「浦嶋嶺至(礼仁) 画業20周年トークイベント」に三峯徹画伯を拝む
で、それによると、先月までの一年半近くの期間、ただ一月を除いてことごとく当ブログの検索ワード一位は「三峯徹」でした。
このブログで三峯画伯について書いた記事は、多分「エロマンガ界に激震走る~遂にあの論争に終止符」しかなかったと思いますが、この記事は大手のサイトに次から次へと引用されたらしくアクセス数がどえらいことになり、今でもその影響が残っているようで、画伯の名声恐るべしであります。もっともあの記事自体は結構適当に書いたものなんだけど・・・タイトルが良かったんでしょうかね。
さて、三峯画伯が何者かは、上掲の記事及び非公式ファンサイトに詳しいのでそちらに譲りますが、エロマンガ雑誌に十数年にわたって「独特な」画風のイラスト投稿を続けた結果、編集部や読者から尊崇される「業界の座敷童」的存在という、何ともその魅力を表現しづらい偉人です。
で、その偉人が、なんでもロフトのイベントに登場されるという情報を聞きつけ、これは一度ご尊顔を拝さねばと思い、先週そのイベントに駆けつけた次第でした。三峯画伯は、最近は幾つかの同人誌即売会などにも登場されていると聞き及んでいましたが、そちらに足を運ぶ機会がありませんでしたので。
そのイベントとは、以下のようなものでした。
「全身エロ漫画家宣言!!」上記データは主に、永山薫さんのブログから拝借しました。永山さんがご出演されるというのも、このイベントを見に行った理由です。
浦嶋嶺至・画業20周年トークイベントを開催します。
http://justfitweb.com/event/
【日時】
2008年11月27日【木】
開場 18:00/開始 19:00
【場所】
阿佐ヶ谷ロフトA
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/index.html
【Carge (入場料)】
900円 [飲食代別]
【ゲスト】
山本夜羽音(漫画家)
田中圭一(漫画家)
ふくしま政美(劇画家)
永山薫(エロ漫画評論家『エロマンガ・スタディーズ』)
ギー藤田(銭金ビンボー映画監督)
岩崎友彦(『えび天』金監督)
三峯徹(ハガキ投稿神職人)
他、飛び入り有。
【進行補佐】
バッドガイ☆ナベ(面白漫画倶楽部)
◎おみやげあり(当日限定同人誌・予定)
★浦嶋嶺至制作のふくしま政美・三峯徹Tシャツ等、物販あり。
詳細・情報については随時こちらで。
http://blog.livedoor.jp/urashima_area41/archives/cat_50026839.html
浦嶋嶺至(礼仁)先生に関して、小生は「お名前はかねがね」という感じで、ご著書も一冊は持っていたと思うのですが・・・部屋が混沌で見つかりません(苦笑)。お名前を最初に見たのは、高校の頃、エロマンガ雑誌の同人誌紹介コーナーで「現在休筆中の浦島礼仁先生の作品が読めるのは同人誌だけ!」とあった時だったと思います。
永山さんのブログの「席を確保できないと思うので、お早めに」という言葉に従って、小生は会場間もなく18時過ぎに阿佐ヶ谷ロフトに向かいましたが、その時点では10人くらいしかいなかったような。入場料が格安900円の上、同人誌のおみやげ付きとは類のない太っ腹なイベントで、それだけ人が来るだろうなと思ったら、出足は遅かったようです。開始時刻までには40人くらいだったか、更にその後増えて、ほぼ満員近くまで行ったと思います。
で、ぼちぼち増えてきた人の中に昼間たかし氏を発見。氏とはこれまで何度かお会いする機会があったのですが、ふとしたことで氏と小生の間に思いがけない縁? があったということが判明、お互いびっくりしました。ご挨拶。氏は永山氏と同道して来られた由。リンク先のブログにありますが、児童ポルノ法案に関する動きが、一旦緩んだと思ったらまた急に動いているようです。リンク先の記事にあるように、氏はその前途にかなり悲観的でした。そうならざるを得ない事情は小生もある程度察知しておりましたが・・・。
また、氏にフィルムセンターで行われている亀井文夫の上映会のことを教えていただきます。戦前の軍隊の報道映画的なものもありますが、個人的には「東京電灯の宣伝映画」が大変気になります。誰か行きませんか?
