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カテゴリ:食物( 41 )

安藤百福氏没す

 麺類大好き人間にとっては感ずるところの少なくないニュースが、新年早々飛び込んできました。

日清食品創業者会長の安藤百福さん死去 即席めんを開発
「食足世平」信念に、即席めんで一時代 安藤百福氏死去
[訃報]安藤百福さん 飢えからの解放決意…破産乗り越え

 インスタントラーメンの発明者であり、かつまたそれを世界に広めた企業家でもある安藤百福氏が逝去されました。享年96。大往生とはいえそうですが、前日まで社員に訓示をするくらいには健康で、かつまたチキンラーメンも召し上がっていたとの由。「健康に良くない」印象のあるインスタント食品の、そのまた代表選手であるインスタントラーメンを毎日食べていて96歳まで元気だったのですから、実はインスタントラーメンは健康にいいのかもしれません(笑)。簡単にそこそこ栄養を取れる食品があった方が、人々の健康全体増進の上ではきっといいのだろうと、これは真面目に小生も思いますし、またおそらく安藤氏の開発理念もそうだったのではないでしょうか。
 いつぞや書いた鍋焼きうどんの記事からも読者の皆様にはお察しが就くかと思いますが、小生は麺類大好き人間で(除冷やし中華)、かつまた安藤氏の関係した出版事業の会社が出した麺類関係の本を愛読しております。それだけに、今回の訃報には思うところ少なからざるものがありました。

 安藤氏の業績の偉大さは既に様々な記事が触れていますから、ここで小生がいちいち繰り返す必要はないでしょうが、しかしこれほど世界に広くしかも深く影響を与える、生活に密着した新たな文化を創造した偉大さは後世にまで語り継がれるでしょう。しかもこの商品の興味深いところは、これだけ世界中で大々的に消費される工業商品であるにもかかわらず、例えば自動車やコンピュータのように、世界中を席巻する多国籍大企業が大規模な生産・販売活動を行っているのではなく、国ごと、というか食文化ごとに様々なバリエーションを生んで浸透して行き、様々な企業が各国ごとに個性を競っているのが、興味深いところです。
 比較的小規模な企業が乱立しているという点では、アパレルなんかもそんな感じがしますが、しかし服飾業界には国際的に通用するブランドというものがあり、それは世界のどこかにトレンドの中心があるということを意味します。しかしインスタントラーメンにはあまりそういったことはないでしょう。それだけ世界中で生活に、そして人々の食文化に密着しているということなのではないかと思います。(国ごとにばらばらという企業形態としては出版業がちょっと似ている?)
 昨日の話に強引に結びつければ、まさに安藤氏は「日本発祥であることを世界中の人々が忘れてしまうほど」の、食生活の一環をなす商品を創造したのだというところに、その偉大さがあるように思います。

 ついでに、日本近代で世界にこれほどの影響を与えた偉人としては、安藤氏以外の大物として池田菊苗・鈴木三郎助の名前を挙げたいと思います。グルタミン酸ナトリウムの効用と製造法を発明した化学者と、それを商品化した企業家です。アジア中の人間の舌を味の素漬けにして麻痺させた功績は大きい(笑)。日本軍の侵略よりも皇民化教育よりも甚大な影響かもしれません。
 ただやはり、だしの旨みはアジア以外の地域ではあまり好まれないようなので、世界展開という点ではインスタントラーメンの方が上かも。

 ま、小難しい理屈はひとまず置いて、安藤氏の業績を顕彰し、その冥福を祈る個人的イベントを開催しました。
安藤百福氏没す_f0030574_222874.jpg
 すぐおいしい、すごくおいしい。
 ごちそうさまでした。

by bokukoui | 2007-01-06 23:38 | 食物 | Comments(0)

乾パンの美点

 ここんとこ重量級の記事ばかり書いていて流石に疲れたので、今日は軽い話。

 先月の駒場祭の折、ラーゲリ緒方氏の肝煎りにて自衛隊の方に展示にご協力いただき、その際に携行口糧の類をいわば「食べる展示」としてご提供いただきました。で、その際に余った乾パンをふた袋ほど貰ってきたのでした。気前いいな自衛隊、と思って乾パンの袋を良く見たら
 「品質保持期限 2006・3」
 ・・・期限切れでした。

