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筆不精者の雑彙

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自民党総裁選雑感~政権交代を知らずに僕等は育った

 あまりこういうことは普段書かないのですが、昨晩所用で某後輩氏に電話した際話題が表題のことに及び、一夜明けてあらかた忘れてますが(苦笑)備忘がてら以下に略記。

 自民党総裁に麻生氏が選出され、それ自体は当初の予想通りでしたのでどうということはないのですが、総裁選で「漫画を読んでいる」ということが売りになるという当今の世相に思うことしばし。テレビ報道(NHKしか見てませんが)でもその点がかなり報じられておりました。思うにこのような麻生評が確立したのは、一つにはネットで広まって後に事実らしいと言われた、「麻生太郎が『Rosen Maiden』を読んでいた」という一件に拠るところが大きいでしょう。別に『ゴルゴ13』を愛読していただけでは秋葉原方面的な層の支持を得る要因にはあまりならなかったでしょうから。やはりオタク界隈で評価の高いローゼンだったからこそですね(確かに、お年の割にはなかなか広く読まれていることには小生も感心します)。
 ですが、麻生氏にはこういった過去の実績? もあることは一応指摘しておくべきことでしょう。

 【オタクと政治】ポスト福田康夫の最有力候補、麻生太郎氏はオタクの味方か?
 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(以下、「児童ポルノ法」)の改正が議論されています。今回の改正における最大の争点は、単純所持規制の導入とマンガ、アニメ、ゲーム等、実在の児童を被写体としない創作物について、将来における規制を見越した調査研究規定の導入の2点です。自民党、公明党による法案は単純所持規制(「自己の性的好奇心を満たす目的」という限定付ではあるが)、創作物規制に関する調査研究規定導入のいずれについても「是」としています。

 麻生太郎氏は、表現の自由を重視するという観点から、自民党、公明党による与党案について反対の意思を表明してはいません。
 麻生太郎氏は、1989年に起きた「有害コミック」騒動では、「有害コミック」を規制する立場から1991年に「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長に就任していますが、この点について、現在に至るまで何らの弁明も説明もしていません。
 かいつまんでいえば、漫画が好きといっても、表現の自由などの問題についてはあまり認識していないようだということです。
 ま、少なくとも、過大な期待を勝手に抱くのは、政治的な常識(この問題自体が、決定的な政治課題とは見なされない)やめた方がいいとは思います。
 ・・・てなことを小生が書いてしまうのは、自民党や麻生氏支持不支持云々以前に、自分の周囲のある一部のローゼン厨に対して抱いている何かが、大きなバイアスをかけているのだろうなあとは自分でも思いますが。だから「ローゼン閣下」などと持ち上げる連中をどうも懸念してしまうわけで・・・超個人的身辺内輪話で済みません。作品自体駄目だというつもりは更にありません(好きでもないですが)。

※以下やや話が逸れるので小さな字で補足的に若干。
 上掲リンク先の山口弁護士ブログ記事のコメント欄では、この記事を批判する声が少なくないようで、「敵味方に分けるのは不適切な行動」と指摘する声が複数あります。ただ、山口弁護士は、「麻生氏はオタクの味方か?」と指摘されたものの、「敵」という表現は使っていません。味方でなければ即「敵」と考えているのだ、と即断することは、やはり好ましくないことでしょう。
 署名運動については、当ブログでも過去に触れました以上、小生もその成功を願ってやまないのですが、勿論その内部でも様々な意見があり、それらの意見や立場の違いを踏まえつつ、最適の方針を打ち出していかねばならないと思います。で、単純に運動の手法でいうならば、署名活動代表世話人の言動に問題意識を持った活動参加者の行動としては、山口氏にメールを送ることの方が適切だったと思います。内部の意見の対立の存在自体を押し隠すべきではありませんが、それを外部に晒して拡大しかねないような、コメント欄での言動の方が、得るものが少ないと考えるのです。
 他にも小生には本件に関し思うところや情報もありますが、話題が逸れますし一般的なことでもないので、ここで打ち切ります。


