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カテゴリ:時事漫言( 59 )

本日多忙につき適当に思い付きを連ねる・教育とトイレと谷崎と

 いろいろあって忙しいです。
 明日の授業の準備とか、金曜の授業の仕込とか。
 しかして、昨日の記事のせいか急に多くの方にご来訪いただけ、恐縮至極。ご紹介してくださったブログ等が幾つかあったようです。

 書きたいことは幾つもありますが、なかなか時間的余裕がありません(小生は文章を書くのがものすごく遅いのです)。しかしトラックバックしてくださった先などから辿って、「教育再生 有識者からの提言」などという素晴らしいページを見つけてしまい、ますます頭を抱え込むのでありました。
 渡部昇一もクライン孝子も中村粲も驚きませんが、流石に念法眞教は如何なものかと(念法眞教に関してはカマヤン氏のサイトなど参照。これまたウィキペディアで編集合戦があった由)。

 よくコメントしてくれる某後輩氏と以前教育について討論し、「教育とは社会経済学の問題であって倫理・道徳ではない」という一点で同意を見ましたが、教育をそう見たくない人が多いということはどういう意味なのかと考えずにはいられません。

 しかし。
 小生がここで教育について語るということ自体が、「教育再生会議」の面々のごとく、他者をコントロールするという「教育」の快楽に酔い痴れているという側面は否定できません。小生がバイトで塾講師をやっているということもこのことの言い訳になるとはいえないでしょう。人を呪わば穴二つ。
 というわけで、今日は自己批判をかねて、教育をきっかけに左斜め45度なお話を。まあいつもどおりということです。

 上掲「教育再生 有識者からの提言」の栄えあるトップバッターは、トイレ掃除で人格陶冶を図る「日本を美しくする会」鍵山秀三郎氏であります。ついでに言えば「日本を美しくする会」は「おやじ日本」なる団体を「応援」しており、この「おやじ日本」には警察官僚としてメディア規制に熱心で「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」委員でもある竹花豊氏が関っています。

 小生は以前19世紀英国の家事の指南書など抄訳したりして、少々家事の歴史をかじったりしました。で、20世紀の先進国では、家庭電化の普及などをてこに家事の合理化が進んだ(皮肉を言えば戦争のおかげ)のでありまして、その結果生活の質はおおむね向上しました。こういった家事の合理化に際しては、勿論市場の拡大を狙った企業の活動も大きいですが、婦人問題の運動家とか学者が生活の合理化を唱えて啓蒙普及活動に励んだのもあるでしょうね。
 で、鍵山氏のご高説ですが、小生には今ひとつ納得できません。同じ成果をあげるのにより少ない労力で済む/同じ労力でより大きな成果を上げることは「合理化」でありまして、まずもって大変結構なことだと思います。合理化を実行するには、状況の分析力・解決を編み出す発想力・アイデアを実現する実行力などが問われ、これはなかなか大変なことです。しかして特に企業経営においては、これが重要なことは論を俟ちません。
 家事の世界で合理化が進んだことは否定すべきではないし、ことトイレに関してはTOTOやINAXなどによる技術進化もめざましい物があると思います(小生の家の便器も数年前にリフォームして取り替えましたが、汚れがつきにくく落ちやすくなっています。おまけに水使用量まで減っています)。然るに、鍵山氏の会の清掃法は、どうもそういったことを一切顧慮に入れず、熱湯や紙やすりを使い、あまつさえ感染症の危険性も埒外に置いているようです。
 以上の問題点については、こちらの「七転び八起き日誌」で経験者の方が縷々指摘しておられます。小生は、合理性を欠いた行為に従事することへの教育的効果は疑問視せざるを得ません。

 でまあ、ここで言いっぱなしなのもあれなので、ふとここら辺までウェブ上の情報を読んで思いついたことを発展させるべく書架から一冊の本を取り出しました。
 岩波文庫の『谷崎潤一郎随筆集』を。
 どういう関係があるかって? 有名な「陰翳礼賛」の中で、谷崎が便所のことを色々書いているのですな。
 私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内されるごとに、つくづく日本建築の有難みを感じる。(中略)数奇屋普請を好む人は、誰しもこういう日本流の厠を理想とするであろうが、寺院のように広い割りに人数が少く、しかも掃除の手が揃っている所はいいが、普通の住宅で、ああいう風に常に清潔を保つことは容易ではない。取り分け床を板張りや畳にすると、礼儀作法をやかましくいい、雑巾がけを励行しても、つい汚れが目立つのである。で、これも結局はタイルを張り詰め、水洗式のタンクや便器を取り附けて、浄化装置にするのが、衛生的でもあれば、手数も省けるということになるが、その代り「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまう。彼処がそんな風にぱっと明るくて、おまけに四方が真っ白な壁だらけでは、漱石先生のいわゆる生理的快感を、心ゆく限り享楽する気分になりにくい。なるほど、隅から隅まで純白に見え渡るのだから確かに清潔には違いないが、自分の体から出る物の落ち着き先について、そうまで念を押さずとものことである。
 といわけで、清掃をすること自体が目的であるならば、便所の構造自体も変えてしまったらどうでしょう。「伝統」とやらを重視する「教育再生会議」やら「教育再生機構」やらのご理念とも一致するかと思いますが。
 もっとも、谷崎先生のご意見がかなり偏ったものであることは念頭に置いた方がいいと思いますけど。大体昭和初期に水洗便所を「手数も省ける」といって導入するというのは、ごく限られた階層の話でしょうな。
 そして、谷崎先生は結構な(ノーベル文学賞級の)「変態」であられるということです。作品は面白いけれど、かといって一般の教育理念に安易に適用できる価値観じゃないですね。

 さてここで「変態」ということで思いついたことが。
 19世紀のヴィクトリア朝では、中間以上の階級は子供をパブリックスクールに送り込むことを当然と見做していました。そして全寮制のパブリックスクールでは、罰則としての鞭打ちが始終行われておりました。鞭打ちが当時の英国人の人格陶冶について如何なる影響があったのかを記した文献は読んだことがありません。ただ、どうも現在のSM趣味の原点はヴィクトリア朝の鞭打ち趣味にあり、そういった趣味がこの時代に生まれたのは、パブリックスクールのこういった仕組みによるとする説が有力なようです。
 さてここで、素手素足のトイレ掃除が、上掲「七転び八起き日誌」にあるように教育現場に取り入れられている状況が将来的にもたらす影響を、ヴィクトリア朝の先例を斟酌して推測しますと。

 次はスカトロ趣味が来る、と考えられます。

 実際、上のブログに「便器の水こしにビールを注ぎ飲む者さえ居ると聞く」とある(ソースが不詳ですが)ことからもその線は高そうです(笑)。変態が増えること自体は、案外世の中住みやすくなりそうかもしれませんけど。
 駕籠真太郎先生の作品を愛読している小生の趣味は、時代の先端を行っているのだ、なんて。今度、町野変丸にも手を出してみるか。

 ちなみにこんなことを思いついた直接の理由は、小生のパソコンのIMEは「そうじ」と打って変換したら第一候補が「双児」だったからです。『エロマンガ・スタディーズ』の索引を作ったせいですね。

※このネタの続きはこれとかこれとか

by bokukoui | 2006-12-26 23:59 | 時事漫言 | Comments(6)

