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筆不精者の雑彙

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赤木氏の「戦争」~希望は、ガンダム? 附:『日中戦争下の日本』略感

 いろいろ忙しく、お陰で疲労も積もり、続きを書くのが遅くなりました。
 で、もうずいぶん前のお花見の時の件、「三十三年の孤独~革非同花見に「希望は戦争」赤木智弘氏来駕」の続きです。

 赤木智弘氏の所説が話題を呼んだのは、ひとえに「戦争」という言葉の使い方が刺激的だったからであろうと思います。で、近代史を学んでいる者として、というよりは戦史マニアの端くれとして、という方がいいのかも知れませんが、赤木氏の戦争観について是非とも伺ってみたかったのです。極端な例として、スペイン継承戦争時のフランスでヴィラール元帥が「われわれがおおぜいの新兵をみつけられるのは、諸州の民が困窮にあえいでいるおかげだからである。・・・民の苦難がわが王国を救う、といってさしつかえない」といったように、生活が苦しい時「希望は、戦争」というケースは歴史上まま見られました。生まれた社会に見切りを付け、傭兵として一旗揚げるという例は、近世のスイスや古代のギリシャなど枚挙に暇がありません。今だってフランスには外人部隊というものがありますし、更に最近横須賀市民を震撼させたタクシー運転手殺人事件の犯人であるアメリカ水兵はナイジェリア出身でした。これらの例が突飛とするならば、別な視点では満州事変後の日本も戦時体制強化に社会改革の希望を託していた事例とも言えますし、独伊のファシズムなども思い起こされます。

 この日の宴席には、書記長以下元・予備自衛官が4人も出席されており、自衛隊は「非モテ」な組織だとの感を深くしましたが、それはそれとして、つまり戦争の(元)専門家が4人もいるわけですし、また小生の他にもこういった話題に興味のある方もおられ、戦争で一旗揚げる話題は大いに盛り上がりました。フランス外人部隊の入り方だの、ヴァレンシュタインの話だの、はてさてチベットの状況に至るまで、話は多岐に渡りました。
 が、赤木氏、この話にちっとも乗ってこないのです。唯一氏がこれら戦争の話題の中で口を差し挟んできたのは、どなたかが話の序でにネタとしてカテジナとかいうガンダムのキャラクターの名前を出したときでした。小生はガンダムのことを何も知らないので(小生が巨大ロボットに関心がなく実物の機会にしか関心がない理由は以前書きました)どういうキャラクターか存じません。フランスのカチナ元帥(上掲ヴィラール元帥と同時代の人)というのなら聞いたことがありますが。
 で、そこで赤木氏に対しこう思わずにはいられませんでした。

 「あなたの仰る『戦争』って、ガンダムですか!?」

 社会の閉塞状況を打破するために「戦争」に賭ける、というシチュエーションで、まず多くの日本人に思い浮かぶであろう歴史的先例としては、我が国の満州事変やそれに続く日中戦争での総動員体制が挙げられます。赤木氏の著書をざっと読んだ限りでは、氏がこれらの歴史的状況の参考文献とされているのは井上寿一『日中戦争下の日本』だけのようでした。
 そこで同書をざっと一瞥しますに、日中戦争に諸勢力がかけた社会改革の希望を描いた、なかなか面白い本で、結論にも共感するところがありました。しかし、いくつか疑問点も浮かびました。タイトル通り日中戦争から話が始まり、その後の太平洋戦争のことも触れてはいるのですが、その前の満州事変の事が殆ど出てきません(協和会関係で数カ所ちょこっと出てきた位でしょうか)。「日中戦争とは何か」が本書の主題であるからだとしても、「戦争から国家を改造する」というのであれば、満州事変はまさにその事例として日中戦争当時の日本人にも想起される存在であったと思うのでありました。

