普通のブログらしいことを書いてみる
結局売り抜けちまうのか。
しかし私鉄同士で株の持合というなら、戦後の私鉄再編から半世紀余り、国鉄民営化以来20年を経て、いよいよ関西私鉄再編という事態もありうるのかも、とか妄想してしまいます。岩下清周の構想は百年早かったのだ、とか。
ところで「京阪電気鉄道や南海電気鉄道、近畿日本鉄道など関西の大手私鉄などを中心に出資を呼び掛ける案が浮上」とは、阪急はお声がかからんのでしょうか。1930年代の交通統制の時も、真っ先に合併候補に挙げられながら、結局最後まで合同しなかったもんなあ。社史を読んでもその辺の経緯は良く分かりません。「競争意識が激しかったから」としか書いてないですね。それで国策に逆らえた、というのが興味深いところなんですが。
ともあれ、今回の出資に阪急がお呼びでないみたいなのは、阪急自身もファンドに買われちゃってるからという方が、妥当な解釈かもしれませんな。
上記のどうでもいいような記事を書いてから、しかし岩下清周って小林一三なんかと比べると一般の知名度低いから、適当な情報を載せたサイトを探してリンクをはって置こうと思いぐぐってみました。そうしたらトップにひっかかったサイトがこちら(本題に関係あるページを紹介。)
http://j-net21.smrj.go.jp/venture/column/20031226.html
・・・なんか結構事実関係間違っとりゃせんか。岩下は社長辞めてすぐに死んでないぞ、昭和まで生きてるぞ(1928年3月没)。多分専務の七里清介とごっちゃにしたんだろうな。なんか同じサイト内の藤岡市助のコーナーにも微妙な記述が・・・上野の博覧会で走らせた電車は、アメリカはBrill社の電車ではなかったですかい?
それはともかく、岩下という人は関西私鉄の発展に多大な貢献をし、また大合同の構想も持っていたということです。それも、現在の山陽電鉄や広島電鉄までくっつけて下関まで行くくらいの構想を。
全然関係ありませんが、妙に忙しくなってきて不思議不思議。同じ塾のチェーンなのに、何でこんなにやり方が違うんでしょうね。
岩下清周についてそのような本が出ているとは知りませんでした。ご教示ありがとうございます。伝記の方は確か史料にちょこっと使った覚えがあります。
岩下については木本正次『東への鉄路』で読んだのが印象に残っていますが、ご指摘の通り先を見通しすぎて自滅した人のように思います。先駆者が斃れてそれを見ていた二番手が成功する、というのは実は様々な業界にあることのようにも思われますが。
今後ともご意見を頂ければありがたく思います。