 ま、以上はともかく、今回の総裁選のニュースを見ていて、映されていた各候補の演説中、小生がどうにも気になってしまったのは、石破氏のそれでした。
 今記憶に頼って述べれば、「『民主党に政権を一度任せても良いじゃないか』という声もあるが、国家観の違う政党に任せることは、断じて許されない」という言葉でした(細部には異同があると思います)。この「国家観」とは何なのでしょう。
 どうにもおどろおどろしい言葉です。なんだかその昔の「国体」(運動会ではない方)なんて言葉も連想されそうな。乱暴を承知で言えば、現在の議会に存在する諸政党は(例え共産党であっても)、議会制民主主義と資本主義経済という根本的な体制は変わらないわけで。

 今回の総裁選における石破氏の主張は、これまでのキャリアからすれば当然とも言えますが、専ら防衛問題について論じていたことが多く、特にインド洋における給油についての論がその中心だったように思います(余談ですが、最近地下鉄の駅にインド洋の給油の重要性を訴える防衛省のポスターが張り出されていますね)。
 とは畢竟、これも安全保障政策(の一論点)の相違に過ぎない話ではないでしょうか。それは政策上重要な点であっても、「『国家観』が違う」というのは、ずいぶんな言い方に思われたのです。「民主党の政策は間違っているから支持すべきではない」というのは、それは政策について議論することを前提とした言い方ですが、「『国家観』が違う」というのは議論を排斥する感さえ受けるのです。

 そんなことを某後輩氏に話したところ、「国家観」という言葉は読売新聞などでは結構よく使われているとのこと。ナベツネか。
 氏曰く、このような大仰な割に何を指しているのかよく分からない言葉として、氏が気になっているのは「政権担当能力」だとか。確かに、何を以てすれば政権を担当する能力なのか、具体的に示してないですね。

 で、何で「国家観」みたいな言葉が出てくるのか、多少考えてみました。
 これも某後輩氏の指摘ですが、戦後長らく政権に自民党があったため、自民党の一党優位体制そのものが社会のシステムの一環となってしまっている、というのです。だから自民党が政権に居続けることが常態になってしまっていて、政権交代ということが実感できない、そのような通念が薄いのが日本の社会なのかも知れません。
 細川政権の時、一時自民党が政権を離れましたが、比較第一党だったことは変わらず、結局細川首相が政権を投げ出してしまったため、以上の観念を変えるには至らなかったのかも知れません。以前取り上げた『歴代首相物語』の中で、これも今現物が見つからないのでうろ覚えですが、「細川政権の最大の功績は政権に就いたことであり、最大の失敗は政権を投げ出したことである」との指摘がありましたが、政権交代の可能性と限界をこもごも示したということかも知れません。
 思えば、選挙によって政権が交代するということがありふれていたのは、戦前の1920年代の「憲政の常道」の頃と、戦後の55年体制成立前と・・・あわせて20年ありませんな。団塊の世代が多少は世間のことが分かるような年になった頃には、もう選挙による政権交代の時代は終わっていたわけです。「戦争を知らない子供たち」は、「政権交代を知らない子供たち」でもあったのかも知れません。

 つまり、ここ半世紀続いていると言えそうな「戦後レジーム」といいますか、その時代の日本国のありようには、政権に居続ける自民党というものが牢固として組み込まれているため、政権交代の可能性を「『国家観』の違い」などと考えてしまう傾向が存在するのかも知れない、などと思うに至ったわけです。
 それを思えば、安倍晋三政権は、「戦後レジームからの脱却」という些か曖昧なスローガンを、半分は実現したというべきかも知れません。何となれば、「戦後レジーム」の構成要素として、自民党は日本国憲法に勝るとも劣らぬ重要な構成要素として政権にあり続けたのですから、そのレジームを解体するには自民党が政権から下野することも含まれると考えられます。参議院では実現しましたね、ええ。

 話が例によってとっちらかりましたが、この辺で。
 選挙はやってみなければ分かりませんが、政権交代が起これば将来、小生も安心して自民党に一票を投じることが出来るというものです・・・いや、やっぱ自民も民主も与党的なものとして、社民党にでも・・・もっともその頃、社民党が幸いにして生き残っていれば、ですけど。
 その社民党の福島瑞穂党首が、「麻生氏は憲政史上最短の首相になる」と発言していましたが、9月24日に就任して東久邇宮首相の在任期間を越えるためには、・・・11月16日まで頑張ればいいのかな?
Commented by 無名 at 2008-09-24 12:43 x
個人的な意見ですが、自民党出身者の多い、民主党(旧社会党も国対を通じて自民党と実質一体化していたという考え方もできます。)が政権を奪取することと、自民党部内でまったく意見の異なる人間が寄り集まり、組織が崩壊しない範囲で抗争を行い、主導権が移行することとの差異がわかりかねるところです。
尤も、二院制においては「ねじれ」が正しい姿だとはおもいますが。
Commented by 鮭缶 at 2008-09-24 17:42 x
どうすれば歴史的事象みたいに興味を持てるのか???
Commented by 某後輩 at 2008-09-25 03:27 x
> 昨晩所用で某後輩氏に電話した際話題が表題のことに及び、一夜明けてあらかた忘れてますが(苦笑)