 小生が修論で扱ったのが電鉄業と電力業だったもので、戦時下の改革(統制)について日中戦争下のみ取り上げて論じられることには違和感を覚えてしまいます。どちらの業界も、1920年代末以降過当競争と不況の対策として統制が叫ばれ、業界が自主統制を進めるも、日中戦争~太平洋戦争によって強力な国家統制がかけられ(電力業に至っては国家管理されてしまいます)、戦後再び改革が行われてその後は安定期に至る、という展開を辿っています。戦後の再改革は、特に電力業の場合、戦時中の行き過ぎを是正して戦前の自主統制に近い線に戻るというものであったため、戦時下の統制については「長い回り道」という評価が現在の通説となっております。
 だからもうちょっと前から見ておかないといかんのではないか、そう思いました。井上氏の著作では帰還兵の役割を重視していて、それは興味深いのですが、彼らに敵視される資本家もまた戦時に自分たちの業界の統制(それは日中戦争以前からずっと問題だった)をうまく進めるため、戦争に賭けた面もあるのでして。戦争が起こってしまってやめられない以上、全ての勢力が戦争を所与の条件として、自分の有利に活用する方向を探らざるを得ないわけですが。

 あと、史料として新聞と『兵隊』という当時の雑誌が多く使われていますが、ちょっと新聞などが描いた構図をそのまんま受け取りすぎているのではないか、という気もしました。また「社会システムの不調」というワードもいまいち有効に使われていないような。

 ま、このように小生が本書にやたらいちゃもんをつけてしまうのは、一箇所あれれっ!?という間違いを見つけてしまったために、小生が本書に不信感を抱いてしまったこともあるかと思います。
 本書45ページで、1940年5月の新聞記事が紹介されています。前線から帰還した兵士が倫理的に振る舞おうと努力していたのに、軍需景気の銃後では毎月一日の「興亜奉公日(戦場の労苦を偲んで簡素な生活に徹しましょう、というキャンペーン日。太平洋戦争開戦後は毎月八日が「大詔奉戴日」となった)」であるにも関わらず物見遊山に繰り出す連中が多い、という話です。その物見遊山ぶりを報じる記事について、井上氏は「ところが実際には、この新聞記事によると、東京電車鉄道管内のこの日の乗客数は約115万人で・・・」と書いています。
 はて「東京電車鉄道管内」とはなんじゃいな、と画像が掲げられている元の記事をよーく見ると、「東鉄の調査によると・・・」と書かれていることが分かりました。

 これは、鉄道省の東京鉄道局のことですね。戦後の国鉄では東京鉄道管理局(のち三つに分割された)になります。
 東京電車鉄道とは、東京の路面電車の会社です。東京馬車鉄道が電化して電車になったんですね。同じ頃東京の路面電車には東京市街鉄道と東京電気鉄道というのがあり、当時の東京市民はそれぞれ「東鉄」「街鉄」「外濠線」と呼んでおりました。これらの会社は合併して東京鉄道となり、その後市有化されます。これは全部明治末年の話なので、日中戦争と時代が三十年ほど違っております。
 ことのついでに、ウィキペディアでは東京電車鉄道の略称を「東電」と書いていますがこれは間違い。当時東電といえば、電力会社の東京電灯に決まっております。嗚呼、最近の若い鉄ヲタは物を知らぬ。
 更に余談を付け加えれば、戦前に一時期存在した「東京電力」という会社は、東京電灯との混同を避けるために「東力」と略されていました。

 ま、鉄道史の認知度なんて業界内部でもこんなもんか、と凹んだ次第です。

 話を戻します。
 本書の巻末あとがきには、なんと赤木智弘氏の「『丸山真男』をひっぱたきたい」が取り上げられており、井上氏の本書の執筆に赤木氏の影響が多少あったもののようです(赤木氏の文章は2007年1月号の『論座』に載り、井上書は2007年7月10日発行。赤木氏の単著は同年11月1日発行)。赤木氏が著作の中でそのことに全く触れていないのは不親切ではないかと思います。マッチポンプというか。
 で、井上氏はあとがきでこう書いています。
 格差拡大社会の今日の日本において、戦争という手段に訴えてでも、下流階層から脱出し、平準化をめざす「31歳フリーター」は、昭和戦中期の日本国民の末裔に違いない。
 しかもインターネットの空間で、中国や韓国、北朝鮮などの隣国とバーチャルな戦争を戦っているこの人たちにとって、今はまさしく戦中期である。(p.216)
 ・・・そりゃないでしょ。
 井上氏は本書第II章で、中国の戦場に行った日本兵が実際の中国人を見ることで、中国への他者理解が芽生えていたと書かれています。日中韓のネトウヨ(的な連中)どもは、ネットに引き籠もって他者理解を拒んでいるのが問題じゃないでしょうか。ましてネットの罵倒合戦を日中戦争に例えられてもねえ・・・。

