『おしおき娘大全集』雑感~「萌え」はソースかケチャップか
おしおき娘制作委員会編
でまあ、以前「将来的には拷問・処刑・虐殺も『萌え』対象となってゆくのではないかと考えております」等と書いた者としては、そしてまた昔電波サークル・原辰徳前監督の企画で美少女ゲーム『SNOW』をやった時に「女の子の処刑方法でどれが萌え度が高いか」などと書いた者としては、やはりこれは触れずばなるまいと思い、所用のついでに買ってきました。今年の夏にはヒロインが主人公の男の首をちょん切ったり、別なヒロインの腹を割いて胎児の有無を確かめるなどというアニメが制作された(が、諸般の事情により放送はされなかった)という事件があったと仄聞しておりますし、小生が冗談半分に書いたことが実現しているのかもしれないと、些かの期待を持って一読しましたので、以下に簡単に感想を述べる次第です。
まずご参考までに、この本の発行について触れている・或いは感想を書かれているサイトで目についたものを以下に挙げておきます。
・株式会社アットプレス
・A-kiba.comの特別ページ「おしおき娘大全集」
・アキバblog「『おしおき娘大全集』発売 スク水ニーソで絞首刑ほか」
・オタロードblog「歴史上の拷問・刑罰・処刑を萌えイラストで解説した『おしおき娘大全集』 発売」
・Channel Dive「『おしおき娘大全集』発売―
・2ちゃん「【書籍】「おしおき娘大全集」発売―
・ロリコンファル「聖女と卑語と、現実を超えるエロス -古今東西卑語はエロエロ!-」
・エンシェント―brote del frijol―「感想/おしおき娘大全集」
・うそ絵日記vv「今日の気になったこと-11/19 」
・ウソツキハウス(別館)「ストロングスタイル」
・変態観測日記(2007.11.17付)
とりあえずこんなもんで。
※追記(2009.7.5.):「ロリコンファル」閉鎖に伴い記事はこちらに移転
さて、本書を読まんと手に取った小生、この手の本を読むときの定番の手法として、まず後ろからめくって参考文献ページを見ました。この本の参考文献は1ページ(かなり細かい文字ですが)、題名の五十音順に並んでいたのですが、先頭が『あずまんが大王』だったので、まずそこで些か腰が砕けました。『賭博黙示録カイジ』とかも載ってるし。
気を取り直して読むと、結構知ってる本や持ってる本があるなと思いつつ、ちとアレだなと思ったのは、この分野の古典である名和弓雄『拷問刑罰史』が載ってないということでした。いや、「中世ヨーロッパの拷問や刑罰を中心」だからなのかな? その割には石井良助『江戸の刑罰』(中公新書。1964初版で今でも新品が買えるロングセラー)は載ってるけど。
出端を挫かれつつ本文に取り掛かります。
・・・だめだこりゃ。
これで終わりにしてしまっては流石に手抜きなので、何がどう駄目だと感じたのか、もうちょっと説明します。
上に挙げたリンク先の、変態観測日記さんが書かれていた「グロ大好きなホンマモン(?)には物足りなくて、この手が一切ダメなヌルい奴には少々厳しいだろうからストライクゾーンは狭いかも?」というご意見に比較的近いのではないかと思いますが、要するに「萌え」と処刑・拷問ネタとを、適当につなぎ合わせてしまったために、焦点のずれた浅いものになってしまったということです。
資料的価値、という面では本書はさほど使えません。一つの拷問・処刑トピックにつき文章は1ページだけですから、濃くはなりようがないでしょう。また絵の方は、流血皆無でまったくグロ分を抜いたために、拷問や処刑を語る時のときめきやおののきというものがなくなってしまって、そして勿論資料的価値はどれ一枚として全くありません。事実関係についても、ん? と思うところが幾つか散見されますが、どうも本書の編集者は中世と近世の区別がついていないのではないかと思われます。p.140の「中世おしおき事例集」9例のうち、年代が中世なのは2例しかなく、あとの7例はみんな近世です。アンシャン=レジームは中世じゃないですよ。
