近代家族幻想と電鉄会社との日本的関係性
『もうあなたは幻想の女しか抱けない』は女子高生の援助交際に多くの紙数を割いていますが、援助交際を生む温床は家庭で父親が娘に「清く正しく美しい」聖なる少女像を押し付けるという抑圧にあり、しかも皮肉なことにその男どもが、聖少女幻想に浸りたいために女子高生を買うのであると説明しています。この少女像は近代家族幻想の一翼を担うものといえますが、それにしがみつく男の幻想が援助交際を生む一因となっているわけですね。
同書にこんな一節があります。(p.85)
コギャルが演じる「女子高生の原型は、明治時代に生まれた。社会学者の宮台真司は共著『サブカルチャー解体神話』(パルコ出版)の中で、「近代日本に初めて成立したこの少女の、非性的で『清く正しく美しく』という<理想>が、明治末から大日本帝国へと続く<秩序>に一体化していた」と記述している。以上の箇所です。元の『サブカルチャー解体神話』を読んでいないので、この宮台氏の指摘がどういう文脈なのか小生は存じませんが、速水氏(あ、そういえば速水由紀子氏は確か宮台氏の事実上の結婚相手であったような)の本を読んでいる時にこの一節を読んで思いついたことを以下に述べておきます。
さらに戦後、日本の近代化、経済大国化のために掲げられた、「健全で文化的な家庭」という国家目標にとって、この「清純無垢な少女」の幻想は非常に好都合だった。
時代の変わり目にあるべきライフスタイル像を求めて人々が彷徨う、というのは間々あることです。
フランスの場合、19世紀に台頭してきたブルジョワジーが、経済力はつけたものの、そして数度の革命で政治力も拡大したけれど、ライフスタイルの点では貴族とどう対抗していいか分からない。そこへ現われたのが世界初のデパートであるボン・マルシェであり、ここへ行ってお勧めの品を買い揃えればたちまち立派な文化っぽい生活が手に入ってしまう、そのような巧みな売込みを行ったのでありました。詳しくは鹿島茂『デパートを発明した夫婦』、高山宏『世紀末異貌』あたりをご参照ください。前者は良く売れたので多分今でも簡単に手に入るでしょう。後者は小生も探しているものの手に入らず、遂に禁断の最終奥義を使ってしまった記憶が・・・
まあとにかく、ボン・マルシェの経営者ブーシコーは一時代を画したライフスタイル、貴族のそれを巧みに取り入れたブルジョワジーのライフスタイルを作り上げた立役者の一人だったわけです。そして、このブルジョワジーのライフスタイルこそ、今日の我々のライフスタイルの源流に他なりません。近代家族という像も、この中に含まれます。
さて、では日本でブーシコーに当たる人物はいるでしょうか。日比翁助?(注:三越を呉服屋からデパートに作り変えた経営者) うーん、しかし三越がライフスタイルの提供というところまで踏み込んでいたかとなるとちょっとどうかなあ。中産階級向きとは言いにくいですよね。
小生が日本版ブーシコーに擬したいのは、阪急の経営者である小林一三です。
彼がデパート経営者であることは勿論ですが、よく知られているように彼は電鉄創業に当たって沿線の土地を買収し、近郊住宅地として売り出しました。そして、その住宅地に住む層(中産市民層)に相応しい娯楽を供し、ひいては運賃収入にも寄与すべく、宝塚に少女歌劇団を創設します。
そう、「清く正しく美しく」、これは宝塚の理念ですね(あ、「非性的」ってのとも符牒が合ってそう)。実はこの文句ができたのは1933年ごろだったそうで、この頃宝塚は東京進出を図っていました。そしてその時、小林一三は「今までの俳優は花柳界の連中と付き合っていて低俗だ」と放言して物議を醸します。うーん、まさに「不道徳」なものを排除する中産階級的近郊住宅的理念ですな。(阪田寛夫『わが小林一三 清く正しく美しく』による。使ったのは文庫でなく単行本)
話がちょいと先走りました。
振り返ってみると、明治維新から20世紀初頭までの日本はある意味単純で、外国=欧米列強に植民地支配されないための富国強兵路線に突き進んでいました。そして産業革命を一応達成し、日露戦争でロシアをへこませるに至ったわけですが、さてそうしてみると次に何をしたらいいのか分からない。「不可解」と叫んで華厳の滝からダイブする青年もおりました(これは1903年ですが)。この日露戦後の閉塞感は大江志乃夫『凩の時』とか読むといいんじゃないでしょうか。