 とはいえ、実質上のところ何も問題はなかったので、ありがたく戴きました。結構量があると思っていましたが、一月摘んでいたら流石になくなってしまいました。この味、結構好きなのです。

 乾パンは元々日本陸軍が携行口糧として開発したものだとかいいますが、その開発の中心人物の一人が川島四郎氏であったそうです。と、むかし川島氏の書いた本を読んで知りました。サトウサンペイとの対談本だったっけかな?(親が誰かから借りたらしい)その中に結構乾パンの話も出ていて面白かったです。乾パンに胡麻が入っているのは川島氏のアイディアらしいとか、味付けは何日もそればかり食べて作戦することを考えて薄味にしたとか、そんなことが書いてあって感心した覚えがあります。
 で、ここ一月乾パンをかじっていて、乾パンの美点にもうひとつ気がつきました。今クレフェルトの『補給戦』を用事の行き帰りに読んでいて、そこに西洋の携行口糧=ビスケットが登場します。物の本によるとこのビスケット、保存性重視で無茶苦茶堅く焼き固めてあったので、叩いて砕いたり水に浸けたりしないと、とても食えたものではなかったとか。そういえばクラッカーの類も、そればかり食べると口の中がモソモソして不快な感じがします。チーズなぞのっけてブドウ酒と、というのなら話はまったく変わりますけど。
 しかし、乾パンって水なしでそのまま食べても結構食べられるものなんですね。これには感心しました。保存できるように水分は充分少なくしてあるはずなのですが、不思議と水なしでも幾つも食べられます。同じことをクラッカーでやったらとても我慢ならないでしょう。まさしく戦場向き。
 いやあ日本陸軍も時にはなかなか気の効いたものを開発したなあ、と思いましたが、しかしいくら乾パンの出来が良くても、前線まで届けられなかったら意味はないですね。

 最後に、川島博士の本に書いてあったトリビアを思い出したので一筆。
 乾パンなんかは水分が極めて少ない食品のように思われますが、いろいろある食品の中でもっとも水分の含有率が低いのはチョコレートなのだそうです(水分1%)。とろけるので一見水気を含んでいるような気がしますが、あれは油脂分とかなのでしょうね。
 なるほど、だから乾パンと一緒に入れてある甘味は金平糖であってチョコレートじゃないのか?

by bokukoui | 2006-12-22 23:58 | 食物 | Comments(3)

今日は

 満州事変(柳条湖事件)勃発記念日ですが、特にそれに関連した話題も思いつかんなあ。

 ところで世間では、吉野家の牛丼が一日だけ販売されたということがニュースになっており、こんなことまで報道されていました。
 
 シーファー駐日米大使も牛丼に舌鼓・吉野家(日経新聞)

 外交官というのもいろいろ面倒なお仕事ですね。
 で、大使曰く「(米国産牛肉を使った)牛丼は日本における米国のシンボル
 ・・・反米右翼の皆様は、今後襲撃目標にマクドナルドだけでなく、吉野家も加えるべきなのかもしれません。もっとも諸外国で時折見られる「マック襲撃」が日本で見られないのはなぜなのでしょうか。故藤田田の巧妙な経営戦術故か、それ以外なのか。

by bokukoui | 2006-09-18 23:58 | 食物 | Comments(3)

明日から

 世界史と地理の授業につき、準備をせねばならないので本日はあまり書くわけには行きません。
 実際、毎日、昨日のような長い記事を書くほどの気力はありませんので悪しからず。