聖夜の雑話~教育を巡る2題

聖夜の雑話~教育を巡る2題_f0030574_051535.jpg
 吾妻ひでお『失踪日記』イーストプレス(p.164)より。
 12月25日、という日付でまず思い浮かんだこと。

 今日の小生は、女子高生とふたりっきりで・・・









 世界史の授業をしてました。
 他の生徒は諸事情により休み。お題が第1次大戦なので(冬期講習は20世紀を重点的に扱う予定)、調子に乗って巡洋戦艦ゲーベンやシュリーフェンプランについて一席ぶちました。女子高生にこういう話をして喜んでいるところ、生半可な風俗より変態プレイかもしれません。

 そういう変態が多いから、ということとはまったく関係ないでしょうが、ノーベル賞を受賞した野依良治博士が「教育再生会議」座長として「塾の廃止」を唱えていたことが最近報じられ、話題となりました。
 本件に関しコメントしておられる方は多く、その非現実性であるとか、優れた科学の研究者が社会政策において同等の見識を発するわけではない(この二つは決して相反するものではなく、むしろ相関しうると小生は思うのですが・・・)、自分の体験の絶対視等々の問題点は指摘しておられる方もおられるようです(畏友の「憑かれた大学隠棲」氏も書かれていますね)。
 ここに小生が一点付け足すとすれば、野依博士のお説のごとく「公立小学校で放課後に児童を指導し、「祭り」「演劇」「ダンス学芸会」などを体験させる「放課後子どもプラン」」について「塾をやめさせて、放課後子どもプランをやらせないといけない」とすることには、おそらく現今のもうひとつの重要な教育現場の問題であるいじめの対策と相反する可能性があるのではないか、ということです。
 子供の生活する世界に学校の占める位置付けがあまりにも大きいと、いじめに代表されるトラブルに遭遇した場合、学校に対する絶望を世界全体への絶望と取り違えて最悪の選択をしてしまう危険性が高まるのではないでしょうか。その際に、塾のような学校と別個の生活の一角をなす拠り所があると、そこまで思いつめることもなくなるのではないかと思います。
 ああ、もちろん地域でサッカーするとかでもいいんですけど、地域活動は学区制の学校の場合学校の縁が持ち込まれやすい気がするので、それも切り離せるという点、塾は肯定的に評価すべき性格を持っていると思います。
 ・・・まあこれも、中学受験経験者の個人的経験に基づくもので、到底一般化できないという面では野依博士と大同小異なのかもしれませんが。あと小生は、小学校で特に辛い目にあった記憶はあまりなく、殊に5・6年の担任の先生は、中学受験が多く2月1日は学級閉鎖状態の学級を良くまとめておられたと思います。

 ここで「部活」の文字を見て突然思い出したけど、今日の授業中女子高生に
「スポーツマンシップとは三つの差別から成り立っている。
 貴族・ブルジョワジーの労働者に対する階級差別。
 白人の黄色人種・黒人に対する人種差別。
 そして男の女に対する性差別である!」

 と、一席ぶちましたな。『機関銃の社会史』に影響されすぎだと我ながら思いますけど(苦笑)。
 でもまあ、19世紀の歴史を振り返ればそんなもんでしょ。
 で、もうちょっと真面目に言えば、学校教育現場における「部活」、運動系のそれは、色々と再検討すべき余地が大きいと思います。
 「放課後子どもプラン」も、こういった視点を持っている小生からすると・・・放課後の選択肢は学校と別に整備した方が・・・。

 話を戻します。
 塾を廃止するといえば、もう随分昔に筒井康隆が「廃塾令」という諷刺小説を書いていました。野依先生はじめ「教育再生会議」の面々はそれを知った上でネタをしておられたのでしょうか。マスコミ関係者で筒井先生に取材した者がいないらしいのは残念です。
 それにしても。
 筒井康隆のネタを政府の会議で真面目に発言するとは、筒井康隆の目の鋭さも勿論あるにしても、現実とフィクションの壁なんて実はごく薄いということなのかもしれません。

 現実とフィクション、という論点が急に出てきたのは、こんなニュースも今日入ってきたからです。
 有害ゲーム、コミックは業界自主規制を 研究会
 児童ポルノ対策強化を=コミック自主規制、業界に要請へ-警察庁研究会
 後者の記事を引用しておきましょう。
 警察庁の「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」(座長・前田雅英首都大学東京教授)は25日、子供を性行為の対象とする内容のコミックやゲーム、アニメについて、誤った認識を助長し、犯罪を誘発する可能性があるとして、関係業界の自主審査や販売規制などの対策強化を求める最終報告書をまとめた。

 特に幼い子供を描くポルノコミックが、同人誌の即売会やインターネット上で多数販売されている現状に懸念を示した。同庁は報告を受け、業界に取り組みを求める。
 研究会のサイトはこちら、報告書はこちら(pdf)。
 補足しておくと、座長「前田雅英」のウィキペディアの項目が編集合戦のような状態になっています。
 別に先日書評したから言う訳ではありませんが、この研究会の方々、「研究」と題されるからには、永山薫『エロマンガ・スタディーズ』もお読みになられたのでしょうね? 最後の研究会にはぎりぎり間に合ったはず。「前田雅英」のウィキペディアの項目に引用されている内閣府の議事録(これこれ)の中で、前田氏とやりあっている瀬地山角氏は、その昔研究のためにエロマンガを読み比べたそうです(『お笑いジェンダー論』勁草書房 男がフェミニズムを研究することの意味を述べている点が初学者むけかと)。

 それにしても。
 結局のところ、何かを悪者にしてそれに責任を押し付けようという点では、教育再生会議もバーチャル~研究会も同じことなのでしょうね。人は自分の信じたいことを信じるわけで、そのメディアが小説であろうがテレビであろうがゲームであろうが携帯電話であろうが、そして教科書であろうが、その差をあまり大袈裟に言い立てるのは、あまり事態の解決に貢献するとも思えません。結局それは「おまじない」でしかないわけですから。教育基本法「改正」もまたお題目的側面が限りなく強かったことからすればある意味なるべくしてなった事態であるといえますが。
 小生が思うに、教育の価値とは、何かを悪者にしてそれでことは済んだと思わないような思考力を身につけることではないかと。地味地味と、日々その実践に励むことと致しましょう。(←シュリーフェンとどう関係あるのかね?)

