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筆不精者の雑彙

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講演会『巡洋戦艦「金剛」 技術的視点による再考』レポ・乾

 先日来当ブログでも広報に努めていた講演会『巡洋戦艦「金剛」 技術的視点による再考』が昨日行われました。
 どれくらい来場者があるのか、事前にはあまり反応がなく予想がつかなかったのですが、蓋を開けてみれば60人近い方がご来場下さり、まずは盛況であったと思います。反省点としては、十分な時間配分が出来ず、各講演者の予定した話の内容をすべて伝えることが出来なかったということです。もちろん、各講演者の方がそれだけ濃い内容のお話をして下さったということなのですが。
 というわけで、この講演会の簡単なレポートを綴ってみようと思います。簡単というのは、今回小生は講演会運営の手伝いを少々やっていた関係上、出たり入ったりして完全にメモを取っている訳でもないからです。また、そもそも話の内容から言って図面がなければ理解が難しく、しかし講演者の方の作成したレジュメの図面を勝手にここで公開することも礼儀にかなったことではないと思いますし、講演自体の録音運営団体側でされていたので、詳細なまとめなどはそちらを元にどこかでとりまとめられることもあるでしょう。ので、ごくあっさりしたものですが、以下に総括を。
講演会『巡洋戦艦「金剛」 技術的視点による再考』レポ・乾_f0030574_23213522.jpg
会場の案内看板

 写真は何枚か撮ったのですが、どれもこれもこの日のは出来映えがいまいちで、せっかくの看板の画像が不鮮明になってしまいました。案内看板の絵は、「恍惚したいモナカ」のfismajar さんの描かれた金剛(新造時)の絵を使わせていただいております。写真はあれな写りですが、元の画像はfismajar さんのブログに掲載されているので、是非こちらをご覧下さい。
 会場の入りは上にも書いたように、50人を超えていました。教室の定員が88人でしたので、結構埋まった感じでした。
講演会『巡洋戦艦「金剛」 技術的視点による再考』レポ・乾_f0030574_028131.jpg
教室の状況(肖像権を考慮してわざと小さくしております)

 まず最初に、今回の講演会の「首謀者」である「東江戸川工廠」のじゃむ猫さんが開式の挨拶を述べられます。

 最初の講演は小高まさとしさんの「平賀文書に見る金剛代艦の考察」です。ワシントン軍縮条約で主力艦建造が停止されましたが、建造以来20年経った艦については代替艦の建造が認められていたので、当時在籍中の日本の主力艦中一番古い金剛の代艦が構想されたわけです。この金剛代艦について、当時海軍軍艦建造の一線を離れていた平賀譲の案と、海軍の艦政本部の案とを、「平賀文書」はじめとする資料の活用によって比較検討するのが、小高さんの講演の趣旨です。
 その詳細を図面なしで纏めるのは苦しいので、ここではごく荒っぽく小高さんのまとめのみ紹介しておきますと、艦政本部案も平賀の案も運用側の要望や第1次大戦の戦訓を考慮しているが、平賀案はイギリス式設計の延長線上にあるのに対し、艦政本部案はドイツの影響があるのではないか、とのご指摘でした。両者は逆のアプローチをしている(艦本:船殻を溶接や軽金属で軽量化、全体を広くドイツ式に防御vs.平賀:船殻は必要な重量を割り当て、徹底して集中防御)のですが、結果的には同じような性能を達成しています。
 これは、英国式を磨き上げた単純確実な平賀←→ドイツの技術を接ぎ木しようとした革新的な藤本喜久雄、というほど単純な対比ではなく、日英同盟廃棄以後、どこから技術導入を行うのかという戦略的な問題を反映したものであったと解釈すべきことと小高さんは指摘されています。そして当時の日本海軍はどちらにするか決められず、そうこうしているうちにロンドン条約で金剛代艦は廃案になってしまったのでした。

 ついで質疑応答。

・船殻重量と装甲重量の比率から、艦本案をドイツ系と規定していたが(註:35000トン級戦艦の場合、平賀案は船殻に1万トンを必要とし、装甲に1/3程度にするのに対し、艦本案は軽量化で船殻を9000トンに絞って装甲重量に4割程度充てている)、船殻と防御重量とはどう区別するか。
→艦によるが、主力艦の舷側装甲は構造に寄与しない。軽艦艇はそうではない場合もあるが、構造か装甲かは恣意的に変えられるものではない。