 ところで昨日の話題を少し引っ張りますと、日経新聞が坂東氏のコラムを載せたことを批判する向きも結構多いようですが、日経新聞のコラムといえば個人的に一番面白いと思っているのは木曜夕刊の東京農大教授・小泉武夫氏の食べ物コラムであります。小泉氏も食べ物に関する書き手として注目に値する人ではありますが、個人的には今ひとつ高く評価しきれない要素があったので、昨日名前を挙げはしなかったのですが。
 とはいえ、小泉氏といえば世界の様々な食べ物や酒を飲み食いした豊富な経験をお持ちで、「鉄の胃袋」の石毛直道氏に対し「ジュラルミンの胃袋」「鋼の胃袋」などと名乗っているようですが(石毛氏の上を行くなら「チタンの胃袋」ぐらいの方がカッコいいと思うけど。デュラルミンはあまり強そうでない)、きっと中国で犬猫の類を食した経験もお持ちではないかと推測されます。
 で、ここで木曜日のコラムで「広東で食った猫はなかなか旨かった。独特の臭みがあるが、その臭みの残る口にアルコール度50度の白酒をコピリンコと流し込むと、これがえもいわれぬ風味に変化し・・・」とか書いたら神だなあとか思ったり。

※その後紆余曲折を経て、墨東公安委員会が白酒を愛飲するようになった経緯は以下の記事を参照→池袋の「中華街」で白酒(中国焼酎)を呑み犬を食う話など

 「個人的には今ひとつ高く評価しきれない要素」とかについてはいつか書きたいとは思いますが、要するに食物を語るにあたって、旨い・栄養が正義という単線的価値観を脱し、なおかつ単純な近代批判・「伝統」文化礼賛的価値観にはまっていないこと、等が判断基準です。割と自国中心的になっちゃったりするんですよね。それを乗り越えた普遍的な面白さに達するのに、単純に健康に良いとか旨いとかの基準に頼らずに書けるかどうか、というところです。

 先日来引っ張っている、ガンダム由来の話題は必ず皆様への返信をつけて記事にしますのでしばしお待ちを。

by bokukoui | 2006-08-27 23:59 | 食物 | Comments(2)

坂東眞砂子氏に提案する猫の「合理的」にして「倫理的」処置法

 今日は当ブログにしては珍しく、世間で最近話題になっている事柄に関連しつつ一筆ものしてみようと思います。表題でお分かりと思いますが、最近話題になっている作家・ 坂東真砂子氏が日経新聞のエッセイで、飼い猫が生んだ子猫を殺していることを書いたことに端を発した話題です。
 ガンダムに端を発した一連の話題は、皆様のありがたいご指摘を多々戴きましたので、もう少し考えて続きを書かせていただきます。

 本件に関しては皆様ご存知とは思いますが、幾つかのニュースサイトにリンクを張っておきましょう。

作家の坂東真砂子氏「猫殺し」に批判殺到
作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る

 拙宅では父親の選択で日経新聞を読んでいるので、小生はこのエッセイは既に読んでおりました。非常に厭味なことを書くようですが、小生が最初に読んだ時の感想は「あ、こんなこと書いたらきっとネットとかで叩かれるだろうな」と思ったのでして、その予想は当たった――いや、想像した以上に祭り状態になっているので、そういう意味では外れたのかもしれませんが――のではあります。坂東氏の行為自体に関しては、そのようなご判断をご自身下されたのでしたらそれは尊重申し上げたいのですが、ただそういったことをメディアで発表されるのは如何なものかとは思います。このメディアリテラシーに関しては重大な問題があるでしょう。
 小生自身、生き物を飼った経験は碌になく、今後もそんなことをしたいとは絶対に思いません。それに伴う責任を負い切れる自信が全くないからです。その点で、自分なりに責任を負う覚悟を示された坂東氏を「尊重申し上げたい」のです。
 で、ネットでも賛否両論・・・というかやはり否定の方がずっと多いようで、中には坂東氏の著作の不買運動を始めたサイトやら、氏の作品を店頭から撤去したと公言する書店員のブログまで出てくる状況です。小生は、作家の作品についてこのような事情でこういった行動をすることが妥当かどうか疑問に思わなくもないのですが、その是非は今は置いておくとします。で、この話題を巡る議論の問題点としては、猫が子を産みまくるという問題に対する解決の処方箋が「不妊手術」という方向で愛猫家業界ではおおむね固まっていらしいので(こちらのブログのコメント欄「あいうえお」氏参照)、それ以外の対応策があまり考えられず(「飼う」では解決にならない)、結局後は倫理的問題を巡る意見のぶつけ合いになって、水掛け論的様相を呈するに至り、うやむやになっていってしまうということではないかと思います。坂東氏は子猫殺しも不妊手術も罪としつつ子猫殺しを選んだ、という立場のようですが、一般的には前者は罪でも後者は違う、という認識の違いがあるので、結局議論に決着はつかないでしょう。
 そこでふと思ったのですが、何か代替的な方法を一つでも提示できれば、もうちょっと実際的な話が出来るかもしれません。