※追記。
塾講師にしてエロマンガ作者であったという、今日の記事で扱ったような問題に関するもっとも適切な論者であろうと思われるカマヤン氏が、後者の問題について発言しておられます。参考になる資料もあるのでリンク。氏が塾の仕事で多忙な中、記事を書かれたことには頭が下がります。小生如きのコマ数で音を上げていては駄目ですね。
 ・・・野依博士、塾関係者がテンパってる冬休みの前にこんな発言をするとは、狙ってたんでしょうか?

by bokukoui | 2006-12-25 23:59 | 時事漫言 | Comments(7)

レックスHDの話続き・愉快なDVDからギャルゲーのアイディアを得る

 先日2回に渡って話題にした(こちらこちら)、焼肉の「牛角」をはじめとする外食産業とコンビニ「am/pm」、高級スーパー「成城石井」を経営するレックスホールディングスについて、MBO以降の展開についての報道が出ていました。

 コンビニ再編 エーエム・ピーエムの運命

 要するに「同HD傘下のコンビニ大手のエーエム・ピーエム・ジャパンと高級スーパーの成城石井の売却話がまことしやかに流れている」ということですね。出典がゲンダイネットなので眉唾といえば眉唾ですが(苦笑)、しかし以前の記事の材料提供者から得ていた情報と突き合わせても、ごくごく当然というところかと思われます。
 一時の勢いで規模を拡大してみたものの、結局「西山商店」を脱却する企業統治を編成できなかった以上、事業を絞り込む方向で再編するというのは当然でしょう。am/pmはどうなるか分かりませんが、成城石井に関しては買い手は必ず現れるでしょうし、値段も相当なものがつくはずで、ファンドも事前にそれを見越しての出資だった公算は低くないように思います。

 で、前回は件の会社の経営理念? を語った小冊子を肴にしましたが、今宵は別のグッズを題材に一席。といっても実は以前に書いたことの焼き直しに過ぎないのですが。
 レックスHDの外食事業を営むレインズインターナショナルは、半期に一度「パートナーズフォーラム」というものを開いて、全社員を一堂に集め、各店舗の取り組みの中で特に優れたものを発表させて表彰するというイベントです。小生が上掲記事で見たというDVDはこの「パートナーズフォーラム」の模様を記録した2枚組DVDなのでした。リンク先の2004年は東京ベイNKホールが会場だったようですが、小生が見たものは横浜アリーナを借り切ってというものでした。凄い規模ですね。
 あ、そうそう、レックスグループではアルバイトのことを「パートナー」と称します。ので、このイベントをもっと一般的に分かりやすい表現に直せば、「アルバイト日本一決定戦」というところになろうかと思います。これは「牛角」「温野菜」「土間土間」などのレインズ系各店舗のアルバイト(パートナー)が、店舗ごとに売上向上などの目標を定め、それを達成した店舗が自分たちの取り組みをプレゼンする、というものです。

 昔小生は、マルチまがい商法の大手として悪名高いAmwayの宣伝ビデオを見たことがあります。あれはあれで、そのネズミ講的性格を巧みに押し隠して新規メンバーを勧誘するテクニックや、その勧誘に説得力をつけるために登場する「成功者」の姿など、見ていて頭を抱えたくなる局面も多かった反面、突き放してみれば説得術の一つのマニュアルとしてはそれなりに興味深くもありました。その技術の使う方向が思いっきり間違ってますが。
 アムウェイで思い出しましたが、「成功者」の姿を売り込んで人々を勧誘するアムウェイの姿を最も巧みに戯画化して描き出した伝説のサイト「うえのはるきのほめぱげ」はまだ残っているんですね。

※追記:その後、「うえのはるきのほめぱげ」は残念ながら消えてしまいましたが、形を変えて復活しました。こちらを参照→伝説のサイト「うえのはるきのほめぱげ」ツイッターで復活!?~レッツビギンやで! ポジティブや!!

 しかし、アムビデオ鑑賞の経験を持つ小生にとっても、このレインズインターナショナルの「パートナーズフォーラム」DVD鑑賞は精神的に辛いものでした。
 目標を定めそれに向かって適切な方法論を検討し、実現に向かって努力する。そのこと自体は全く結構なことです。しかしこのフォーラムの画像を見てみるに、目標設定にもその達成手段についても、合理的な説明が全くといっていいほどされておらず、ただただ自分たちの熱意を絶叫と号泣と共に連呼していく姿ばかりがどこまでも続いていくのです。
 「宗教的」とでもその熱狂は形容すべきなのでしょうか。小生は見ていて辛くなり、屡々鑑賞を中断せざるを得ませんでした。正直言ってアムウェイよりきつかったです。社会的には、在庫を抱え込んで経済的に困窮する危険性があり、周囲との人間関係を破壊する恐れのある、マルチまがいのアムウェイの方が危険なはずなんですけどね。

 で、アムウェイに比べてレインズの「パートナーズフォーラム」が持つ嫌な感じを考えるに、アムは個々の構成員は個人事業主(ディストリビューター)として位置づけられるのに対し、レインズのそれは店舗単位の集団で行動しているからではないかと思い至りました。
 先ほど紹介した「うえのはるきのほめぱげ」に、アムウェイに勧誘されて入った暴走族が儲からないことに気がついて辞めてしまう話があります。アムの場合、こうして脱落した人間は脱落なかった人々から「成功という夢への道を諦めた落伍者」と馬鹿にされるでしょうが(はたから見てどっちが馬鹿かは別として)、とにかく、辞めて損切りをすることはある程度可能です。
 で、レインズの場合は如何、と考えるに、「パートナーズフォーラム」DVDを見ていると、舞台上でプレゼンをする店舗の人々のプレゼン前・後の姿が納められているのですが、プレゼン前にはスクラムを組んで気勢をあげ、後には抱き合って涙を流しています。プレゼン中では店舗のアルバイトたちの「一致団結」「仲間と共に」という言葉が連呼されます(で、DVDの演出は思いっきり『プロジェクトX』調)。
 もちろんアムウェイの方も、定期的にミーティングを開いて「成功」の魅力を注入し、脱落者が出にくいようにしていることは事実です。ただアムはマルチまがい商法というその性格上、人間関係のつながりが垂直的に編成されるのに対し、レインズの場合は店舗という形で水平的に編成されるという相違点があり、そこがおそらく集団への依存心をより強いものにしているのではないかと思います。

 あともう一つ、プレゼンする人々が「お金のために働くのではない!」と強調し、仲間との連隊と目標達成によって得られた人間的成長、のようなことを矢鱈と強調するのを見ていると、これも以前に書いたことと同じですが、新興宗教や自己啓発を連想させるような手法で従業員の精神を動員し、彼らの労働力を賃金水準以上に搾取する戦術という側面があるのであろうと思います。これが、そういった戦術である、という認識のもとに行われているのか、行っている経営陣もこの方法に自ら酔いしれているのかそこら辺は分かりませんが。
 こうなると、あまりにベタすぎて失笑が漏れてくるとはいえ、物質的な「成功」を目標に含んでいるアムウェイの方が、ある意味「まとも」に見えてくるような気さえします。アメリカ的個人主義、なのでしょうか(Amwayは American way の略)。もっともレインズ・レックスの創始者・経営者である西山氏は、以前の記事(こちらこちら)で紹介した小冊子によると、マクドナルドでの就業経験で現在の外食産業という事業に目覚めたらしいので、或いはアメリカ的経営術もレインズの方針に影響しているのかもしれませんが。しかしだとすると、アメリカと日本の悪いところを掛け合わせたような・・・なんてね。