・金剛代艦と同時期に、妙高級や最上級を建造している。それと艦本案との影響はないのか。
→高雄級は艦本案に近い性格を持っている。最上級は構想と実現したものとの乖離が大きく評価が難しい。

・艦本案は色々なところから色々な要素を持ってきてはいるが、結局は英国流ではないか。むしろ第1次大戦の戦訓は副砲など違うところにあるのではないか。
→広くヨーロッパ諸国の手法を咀嚼しようとしていたと考える。

・平賀案は喫水線下を軽巡並に極めて絞っているが、これをどう評価するか。
→平賀案が速力に気を使っていることは確か。中速戦艦中では高めを狙っている。しかし、本格的な高速戦艦を目指しているわけではない。

・連装と三連装の異種砲塔混載を平賀はいとわなかったというが、英国の戦艦ではその例はない。これは平賀の独創か、何かから考えたのか。
→平賀の混載案の最初は陸奥変態案。実現しなくても混載案自体は英国はじめ各国にあった。

・小高氏の示した平賀案の各時代の図面を見ると、兵装などは変わっているが、艦首は八八艦隊と同じように見える。これは案なのでラフに慣れた調子で描いたのか、本当に同じように造るつもりだったのか。
→もちろん実際に造る際はブラッシュアップしただろうが、平賀はそもそも艦首波の影響などにはわりと無頓着。藤本は気を使っている。

 小高さんの講演は(他の方もそうだったのですが)、内容盛りだくさんで時間内に収まりきらず、この時点で既に押し気味。

 ついで、新見志郎さんの講演「金剛と英国の姉妹たち」です。
 新見さんのこの講演は、サイト「三脚檣」で以前掲載された「ライバル・他人の空似」をベースとした内容です。金剛のモデルとされる英国の巡洋戦艦ライオン級、その一つ前のインディファティガブル級、金剛の影響を受けたとされる英巡戦タイガーとの関係を検討します。
 これは図や写真の一部は上掲サイトでも見られますので、そちらを参照していただければある程度雰囲気はお分かりいただけようかと思います。12インチ砲塔を梯形配置していたインディファティガブル級から、13.5インチ砲塔を中央線上に並べていたライオン級は大きく飛躍したように見えますが(排水量4割増)、完成当時の姿(前三脚檣を第1煙突の後に立てていたが、排煙でマスト上の指揮所がえらいことになって改装された)や、艦内の構造(なぜか第3砲塔の弾薬庫が右舷に偏っている)を見ると、ライオン級は実はインディファティガブル級の影響を色濃く残していると考えられるということです。建造時期も半年しか違わないのでした。
 金剛は、ライオン級を参考にしつつも、トルコ向けの戦艦レシャディエ(のち英国が接収してエリンとなる)に倣ったところが大きいといわれ、一方タイガーはライオン級の前級を引き継いでいたところを洗練改良したものといえます。ライオン級の第3砲塔に後方射界がないのは、前級の影響によるものと同時に、英国海軍は伝統的に前方射界を重視するものの後方射界はあまり重視していなかった事情もあるようです。タイガーがこの点を改良したのは、金剛の影響ばかりとはいえないようですが、仮に金剛がなければ、第3砲塔後の広いスペースにマストくらい建てたかもしれない、とのご指摘がありました。
 第3砲塔の後に広いスペースがあるのは金剛とタイガーの共通点(この部分の艦内には機関室がある)ですが、これは真似したというより、弾薬庫スペースを軸路で制限されないで済むとか、推進軸の長さが短くて済むなどのメリットからと考えられるとのことです。実際タイガーには当初、後部2砲塔を背負式にする案もあったそうです。また金剛の後部2砲塔は、バーベットが妙に高く、タイガーとその点は異なっているようです。
 まとめれば、当初は装甲巡洋艦として造られた最初の巡洋戦艦インヴィンシブル級からライオン級まではひとつながりの設計思想上にあり、金剛以降が準戦艦的な巡洋戦艦に洗練されたのではないか、ということでした。

 新見さんの講演に寄せられた質疑応答は以下の通り。

・煙突の配置について伺いたい。
→原則、英艦は煙突を一ヶ所にまとめるが、舷側に砲塔を配置している艦はボイラーと機関室を分離した配置となり、煙突も分離して配置される。中央線上に砲塔を揃えた艦は普通煙突を一ヶ所に集めるもので、英艦ではライオン級のみ例外。

・金剛の後部砲塔のバーベットが高いという話だが、それは前後の砲塔の高さを揃えて斉射する際の命中精度を上げようとしたのか?
→それはないと思う。その程度ではさほど精度に影響はない。

