ケン・パーディ『自動車を愛しなさい』雑感
日曜日に某学会に行って色々な方の発表を拝聴し、それ自体は面白かったものの、自分の研究が諸事情により数ヶ月は進展していない(そして最も楽観的な予想でもあと一月は進展しそうにない)ことを改めて意識してそっちでは面白からぬ感情に陥ったことは、日曜日の記事に書いたとおりですが、小生の一応の研究課題は電鉄業史ということになっております。で、それについて色々考えているうちに、日本における電鉄業(含沿線開発)の成功はつまるところ「幸福」のあり方をパッケージ販売できたからではないかと漠然と考えるに至りました。この「幸福」は、近代家族像と密接な結びつきを有しているというのが小生の所説です。
さて、戦後の日本では(世界中どこでもですが)自動車が発達して陸上交通の主役の地位を奪いました。で、それが成功したのは、交通機関としての利便性のみならず、自動車こそが「幸福」の象徴となったからなんだろうなあ、と思います。これは近代家族的なものでもヨリ個人主義的なものでも(当初は「権威」の象徴で、その性格もなお保持)、広い「幸福」を拾うことが出来て、だから鉄道よりもっと優秀な「幸福」の象徴になって世界中に広がったんだろうなどと思うのです。
ま、この辺の話は、以前スタインベックとあらきあきらについて書いたときにやったことの繰り返しなのですが、そういう次第で自動車のことも知らなければ、それも交通機関としての特質のみならずそれが擁している文化的性格についても、と思ったのですが、なにせ小生は鉄道趣味者で自動車に対して思い入れがないので、ひとつ何か本でも読んで手がかりを得てみよう、そう思って何冊かの本をこれまで買い込んできました。
で、やっと本題ですが、だいぶ前に古本屋で買って読んだのが表題の ケン・ハーディー(高斎正訳)『自動車を愛しなさい』(晶文社) でした。(この本は絶版です)
散々っぱら前置きを書いておいてなんですが、この本は以上の小生の関心に直接答えてくれる本ではありませんでした。でも、なかなかどうして面白かったので、感想をここに簡単に記す次第です。
この本は、アメリカ人の自動車愛好者が1960年に出版したものを1972年に翻訳したものです。ですから、書かれている内容は今から半世紀前のことになります。これがなんとも興味深いのです。
1950年代といえば、第2次大戦の勝利後、ヴェトナムでの挫折の前というわけで、アメリカにとっていわば「我等の生涯の最良の」時期であったともいえ、自動車もでっかいことはいいことだ、的な価値観が浸透していたようです。その問題点は当時、まだあまり認識されていなかったようですが、パーディは大型車への盲信を戒め、ヨーロッパでは当時から多かった小型車の利点を説き(フォルクスワーゲンは既にアメリカでも大人気だったようですが)、安全の大切さ、運転において安全をどう心がけるべきか、ということを縷々説明します。当時はまだシートベルトはほとんど普及していなかった(あっても前部に2点式)ようですね。
といって、単なる啓蒙的な解説ばかりではなく、ある章ではレースに命をかけた男たちの姿を生き生きと活写し、啓蒙的内容でも時には小説の形を、或いは軽妙な筆致を採って楽しく読ませてくれます。
隔世の感があるのは、安全性についてアメリカの大型車盲信を批判し欧州の小型車を評価している(日本車は時代柄ほとんど登場しません)一方、燃費や排ガスの問題は殆どといっていいほど触れられていないことです。
当ブログに折々コメントしてくださる某後輩氏は自動車に詳しい方ですが、先日東京モーターショーを見に行かれたそうです。ところが余り面白くなかった、というのも各社のコンセプトカーを見ても「エコ」がどうこうとかばかりで、どうも夢がないという趣旨のことを仰っていたのでした。結局「エコ」「環境に優しい」「低燃費」という売り文句は、あんまり人の未来への夢を羽ばたかせるようなものではない、言い換えると自動車を通じて人間が何かを手に入れられるというより、何かを失わないで済むという、そういうものに過ぎないからでしょう。