 でまあ、こんなことばかり考えていても鬱々とするばかりですので、DVDを見ながら考えたヨタ話が以下。
 店長(社員)が中心となって店員(バイト)を団結させ、ライバルたちを倒して日本一(世界一)に輝く・・・というストーリーは、まんまゲーム化できるんじゃないか、と考えたのであります。で、飲食店経営をゲームにするなら、ここはやっぱ美少女+可愛い制服路線で行けばいいのではないかと(笑)。これはいわば「調教」ゲームです。しかりありきたりなSM系調教ゲームではありません。そういう調教ではご主人様と奴隷の二人きりの世界をとことん突き詰めるのが普通ですが、この場合は店舗経営の効率化のために洗脳するという点が加わり、複数の店員間の団結を図らせねばならないという点がより複雑なマネジメントを要求します。しかもこれと必ずしも両立しない、特定の女の子と仲良くなるという個人的目的をも同時に追い求めるとなると、ますます面白くなるでしょう。
 というわけで、『Pia! キャロットへようこそ』とか『ショコラ』とかの続篇を作る際に、「パートナーズフォーラム」を参考にしては如何、と思ったのでありました。すべての目標を上手く同時に達成させると、「パートナーズフォーラム」で満場の聴衆を前に女の子に告白してもらえる、とか。
 いやまあ、小生が知らないだけで、既にこういうの実際あるのかもしれませんが。昔酒井シズエ翁もこんなネタやっておられますし。

 と、一見下らないこと(いや本当に下らないことだけど)を考えたわけですが、しかし自分がオーナーならともかく、チェーン店の一店舗の場合店長の裁量でメニューを増やしたりするようなことはやりにくそうで、ゲーム的に言えば「いじれるパラメータ」が店員の時給の他には士気くらいしかない、ということがあるのかなあと思っても見たりするわけです。
 そしてまた、「パートナーズフォーラム」を見てこういうネタをすぐ思いついてしまうほど、いわば熱血少年漫画的世界を地でやっているということの可笑しくも物悲しき状況について、現実とフィクションの区別がついていないのは一体誰なのかと思ったりもするのでした。

※この駄文作成中繋いでいた音楽
※リンク切れに付画像差し替え


※追記:その後レックスホールディングスの事業は解体され、am/pm はファミリーマートに吸収されて商標は消滅し、成城石井は三菱系のファンドに譲渡されました。同社自体も居酒屋などを経営するコロワイド社に買収され、その子会社となってしまっています。

by bokukoui | 2006-12-11 23:58 | 時事漫言 | Comments(0)

王の蹉跌~レックスグループMBO雑考続き

 昨日の記事の続きです。

 さて、レックスグループの総帥・西山知義氏が、常々「感動創造」なるスローガンを呼号しているにもかかわらず、今回の件で株主に対してそれと逆な振舞をした理由ですが、小生が思うにまずそもそも株主について考える度合いがあまり高くなかったのではないかと思われます。なんとなれば昨日の記事で散々ネタにした件の小冊子の中で、株主について触れた箇所が実は案外少ないということから思いついたのですが。「株主重視の経営」なんてフレーズは、ここ十年で耳にタコが出来るほど普及したように思いますが、どうも西山氏の経営理念の中では、顧客に対するそれと比べ株主に対する配慮は低いように思われます。
 ではそれは何故か、ということを更に考えれば、結局レックスグループとは西山氏がオーナー経営である会社だから、というところに帰着するのではないかと思います。株主≒西山氏でしたら、株主利益云々を言わずとも、従業員に西山氏の経営理念なるものを注入すれば、それで事足りることになるでしょう。

 何やかんや言っても、これだけ大きなチェーンを築き上げたのですから、西山氏のこれまでの経営手法が全く間違っていたわけではないでしょう。しかし、一軒だけとか数店舗程度のお店と、千を越える店舗や種々の業態を抱えた企業の経営とでは、おのずと異なる点が出てくるはずです。
 小生思うに、本件の示したことは、レックスグループというのは結局「西山商店」であり、そのグループ規模に相応しいだけの経営体制に進化できなかった、ということなのであろうと見ています。予算の修正を何度も繰り返したこともその表れでしょうし、この記事中で西山氏自身が認めている「懸案となっている経営課題としては◆社員の負担感の増大から来る組織風土の悪化◆経営管理体制構築の遅れ◆既存業態の継続的にブラッシュアップする仕組みとブランディング化の遅れ──など」といった問題もそれと関連していると考えられます。
 件の小冊子で株主のことよりも遥かに多く述べられていることは、顧客に対する「感動創造」でした。成る程外食産業という性格からすればそれは重要なことでしょうし、これまでの同グループの成長からすれば一定の成果はあったのでしょう。しかし、「こだわりの職人が作る菓子店」「頑固おやじのラーメン屋」と、従業員数千人店舗展開千店の企業グループとでは、同じ様な調子で経営できるものでもないでしょう。

 今回の件についてネットで調べたところ、株主優待廃止を怒る声が多かったということを昨日触れましたが、上場して株主優待をやって個人投資家をひきつければ、「顧客=株主」という図式が出来上がることになります。これはうまく行けば、会社のファンに株を持ってもらうということで、安定した株主になる可能性があります。しかしそこで蹉跌をきたすと、両方を失う結果になってしまいます。そのことが将来的に同グループにどのような影響をもたらすかは、興味深いところです。
 まあ、そんなことを考えたのも、小生が電鉄業史なぞやっていて、「沿線の定期客全員に株主になってもらって、電車は無料で動かせば良い」と言っていた小林一三の言葉なぞが念頭にあったせいなのでしょうが。 (※鉄道業はどんなに小規模でも、個人事業ではない公共性の高い株式会社であり、外食産業のような企業の成長の結果としての企業統治形態の変化への対応、といった課題が生じることは少ないと思われます)

 では最後に、将来予測なんてあたるはずがないということを承知の上で、今後のレックスホールディングスの向かうであろう方向を考えてみましょう。
 MBOによって非上場にするというのは、いわば企業の形態がより「個人商店」的なものに近づくという風に解釈できるのではないかと思います。そして、「個人商店」的状況下で西山氏は業績を挙げてきたという過去の実績があります。したがって、上場を廃止して西山氏がより得意とした経営形態の時代に戻そうと図ったことは、氏からすれば高い合理性があるように思われたのではないかと思います。
 しかし、既にレックスホールディングスがこれだけの規模の会社になってしまっている以上、グループを解体して縮小するのでない限りは、結局大企業に相応しい経営形態を構築しなければ問題の解決にはなりません。そして、そのような問題を解決するには、むしろ市場の判断に身を委ねた方が合理的であるようにも考えられます。MBOがそれに相応しい解決手法となるかといえば、「個人商店」的なものからの脱却が必要なのに、むしろそれを強化するようなことをしてしまうようでは、本末転倒と申せましょう、投資ファンドが果たして経営改革にどこまで乗り出してくるのでしょうか? 資産切り売りで食い逃げされたり(成城石井ならきっと高く売れそう)するオチに終わったりしないか、将来が懸念されます。
 要するに、急拡大はかえって危険な場合もある、ということでした。

 ちなみに、昨日の小冊子の一番最後のページには、以下のようなことが書かれています。改行も原文のまま引用します。
もしも、あなたの周りに
このマニュアルに書かれていることと反する
行動をとる人がいた場合には
速やかに正してあげてください。
それでも直らない時には、どうぞ私に知らせて
ください。

私達の活動の全ては、
「感動創造」という理念に基づいたもので
なければならないのです。
西山 知義
 というわけで、株主の「感動」を踏みにじった西山氏のことをご自身に知らせて差し上げようと思ったのですが、生憎と連絡先を存じ上げないので、ネット上という公共の場に公示することでそれに代えたまでです(なんだか役所の送達の告示みたいですな)。