 さてここで、話はがらりと変わります。
 数日前のブログで、石毛直道氏の本を買ったということを書きましたが、小生は石毛氏の書物が好きで、古書店巡りの際に目に付くとよく買っています。石毛氏は、説明するまでもありませんが、著名な民族学者で、特に食文化について多くの著作をものされています。
 衣食住、といいますけど、小生は着る物は nerd 、住んでいる部屋は魔窟、という人間ですが、食う方には人並み程度の関心はあります。そして食べ物に関する本も好きで、古書店で見つけて値段が手ごろならば、石毛氏に限らず結構買っています。
 小生が食物について書いた本に関心を抱くようになったきっかけは、ひとえに種村季弘『食物漫遊記』(小生が持っているのは単行本版)を読んだのがきっかけで(種村季弘の本もこれが初めてだったかも)、これを読んで以降神保町に行くと必ず「いもや」の天どん(小生はこの写真の白山通りの店ではなく、三省堂そば人生劇場裏の店を推奨しますが、その理由をここに述べる紙幅のないのが残念です)を食するようになったというほどの影響を受けましたが(笑)、こうして読んだ食物関連の書物で面白かったといえば『食物漫遊記』の他内田百閒『御馳走帖』、そして石毛氏の書物を挙げたいと思います(その理由をここに述べる紙幅のないのが残念です)。

※追記:人生劇場裏「いもや」のその後については以下の記事をご参照下さい。
 →「神保町の変化 「いもや」グループ再編・中山書店閉店セール」
 →「神保町の「神田天丼家」(旧「天丼いもや」)移転 および天丼の雑談」

 で、数日前に小生は石毛氏の『鉄の胃袋中国漫遊』(平凡社ライブラリー)という本を買って、電車の行き帰りで読んでしまいました。今から20年以上前、文革が終わって四人組が打倒され、改革・開放路線に舵を切り始めた頃の中国を食べ歩いた記録です。頗る面白いので、中華料理の好きな人にとっては一読の価値があるでしょう。
 単行本は1984年に出版されましたが、平凡社ライブラリー版は1996年に再版されたものです。再版に当たって石毛氏は、
 その後の中国の変化はすさまじい。そこで、本書の記述には、現状にそぐわない点もある。わずか十年のうちに、中国の食生活の変動期における一断面をスケッチした、歴史的な記録として、読んでもらわなければならないことになったのである。
 ただし、変化したのは食生活をとりまく制度的側面であり、この本の主人公である食べ物に変わりはない。
(同書p.343)
 と述べておられます。しかしそれからさらに十年、中国はすさまじく変化し続けていますので、或いは食べ物にも変化が生じている可能性もあります。
 そう、少なくとも一つ、はっきりと変化してしまったことが明白なことがあるのです。それは本書で石毛氏が広州の清平路自由市場というところを訪れるくだりです。中国でも「食は広州にあり」といわれる広東人は、「四本足で食べないのはテーブルと椅子だけ」といわれるそうですが、それだけに実に様々な動物がこの市場では売られていたのです。
 野生生物で売られている代表的なものが菓子狸、つまりハクビシンで、結構な高級食材のようでした。一方犬も食用で売られており、そしてなんと猫も売っていたのだそうです。値段が載っていて、1斤(500グラム)あたりハクビシンは8元、牛が3元、豚赤身2.5元、猫2元、犬1.8元だそうで、実は犬猫は庶民向け安食材(昔の日本で言えば馬肉みたいなものか?)だったようです。
 皆様ご承知の通り、数年前SARSが流行した際、ハクビシンを食用にしていてウィルスが伝染したのがその原因とされ、今ではハクビシンの食用は禁止されてしまいました。その状況を伝えたニュースをこちらにご紹介して置きますが、このニュースで気になるのは末尾の市の当局が「市民に対し「文明的な食習慣」を身に付け、ハクビシンなどの野生動物を食さないよう呼びかけている」というくだりです。韓国でもソウルオリンピックをきっかけに犬を食べることが批判されるようになったといいますが(こちら参照)、ならば中国でも北京オリンピックをきっかけに、犬や猫を食わないように当局が圧力をかける、ということはありそうです。うーむ・・・。