しかしまあ、こういった本でそのような些事をつつくことは余り意味がないとは思えます。ネット上の拷問・処刑・猟奇の系統のイラストを発表しておられる方々の作品にしても、事実は踏まえつつもやはりご自分の妄想を前面に押し出して、それが魅力となっておられる、そんな方は幾人もおられます。
でまあ、本書の場合何が問題かというと、そういう事実の誤りを吹き飛ばして読者の心を鷲掴みにする、そんな力が全然ないからなのです。「萌え」で幾ら糊塗しても、力の無さはどうにも否めないのです。
以上の小生の見解はしかし、本書の絵師の方々の画業をけなそうという意図は全くありません。そもそもの企画に問題があったと捉えるべきです。
なぜなら、上掲リンク先上2つにある絵師リンク集を辿って絵師の方々のサイトを瞥見すると、どなたも拷問や処刑ということへのこだわりを持っておられるようには見られないのです。裏サイトとかあるのかもしれませんが・・・しかし18禁画像を展示しているサイトへもリンク集は繋がっていいるので、その可能性は余りなさそうです。唯一サイトを持っておられないほしのふうた氏については、奇しくも小生が唯一マンガ作品を所有している(所有していること認識している)のですが、その作風もまた拷問や処刑といった世界からは程遠いものだったように記憶しています。
要するに、拷問や処刑に対し思い入れがあるとも必ずしもいえないような絵師の方に描いてもらっているために、面白くないのです。この本は見開きの左側に拷問や刑罰の解説、右側にその絵という構成になっていますが、右側の絵だけ見てこれが何の拷問法や処刑法なのか判別するのが困難な絵すら散見されます。
であれば、編集部は
・拷問や処刑が大好きな絵師に発注する。
・「萌え」の絵が得意な絵師に、拷問や刑罰について充分な資料提供や絵の内容への注文を行う。
のいずれかの方策を採るべきだったのではないかと思われます。しかし編集部はそういった配慮を欠いていたものと見えます。特に拷問や処刑への嗜好を持たれない絵師の方に発注しておきながら、編集部がその面で絵師の方々をサポートする努力をしなかった、それはおそらく、編集部も充分な拷問や処刑への思い入れをもった人材を欠いていた、或いはそういった偏った嗜好の持ち主相手の書物を編む際のツボをよく考えなかった、そういうことなんだろうと小生は推測します。
オタクの好きな「萌え」の範囲がどんどん広がってきている、拷問だの死刑だののグロ分野もオタク(マニア)がいそう、じゃくっつけるか、その程度の発想だたのでしょう。こういう偏った世界のマニアの心情は(おそらく)近年の「萌え」オタクとは必ずしも単純に接続しうるわけではないのではないかと小生は思います。そして、極論すれば近年の「萌え」的な志向の限界を、垣間見せたのではないかとすら思うのです。
ここで些か話が飛びますが、小生が当ブログ開設間もない頃に書いた記事「『萌え』の魔の手に気をつけろ」を、ありがたくも書いてから一年以上経って引用してくださった方が居られまして。
MetaNest Annex さんの「オタク踏み絵---あなたはどちらのオタク?」という記事です。で、そちらの記事中で拙文と対比されているのが、モノーキーさんの「オタクに受けたヒロインはユーザーに都合の悪いキャラ / 萌え絵がオタクの水先案内人」という記事の後段でした。その部分を引用しておきます。
オタクは美少女絵であったらなんでも受け入れられる人種。これを読んで、小生はなるほどそういう見方もあるのかと感心し、ゲームのような創作物ならある程度その説は有効かもしれないと思いました。しかし今回のような、事実に関するマニアックな知識を集積するような場合にもそれが有効かは疑問なしとしません。
昼ドラは受け入れられないけど、萌え絵テイストにした「君が望む永遠」なら受けるとか。
美少女絵要素があればどんなジャンルでも食えるのがオタクの強み。
「ハードボイルド+美少女」でニトロプラス作品とかさ。
「歴史モノ+美少女」とかさ、萌え絵があればどんなジャンルでも面白ければ食ってくれる。