 以下余談。
 小生は来週の学会報告に備え、今は亡き百貨店「白木屋」(→東急百貨店日本橋店)について先行研究を調査せんと考え、論文検索のデータベースに「白木屋」と入力してみました。すると小生が探していたような論文は1本しか見つからず、最も多かったのが居酒屋チェーンの方の「白木屋」に関するものでした。
 では雑誌記事・掲載論文は居酒屋白木屋の何を取り上げていたのでしょうか? そう、それは残業代を踏み倒されたという事件にまつわるものだったのです。週刊新潮の「酷使・ピンハネする白木屋」(正確な表題は失念)といった記事に始まり、そして訴訟を起して勝利した従業員たちが闘いを綴った手記であるとか、法廷闘争に関して法律家が解説した記事とか・・・。この事件の場合は勝利したようなので何よりでしたが、最近は残業代を払わなくて済むように労基法を変えちゃえという話もあるご時世なので、油断は出来ません。
 ともあれ、外食産業に関して言えば、結局はいずこも同じ秋の夕暮れ、ということのようで。

※追記:この話の続きはこちら

by bokukoui | 2006-11-15 23:58 | 時事漫言 | Comments(0)

「感動」はどこへ行ったのか~レックスグループMBO雑考

 昨日書こうと思って寝てしまったので(笑)今日書きます。鮮度が落ちてしまった感もあるのですが。

 数日前にちょいと示唆した話題ですが、焼肉チェーン「牛角」などの外食事業や、コンビニ「ampm」、高級スーパー「成城石井」などを経営するレックス・ホールディングスがMBO(経営陣による株式買収)を宣言しました。以下のニュース参照。

「牛角」親会社が経営再建へ
レックスHDがMBO、株式非公開化で経営立て直し

 この件に関しては、同社の株が一時期60万近くまで行っていただけに、23万という値段でのMBOを宣言された個人投資家から怨嗟の声が上がっているようです。特に株主優待が廃止されるため、株があんまり値上がりしなくても焼肉食えれば・・・なんて感じで買ってしまった個人投資家は、今後牛角に足を運ぶことはないでしょう。以下の記事参照。

レックスHDのMBO、個人投資家につけが?

 また、本件に関しこちらのブログは各方面へのリンクが充実しておられます。

「牛角」REX HDのMBOと株主優待の行方。

 さて、本件に関し小生が一体今更何を付け加えるのかと申しますと、どういうわけだか「社外秘」のはずのREXの資料が流出して現在小生の手元に転がっているので、これを手がかりに経営者・西山知義氏の姿勢に一筆啓上申し上げよう、という次第であります。
「感動」はどこへ行ったのか~レックスグループMBO雑考_f0030574_0585817.jpg その資料とは、残念ながら社内極秘資料の如きものではなく、左のような小冊子です。B5版の幅を少し削ったくらいの大きさで、120ページほどのものです。奥付によると編集は「レックスグループ スピリッツマニュアルプロジェクト」、発行は「株式会社レックスホールディングス社長室」、2006年4月第1刷発行となっていますが、小生が保有しているのは同年5月発行の第2刷です。一応社外秘だそうで、正社員にしか配布されず、アルバイト(レックスグループでは「パートナー」とかいうらしい)や契約社員には配布されていないらしいです。
 この小冊子の大部分は、レックスグループの――というか創業した経営者の西山知義氏の経営に関する理念を述べた章からなっています。先日ワタミ経営者に関していささかの批評を行いましたが、西山氏に関しても多少同様の感を抱かないでもありませんが、氏の経営理念について云々するのは今回の本稿の狙いではありませんから詳説は避けます。要するに、「感動創造」ということが西山氏の経営理念の基本概念であり、そのために社員は努力すべきである、ということらしく(この冊子は社員向け教育用らしいので)、それさえ分かっていればとりあえず大丈夫だと思います。お客を感動させることで従業員(レックスグループでは「主業員」というらしい。「従う」だけではないからだとか。変な日本語を作らないで欲しい)も成長するのである、そんなことが書かれています。
 社外秘なのはこの辺の理念が経営の秘訣だからなのでしょうか。もっとも一読した範囲ではほとんど心構え、精神論なので、むしろ宣伝した方がいいような気もしますが。牛角などの経営の現場で試行錯誤しながら摑んだ具体的ノウハウ、とかなら同業他社に教えてやるもんか~となるのは分かりますけど。

 さて、この小冊子の末尾にはレックスグループの歩みが簡単に記されており、一応経営史のようなことをやっている身としては社史っぽいものにはつい反応してしまいます。そこに株式上場の際の経緯が記されているので、ちと引用してみます。
『株式上場』
上場とは、資本はなくとも素晴らしいビジネスモデル、アイデア、ノウハウ、人財(引用注:原文ママ。レックスグループでは人材は経営の重要な財産ということでこんな字を使うらしい。変な日本語を作ら・・・以下略)のある企業に対し、株主様が投資をすることによって、市場全体で企業を応援し育てるものです。
「株式上場は経済を活性化し、多くの方々の社会生活を豊かにする。レインズインターナショナル(引用注:レックスホールディングスの旧名。現在は牛角など外食部門を統括する子会社の社名)を上場させることで、私達には今以上に感動を創造するチャンスが生まれるはずだ」
西山は、株式上場を常に意識し、活動していました。それはやがてレインズインターナショナル全体の大きな目標に変わっていきます。「レインズにできるはずがない」と口にする関係者や「こんなに忙しい中で上場なんて無理だ」と考える社員もいましたが、高い目標に向かって活動していく中で皆の意識は一つになり、株式上場はいつしか社員全員の日付のついた目標となっていきました。
2000年12月18日、JASDAQ上場。
目標にしていた日付よりも早くその目標は現実のものとなりました。その日、証券取引所の掲示板に200万という初値がついた時、西山はそれまでの苦労を思い返し、大内(現・レインズインターナショナル代表取締役社長/当時・同社常務取締役 引用注:現在は社長ではないようです)と共に涙を流しました。役員も社員も一同が喜びを分かち合えた日でした。(pp.104-105)
 なるほど株式上場も「感動創造」の一環に位置づけられていたんですね。
 ところで、上場した当時の社名はレインズインターナショナルでしたが、その後 ampm や成城石井の経営権を握ったりしたので昨年五月に持株会社のレックスホールディングスに社名を変え、レインズの名は外食部門の子会社名になりました。ので、この時上場した株が今回MBOで上場廃止になるわけですね。上場しても「感動創造」のチャンスは増えなかったんでしょうか。
 なお、MBO価格は一株23万だそうですが、「ええっ? 初値200万の株が23万でMBO!」と勘違いされた方のために注釈を付しますと、同社は四度に渡り株式分割を行って、累計すると32倍になっておりますので、上場当初から見れば充分元は取れているはずです。同社のサイトをご参照下さい。株式分割で同社は市場の注目を集め、資金を調達することが出来たそうです。
 ・・・って、これはホリエモンがやりまくって顰蹙を買った手法ではないか・・・まあ2倍と4倍の分割しかしてないけど・・・。

