「明日こそは」という明日は来ない(極私的オタク論その4続き)
しかし、ネットやってる人間の多くにとっては、感覚として「日付が変わる」のは決して午前零時ではない、いやネットに限らずラジオのリスナーとかもそうなのではないかと思います。ですからブログの日付欄ももっと柔軟性があればいいのに、と思わなくもありません。
言い訳はともかく、この記事の続きですが、実はTa283氏のご提示の論点については、こちらのコメント欄で一応述べましたので、それで済ましてしまってもいいのですが、あまりにも悪文であることは明白であり、もう一度つらつら書き直してみたいと思います。
分かりやすくするため、小生の思っていることをいくつかの論点に分け、なぜ小生が「鉄オタ」「軍オタ」という表現に疑問を感じるようになったかを、順を追って説明しておきたいと思います。
その1:鉄道趣味者と軍事趣味者(兵器等に興味のある人)は近縁種である。
この点の説明のそのまた一部だけで前回の記事は終わってしまったわけですが。趣味としての特徴については以前の記事で触れました。
興味の対象そのものも、社会に多大な影響を及ぼした巨大なシステムという点で共通性があります(19世紀に登場した近代的企業として最大の組織を形成したのは鉄道業でした。産業革命の旗手である綿業なんかは、規模はそれほど大きくはなかったのです。ですから今日の巨大企業の組織の源流は鉄道会社にあるとも言えるのですが、では最初の大企業である鉄道会社の経営者はどこでそのような巨大組織の運営を学んでいたのかというと、イギリスの場合軍隊だったりします。詳しくは湯沢威『イギリス鉄道経営史』を参照)。或いは兵器と鉄道車輌のように、メカへの関心という点でも近縁性を指摘できます。
その2:鉄道や軍事に興味のある人は、アニメ・漫画・ゲームのような「狭義の」オタク趣味にも同時に手を染めている比率が高い。
これは経験的事実です。所属していたサークルの経験のみならず、ネット上で見て回るあちこちのサイトでコンテンツを見れば、これらコンテンツを併設していたり、筆者が両方に詳しいことが行間から(或いはもっと明瞭に)読み取れたりすることは、珍しいことではありません。そして以前何度か書いた覚えがありますが、メイドイベントに行くと矢鱈と多い武装親衛隊コス(笑)というのも裏づけの一つです。
さて。
小生の理解では、かつて「マニア」という言葉で様々な趣味者は呼称されていました。
そこへ、この点はTa283さんのご指摘で小生も同意しますが、アニメやら漫画やらから始まった「オタク」という言葉が普及し席巻してしまいます。その際、他の趣味対象にも普及していくことが可能だったのは、「その2」の状況によるものと考えられます。「何をやっているか」ではなく、「それっぽい人」で一くくりにされたのです。趣味対象が違えばアプローチやスタンスも違ってくるはずなのですが、そのことはあまり省みられなかったように思います。
「オタク」が漠然と「マニア」の代替として使われただけならばそれ以上問題にする余地は生じなかったでしょう。しかし「オタク」が社会的に着目され、「萌え」という言葉とコンビネーションを組んで使われるようになると、齟齬が生じるようになります。そして「オタクとはこういうものだ」という通念が広まってくると、「オタク」と呼ばれる人たちはその通念に従って行動するようになると考えられます(「オタク」という他称が批判や侮蔑のニュアンスを含んでいればそうはなりませんが、肯定的な含意であればその通念を受容するでしょう)。その結果、「オタク」が意味を拡散してきた過程の中で「その2」のような属人的条件によって取り込まれてきたジャンルの場合、「オタク」通念とそのジャンルがそもそも擁していたアプローチ手法やスタンスといったものが、捩れた形で融合させられ、無様な様相を呈することがありえます。ことに最近、軍事趣味の方面でその傾向が著しいように思われます。
このような捩れ関係は、その趣味分野にとってやはり有利とはいいがたいものです。これらの関係を見直し整理しておくことは、「狭義の」オタクにとっても、軍事なり鉄道なりの趣味にとっても、価値の全くないことでもないだろうと考えます。その一つの手がかりとして、「オタク」「マニア」の相違にこだわってみたいのです。