 話を戻して、石毛氏の書物には写真が多いのが特徴なのですが(しかも全部カラー)、この清平路自由市場関連でも数葉の写真が掲載されています。同書から猫に関する写真を引用したいと思います(p.272)。スキャナがないのでデジカメで撮っており、お見苦しいのはご容赦を。

(以下猫の死体写真あり)

by bokukoui | 2006-08-26 23:58 | 食物 | Comments(3)

食と教育について雑感

 今日から三日間、夏期講習の講師として地理を教えることになり、同じ日に国語もやっていてなかなか多忙です。
 それにしても最近の若い子は、昔地形図を作っていたのが陸軍参謀本部の陸地測量部だと知らないんだねえ、というのはヨタにしても、国土地理院が国土交通省所属になっているところに微妙に時の流れを感じてみたり。

 それと全く関係ありませんが、本日夕刊の日経新聞の記事を読んで知った話で、品川区の鈴ヶ森小学校に於いて、最近流行りの「食育」というのか、朝食をとる食習慣の大切さを実践するような話題が載っていました。六年生の二クラスを対象にして、一方のクラスは早めに登校させてボランティアによる一律メニューの朝食を摂らせ、もう一方のクラスは今までどおりの生活を行うということを三週間行ったそうです(こちらが同小学校のサイト)。何となく「ためしてガッテン!」の企画みたいな感じがしますな。
 で、結果は現在集計中だそうですが、何でも子供たちの集中力が上がっただか、計算問題かなんかのなんだか点数が上がっただかの効果があった、みたいらしい、ようなことが記事に書かれていました。

 しかし、それって、「特別扱い」されて注目されているクラスの子供たちの士気が上がった、ということが実は大きいんじゃないかという気がします。
 食文化は様々な側面を持っている大変興味深いもので、小生も食文化関連の本を読むのが結構好きだったりしますが、それを「健康」の名の元に教育現場に押し入ったり、その際に「伝統」の食生活(それは往々にして「自然」と規定される)をやけに高く評価したりするのは、どんなもんだかなと思うこともあります。この「伝統」もご多分に漏れず、ホブズボームばりに言えば「創造された伝統」ということはよくありがちなことで、今から七十年余り前に書かれた柳田國男『明治大正史世相篇』の食文化の末節には、
温かい飯と味噌汁と浅漬けと茶との生活は、実は現在の最小家族制が、やっとこしらえ上げた新様式であった。これを超越してまたこの次の案を夢むべく、あまりにその印象が深く刻まれているのである。
なんて書いてあるしねえ・・・。
 あと、朝食を摂る食習慣というのも、地域的・歴史的に必ずしも普遍的ではないのではないかとも思います。

 以上、「好き嫌いがない=味も分からぬ田舎者」という家訓の元で育ち、給食が嫌さに中学受験をした人間の戯言でした。

by bokukoui | 2006-07-25 23:59 | 食物 | Comments(2)

お茶の本とコーヒーの本を読む

 ただでさえ積読本が堆く積み重なっているところに、先日研究室にて定価の半額で本の放出をするというのでつい数冊引き取ってしまい、このままではいかんと数冊片付けました。
 今日はその中から二冊を取り上げて比較しつつ感想など。

 その二冊とはどちらも中公新書で、
角山栄『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会と、
臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液です。お茶とコーヒーの対決というわけですな。

 それぞれの本の著者は、角山栄氏といえば説明するまでもなくイギリス社会経済史の研究者で、というか当ブログを読まれる方ならば『路地裏の大英帝国』の著者としてご存知でしょう。一方の臼井隆一郎氏は、ドイツ文学の研究者のようです。
 本としてはそれぞれの著者の立場の違いからか、前者は史料に基づいた実証的な話が、特に日本茶の輸出とその挫折について細かいのが特徴で、一方後者は独特の語り口で上手にコーヒーの歴史の各時代で面白いところをピックアップした読み物となっています。なので単純に、前者を話が細かい割に全体像としての茶の「世界史」がフォローし切れていない(中国の話が少ない)だとか、後者は実証的な面(数値的データなど)が弱い、とあげつらっても始まりません。どちらも、叙述にそのような個性があることを承知で読めば、結構面白い本だと思います。