 とまあ「感動創造」を旗印に拡張を続け、上場にまで漕ぎ着けたレックスでしたが、同社は今回大きな方針転換を余儀なくされたようです。最近は決算の修正を繰り返すなどどうも経営体質自体に問題があるようで、BSE云々は原因としては副次的なものに過ぎないでしょうね。この結果、今回株主に逆の意味の「感動」を与えてしまったわけですが。
 しかし株式会社なら、お客と従業員以外もステイクホルダーとして株主は重視されるべき存在のはずです。西山氏流に言えば株主の「感動創造」はどうなっているのでしょうか。一応件の小冊子に記載はあります。お客の「感動」を得ることで、理念に基づいた営利である「理益」(レックスでは理念に基づいたものだからと利益をこう表記するらしい。変な日本語・・・以下略)を拡大する、それが次の「感動創造」につながる、そのようなことを説明した箇所から引用してみましょう。
・業務量・ビジネスチャンスの増加
  ⇒取引先様に感動を提供できる。
・出店・ビジネスチャンスの増加
  ⇒加盟店に感動を提供できる。
・高い成長力に対する期待、株価の上昇
  ⇒株主様に感動を提供できる。
・様々な資金調達や労働環境の改善、給与アップ、夢実現
  ⇒主業員(引用注:原文ママ)に感動を提供できる。
・感動のステージの増加(店舗の拡大・改善)
  ⇒もっともっと多くのお客様に感動を提供できる。(p.17)
 成る程、一応入ってはいますね。しかし、今回のMBOが株主に「感動を提供」したとは全く思えません。怒りと恨みはだいぶ提供したようですが。

 以下推測を交えつつですが、何故こんなことが起こったかを書きたいと思います。しかし充分長くなったので、続きはまた明日

by bokukoui | 2006-11-14 23:58 | 時事漫言 | Comments(0)

トルコのバス事故

 トルコのバス事故で邦人観光客が亡くなったとの由。
 奇禍に遭われた方には哀悼の意を表しますが、しかし「トルコで日本人観光客交通事故死」というニュースにどうも何度も聞き覚えがあるので、トルコの交通事情って余程危険なのかと思ってしまいます。今回の事故はコンヤ・・・ああ、Konya ね、あそこは山岳地方で攻めにくいけど、多くのエリアに接しているから攻めざるを得ないんだよな・・・と、"Europa Universalis 2"のことをつい思い出してしまう自分に情けなし。まあ山岳だけあって事故も起きやすそうですが。
 とまれ、ちょっと調べたら2001年にもトルコの交通事故で日本人観光客が亡くなっており、それ以前にも事故があったようです。ローマで事故った地下鉄に日本人が乗っていても驚きませんが、トルコの日本人観光客はそこまで多いとも思えません。トルコの観光地の多くが、カッパドキアの遺跡のように古代ローマ帝国やキリスト教関連の遺跡であることを考えると、ヨーロッパのキリスト教徒の観光客は日本人よりもっとずっといるはずで、トルコの交通事情は大丈夫なのでしょうか。

 外務省のサイトを見ると、
交通事情
 道路交通事情、交通マナーとも良くはありません。警察の発表によると2005年の交通事故総件数は約57万件で、死亡者は約2,500人、負傷者は70,000人となっています。
 交通マナーは良いとは言えず、信号無視、一方通行の逆走、猛スピードで乱暴な運転をする車両が多数見受けられます(特にタクシー、ドルムシュと呼ばれるミニバス)。事故に巻き込まれないための自己防衛に細心の注意を払う必要があります。
 市街地でも信号機と横断歩道の位置関係がわかりにくい上、明らかに車両が歩行者より優先しており、道路を横断しようとしている歩行者がいても停止する車はほとんどいないので、徒歩による移動の際も十分な注意が必要です。また歩行者自身のマナーも決して良いとは言えず、車両の間を縫うようにして道路を横断することから、運転の際は注意が必要です。
と、当局のお墨付きでした。
 またトルコの事情に詳しいこちらのサイトバスの案内もあって便利。観光客はもとより、バスマニアも満足の内容)によりますと、
死亡者数は年間約5000人で、人口あたりでは日本とさほど変わらない数字。しかし交通量が少ないことを加味すると、事故に遭うリスクは高いと言わざるを得ない。
と、外務省の倍の数値が挙げられています。どっちが正しいんでしょう。
 ただ、トルコの一人当たり国民総所得は日本の十数分の一であるにもかかわらず、ガソリン税は日本より高く、自動車にも高い関税が課せられているようです。そんな交通事情の国でこの死傷者数となると、やはり「事故に遭うリスクは高い」ということは確かなようで・・・。

 もっとも、暴論を承知で言えば、世界の「標準的な」交通事情とはおおむねこの程度であって、日本は異常なくらい諸々の交通機関が安全な国、というべきなのかもしれません。もちろんだからといって、現場の従業員に事故原因を負わせて事故調査の結論にしたり飲酒運転をしていいというわけじゃないですけど。
 さらにここから、リスクを減少し安全を達成してしまったが故に、リスクに過敏になっているという状況が日本にあるのではないかと話を広げることも出来そうな気もしたのですが、相変わらず終わるはずの業務が一向に終わらず、書く予定のネタも先延ばしになる一方という状況なもので、これ以上話は広げずにおしまい。

by bokukoui | 2006-10-18 23:40 | 時事漫言 | Comments(0)

パンドラの箱を底まで浚うような話

 小生が教育関連の事業でお世話になった方が、ミクシー上で色々とお悩みを吐露しておられるのを一読し、些か教育について思うところもあるので軽く一筆。

 安倍総理が「教育再生会議」を編成したことは皆様ご存知かと思います。その面子を見ていて色々と思ったことを当てもなく書いていきたいと思うわけなのですが。
●「教育再生会議」有識者メンバー

浅利慶太(劇団四季代表)
池田守男(資生堂相談役)=座長代理
海老名香葉子(エッセイスト)
小野元之(日本学術振興会理事長)
陰山英男(立命館小副校長)
葛西敬之(JR東海会長)
門川大作(京都市教育長)
川勝平太(国際日本文化研究センター教授)
小谷実可子(日本オリンピック委員会理事)
小宮山宏(東大総長)
品川裕香(教育ジャーナリスト)
白石真澄(東洋大教授)
張富士夫(トヨタ自動車会長)
中嶋嶺雄(国際教養大学長)
野依良治(理化学研究所理事長)=座長
義家弘介(横浜市教育委員)
渡辺美樹(ワタミ社長)
(50音順、敬称略)
 川勝平太はこの手のところによく出てくるなあ、という感慨はさておき。
 そういえば東大総長の小宮山宏氏のご子息は中学で同級生で、ひとつ前の席だったなあということを思い出してもみたり。彼は優秀な人でした。東大に進み、今はスタンフォード大学にいるそうです。イケメンな野球部員でした。tubeと『キン肉マン』を周囲に広めていました。あ、そういや小生も借りて読んだな。でもあまり影響は受けなかった。小生が厨房の頃最も影響を受けた漫画、それは小生のHNの最初の二文字を見れば分かる話。