それはともかく、おみやげ同人誌はこちら。
向かって左が今回発行の、浦嶋氏のデビュー以前の作品を集めたもの(約150ページ)で、右はデビュー後の1992年に出された同人誌(約130ページ)です。小生は浦嶋氏の作品にさほど馴染んでいたわけではないので適切な表現かは自信がありませんが、あれだけの絵を描く人でも、最初はこんなんだったのか――と、思わずにはいられませんでしたが、創作を続ける積み重ねということについて、些かの感慨にふけりました。それにしても、これ2冊だけで900円分の元は取ったのではないかと思わせるほどで、太っ腹な企画なこと。
開始がちょっと遅れているな、と思ったら、進行役のバッドガイ☆ナベ氏が仕事で遅れているとの由。そのため進行役抜きで、浦嶋氏と夜羽音先生・永山さんが壇上に上がり、15分遅れでイベントは始まりました。(敬称の使い分けに深い意味はありません)
なお今回は、メモも割と適当ですし、小生の知識の限界からそもそもうまく書き起こせないことも多いので、その辺の限界はご諒承下さい。なにせ自分で自分がメモした字が読めない有様なので(苦笑)
浦嶋氏はネタとしていろんな画像を仕込んできていて、それを大写しにしながらイベントは進みます。まずは掴みとして、先日麻生首相が秋葉原で演説した際、夜羽音先生が「とっとと解散しる!!!」とプラカードを掲げていた画像を肴に、話は始まりました。振られた夜羽音先生、「話せば短いけど・・・」と語るところに拠れば、前の日に呑んでいて勢いでそういうことになり、その日は15分で秋葉原の喫茶店にて描いた由。で、麻生総理の前で騒いでいた「自称オタク」は自民党青年部なんだとか。
「ウラ取れてんの?」と突っ込む永山さんに「取れてる」と断言する夜羽音先生。3000円の居酒屋で麻生と呑んだのも青年部と主張します。
てなあたりから乾杯になり、第1部?に。浦嶋氏がデビューした20年前の話題などが語られます。夜羽音先生が「88年といえばエロ同人誌が大ブレイクした頃」と応えると、浦嶋氏は88年に白夜書房の出した『ホットミルク』のアンソロ本、『熱血!! まんが塾』というのを持参されていました。
浦嶋氏「これを見ると、あまり上手くない。これを見て、自分もデビューしようと画策した。表紙は新貝田鉄也郎さんでクオリティが高い」
夜羽音先生「新貝田さんはあこがれ。いろんな絵が描ける」
永山さん「この頃の人は今でも結構現役。この本では・・・しのざき嶺、もりやねこ、・・・出世頭は唯登詩樹、森山塔も当然ここにいるし、西秋ぐりんも。西秋ぐりんは最近教育関係の仕事をしていて、息子の塾の教材に出ていてびっくりした」
てなあたりで漸くバッドガイ☆ナベ氏登場。
浦嶋氏はまた、この当時の同人誌をいろいろと取り出して解説。が、小生には固有名詞がなかなか把握しきれず、昼間さんにお伺いを立て続けました。詳しくはそんな人間のメモよりも、浦嶋氏の回想録「西崎まりのに花束を。-浦嶋嶺至、朋友への手紙-」をご参照下さい。貴重な歴史的証言と思います。
一つトーク中で印象に残ったところを挙げれば、松原香織氏の作品について浦嶋氏は、「ハードなエロの作品に衝撃を受けた。一時はその絵を真似していた。客に受けるにはどういう絵か、という時のヒントになった」と述べておられました。こうして絵柄を変え、ラムちゃん本『十月革命』でブレイクした経緯は上掲リンク先参照。
なお、成功の要因の一つとして、浦嶋氏は創作同人の経験から得た編集テクニックをエロ同人に持ち込んだことを挙げておられました。それまでのエロ描いていた野郎共は、そんなところまで気にしなかったのだそうです。女性の同人作家はデザインなど考えていたそうで、これは画期的だったようです。
とまあ、いろいろ繰り出された同人誌について夜羽音先生が一言。
夜羽音先生「15年前、20年前という同人誌を見せて貰ったが、今の『萌え絵』は当時の絵に一回転して戻ってきているのではないか」
浦嶋氏「元々『ロリコンまんが』から始まったのだから、帰ってくるのはやりここになる」
そして、同人誌紹介の最後には、「うたたねひろゆきがコミケの新刊を落とし、お詫びとして友人に配った20部限定コピー誌」という驚くべきお宝が。浦嶋氏は一時、ガイナックス方面などとも交友があったそうです。(詳しくは「西崎まりのに花束を」参照)
更にこの間、ゲストでさだこーじ氏が登場し、そして、いよいよ第2部?「ファンの側から」ということで、三峯徹画伯が登場します。
ジャンボ鶴田のテーマに乗って三峯画伯登場。以下、画伯のお言葉はなるべく忠実にメモから書き起こすように努めたいと思います。
