ファッショに近きものは絶対に不可の日
何とかまあ、不調は不調なりになんとかやっている今日この頃です。
今日は以前に仕込んでおいたネタをご披露。
全くもってどうでもいい話ですが、本日は第35代総理大臣・平沼騏一郎の生誕140周年でございます。平沼は1867年10月25日、当時の暦では慶応3年9月28日生まれだそうで。
そのことからちょいと思い出したことを簡単に。

個人的には、歴史書としての価値もさることながら、自分が子供の頃、同時代に見ていた政治家たちの様相が描かれた近年の箇所が、このような形で読むと意味が違って見えてきたのが面白い経験でした。同時代を生きていても、いやむしろ同時代だからこそ、一歩引いて眺めて評価するのは難しいのかもしれません。
さて、この本の平沼騏一郎の項目に記されていた、平沼のリーダシップを評した箇所が大変面白いので、以下に引用しておきます。執筆は村井哲也さんです。あらかじめ平沼の事跡をこちらなんかで読んでおくと、より一層分かりやすいでしょう。
平沼は結局、近衛内閣から継続された施策を行ったのみで、わずか八ヶ月で辞任した。時流に乗って政界に隠然たる勢力を誇ったものの、首相として明確な方向付けを示すことも出来なければ、強力に政策を実行することもできなかった。平沼は、首相退陣後においても、それまでの現状維持勢力に対する攻撃同様に、近衛らの国内革新政策への攻撃をも強めていった。そしてそれは、かなりの威力を持ち得た。リーダーシップを阻む勢力としては、相変わらず強みを発揮したのである。つまり平沼の政治力は、首相としてリーダーシップを発揮する時ではなく、在野の時にこそのみ、輝くものであった。ひとたび首相となった時には、持つべき施策や構想も、各勢力を強力に束ねて行くリーダーシップも、持ち合わせてはいなかったのである。(p.125)なるほど。
もっとも、これは平沼に限らずとも、類似の事態は世にまま見られることではあると思います。政治的方向性は勿論左右問わず。
ついでに話を広げれば(こないだの記事の続きの意味も少し込めて)、ネット上の言論というものの方向は、往々にして攻撃すること(disる、とかいうらしい)の方向に向かいがちのような気も致します。まあ、議論を積み重ねて何かを作るというより、バトルやる方がゲームとしては楽しいし盛り上がるからなんでしょうか。しかし何か目的があって議論する、ということには不向きだとすれば、ネットの使い道もあんまり大したことはないのかもしれません。
こないだの記事の続きは、不調だし時間ないし、正直どうしようかというところです。最近あまりネットを見ていないので良く分かりませんが、古澤書記長の活動もヲチャの人たちが新顔含め? また登場していたり、色々あっちこっちに論争広がったりして、大体どうもネットの論争というのはとめどなく拡散して議論の目的も筋道も訳が分からなくなっていくことが間々あるように思われたのでありました。
まこと、ネットの論争は複雑怪奇、なんて。
それだけに先帝陛下のご聖徳を偲び、ご遺訓を以って表題とさせていただいた次第であります。
by bokukoui | 2007-10-25 22:53 | 歴史雑談 | Comments(4)

ただ、官僚制とは保有する学位と資格により序列が決まるので止むを得ないでしょうね。

http://www.amazon.co.jp/戦後日本の宰相たち-中公文庫-渡辺-昭夫/dp/4122038278/

地位に相応しかった人物でなかったことは確からしく思われますが、それしか選択肢がないような状況に陥ったことこそが悲劇だろうと思います。「やむを得ない」とはしたくないですね。
>某後輩氏
そんなに値の張る本ではないので、一つお求めになられては如何でしょうか。
>東雲氏
平沼は国本社を組織するなど、「何かやる」ように見えたから一定の支持が集まったのでしょう。ただ作り上げた組織自体、「追及」以上のことができたかは確かに怪しいかもしれません。