オタクにとって萌え絵ってのは面白さの水先案内人なんだよね。
他のジャンルでも萌え絵で繋ぐだけでオタクが興味を持ってくれる。
オタクに新しい可能性を見たり、注目を浴びた原因ってのはそういう部分じゃないのかなと思ったり思わなかったり。
拷問や処刑でも、或いはミリタリーなどでも、これが「萌え」とくっつくことで、描写は事実をベースにしつつ「萌え」の文法に書き換えられます。それを描き(書き)、また読んで理解し楽しむ場合、元の事実を知っていることがある程度必要なのではないかと思うのです。「萌え」の好きなオタクが、「萌え」に惹き付けられてこういったものに手を出しても、果たしてそこから「萌え」を剥ぎ取って、元の事実の集積にまで手を出すということはどれだけあるでしょうか? 無いとはいいませんが、従来の、そういった分野に手を出すに至る経路に比べてより有効とも思えません。むしろそうやって手を出した「萌え」オタクの多くは、「萌え」の目先の新規さを追いかけてあっちこっちへと放浪し、一つの分野を掘り下げるには至らないのではないかと思います。
なぜ小生がそう思ったのかといえば、この『おしおき娘大全集』をアマゾンで見たとき、「あわせて買いたい」や「この商品を買った人はこんな商品も買っています」は、『らんじぇりー大百科 (萌える大百科)』だの『萌え萌え制服図鑑』だの『ヤンデレ大全』だの『どくそせん』だの、この手の「萌え」+ネタ、的なものばかりであって、モネスティエやK・B・レーダーの書籍が入っているわけではないからです。
「萌え」の定義って難しいですが、ある対象への好意的思い入れの総称、くらいのことが一応中心的意味だったはずです。ただ、その使われていた世界が、所謂アキハバラ系のオタク方面で、そういった世界で一般的な表現技法と強い結びつきを持つに至ったため、思い入れという心情と共に、表現技法そのものを意味するようになった面もあると思います(「メイド萌え」はメイドへの思い入れですが、「もえたん」は英単語への思い入れとはいいにくそうです)。で、「萌え」という言葉と密接に結びついた表現技法とは、所謂「二次元」の美少女キャラクターと密接な関係を有する表現技法のため、「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠≒「萌え」という意味も生じたといえるのではないかと考えます。最近メディアで「萌え」が話題になる場合など、むしろ後段の意味の方が多いのではないでしょうか。
で、その場合、ある対象に対する思い入れやこだわりという性格が薄くなってしまい、ただ「二次元」の美少女キャラクター的な諸々の意匠や「属性」等への嗜好ばかりが目立ってしまって、そういった「萌え」的意匠のテンプレートにのっかったものを消費している、それだけのことになってしまっているのではないかと思います。
話がえらく長くなってしまったので
テンプレート化した表現技法である「萌え」と別の話題を結びつけても、その話題そのものへのこだわりが無ければ結局詰らないのです。そして、既にその話題へのこだわりや知識がある人が「萌え」を使って遊ぶことは比較的容易でも、「萌え」の表現技法で寄ってきた人がその話題へのこだわりを持つようになることはそれほど容易ではないものと思います。
いわばこの場合の「萌え」とは、ソースやケチャップのようなものなのではないか、小生はそう思います。何でもだばだばソースやケチャップをぶっかけて食べる人の味覚センスが洗練されたものとは思えませんが、同様にどんな分野の話題にも「萌え」をぶっかけて消費している人が、そういった話題に対しこだわりを持っているとは考えにくいわけです。微細な味わいを殺してしまう、ジャンクフード化してしまう、「萌え」にはそういった副作用があるのではないでしょうか。現状の「萌え」の広がりは、ジャンクフードに馴らされた舌の人々が、片端から何にでも「萌え」のソースやケチャップをぶっかけている、そんなことではないかと。
