ここ何日かの買物
アメリカのインタアーバンとの比較論は、洋書を読んで(一冊定本らしいのを買った)また色々検討してみたいと思います。おそらく、路面電車の公営化というファクターが、経営面のみならず技術面にも影響を与えたのではないかと考えているのですが・・・まあ、この辺は思い付きです。
先日、畏友仙地面太郎氏ご推薦の漫画・山名沢湖『レモネードBOOKS』を購入しました。本好きな(作中では「オタク」呼ばわりされています)男の子と普通の女の子の、絵柄も相俟ってほんわかな気分にさせてくれる恋愛模様を描いた作品。本を巡る様々な事柄をテーマに、のんびりとお話は進んでいきます。
絵柄は、小生としてはなかなか好みのタイプです。お話も時にはこういうのを読むのも結構なものです。本好きならば作中のエピソードに思い当たることも多いでしょう。だから本が好きな人には結構お勧めではないでしょうか、ちょうど仙地氏が小生に薦めてくださったように・・・
といった感じの『レモネードBOOKS』の書評は、ネット上でも既に見つけることができました。いや、基本的にはその感想に異存はないのですが、ただ一つだけひっかかってしまうことがありまして。
「本が好き」「読書が趣味」という時の「本」って、なんだか小説を指すことが圧倒的に多いんじゃないだろうか、ということです。しかし小生はあんまり、いや全くといっていいほど小説を読みません(漫画は読みますが)。現在の蔵書に占める小説の比率は3%くらいです。本は好き、読書は趣味、のつもりなんですけど・・・。そこに微妙な疎外感を感じてしまったりもするのでした。
本を良く買うといっても、小説以外の本、例えば歴史に関する本を集めていると、「本好き」ではなく「歴史好き」に分類されてしまうように思います。まあそれはそれで正しいのですが、小説以外の本を好きだといっても本好きに入れてもらえない、というのは、そこまで小説が特権的存在でなくったっていいだろう、という気も少しはするのです。
そんな小生、今日も今日とて町田に研修で呼び出され、そのついでに近くに高原書店という古書店を発見、訪問しました。今月一杯20%引きという宣伝に惹かれたのです。
行ってみると、小さなビルとはいえ1階から4階まで全館本に埋もれているという、なかなかいい感じ。みすず書房や法政大学出版局だけ集めた棚があるという辺り、本好きのスノビッシュな心をくすぐります。職場が変わってジュンク堂に行けなくなってしまった代わりに、今度はここに通うことになりそうです。価格はあんまり安くないような気がするけど・・・
で、二割引きにつられて、財布の中身あるだけはたいて購入。
・松村金助『鉄道功罪物語』大阪屋号書店
1929年発行、時事新報の鉄道記者が書いた鉄道に関する解説・評論本。この頃から強く唱えられる交通統制の世論形成にも影響した(と思う)。これが箱付きで手に入ったんですから結構嬉しい買物。あとは清水啓次郎の『私鉄物語』が欲しいなあ・・・あれはアテネ書房から復刻が出てるけど。
・A.J.P.テイラー『目で見る戦史 第一次世界大戦』新評論
訳がアレだという噂もあったような気もしますが、定番ということで。安かったし。リデル・ハートよりこっちが先かな。
・武知京三『近代日本と地域交通(日本資本主義叢書)』臨川書店
鉄道史の著名な研究者による本。武知氏は特に西日本の私鉄研究の著作が多い方で、本書も実は大阪電気軌道・参宮急行電鉄と、伊勢電気鉄道という、現在の近鉄に繋がる鉄道の研究書(日本全国扱ったわけではありません)。氏の本は何冊か持っており、図書館で借りて読んだものもありましたが、これは読んだことがなかったので。
残念ながら財布の都合上、『ハルツームのゴードン』は断念しました(笑)。まあこの本はちょくちょく見かけるしね。
・・・って、結局読むより買うペースの方が速いではないか。ああ、「積ん読」山がまた高くなる・・・
読書が趣味と言った場合の書とは小説である。そして何が小説かは自分が決める。これしか無いでしょう。
例えば「好きな小説は精神現象学です」などと言えばヘーゲル(など嫌いな本の著者)も馬鹿に出来て一石二鳥です。
何か訳について問題点をご存知でしたら、ゲーム会の折にでもご教示ください。
「何が小説かは自分が決める」については発想の転換もあり得ます。「すべての小説は同時代の史料である」とすれば、どんな小説も歴史の研究になります。「すべての小説は精神現象学の資料である」でも同断。