浦嶋氏「ところで、投稿歴は?」
三峯画伯「19年。来年で20年になる」
浦嶋氏「では来年イベントを(笑)」
※追記(2009.11.10.):ほんとに翌年、そのイベントが開かれていたそうです。
浦嶋氏「『さよなら絶望先生』のアニメに三峯さんの絵が出ていたが、何か話はあったのか」
三峯画伯「何も連絡はなかった」
浦嶋氏「三峯徹はパブリックドメインですね。アニメに出ていた初音ミクの絵は贋作らしいが」
三峯画伯「コピー誌のを変えて作ったのかな?」
浦嶋氏「最初あの絵を見て思ったのは、三峯さんはパソコン使わないから、あの塗りはおかしいと」
浦嶋氏「ひところは毎月百通投稿していたと聞きますが」
三峯画伯「今は20冊くらい。投稿費より雑誌代が大変」
浦嶋氏「名前の読み方は?」
三峯画伯「関東の人は『みつみね』だが、関西の人は『みみね』と読んでいる傾向があった」
浦嶋氏「名前の由来を。自分は嫁(註:結城らんな=『ホットミルク』の投書欄の偉い人)から聞いているが」
三峯画伯「バイトしてた会社が『三峯(みつみね)産業』というところだったので」
浦嶋氏「だから自分も、三峯Tシャツには『ミツミネ』と書いていた。『みみね』が広まったのは、伊藤剛氏が評論でそう書いたせいではないか」
永山さん「あいつが犯人か」
三峯画伯「まあ、どっちでも・・・」
ナベ氏「すると『みみね』Tシャツが出るかも」
浦嶋氏「大阪版として作るか」
三峯画伯「『三峯(みつみね)』はエロ、『三峰(みみね)』はその他で行こうかと。でも皆、言いたい方で言ってるので」
うーん、このブログで以前報じた「みつみね」「みみね」の使い分けは、まだあまり世間(?)に浸透していなかったのでしょうか。
永山さん「三峯さんの存在は都市伝説ですからね。エロマンガ雑誌が創刊して、三峯さんの投稿が来たら編集部が安心するという」
浦嶋氏「献本してくれればいいのに」
三峯画伯「昔は何冊かありましたよ」
(会場驚く)
永山さん「斉藤O子さんが(三峯画伯について)言われてましたよ、『上手くなるな』」
浦嶋氏「嫁と話したんだけど、本人を前に何だけど、『三峯さん最近枯れてきたね』
しかし違いが分かる俺も何だと(笑)」
三峯画伯「自分もそう感じる。昔の絵を見るとパワーを感じる。今よりちゃんと描いてるなあ、と」
三峯画伯「今後も時間のある限り投稿は続けたい」
浦嶋氏「復刊ドットコムで三峯画集の声もあるそうで。(註:発見できませんでした)
投稿はコピーとか取ってるんですか?」
三峯画伯「いや、取ってないです」
浦嶋氏「では、誰にも三峯さんの投稿の全容は分からない・・・」
浦嶋氏「本人を前に言うといい気にさせちゃうけど、自分はポップ・アーティストとしての三峯徹を高く評価している。僕は、何十年か後には、三峯徹は日本のアウトサイダーアートの第一人者になると思う。誉め過ぎちゃダメだけど。
ウィキペディアにあった『三峯徹』の項目を削除した奴は正直許せない。分野がハガキ投稿というだけで、やっていることはアート。削除理由で経済効果がないとかいうが、ウィキペディアの項目には(経済効果の少ない人は)いっぱいいる。それに自分は三峯Tシャツを作った。Vipperどもよりよっぽどすごいのに」
ちなみに、浦嶋氏が削除されたことを怒っているWikipediaの「三峯徹」の項目ですが、そのページを画像に取り込んだものが小生のHDD中から発掘されましたので、以下に掲げます。この画像はクリックすると元の大きさになります。
この他、三峯画伯に惚れ込んで芸名もそこから一文字取ったらしい?AV女優・峰なゆかが、自分のブログで三峯画伯のことを熱く語っていた(リンク先はアダルトコンテンツに類するものもあるので諒解の上ご利用下さい)という件なども話題に上りました。
しかしなにぶんゲストが大勢なもので、三峯画伯のトークは大体この辺で終了。その後、田中圭一氏やふくしま政美先生などのさらなる大物ゲストがご登場され、阿佐ヶ谷ロフトは混沌の度を加えるのですが、そのことはもう他日の記事に回させていただきます。この週末中には出来るかな・・・?
※追記:週末とは行きませんでしたが、続篇はこちらへどうぞ。
※更に追記(2010.10.16.):三峯画伯がなんと「タモリ倶楽部」に登場。その番組を見た感想などはこちらへ。
逆に三峯画伯は変わらなすぎです(笑)。
(ゆんさんがコメントして下さった時点では、三峯画伯の登場時点までしか書いてませんでした)。
で、本文中にお言葉がある通り、実は三峯画伯の画風も変わっておられたそうです。奥が深い。