その点、やはり1950年代のアメリカは夢一杯だったんだろうなあと、本書を読み終えて小生は感じたのでありました。安全という問題はあっても、それはメーカーとドライバーの意識次第で改善可能。車社会の行き詰まりなんてことはなく、自動車がいわば未来と幸福の導き手と思われていたのでしょう。
20世紀は、ロシア革命に始まってソ連崩壊で終わったという言い方がよくされますが、その間の共産主義世界が掲げていた革命によって実現されるとされた理想に、資本主義側で立ち向かったイコンは、自動車だったんじゃないかと最近思います。20世紀、共産主義と対抗して勝った思想は、庶民レベルでは「拝車教」だった、というわけで。
ま、これは大風呂敷に過ぎるにしても、日本でも自動車が権威の象徴から大衆の幸福の象徴へと移り変わった時代が高度成長期で、自動車は恋愛やマイホームと密接な関係を保ちつつ、「幸福」のイコンとして確乎たる地位を築いたのだと思います。しかし最近は若年層が自動車にあまり関心を持たなくなってきているといいます。「幸福」のあり方が変わってきた(このモデルの限界が明らかになった)ということですね。
ではその代りに、「幸福」を齎してくれる新たなイコンはというと・・・セグウェイ? DMV? 違いそうですね。無難な答えは「ネット」ですかねえ。もう現時点で既にイコンとしての神通力が崩れている気もしますが。ま、その新たなイコンかもしれないネット上で、「革非同」古澤書記長の如く旧来の「幸福」の価値観の代表としての恋愛を批判する人が出てくるのも道理でしょう。それと関連して、自動車の消費社会史も研究するに値すると小生は思います。
で、その古澤書記長の近稿「非モテの闘い方、あるいはF-1に戦車で出ること。 」の表題を見たときに、本書の中でパーディがアメリカ人の大型車信仰を批判した箇所が思い浮かび、思わず噴き出してしまったのでした。以下に引用。
メンケンは正しかったのだろう。平均的アメリカ人の無知さ加減には、説明することばを持たない。小さな自動車に乗っていると、それがどんな小型車であっても、こう言われるだろう。「誰かにぶつけられたらどんなことになるか、気になりませんか? そんなに小さな自動車で」と。第一ナショナル銀行ビルの大金庫のあるところへ、時速五〇キロのスピードでぶつかって行くとしたら、内張りのしていないシャーマン戦車と、フォルクスワーゲンと、どちらを選ぶだろうか? 戦車だって? 馬鹿。私ならフォルクスワーゲンを選び、すばらしい安全な戦車の中から、あなたをひっぺがす道具を探している救助隊をゆっくり見物させてもらうよ。フォルクスワーゲンの前部は、見たとおりの柔らかい金属板で出来ており、衝突するとしわくちゃになるが、運転している私が少なくとも生きていられる程度の割合で、スピードを落としてくれる。あなたの乗ったシャーマン戦車の装甲板は一ミリたりとも凹まず、運転しているあなたは時速五〇キロのスピードで、冷く硬い金属にぶち当たる。そしてあなたは神のみ許に召されるわけだ。(pp.222-223)ま、あんまり本題と関係ないですが(書記長の記事の問題点は、誰にどのような意志を認めさせることで勝利になるのかが意味不明なところでしょう)。しかしシートベルトが普及せず、恐らくクラッシャブルゾーンなんて言葉の知名度もなかったであろう頃の、時代の雰囲気は察せられます。
本から話が随分逸れましたが、ま、それだけ色々アタマを刺激してくれる面白い本だったということで。
ほとんど触れられていないことですが、戦後アメリカ自動車文化の基本は復員兵が払い下げのハーレー(及びインディアン)をカスタムするところと、レシプロエンジン用の高オクタン燃料が払い下げられるところから始まります。(カタログを調べると分かりますが、戦後、急激に圧縮比が上がります。)
大学や職場に戻ってきた元軍人(戦勝国なので英雄です)は嫌でも自動車及び、内燃機の教育を受けています。
彼らの中に暴走族となるもの(初期暴走族の幹部はほとんど航空兵科出身です。)レース方面に行くもの(こちらも航空兵科が多いです。日本でいえばヨシムラと同じです。)がおり、特にレース方面とメーカーが組みハイパフォーマンス路線にアメリカ車はシフトします。(特にクライスラー。)