 いやますますそんなことはどうでもよくて。
 今日のお題は、本日付日本経済新聞二面に「教育再生を聞く」と題して掲載されていた、渡辺美樹ワタミ社長のご意見に関し少々思うところを一筆、という次第です。
 以下記事引用。
――安倍政権の教育再生会議では何を訴えていきたいか。
「教職員の意識改革を問いたい。教師は三百六十五日、二十四時間、教師であることを意識してほしい。子供が望むなら夜遅くまで補習や部活動に付き合う。学校五日制で教師に週休二日とらせるのは反対。そこまでしたくない人は辞めてもらったり、評価を低くすればよい」
――安倍晋三首相も免許更新制の導入などで問題を抱える教師に退場を迫る方針のようだ。
「研修を受ければ済むような更新制はだめ。問題教師をクビにするぐらいでないと。私が経営する学校では教師に成果主義に基づく賃金体系を導入し、生徒や保護者、教師同士が評価する仕組みにしている。評価の高い教師の給料を増やすなど、教育現場にも競争原理を働かせるべきだ。教師も失業と向かい合う必要がある」
(以下略)
 小生の友人で小学校の先生をしている人がいますが、既に充分忙しそうです。この上「三百六十五日、二十四時間」も奉公せよとは無理無体ではありますまいか。そこまでする義務が必要なのでしょうか。
 ワタミ社長のこのインタビューに日経新聞は「だめな学校つぶれていい」と題しています。ワタミ社長の発言の、教育に関する経済的自由主義の側面を捉えて(日経新聞ですから)この表題をつけたのでしょう。教育に経済的原理を導入することは否定されるべきことではないと小生も考えます。何となれば、教育をあまりに神聖で重要なこととご大層に見做し、「教師=聖職」などという看板を掲げることが、教育をかえって堅苦しく融通の利かないものにしている面もあると思うからです。教育もまたサーヴィス業的側面を持つ(無論全部それってのも行き過ぎですが)、ということを認識して政策立案することは、それなりに意味のあることだと思います。
 しかし、このような文脈でワタミ社長のこのご意見を一定程度認めた場合、「教師は三百六十五日、二十四時間、教師であること」「教師に週休二日とらせるのは反対」ということは矛盾します。サーヴィス業の従業員にこのような労働条件を押し付けることは不当ではないでしょうか。要するに、教育に関して経済的側面と経済外的側面とを恣意的にくっつけ、勝手な要求をしているだけではないか、そう思います。

※このようなワタミ社長の発言は、容易にワタミ従業員の過酷な労働状況を推測させますが、小生はそれについて語る情報を持っておりません。
 ただ、ワタミではないですが、最近急速に伸ばしてきたことで知られる某外食チェーンの、部内報類やアルバイトたちのコンテスト? のようなものを収めたDVDという資料を某氏から譲っていただいたことがあります。そこでは、経営者の唱える自己啓発セミナー的理念が繰り返し述べられ、店舗ごとに設定した目標の達成振りを熱く誇る従業員やアルバイトたちの、宗教的熱狂としか形容しようのない姿が延々と収められていました。
 外食産業一般にこれら事例を当てはめることは極めて危険であるということを百も承知で述べるならば、低価格競争が激しくコストダウンに迫られた外食産業が、新興宗教や自己啓発を連想させるような手法で心理的に従業員を追い込み、彼らの労働力を(おそらくは賃金水準以上に)搾り出している、そのような状況があるのではないかと思われます。
 無論それを全て経営者の責に帰すのはやりすぎというものであり、そうせざるを得ないような社会状況を再検討すべきであろうことは間違いありません。しかし、経営上の方便としてやむなく、ではなく、そのような労働力搾取手段を優れた経営手法であり従業員教育であると自ら信じ込んで、学校教育現場にもその方法論を引っ提げて乗り込むとすれば――それは合理的ではないと考えます。
 以上余談。


 が、まあこれはまだ枝葉末節の話。
 以前にちょっと書いたことがありましたが、高校生の時分国語の授業で長田弘の「敵という名の怪獣」を読まされたことがありました。その時はあまり意味が分からなかったけれど、その後時間が経ってから、その主張の意味するところが分かってきたような気がします。学校で授業を受けて、卒業して何年も経って、本を読んだ折などにふと昔の記憶が蘇ってきてはっとするような、その時になって初めて受けた教育の意味が分かるような、そんな経験が時としてあります。小生思うに、教育の成果というものは、短期的に表れる要素もありますが、このように長期的に表れる要素もまた重要であろうと思います。以前縷説したことがありましたが、教育の究極的な目的が故人主体性の確立になるのならば、このような長期的効果こそ、その目的に適うものといえるでしょう。
 短期的な教育の成果は、教師が教えたものをどれだけ受容できるかということです。学び=まねび、という段階ですね。しかしこれだけでは、教師のコピーの域を脱することには必ずしもなりません。教育されたものが一旦被教育者の中に沈潜し、何かの機会に再認識されることによって、コピー以上の自己の一部とすることが出来るのではないでしょうか。 
 これも以前に書いたことですが、どうもこのような「成功者」で、教育に一家言を有する方の場合、自分のコピーを作るような教育で良しとしてしまう傾向があるのではないかと考えます。そうすることは、自己の正当性を確認することにもつながるわけですね。

 しかし、教育の成果とはそのような短期的に確認できるものばかりではないわけです。少々極論を吐けば、人間の評価は棺桶の蓋が閉まってからでないと分からないとも言えます。ということは、教育者が被教育者に及ぼした成果を最後まで見届けることはかなり珍しいこと(あまり起こって欲しくないこと)ということが出来るでしょう。
 となれば、そもそも教師というのはなかなかに辛い職業で、その成果を確認することが難しい職業といえましょう。それは教育者自身のみならず、被教育者や周囲の人間にとっても同じことではあるわけですが。
 ですから、短期的な「成果主義」を全く無意味とまで言い切ることはしませんけれど、今時の企業の決算のように四半期ごとにころころ給料を上げ下げされるような状況は、決して好ましい状況ではないと思われるのです。別に馴れ合いを奨励するわけではありませんが、朝令暮改的に評価を上げ下げするよりも、ある程度大雑把な方が好ましい場合もあるのではないか――というか、その程度にしか評価し得ない(あまりにも目に余るのを外す位)のではないか、そのように考えます。どうせ半世紀経たないと決算締められないような事業なのですから。

 斯様な「教育」という行為が営々と続けられているのは、まさに「パンドラの箱」の神話みたいな状況なのだと思います。「パンドラの箱」を開けて中の災厄がことごとくこの世に解き放たれたけれど、一つだけ「未来を知る能力」という災厄が箱の中に残ったため、人間は将来に希望を持つことが出来る、という、あの神話です。教育のもたらすものは見ることが出来ない、だからこぞ教育をすることが出来る、そういう逆説的なことかもしれません。
 教育の結果、偉人賢人を世に送り出すことが出来るかもしれません。でも逆に宮崎勤や宅間守みたいのが生まれるかもしれません(こちらのジェフリー・ダーマーの父親の言葉は重いですね)。将来どうなるのか決定的なことは分からないし、だからといって何もしないというわけにも行かないだろうし。

