聖火リレーでどうでもいい話~そして私は北京オリンピックを支持する
日本における聖火リレーで起こったトラブルとして広く報じられた一件に、卓球選手の福原愛さんがトーチを持って走っているところに突如乱入した男がいたというのがありましたね。その瞬間、福原さんの表情が凍り付いて足が止まった映像は、テレビの報道でご覧になった方も多いかと思います。
それを見て小生は、駕籠真太郎先生の「バトル・ロ愛ヤル」を瞬間的に連想してしまいました。本作は近刊『穴、文字、血液などが現れる漫画』に収められております。
東京湾沖に造られた・・・。主人公が一応福原愛ちゃんです。あと出てくるのが杉山愛とか大塚愛とか飯島愛とか前田愛(国文学者でも声優でもない方)とか・・・。
この人工島ラブラブ愛ランド
では各業界を代表する
愛ちゃんが集められ
ナンバー1の愛ちゃんを
決定するための死闘が
繰り広げられていた
お互い殺し合い
生き残った者にのみ
ナンバー1愛ちゃんの
称号を手に入れることが
できるのだ
今まで本ブログでも駕籠作品について何度か触れてきましたが(これとかこれとか)、今回も大変面白い一冊でございました。スカネタよりはパロディ的な方が本書では多い感がありますが、それもまたよし。駕籠先生はここ何年か、順調に新刊を出されているのは喜ばしい限り。
あまりといえばあまりな話でしたので、ちょこっとだけオリンピックについて思うことを。
そも19世紀に近代オリムピツク大会が始まった頃の世界を考えれば、まさに時は帝国主義の時代。ギリシャ・ローマの古典文化を引き継いだと称する欧州諸国が地球上を我が物顔で行き来しておりました。さてこそギリシャのイベントを復刻して近代オリンピック大会も始まったのですが、これはギリシャ・ローマ的なものが「優れた」ものと自明視され、それに近い順に「優れた」序列が築かれていた世界観を反映しております。それが白色人種による有色人種の植民地支配を正当化していた訳ですね。以前このブログでも書いたことがありますが、近代スポーツの「スポーツマンシップ」なんてのは、成立した場所と時代を考えればその背後に階級差別・人種差別・性差別を胚胎しているわけであります。
で、それから百年して、流石にそういう差別の問題点もある程度は認識されるようになってきたわけですが、今時の北京オリンピックでは久々に、その「オリンピック的なもの」を生み出した構造を感じさせてくれました。今や「帝国」足らんとする、チベットを支配する中国こそ、今地球上で最も「オリンピック」にふさわしい場所に他なりません(次点はロシアか?)。聖火リレーに最も噛みついて見せたのが欧州諸国の人々というのは、ここ百年の時代と重心の変化を物語り、変わらぬものと変わるものとを一望できたのは大変興味深いことでありました。(え、黄禍論?)
ま、長々書くのも面倒だし、こんなもんで。
今次の抗議行動やそれにまつわるネットの言動を見ていて思うこともなにがしかありますが、少し前に読んだ有村悠氏のブログの記事に付いたコメントを見て心底うんざりし(他にも類似の例は多いでしょうが小生の見た中で最も酷い例だったので)、これはチベットそのもののことよりもただ何かを罵倒することで自己満足に浸る祭りでしかない輩が少なからず、そしてそれはおそらく、確かに今現在中国共産党政府が行っている人権侵害への批判をむしろ減殺してしまうものではないかと思ったので、これ以上書くのも今は控えておきます。
そして小生は、チベットを舞台に書かれた久生十蘭『新西遊記』を取り上げている種村季弘『書物漫遊記』を書架から取り出すのでありました。ネタ本は無論河口慧海『西藏旅行記』であるわけですが、故種村先生の説くところに因れば、同書の前半は「狂信的なラマ僧の残虐きわまる処刑」の話が延々と続くそうです。(彼らの何人が慧海を知っているのだろう?)
キャッチフレーズも「ひとつの世界」とのことです。
個人的には、別の意味で南アのワールドカップに興味が向いています。
「北斗の拳」や「マッドマックス」が進行中の地域ですからね。
先日オリンピックの意義について、小生の抱く観念の浅薄さをご指摘いただきましたこと、御礼申し上げます。その反省に立った拙文にコメント板だけ光栄であります。
何かに与して自らの「正義感」を満たしたいという徒輩の少なからざることは仰るとおり、遺憾至極であります。
>無名さま
「ひとつの世界」ですか。一つの民族、一人の総統、一つの国家。
オリンピックは貶しましたが、プロスポーツにはそこまで反感持たないんです。よい「芸」に投げ銭するのは妥当なことと思うので。スポーツがなにがしか道徳的正義をアプリオリに纏いがちなことが嫌なんですね。
それはそれとして、南アのW杯の治安対策は大変でしょうが、中国のような嫌われ方を現在同国が必ずしもされていないので、今回のような問題にはならないでしょうね。違ったごつい問題はまたありそうですが。
#実際、北京オリンピックのスローガン「One World One Dream」に「One China」を付け足している対抗デモ参加者もいますし。
もちろん、「シナ」「シナ」言っている連中は「欧米の批判は人種差別だ」とする中国側の反論にわざわざ手を貸しているようなもんですから、ネットの外に出てこないでもらいたいもんです。
自分のような冷戦思考の持ち主は『今こそ「中共政府は日中人民共通の敵」と唱えよ!』などと思っていますが。
まあベルリンと重ね合わせるネタは割と誰でも思いつくところなので、ここは19世紀に遡って考えたいものです。びっくり人間ショー的イベントがあった第3回大会の萌えポイントが小生としては高いです(20世紀に入っていますが、文化的には19世紀といっていいでしょう)。
それはともかく、「シナ人」という一体的存在があると思っている段階で「おめでたい」方々であることは確かそうです。
>ラーゲリ氏
「すべて」に自分を含めない者が少なくない昨今のように思われます。