 話を赤木氏の所論にさらに戻しますと、結局氏の「戦争」イメージはかなり偏頗なものではないかと思います。『論座』でその後展開された様々な論客との応報がいまいち噛み合わないのも、多くはその論客諸氏が赤木氏の抱える問題への理解不足にあるのは否めないにせよ、「戦争」のイメージが隔たりすぎていたのもあるんじゃないかと。あと、戦争や戦争を介した社会改革となると、軍の果たす役割は極めて大きいわけですが、赤木氏の「軍」に関するイメージは「戦争」のそれ以上に稀薄に感じられます。
 ただ、だからといって赤木氏に歴史学の授業を受けてもらえば事態が改善するんじゃない、というところに問題があるのだと思います。

 二回に渡って小生、延々と赤木氏の所論およびお話を伺った結果思うところについて長々と述べてきましたが、それだけ現在の日本社会のある問題点について考える糸口には、事実関係の問題などあろうとも、赤木氏の所論はなったということです。氏の所論はそれなりに雑誌や単行本やネットを経て広まったと思われますので、より多くの人が赤木氏のような人たちの存在に気がつき、問題として捉えるようになれば、この問題の解決に世論が向かうことにもなるかもしれません。
 ただ、このような目的で赤木氏の所論を読むとなると、いわば一段高いところから赤木氏の所論を分析し、このようなことを言うに至ったのは何故か、と読み解くことになります。何しろその内容自体は如上述べたるように問題がありますので、こと「論壇」のような場ではそういった瑕疵を突かれるか、その瑕疵を認めつつも一段高いところから(メタレベルとでも言うんでしょうか)論評するという形になるしかないでしょう。この拙文もまたその例に漏れるものではありません。で、そうなると、前回の記事で想定したような赤木氏(のような人々)の抱えている問題の根幹、コミュニケーションと承認欲求の問題の解決には、実は繋がっていないんじゃないか、そのように思い至りました。メタレベルでの分析対象にされたところで、承認欲求が満たされるとは言えなさそうなので。

 ではどうすれば良いのか、という対策については、小生に確たる答えはありません。ただ、お花見の会での小生の振舞は、いささかピントがずれていたのかも知れない、そう今では思います。赤木氏とは「戦争」について議論をするよりも、ガンダムについてお喋りすることの方が重要だったのかも知れない、その方が、直接的に氏が求めていたものであったのかも知れない、と。なれば処方箋もまたおぼろげには見えてくるでしょう。