ある意味、ハーレーが経営的に難しくなるのは、アウトロー路線を切り捨てることが出来ず(勝手に愛国者を自称しハーレーで犯罪をするのは止められないでしょう。)ホンダが「ナイセスト・ピープル・キャンペーン」を始めたところ、急速にシェアを下げました。
食料・生活用品を買うチェーン・ストアは車を前提としていて、住民は郊外であるサバブ・エリアに殆どが暮らしていてそれらを利用し、繁華街であるダウン・タウンの商店街は空洞化が進んでいます。
日本でも地方に行くと「車が無いと生活できない」風景が、どこの土地に行ってもデジャブーのように広がっています。
鉄道路の充実する早さよりも、人口が伸び居住区域が新開拓地に薄く広がる早さの方がまさっているからだと思います。
自動車のCMのキャッチフレーズに注目してみると、確か昭和40年代だったと思いますが、カローラとサニーが覇権を争っている頃、どちらかがモデルチェンジしてやや大型になった時のキャッチが「隣の車が小さく見えます」。また2000年代に入ってから、確か日産のセレナのCMだったと思いますが、「モノより思い出」というやつ。いずれも墨公委さんの仮説には大変示唆的なもののように思えるのですが…。
どうやら欧州の場合は小排気量で出力を得る必要があったのに、日米に比べてエンジン技術が終わっていたために、1970年代以降の排ガス規制の強化をひたすら高圧縮比のエンジンで乗り切ろうとして、石油業界とメーカーが手を組んだかららしい。
ちなみに、1990年代初頭には欧州でも全面的に日米波の排ガス規制が導入されて、ましになりましたが、それまで20年ほどの欧州車の日米輸出仕様は触媒でパワーが悲惨なことになりました。あるいは大排気量、低圧縮比で乗り切ろうとしたようです。BMW528e、750iL、メルセデス560SEL、デイムラーダブルシックス辺りです。まあ1980年代はフルサイズのアメ車も出力は悲惨で、5L140馬力なんて当たり前でした。もちろんこれらは燃費もけっこう悲惨です。
けっきょくビートルは車ではなくて若者の安いおもちゃ感覚に終わってしまったし、マスキー法以降の排ガス規制にも対応できず、後継のゴルフ一族も全くアメリカ人には評価されなかった。
ピエヒにしてみれば、北米ではアウディーの上級車とポルシェが売れればいいのでしょう。
測定方法、表示方法の違いは、字数の都合で書けませんが、興味がある方は調べてください。(実質上、日本とほぼ同じオクタンです。)
ガソリンの技術で一番劣っていたのは、旧ECです。(先進国で)
有鉛添加剤にかなり頼りきり(4輪で80年代後半、2輪では90年代初頭まで有鉛指定されていました。)ポルシェなどは日本製ガソリン、米国製ガソリンを入れると、出力が上がり、排ガス規制も誤魔化せました。
色々と詳しいご指摘ありがとうございます。
家族で一緒に乗るわけには行かないバイクは、近代家族的価値観と結びつけるのは元々難しいとは思いますが(東南アジアとかではカブ一台に一家乗ってたりするようですが・・・)、そんなバイクでもホンダがそういったキャンペーンをするというのは興味深いところですね。
暫くは忙しいので難しいですが、そのうち茂木のサーキットには行きたいですね。ついでに真岡鉄道の蒸気機関車も。レシプロエンジン発達史、なんて。
>ラーゲリ氏
久方ぶりにお言葉をいただけ、もったいなくも嬉しく存じます。
この「最良」の時代、GMはディーゼル機関車を生産して蒸気機関車を絶滅させ、電車をバスに置き換えた(これの意味については諸説ありますが)ので、小生はあんまり好きではなかったりします。アメリカのディーゼル機関車マニアの中には逆にGMしか乗らん者も居る由ですが。
>某後輩氏
道路マニアも立派な「自動車に詳しい」人です。車輌と地上インフラとの間でマニアが興味をどういう比率で振り分けるかという点で、鉄道と自動車にはかなり差がありそうですが。
鉄道による郊外の形成から自動車の普及まで、アメリカは20年もかからなかったのに対し、日本は半世紀ぐらいかかりました。ここが多分、地理的な条件の次に日米の郊外の差を生んだ理由なのだろうと思います。