本書の場合、「イジメられる美少女たちの姿に萌えまくる」と本書の惹句にはありますが、そもそも「イジメ」と「美少女」と、どっちに力点があったのでしょう。拷問や刑罰でなければならない必然性が感じられないのです。ついでにいえば、「美少女」の方も問題があるのではないかと思います。なな菜とのの乃の姉妹喧嘩という設定があっても、拷問や刑罰の絵で、刑吏役や犠牲者役がなな菜やのの乃というわけでもないので(もしかするとそうなのかな? という感じの絵もありますが)。せっかくの設定を生かしてない感がします。
上に挙げた本書に関するリンク先のご意見について、「オタクの文化水準」さんの「『おしおき娘大全集』への疑問」については、本書の弊害を憂う必要など無い、なぜならば本書にそんな力は無いから、そう思います。「ただのサディスト」にすらなれていないところがむしろ問題かもしれません。また、「ロリコンファル」さんのように「この企画を立てた人は天才」などと持ち上げる価値もありません。「萌え」をなんにでもぶっかける昨今の商業的状況からすれば予想可能なことでしたし、また本書は「間取り(ママ。間口?)の広い」でも「デカダン」でも「ペダンティック」でもありません。それは確かに編集部の能力によるところが大きいですが、縷々述べてきたように、畢竟「萌え」とネタのくっつけとは、その話題へのこだわりを深めるようなものにならないのではないかと思います。
こだわりなしに「萌え」という表現技法やその方面の意匠とくっつけても面白くはないわけですが、こだわりと「萌え」との関係が希薄化している以上は、そういった傾向は今後も続くでしょう。
・・・うーん、まだ処刑ネタで語りたいことはゴマンとありますが、既に矢鱈と長いので、これにて終了。
なお、小生はトンカツを食べるのにソースをかけず、オムライスを食べるのにケチャップをかけない人間です。
思いついたので。
やはり本には志(こころざし)というものが必要と思います。
ちなみにこの本の表紙の絵師の未識魚さんはosakana.factory というサークルで女子小学生ノースリーブ・フルカラー本「Little Moon Night」を発行していて、現在Vol.2 まで出ていますが、「あー、この人って本当に幼女の腋の下が大好きなんだなぁ」という気持ちが痛いほどに伝わってきます。
志すら伝わってきます。(笑)
が、拷問、虐殺の要素は希薄と思えます。
別の分野なら本領を発揮する絵師さんを可愛い絵、という点のみで穴埋めに発注したというのではないでしょうか。
出版社側がそんな編集意図では、たとえ**さん、@@さん(場所柄を考えて特に名を秘します)に発注してホンマモノの責め絵を載せたとしても、本全体では散漫な印象になったのではと考えます。
試し斬りは、元は実用的価値があったのでしょうが、江戸時代においては刀剣のブランド価値を高めるためのものであった様に思われます。割と実際的な意味だったかと。
>ラーゲリ氏
医療とこういった方面とは、結構紙一重なのかもしれません。ギロチンでちょん切られた首に意識が残るか、犬の血をポンプで送り込んで実験しとった連中も百年ばかり前にはおりましたし。
まったくご指摘の通りと思います。志はなにより重要ですね。
**さん、@@さんにあてはまるのは、やはり・・・
未識魚さんはMIAUの発起人の一人だそうですが、それはともかく、腋の下へのこだわりは確かに相当のものとサイトを見て小生も思いました。編集がその未識魚さんの志を、このお題に繋げる力が無かったのはまことに遺憾です。
ノースリーブと磔の関係については、斯界の権威(?)である銀茄子さん
(http://www2c.biglobe.ne.jp/~agnus/)が、
その作品「霞柵(その3)」(トップ→画廊→諸刑紀で探してください)の中で論じられておりますが、こういったことに思いを巡らせる人材がいなかったのでしょうか。
もっともいたとしても、そのこだわりを受け止めようという読者が、「萌え」方面にどれだけいるのかは、やはりこれも疑問ですが。