 さて、18世紀の英国ではコーヒーハウスが大流行していたのですが、世紀半ばには衰退してクラブに取って代わられてゆき、同じ頃からイギリス人は紅茶へと傾斜していきます。その原因はいろいろとありますが、『コーヒーが廻り世界史が廻る』にあった面白い指摘によると、「ロンドンのコーヒーはあまりに男の飲み物であった」(p.86)ために女性の反発を招いたのもその一因であるといいます。そしてその背景に、この時代から形成される近代市民社会の構成要素である「近代家族」とコーヒーがそぐわなかった、女性(主婦)が仕切る家庭では紅茶が好まれた、という事情があるといいます。
 家族論の観点からこの指摘がどれほど信憑性があるかは寡聞にして存じませんが、確かにコーヒーよりも茶の方が「家庭」に親和的なイメージがあります。或いは、家でお客をもてなす時にも、お茶の方が日本でも英国でも多そうです。逆に、外で飲むものとしてはコーヒーの方が茶よりも優位にあるような気がします。なんとなれば、喫「茶」店といいながら、飲んでいるのはもっぱらコーヒーですよね。そして、喫茶店は家族の団欒で行くところではあまりないですね。
 だとすれば、メイドさんが淹れるのはコーヒーより紅茶が相応しいといえる、のか・・・?

 どちらも面白い本ではありますが、しかしこの二冊の本には共通した食い足りない部分もあるように小生には思われます。それは食文化との関連性がほとんど触れられていないことです。日本が緑茶で英国が紅茶である理由も、様々な文化的相違が関与しているにせよ、米かパンかの食生活がもっとも大きな理由だと思うのです。コーヒーについても、アラビアとヨーロッパで受容のされ方が異なっていた理由にそれがあるのではないでしょうか。競合していた飲料(酒類)についての言及はありますが。
 特に日本のお茶の文化について、今回紹介した本は日本の茶道文化の重要性を世界史レベルで力説していますが、小生はそれに若干の留保をつけたく思います。なんとなれば、日本人の内部において、茶道という文化がどれだけ浸透していったのか、正直なところ疑問に思うからです。大多数の庶民の日常生活に浸透した、まさに日常茶飯事となったお茶の歴史に注目するならば、そして飲料である茶の歴史と密接な関連性を持つ食文化との連携も含めて語るなら、やはりここはお茶漬けの歴史について一筆する必要があるのではないでしょうか。

 なんてことを考えたのも、小生が最近『魯山人味道』の影響で、海苔の茶漬けなぞに凝っているせいかも知れません、というかきっとそうだ。

by bokukoui | 2006-07-22 23:58 | 食物 | Comments(2)

ラーメンを食して思う

 本日は臨時のバイトで遅くなったため更新時刻が遅くなっております。
 何卒ご諒承ください。
 さて、今日は途中立ち寄った池袋でラーメンを食していたのですが、その節に以下のようなことを考えました。

 池袋は「ラーメン激戦区」とやら(テレビ東京あたりが好きそうな言葉)だそうで、実際多くのラーメン屋が立地しております。数年この街でバイトをしていた中で思い出しても、潰れた店より開店した店の方が多いような気がするなあ。で、思うにラーメン屋は比較的経営しやすく(メニューのレパートリーや調理の手間などを考えれば)、そして店舗数が減らないところを見ると利益面でも悪くないみたいですね。
 今日はそこそこ気温が高く、小生は持っていた上着を鞄に突っ込んでおりましたが、ふと急にラーメンを食いたくなって某店にて一杯食しました。そして食しながら、冷房がなかったらこんな日にラーメン食おうとは思わなかったよなあ、などと思ったのでした。
 そう思い出すと、それこそ焼肉屋とか、さらに遡って牛鍋屋みたいな夏場向きではないメニューを出す店は、昔は夏場はどう営業していたんでしょうね。