日本の現状の地方は、18・19世紀の開拓地からはじまったアメリカとは必ずしも同じ経緯ではないかもしれませんが、同じ自動車の威力に服したことにより、似たような状況になったのかもしれませんね。
>らくた様
情報有難うございます。
自動車業界は元々広告に積極的な業界のように思いますし、広告を時系列で追っかけることで自動車に対するイメージの変遷を跡付ける、という研究は是非誰かがやるべき(小生は電車で手一杯で・・・)ものだと思います。挙げていただいた二つの言葉だけでも充分示唆的なものを感じますので、きっと意義あるものになると思うのです。
>憑かれた大学隠棲氏
燃料の本ですか。これは確かに面白そうですね。電気の本は幾つか読んだのですが、石油の本はあんまり読んだ覚えがないので、機会があれば是非。
オクタン価や排ガス規制など、国による規制の方針の違いと技術的なメーカーの対応とが、地域ごとに特色があるのは面白いですね。そして小生が関心があるのは、それが各国の国民の諸階層が自動車に対して抱く夢や憧れ(場合によっては敵意や幻滅)にどういった相違や共通点を齎したのかということです。これを検討するのはなかなか難しそうですが・・・。自動車に対しより受身にならざるを得ない途上国の場合とか、いろいろ発展しそうな課題ではあるのですが。
懇切なコメントありがとうございます。
確かにオクタン値の表面上の数値だけいったのは、不適切でした。ただ」「ほぼ同じ」というのが曲者で、日本のレギュラーと87は全く同質とはいえないという結論のみを覚えていましたが、誤りだったのでしょうか?(最近の激安スタンドのレギュラー業者転売ものにはかなり低質なものもあるようですが)
ポルシェの話は初耳です。それなら欧州仕様より日本仕様の方が高出力(ポルシェクラスの量産車なら日本の基準で厳正に出力を測定しないと正規販売できません)であった事例があるはずですが、聞いたことがありません。1980年代の高性能ドイツ車は、いかに性能がガタ落ちした日米」の正規輸入車を避けて個人輸入で本国仕様を手に入れるといった世方向の話ばかりだと思っていました。確かに当時の日本の無鉛ハイオクなら鉛なりの欧州ガソリンより高品質だったでしょうが、出力向上の話は聞いたことがありません。具体的な事例をご教示いただけないでしょうか?
激安、業界転売物は何が何だか分からない代物です。
実を言うと、ガソリンの実オクタンを、オイルメーカーに出し検査をしたことがありますが(バイク便の会社、仲間と共同でやりました。)その理由は、仲間のバイクが、不良ガソリンで故障をしたからです。
結果としては、レギュラーは概ね90オクタン以上、95を超えているものもありました。(メーカー系の保証がついている店の話です。転売物はオクタン以前として不純物が混ざっている場合がほんの少数ですがありました。)
ハイオクは98から105ぐらいの間でした。
欧州仕様車がカタログ上、高出力を出せたのは、有鉛(バルブの冷却性が向上します)と点火時期の恩恵が大きいです。
逆にいえば、欧州仕様(有鉛、点火時期本国仕様)ではかなり弄くらないとガス検が難しいです。(有鉛ガソリンは使えません。53年規制車は概ね検査を落とされます。)
北米、日本仕様では点火時期を本国仕様とし、無鉛ハイオクを入れると欧州仕様より出力が向上するのは、ポルシェ屋や最高速系の人々の間の常識的チューンでした。余談ですが、陸運の前でオーバヒートの直前まで空ぶかしをしてガス検を受けるのも常識でした。八王子の陸運はポルシェ(ターボ)がいると、排ガスと音で迷惑でした。
どうやって、ミツワが自社工場で通したかは「謎」です。
スバルに関しては現車を確認していないので何とも言えませんが、経験上、ターボ車のほうがノッキング(高速ノック)に対し致命的なダメージを被ります。
これらの話は、十年以上前のことなので今日でもそうかどうかは分かりません。
もしも、ご興味があるのであれば、古い改造屋、レース屋(特に谷田部最高速系統のお店)に行かれるとデータを見せてくれるかもしれません。
なお、墨東公安委員会様のHPの趣旨と異なる話(鉄道ですよね?)をしてしまい申し訳ないと思います。
失礼しました。