現在のところでは、「狭義の」オタク趣味分野(アニメ・漫画・ゲームの類)とそれへの着目によって生まれた「オタク」的通念(「萌え」のような)を受容して、なおかつ軍事/鉄道趣味をも行っている人のことに限定して「軍オタ」「鉄オタ」と呼ぶのが一つの区分であろうと考えています。これまで「その1」の近縁性と「その2」の近縁性とを、似ているというだけで一緒にしてしまっていたのですが、それに区分をするということでもあります。
なお、一般に鉄道や軍事を趣味とする人のことを、小生は便宜上「鉄道趣味者」「軍事趣味者」と呼称しています。これは個人的な好みで、別に「マニア」とかでも構わないと思いますが。
ここで厳重に注記しておくべきことがあります。
本稿は決して、軍事趣味者や鉄道趣味者の内部で「あいつはオタク的通念を無批判に受容している反動分子だ」等と決め付けて内ゲバを推奨するアジビラとして書いたわけではありません。そもそも「その2」で書いたように、一個人の内部で両者の趣味を兼業している場合が少なくないのですから、そんな分派抗争が最初から不毛なことは分かりきっています。むしろ、その両趣味を兼営するような人が、どちらの趣味もよりよい形で長く楽しめるような、そのための一助になればと思って書いています。
そもそも小生自身がその傾向を有しているのですから、何よりも自分のため、なのです。
そして、「その2」の原因はちっとも解明していません。メカと美少女の組み合わせや戦闘美少女については先行研究がありますが、他にもいろいろ考えられるような気がします。
まあ、こんなことをグダグダ述べたのも、『萌えよ!戦車学校』になんぞに対する怒りが未だふつふつと小生の中でたぎっているからに他なりません。このことは以前の記事「『萌え』の魔の手に気をつけろ」で述べましたが、これが以上の議論と繋がってくるわけで、趣味対象の相違を充分認識せずに狭義の「オタク」に由来する通念が浸透してくることを些か扇情的に「『萌え』の魔の手に気をつけろ」などと題してみたのでした。
以上のような論点を突っ込んで考えてみるきっかけとなった小事件があるのですが、その話をするとまた長くなってしまうので、それはまたの機会に。
・・・結局一晩中うだうだこんなことを書いていたのも、ひとえに今日の用事があまりに気の重いものであるためです。現実逃避現実逃避。
「マニア=趣味者」「オタク=『萌え』概念と結びついた層」という区分は私も以前考えていたことがありまして、日本語の文脈においてはその分け方は妥当なように思われるのですが、「マニア」という単語を英語の原義に立ち返って検討すると「趣味者」とイコールで捉えていいのかという疑問も生じます。「趣味者」というと価値中立的(ないしは肯定的)な表現に聞こえますが、英語のmaniacには「度を超した興味、熱狂・偏執」という含意があり否定的なニュアンスが付随してしまうんですね。例えば英語圏で人をmilitary maniacと呼んだ場合、それは趣味者というよりも軍事至上主義者、ミリタリストに近い響きを持ってしまいます。
蛇足ですが姿勢やスタイルまで含めた否定的な英語表現に、有名なnerdという言葉があります。Websterの辞書には「an unstylish, unattractive, or socially inept person; especially : one slavishly devoted to intellectual or academic pursuits」とありますが、スタイリッシュさや魅力に欠け社会不適合的であるという点は「オタク」という単語の持つ否定的な含意とぴったり適合しているように思われます。
軍オタも「萌え」という最近持て囃されている怪しい概念に引き摺られ過ぎて「オタク」の持つ「nerd性」への警戒心や自戒が緩んでしまうのでは如何なものかなぁ、というのが最近の私の個人的な懸念です。
ぐだぐだな駄文で失礼しました。(拙ブログで記事を起こしてTBした方が良かった長さでしたね。申し訳ありません。)
長文のコメントありがとうございます。
確かにご自身のブログに執筆してトラックバックされた方が良かったかもと思います。なにせ当ブログ、トラックバックされたことがないので(苦笑)
今からでもご自身のサイトに纏めなおされてはいかがでしょうか。こちらで独占しておくには惜しいコンテンツですので。
なお、このコメントへの返信は長くなりそうなので、別記事を立てます。