的な)なさが評者をして「白痴的」と言わしめたのでしょう。
でも小生思うに、それこそが『マンボウ』の優れた点ではないかと。「見てやるぞ」と構えたところがない故に、出会った事象に対して普通の人には思いもよらない面白い観察と表現をなしえて独自のユーモア世界を形作っているのであります。まあ、これは当時の堅苦しい思想に嵌った(マルクスが堅苦しいのではなく、嵌り方が堅苦しいのだと、一応そうしておきます)書評者の目が曇っていたのであろう、そう思う次第。
肝心の『何でも見てやろう』の話に戻して、同書で小生が最も印象に残ったエピソードを以下にご紹介。
それは小田氏がギリシャに行ったときのこと、一ギリシャ青年が以下のように小田氏にぶちまけます。
「こんな国ってあるだろうか? 世界中の国の教科書で、最初のページではこれだけ詳しく登場し、その後二度と出てこない国なんて」
記憶にのみ頼っておりますのでうろ覚えですが、確かこんな趣旨だったかと。
言われてみれば確かに。日本の世界史の教科書では、その後登場するのは1830年の独立ぐらいですかね。しかしこのギリシャ青年の見方も今にして思えば偏っている面もあり、ビザンツ帝国とは事実上ギリシア人の国であったし、オスマン帝国でもギリシア人の存在は大きかったわけで。
近代ギリシア史をちょこっと読むと、近代のギリシアというのはかなり国家運営(特にキプロスの件とか対トルコ政策周辺)がアレな国のように思われ、しかしそんなハタから見てアレな運営をしてしまうのもこの青年がぶちまけたがごとき偉大すぎるご先祖の名が、強力なアイデンティティを形成すると同時に重荷になってしまっているからなのかもしれません。
話を戻して、兎角評判のある小田氏ではありましたが、ベ平連の活動はやはり時代に名を残すものであったと思うのでありまして、しかし結局その系譜を継いだ市民運動というのはできなかったのかな・・・。どうもわが国は「市民運動」というのが根付きにくい傾向があるのか、根付くような政策があまり顧慮されなかったのか、ネットの普及も必ずしもその傾向を変えるに至っていないのかと思うことがあります。ちょうど一月前の「アキハバラ解放デモ」のことなど思い出すにつけ。なんか小生がネットをやっていないうちにいろいろあったみたいですけど。
最後に余談。
「白痴」って変換候補に入っていないんですね。「白雉」はあるのに。