阪急(の前身の箕面有馬電気軌道)の創業はちょうどその頃でした(1910年開業)。そして阪急は沿線開発を通じ、近代化の中で生まれてきた中産階級にライフスタイルをパッケージングして売ることに成功します。都市の煤煙を離れた環境の良い近郊住宅地に住み、旦那は電車で会社に通い、休日には宝塚のような「健全な」娯楽に家族で出かける。まさにもって中産階級的近代家族のありようを形にしたわけです。家と環境まで売るあたり、ブーシコーより気合が入ってますな。後には周知の通りターミナルデパートを開業し、消費生活も囲い込むことに成功します(住宅開発の当初にも消費組合を作ろうとしていますが、これは失敗していました)。
交通公社の『旅』という雑誌(今は新潮社に売っちゃいましたが)の、昔の面白い記事を集めた本があります。この中に、関西私鉄の副業について述べた1936年の記事があり、勿論真っ先に阪急が取り上げられているのですが、その文句がいかしてます。
「人生は阪急から阪急へ」
また話が脱線気味ですね。いつものことですが。
結局どういうことかというと、日本の現在の社会問題は近代家族が曲がり角に来ていることに起因しているものがいくつもある、その近代家族が如何にして広まったか、近代家族幻想は人々に如何にして刷り込まれたかを探っていくと、日本では電鉄会社の果たした役割が非常に大きいのではないか、ということです。しかもその流れは戦前から高度経済成長以降まで連続しているのです(「アメリカ占領軍の陰謀」ではありません)。電鉄会社は、近代家族の理念――「清く正しく美しく」――を目に見える形で示し、しかも一定の財力があれば手に収めることができるようにしていた訳です。
阪急が梅田の百貨店を兼ねたターミナルビルを建て直すそうです。もったいない、歴史的価値から保存すべきだという声があり、小生もできれば保存して欲しかったと思いますが、反面これは近代家族像を売りつける電鉄商法が終焉を迎えたということを象徴しているのかもしれませんな。
ところでここまで書いてきて、「近代家族」についての説明を一言もしていないことに気が付きました(苦笑)。皆さん大体はご存知かと思いますが、今から説明するのも面倒なので、できれば落合氏の本とか読んでください。
近代家族の説明を端折っても随分と長くなってしまいました。まあ、明日は帰宅が遅く日付変更前に更新するのは無理そうだし、今日の更新は本記事ということで。
佐竹君が私に「正しい」戦史研像を押し付けてくる妄想で頭が痛みます。佐竹君が「君は家庭的であってはならない」と言う妄想で胸が痛みます。佐竹君の理想のライフスタイルはどんなものだろうと考えると胃が痛くなります。たまの休みに宝塚を見に行く佐竹君を想像して歯が痛くなります。佐竹君が「不可解」と喚きながら元ネタを知らない状況を想定して背中が痛くなります。
そして佐竹君を中心とした家族を思って目蓋が痙攣します。
私は阪急不動産が造成した土地に住み、日々阪急バスと阪急電車を利用し阪急百貨店も時折利用しております。
(昔、パリーグでは阪急を応援しておりました・・・メインは阪神タイガースですけど)
根っからの阪急文化圏生活者なのです。
今でも阪急文化圏は生きていると思います。
確かに阪急ブレーブスは売却され阪急ファミリーランドも閉鎖され阪急百貨店梅田店は大改装中です。
しかし宝塚歌劇は人を呼び続けております。
京阪神間には現実に阪急ブランドというのがあるのです。
例えば変な話ですが見合いの釣書に「阪急沿線に住んでいる」と書けばポイントアップなのです。
確かに昔とは形が異なっていますが阪急文化圏は生きていると思います。
充実した妄想ライフが羨ましい限りです。
小生は佐竹会長との対戦経験が不足しているのか、その境地に達することができず忸怩たる感を抱いています。
>Ta283氏
もちろん「阪急文化圏」が完全に消滅したわけではないでしょうが、阪急を端緒としておそらくは日本中に(必ずしも電鉄沿線でなくても)広まっていった、郊外住宅地的・近代家族的生活を「良い」ライフスタイルだとする発想の正統性が以前と比べてその神通力をなくしつつある、ということは言えるのではないかと思います。拙文も必ずしも個別具体的な阪急文化圏の盛衰を論じたのではなく、一般論として書いたつもりです。そして、その変容に対し、電鉄企業はまた新たな作戦を展開することでしょう(最近の東急はセキュリティと老人ホームの広告が多い)。
>憑かれた大学隠棲氏
TBどうもです。
近郊住宅地については、『ブルジョワ・ユートピア』という本がすこぶる面白かったので、そのうち書評を試みてみたいと思っています。