第1次世界大戦停戦90周年 附:近況若干
先日ある方ともちょっとお話ししたことなのですが、第1次大戦の方がイデオロギー的な味付けがない分、「戦争の悲惨さ」をよりストレートに語ることが出来るのではないか、そんな風に思うこともあります。ソンムやパッシェンデールの夥しい死者達に、何か尤もらしい意義を与えようとしても、何の意味もなかったということが最大の意義なのではないか、そう思います。小生が、日本でしばしば行われる「戦没者追悼」などを巡る議論について、いくらかの違和感を覚えるのは、一つにはこの辺りに起因しているのだと自分では思っています。
ついでに近況など。
先日来そのためにごたついていた学会報告ですが、先日無事終了しました。当初の構想とは全然違ったものになりましたが、何とか形になってほっとしています。もっとも向後この報告を論文に纏めるために、まだしばらくどたばたしそうです(年内くらいは)。ですが、今日は一日、緊張が一段したせいか、全く身動きが出来なくなって引きこもっておりました。
ところで、学会報告用のレジュメを書いていたところ、気がついたらA3用紙で本文4枚資料篇7枚の大作になってしまい(普通文学部系はB版で作るのですが、作成中にこれは枚数が増えすぎてまずそうだとA版に切り替えました)、それを80部も作ったものだから、コピー代がえらいことになり、素寒貧になりました。そして残部が30部近く・・・近日中に小生に会う方々は、メモ用紙にも焚き付けにも鍋敷きにも使える紙片を一塊押し付けられることになろうかと思いますので、ご諒解の程。

人間やろうと思えばこのぐらいのことは出来るのだと。


戦闘そのものは最後に数分の屠殺に等しい突撃シーンがあったのみですが、桶狭間の武田軍団以下の非力な前進でした。
(一旦捕虜となったドイツ兵にタバコを与え、解放してやるシーンがありましたが、イギリス製映画であるだけにあからさまに嘘っぽかったです)
大規模な近代戦で悲惨だった第一次大戦でしたが、日本が欧州でのその実態に殆ど肌で触れることのなかったことも第二次大戦に向かってしまった要因の一部かもしれませんね。

ありがとうございます。何時なら宜しいでしょうか?
>檸檬児さま
500円とはお値打ちですね。
第一次大戦の戦場に触れなかったことが、日本軍(特に陸軍)の近代化が遅れて精神主義に走る原因の一つ、とはしばしば指摘されます。もっとも、悲惨さだけでは次の戦争を防げなかったという教訓もまた、考えるべきなのかも知れません。