 まだいろいろと思うところはありますが、ひとまずこれにて。

※2008.4.25.追記:赤木氏の単行本の支援広報ブログで、鮭缶氏が『日中戦争下の日本』に触れておられます。見解を異にするところもありますが、しかし本稿の内容に手を入れるのも今更なので、とりあえず読者の方のご参考にリンクしておきます。
Commented by 労働収容所組合 at 2008-04-18 01:22 x
まこと軍隊の敵は好景気ですな。
それより問題は、中国に行った日本兵が実際の八路を見て八個師団くらいしか居ないことを理解したかどうかですね。気になる。
Commented by 無名 at 2008-04-18 16:37 x
陣中日誌を読めば分かりますが(青年団の会報への投稿も類似しています。)、現地で戦争をしている兵士にしてみれば、農地を追われ、国民党に督戦される兵士に対し共感をしています。
最近、左翼活動家が大量に陣中日誌を発掘し活動のネタにし、TVで放送されましたが、その中で触れられていることとして、
「中国人民に同情と共感をしている日本兵が、命令とはいえ、何故組織的虐殺を南京で行えたのか?。」
ということがあります。
小生個人としては、捕虜を「処理」するために殺害をしたことは当時の日本軍の精神構造からすると当然といえ(戦陣訓、ただ、文を書いた人は姪に生き恥をさらさせても平気なのが気になる。)、精神的スイッチの切り替えについては、義務教育、実業補修学校、青年学校のシステムを検証するべきと思いますが、それはまた別の機会に書くべきでしょう。
ひとつ確かなことは、ネットで反中(反共ではないよね?)反半島の言説を述べている人の多くは、強制的に他者理解を要求された戦中の人々とはまったく異なる考え方で生きていると思います。
Commented by 無名 at 2008-04-18 16:49 x
戦中の帰還兵問題ですが、正確な資料は存在していない可能性が高く、難しい点ですが、『赤紙』という本、番組によると(まとまった形で兵事資料が存在するのはこの本の舞台になった地域ぐらいしか確認されていません。)青年団、在郷軍人会でオピニオンリーダーになりがちな、師範学校出身者、蹄鉄工、看護兵、通信職種、自動車関係者などは比喩ではなく、死ぬまで動員を受け(蹄鉄工などは4回の召集令状がきました。階級も一等兵から准尉か曹長まで昇進しました。)地域社会に影響を及ぼせるほど発言ができたかは疑問です。
当時の段階で有名、有力な言論人も戦争に動員されていますが、(広告塔である、火野葦平を根本資料とするのは危険すぎます。まだのらくろのほうがマシかもしれません。言論人で資料となりえるのは、宮柊二の方が良質です。)流石に有名人に対しては、いい加減とはいえ、特高、憲兵、そして文学報国会、大日本言論報国会などが統制をしたのであまり信憑性は持てないと考えるのが賢明です。

Commented by 無名 at 2008-04-18 16:56 x
満州事変及び、日中戦争(第二次世界大戦)が日本の産業界に及ぼした最大の影響は、内部留保の実質上義務化とそれによる、株主配当の実質停止(これにより蛸配は不可能になります。)と思います。
これにより、設備投資および労働者確保のための固定費(長期雇用のための)が確保しやすくなり、この政策が最近まで継続していたといえるでしょう。
ただ、この点にすら作家氏は触れられていないようです。
墨東氏が小生の日記に触れられていましたが、パンプキンを戦後復興のモデルとしているようでしたら・・・。
何も言う事は無いでしょう。
Commented at 2008-04-21 00:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bokukoui at 2008-04-21 20:20
>ラーゲリ氏
当に然り。
ところで、新たな遊び場と相手を見つけられてしまったようですな。
Commented by bokukoui at 2008-04-21 20:21
>無名さま
小生の至らぬところを数多くご指摘いただきまして誠にありがとうございます。
あまりに話が広がりすぎてしまいますので、申し訳ないですがこの場ではポイントを限って返信させていただきます。、

エド・ゲインみたいな変態殺人者ならある意味もうほっとけばいいのですが、「普通の人」が虐殺者になってしまうことの方がもっと怖いことですね。その恐怖の中には、自分も加害者になるかも知れない、ということも含まれるので。

宮柊二については鹿野政直氏の本で読んでいたにもかかわらず、この話に盛り込むことを思いつきませんでした。特に大事な点と思いますので、ご指摘いただいて感謝しております。宮柊二の遺した短歌や文章から先に触れた中国という他者への理解を読み取ることが出来、それが戦後への繋がりをどう果たしたかも考える手がかりになります。

配当の話はご指摘の通りと思いますが、これは「この点にすら」というには流石に難しい内容と思います。配当の制限と内部留保による投資重視といえば、戦時体制以前に松永安左エ衛門が「科学的経営」として行っていたことを想起します。これもやはり、もっと長いスパンで検討すべきかと。
Commented by 無名 at 2008-04-22 12:55 x
配当の話については、確かに、一部の企業がかなり早期に取り入れていますね。

Commented by bokukoui at 2008-04-23 20:01
一部の企業だったから「科学的経営」と賞賛されたわけで、安易な一般化はいけませんが(鉄道会社はあんまりそういうことしなかったような・・・)。
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by bokukoui | 2008-04-17 23:44 | 歴史雑談 | Comments(9)