ひどい^^
まあほとんど一方的に喋っていただけですから、当然の帰結ではありますが(笑)

> ま、少なくとも、過大な期待を勝手に抱くのは、政治的な常識(この問題自体が、決定的な政治課題とは見なされない)やめた方がいいとは思います。

個人的には、当時と今とでは麻生氏のマンガ(特にオタク系の)に対する姿勢は変わっているのではないかと思います。多様なジャンルやスタイルのサブカルチャーが生まれることについて、最近の彼は肯定的ですから。

#もっとも、麻生氏の姿勢は好き嫌いせずに幅広くマンガを読んでいるということ以上でも以下でもなく、とりたててオタク系のマンガに思い入れがある訳ではないでしょう。本人の好みはいたってオジサン的(ゴルゴ13とか)ですし。
Commented by 某後輩 at 2008-09-25 03:27 x
> この「国家観」とは何なのでしょう。

前々から疑問でしたが、「国家観」って果たしてnation(望ましい民族共同体の姿)なのか、state(望ましい統治機構のあり方)なのか、society(望ましい日本社会のあり方)なのか、あるいはregime(望ましい政治体制)なのか、判然としないんですよね。それぞれ大分ニュアンスが異なってくるんですが。これが国家有機体説の含意を持つようになると、それこそ戦前の「国体」に接近してきますし……。

> そんなことを某後輩氏に話したところ、「国家観」という言葉は読売新聞などでは結構よく使われているとのこと。ナベツネか。

選挙公約や党内論争、憲法改正といったテーマで読売の社説を読んでいるとよく見かけます(笑)。「政党/政治家は国家観を明らかにせよ」って。

これが産経あたりが使うと「国体」に近い意味なんだろうなとある意味分かりやすいのですが、読売が使う理由がよく理解できないんですよね。ドイツの基本法にあるような、国家としての自己規定(「ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。」)あたりなのかなと推量しますが、それだと今の主要政党に大きな違いはありませんしね。1950年代ならいざ知らず。
Commented by 某後輩 at 2008-09-25 03:30 x
> 氏曰く、このような大仰な割に何を指しているのかよく分からない言葉として、氏が気になっているのは「政権担当能力」だとか。

その理由については自分が語るよりも、下の2つのエントリーの方がより説得的に解説しているので、リンクを紹介しておきます。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200708250001/
ttp://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200712090002/

> ここ半世紀続いていると言えそうな「戦後レジーム」といいますか、その時代の日本国のありようには、政権に居続ける自民党というものが牢固として組み込まれているため、政権交代の可能性を「『国家観』の違い」などと考えてしまう傾向が存在するのかも知れない、などと思うに至ったわけです。

(中途半端ですが字数の関係で続きます)
Commented by 某後輩 at 2008-09-25 03:30 x
総選挙の蓋然性が高まってきてから「『一度民主党に政権を任せてみたら』という意見があるが、それはとんでもない話だ」という発言が自民党幹部からよく聞かれるようになってきましたが、「現政権の実績が酷いから野党に政権を任せよう」という他の先進民主国家ならごく当たり前の投票動機が、どうして日本でだけ許されないのか未だに納得できる理由を聞いたことがありません。そういう国では別に野党が優れているから政権交代が起こるのではなく、単純に政権党の業績を振り返って野党に投票するのです(retrospective votingと言います)。

自民党を軸とした「戦後レジーム」を延命させようする動きは、20年ほど前から「挙国一致の大連立政権」を待望する流れとして存在しています。この潮流と自民党に対抗する勢力を糾合して政権交代可能な民主主義を目指す潮流との対立こそがここ20年くらいの日本政治の基調であった、とする意見もあります。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/kingofartscentre/diary/200712090001/
Commented by 某後輩 at 2008-09-25 03:46 x
無名さん>