・マストの前に煙突を立てて、指揮所が排煙や熱で大変ということはドレッドノートで既にあった事例の筈。それを何でライオン級で繰り返したのか。
→マストをあのようにした直接の理由は、ボートのデリックポストを兼ねるため。それまでの事例では我慢できる程度だったが、ライオン級では遂に耐えられないほど酷かった。

 三番目は大塚好古さんの「金剛型建造ドキュメント余話」です。これは、講演の案内の方に紹介してありますが、学研の『決定版 金剛型戦艦』の記事をベースに行われたものなので、該書なくして説明するのはなかなか難しいところです。大塚さんは今回の講演者の中では一番こういうことにお慣れだったのか? 軽妙な語り口で聴衆に笑いのこぼれる場面もありましたが、こういうのを文字で伝えるのはいよいよ以って難しいですね。レジュメの枚数は多く、大塚さんは最初から「町内会の寄り合いと同じで、時間がかかりそうだったら『あとは読んでおいて下さい』という予定」と仰ってまして、実際にその通りになってましたし。
 というわけで、小生が面白いと思ったトピックを、適当に幾つか紹介させていただきます。

・金剛の試案の資料は英国のものに拠っているが、それは日本側の話があまり信用できないから。
・金剛が当初12インチ砲艦として計画された理由は、14インチ砲が時期尚早という他に、艦形を小さくして経費を安く上げるということもあった。
・14インチにしたのは駐英武官加藤寛治少佐が砲撃試験の結果を手に入れたためといわれるが、ヴィッカーズ社の売り込みもあった。15インチにしなかったのは時間がかかるせいだという。しかしもしかすると、英海軍の15インチは「42口径14インチ砲」の秘匿名で開発されていたが、ヴィッカーズが「42口径よりウチの45口径14インチの方がいいですよ」とだまくらかした?
・金剛の装薬庫と弾薬庫の配置は当時の英艦と逆で、装薬庫が下にある。これは艦の大型化で火薬庫の上部が水線上に露出して注水に不便になったのと、大落角弾への防御による。その後第1次大戦が始まって、機雷による沈没艦が相次いだため、伊勢級ではこれを逆にしたが、ジャットランド海戦の教訓から元に戻った。英艦も逆にした。
・国産化された艦のうち、最初の比叡は細かい不具合が多くて評判が良くなく(のち練習戦艦にされる)、榛名の出来映えが一番良かった。
・兵員区画の一人宛面積を拡大したのは長門級からだと『金剛型戦艦』に書いたが、実際には扶桑級からで、これは間違いだった。伊勢で面積が植民地サイズに戻り、長門でまた大きくなった。
・金剛級の主砲用水圧機は3基しかなく、英艦の5基(含予備)より少ない。そのため主砲の連続斉射が困難であった(当初は交互発射が基本だった)。しかしこれが後に不満の元となり、訓練では過負荷で連続斉射したこともあったが、すると水圧の配管が水漏れを起こす。結局空気圧に改装された。
・斉射を求めたのは、遠距離砲戦時の命中弾が期待できるだけの門数を確保するため。これにより、10門以上装備することにこだわる必要がなくなった。
・改装では防御も強化されたが、その際艦隊側では、上部装甲帯を外して水平装甲を強化して欲しい、「姑息なる薄鋼鈑」はかえって徹甲弾の内部爆発を誘う、非防御の方が当たっても抜けるだけ、と集中防御大万歳。一方造船側は、弾片などでも様々な被害の恐れはあり、排水量制限などの条件がなければ、集中防御はあまり好まなかった。結局は造船側の意見が通る。

 他にも色々あったのですが、紹介しきれないのが残念です。
 講演自体の時間も足りず、質疑応答は最後に回すことにして、引き続きサイト「蒸気推進研究所」「機関車技術研究会」を運営する髙木さんの講演に。

 ですが、記事が長すぎて一つに入りきらないので、以下の続きはレポ・坤巻に。
Commented by 新武士階層 at 2012-06-18 18:59 x
 たしかにそうだが摂家神道へも国防上対応すべき言及がないような気がする。
Commented by bokukoui at 2012-06-21 00:22
>新武士階層さま
古い記事にコメントありがとうございます。
ただ、ちょっとコメントのご主旨が分からないのですが・・・「摂家神道」という言葉も耳慣れませんし、また巡洋戦艦の技術とも関係はないように思われますが、どのようなことかご説明いただければ幸いです。
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by bokukoui | 2008-11-24 23:24 | 歴史雑談 | Comments(2)