 この「教育再生会議」の前身というのか、「教育改革国民会議」というのがありまして、そちらがよく現政権の教育に対する方針を反映しているようです(「教育再生会議」はこれでも「安倍色薄い人選」だそうです。まあ東大総長は安倍的でないでしょう。そう思いたいです)が、既に随所で話題になっているように、そこの委員の提言は「IT時代」がどうこうと謳っておきながら、現在の社会の状況とそれをもたらす状況に全く無頓着としか思われないものです。そしてこの内容から強く感じざるを得ないのが、子供を教育を通じて万全にコントロールしよう、提言中の言葉を借りれば「子どもを厳しく「飼い馴らす」必要」を最重要課題にしているのではないか、ということです。
 現在の教育改革をもっぱら主唱している人々の多くは、教育の持っている、効果が分からないという性格を「カイゼン」したいと思っているのでしょうか。上掲ワタミ社長(氏は「安倍色薄い」教育再生会議面子中、安倍首相に近い人物といわれています)の発言とも重ねると、どうもそんな気がしてきます。それは自己の成功体験を将来にわたってまで有効であると信じているだけのようにも思われます。教育という事業の成果を評価できる頃には、教育者は大概死に絶えているわけですが、己が死後まで自己の成功の確信を世に残し続けたいのでしょうか。
 そのような営為は、それこそ、パンドラの箱を底まで浚って、最後の希望までも支配下においてしまいたい、そんな欲求なのかもしれない、そう思います。

 なお、教育再生会議の安倍色濃い目のもう一人の大物・葛西大明神についても思うところなくもありませんがそれはまた後日。海陽学園についてはちょっとしたルートができて、情報が多少入ってきていることもあるし。

 最後に余談。
 こんな長々した文章を書くと途中で士気が萎えるため、Gyaoで『女子高生』を、Youtubeで『あずまんが大王』を見ながら書いていたのですっかり完成まで時間がかかりました。先生になるならゆかり先生みたいになりたいですね(運転以外)。あるいは糸色望先生とか。

by bokukoui | 2006-10-13 23:58 | 時事漫言 | Comments(12)

飲酒運転略考

 昨日の記事の補足。

 富山で警察官が飲酒運転をして検挙されていたのに、当局がそれを公開しなかったというので批判された、という事件が最近ありました。
 こちらとかに経緯が書いてあります。

 数日前のNHKのニュースがこの件をかなり詳しく取り上げていて、問題の警察官が、勤務が終わってからどのように車で移動し、パチンコを打ち、酒を飲み、捕まったかを地図の上で説明していました。その地図がネット上に見つからないので記憶に頼って書きますが、その地図を見ている限り、その警官は完全に城端線に沿って移動していたんですね。
 ということは、城端線が富山ライトレールのように15分ヘッドで走っていれば、その警官は鉄道で移動して酒を飲みパチンコを打つことができたはずで、そうすれば何の問題も無かった・・・ということになったかも知れません。
 飲酒運転がこれだけ報じられてもする連中が絶えない背景には、このような公共交通機関の整備の程度の問題(地方はどうしても手薄)や、酒を飲むことと運転することが共に「男らしさ」として捉えられているジェンダー的な問題(「酒飲んだから運転しない」というとバカにするような空気がないとはいえない)、代行運転業への規制強化など、色々な要素が背後にあると思われます。まあ、実際のところは、そんなことをいちいち分析するよりも、魔女狩り的キャンペーンによってでも減ればそれでいいのかもしれませんが・・・。
 でもまあ、鉄道には追い風ではないかと。駅の売店で酒とおつまみの販売に力を入れましょう、酒を飲みやすいように転換クロスシートを増やしましょう(笑)。もう新大久保駅の事件を覚えている人も少ないだろうから。・・・てことは、この飲酒運転反対キャンペーンも、そのうち忘れられるということなのでしょうか。やはり原因を解きほぐす根気なくして、長期的な対策は立たないのかもしれません。

 最後に蛇足。
 富山県警の今回の事件を、「事件の公表が遅れたのは“隠蔽体質”で、馴れ合いだから」だと各方面で批判されております。しかし本当に馴れ合いだったら、検挙の時点で現場で揉み消した可能性が最も高いような気がします。現場はそこそこ真面目だったのに、中央が腐っていたんですね・・・そういう点はまことに「日本的」と言うものなのでしょうか、どうなのか。

by bokukoui | 2006-10-05 23:58 | 時事漫言 | Comments(3)

引退記念

 一日にでも張ろうと思っていたところ、諸事情で先送りになってしまったけれど、このままだとお蔵入りになりそうな画像を。クリックすると拡大します。
引退記念_f0030574_23541924.jpg
 新千歳空港で雪落としをするYS-11・・・の訳はないですね。
 これは鹿児島空港にて2004年2月に撮影した種子島便の機材。冬という季節とはいえ、珍しいほど(前日のバスの車中で高校生が騒いでいた)雪が降っていました。鹿児島空港は山中にあるので、尚のこと雪が激しかったようです。飛べるのかちょっと懸念しましたが、無事に飛んで、これに乗って種子島に行きました。YSに乗ったのはそれが最初で最後でした。もちろんそのためにわざわざ種子島に行った訳ですが。

 ここ数日長い記事ばかり書いて草臥れたので今日は一服。
 ともあれ、YSも先月一杯で隠退しましたが、お疲れ様でした。

by bokukoui | 2006-10-03 23:57 | 時事漫言 | Comments(3)

実在しないという約束があったからこそ意味があったこと

 テレビでこのニュースを知ったので、せっせと検索してみましたが、どうもネットのニュースでは主要トピックとして取り上げているところがないようで、代わりにこんなのが見つかりました。

 「美少女ゲーム」はゲームじゃない!?

 あら東先生何を仰るのかと思いきや。
 コスティキャンのゲーム論を金科玉条と仰ぐシミュレーションゲーム厨の小生にとっては今更何を言わんかという感ですが、まあ妄想を煽るのに技術の進化は要らないというのはそれはそれで筋が通っていると思わなくもありません。
 そしてそのことは、本日小生が取り上げようと思っていたニュースと関連しているのかもしれません。

 「東京ローズ」のアイバさん死去=反逆者の汚名かぶり30年

 「東京ローズ」を知らぬ人はいないと思いますが、実際には複数人のアナウンサーが担当していたにもかかわらずアイバさんのみが裁判にかけられるに至ったのは、
一口に言うと、東京ローズ裁判は、日米戦争中の一スパイの戦犯裁判ではなく、戦後の冷戦下アメリカの世界政策・国内政策の見せしめとして利用されたのである。折から起こったマッカーシズムの赤狩りに効果的に世論をかき立てるために、もともと同一人物説の根拠薄弱なアイバ戸栗=東京ローズにものものしい「反逆罪」の汚名を着せ、その連想で左翼知識人の反逆性を戦犯・スパイ並みに危険視させる。これが華やかな女スパイ東京ローズの魔女的イメージと重って、赤狩りを背景にした魔女裁判の趣きを呈した。
                    (種村季弘『書物漫遊記』p.209)
 から、だそうです。ドウズ昌代『東京ローズ』を読んだことがないので、同書を取り上げた種村書から孫引き。
 東京ローズは現実にいないからこそ意味があったようなものなのに、それを実際の人間に当てはめたための馬鹿げた醜い事態だったのかもしれません。

 そういえば、確かナチの対英英語放送のアナウンサーは死刑になったような(今出典が見つからないのですが)。

by bokukoui | 2006-09-27 23:59 | 時事漫言 | Comments(0)