2005年の小泉選挙の前の段階で、民主党の全衆議院議員の8割は55年体制の終わった93年以降の当選者になっています。また、その時点で民主党の全国会議員の6割は他党所属を経験したことのない生え抜きとなってました。議員の構成から見て、民主党を第2自民党(もしくは自社連合)と見るのはかなり以前から難しいと思います。

政策的に見ても、去年の参院選マニフェスト以降の民主党は大陸欧州型の社民主義路線を志向しているように見えます。(小沢代表引退後もこの傾向が続く保証はありませんが。)これも従来の日本政治にはなかった現象だと思います。
Commented by 無名 at 2008-09-25 09:44 x
なるほど。
考えが古すぎました。
あまりにも大幹部級が小生の中学校時代の選挙で見た顔なので、錯誤していました。
個人的には、現段階の小沢氏の意見には概ね賛成です(小生は日本改造計画の内容に反対だったので、かなり偏見を持っている可能性がありますが。)
Commented by bokukoui at 2008-09-25 23:03
>無名さま
某後輩氏がいろいろとご指摘くださってますが、小生としては、やはり政権が明示的に移行するという習慣の復活には、相応の意義があろうと考えております。

>鮭缶さま
三宅雪嶺ばりに「同時代史」だと思う、というのが格好いい答えと思いますが、しかし自らをこの世界の人間ではない、異世界から来た傍観者なのだと思い込むのも一法ではないでしょうか。中井英夫の「反世界」の如く。
Commented by bokukoui at 2008-09-25 23:28
>某後輩氏
先日はいろいろお話くださいました上、本記事に長文のコメントをいただきまして感謝に堪えません。リンク先も読みました。勉強になります。

で、コメントいただいた点へのさらなるコメントは、元記事自体が貴殿の談話をベースにしたものなので、なかなか難しいところです。できればこのご意見を、ご自分のブログでまた再編集して載せていただければ、もっともありがたく存じます。

「大連立」がどのような文脈で唱えられるかの説明も、大いに腑に落ちました。選挙による政権交代が長期になかったこの国に根付いてきていたある種の「政治文化」というものを、政治学とは別の視点から捉えてみたいとも思います。そう、そろそろその「文化」は歴史になろうとしているわけで・・・。
Commented by 某後輩 at 2008-09-26 00:27 x
実は昨日くらいから「このタイミングで発言しなくてどうする」という思いが強くなってきまして、近日中に自分のブログに長文の記事を2つほど載せようかと思っています。そちらで遣り取りを続けられればいいですね。
Commented by bokukoui at 2008-09-26 22:58
>某後輩氏
期待しております。
Commented by ほそだ at 2008-09-28 20:47 x
すみません、冒頭の麻生氏のところだけ読んでのコメントで恐縮ですが。

仕事と趣味は別の話。ですよねえ、一般論として。
というだけの話ではないかと存じます。

「ある一部のローゼン厨」とのお話ですが、それはどうも「ローゼン厨」というよりは「ローゼン閣下厨」なのではないかな……という雰囲気が行間から少し(笑)。言わずもがなでしょうか?
Commented by bokukoui at 2008-09-29 00:28
>ほそだ様
「ローゼン閣下厨」というのも確かにいるだろうと思います。それで投票行動決めるのはどうよ(一票をネタで使う権利は有権者にありますが、多分彼らは全くネタのつもりではなさそう)、ということは考えつつ書いたのはご指摘の通りです。

なんですが、やっぱり、自分の身の回りのローゼンに嵌っていた特定の個人(とその周辺)を見たために、「ローゼン厨」自体へもバイアスかかりまくってます(苦笑)。ほそださんもその特定個人、会ったことがあるはずで・・・
Commented by 憑かれた大学隠棲 at 2008-10-01 00:06 x
麻生政権にとっては景気回復が最重要課題であり、国家の規律とか表現規制ってのはどうでもいいことなのです、たぶん。
個人の趣味として表現規制が無駄なことを知っているであろうことが期待できることや、政治家個人の信条以上に、政策の優先順位のほうが影響が大きいかと
Commented by bokukoui at 2008-10-01 22:21
>憑かれた大学隠棲氏
政策の優先順位を認識することは政治家のもっとも大事なことですね。選挙対策・政権維持が最重要課題かもしれませんが。

もっとも、表現規制が争点にならないのは、票にならないからと思われていることが少なからずあるようです。
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by bokukoui | 2008-09-23 23:40 | 時事漫言 | Comments(16)