 森銑三『明治寫眞鏡』という本に氷水(今のかき氷)についての古記録の紹介があって、明治14年(1881年)の頃らしいですが、「伐氷の家、冬は多く牛豚を売る」とあるのを紹介し、さらに続いて、「後には氷屋が冬には焼芋屋になるといふのが、定石のやうになってゐたが、氷屋が肉屋になる時代もあつたのである。この頃の肉屋は、寒い時期だけの商売だつたのである」とあるけど、冷房普及以前に牛鍋屋(だろう、氷屋は氷を食わせる設備込みみたいなので)は通年営業になっていたようですね。夏はさぞ暑苦しかったでしょう。
 ラーメン屋じゃなくて蕎麦屋なら、夏はもり・ざるで凌ぐという方法があるので、通年営業の面では有利であったように思われますが、では上方のうどん屋だったらどうだったんでしょう。
 ラーメン屋は昔は屋台で営業していて、ということは陽が沈んでからの営業が中心でしょうから、暑さの面での問題をある程度回避できたのかもしれません。屋台から店舗への変化が札幌ラーメンと九州のラーメンとどっちで早く進行したか調べたら、案外有意な相違が見出せるかもしれません(何となく九州のラーメンって屋台のイメージが強いんですよね)。
 そういや冷房が普及した今でも夏場は販売していないことが多い鍋焼きうどんですが、あれもそもそもは夜に屋台で売っていたものらしいです(『明治寫眞鏡』の「氷水」の次の次の項目が「鍋焼饂飩」だった。なお昭和初期になっても屋台販売が主だったらしい。柳田國男の『明治大正史世相篇』(1930)に「町の大道の鍋焼き饂飩」とある)。
 「外食産業に冷房の普及がもたらした影響―屋台から常設店舗への移行を中心に―」とか、そんな論文があったら読みたいですね、是非。
 
 しかし本当に、昔夏場の食い物屋やそこへ食べに行っていた人はどうしていたんだろう。
 或いは熱いものを食して汗だくになってもそういうことを気にしない、つまり衛生観念面での変化があったということなのかな。その方が説得的かなあ。

 なお、小生が気温に関らずラーメンを食するに至ったのは、多分ここんとこ家で「刻み揚げ入り温そば」ばかり作って食っていて、流石に脂っこいものが食したくなったからであろうと思われます。
 毎日ひたすら蕎麦ばかりお召し上がりだった百閒先生は偉いなあと(少し)思います。

by bokukoui | 2006-05-22 23:59 | 食物 | Comments(0)

またも電波が飛ばない・歴史授業案

 またも無線LANの調子が悪いようですが、或いはパソコン本体のせいなのかどうなのか。
 この分では碌にネットも見られませんが、その方がかえっていいのかもしれません。

 祖母が訪れていたせいなのかどうなのか、普段決して見ることのないみのもんたの番組を昼に見てしまいました。人生相談でした。みのもんたが電話をかけてきた人(割と若いようだ)に説教しています。あんた甘いよとか何とか。
 確かに甘いと思います。何が甘いといって、みのもんたに電話をすることが。
 呆然と画面の前に座っていたら、『ザ・ワイド』なる番組に切り替わり、等身大ひとしくん人形が現れました。ホリエモン保釈どうこうと報じています。みのもんたの毒気にあてられた小生にその内容を理解することはできませんでしたが、ただ脳の一角が、BGMが『MADLAX』のサントラであると主張していました。

 教育についての話のまとめは明日にでも書きます。
 今日は世界史の授業を塾でやるという実践活動をせねばならず、理論と実践を結びつけることの困難さをただひたすら実感し、すっかり眠りこけている女子高生を起こす気力も湧きませんでした。

 今日の授業範囲は魏晋南北朝で、『斉民要術』が出てくるので、そこに載っている水引餅という最古の麺料理の話(文献で作り方が判明する最古の事例)でもしようかと思ったのですが、時間が足りず不完全燃焼に終わってしまいました。この水引餅という麺、作り方が変っていて、うどんやそばのように延ばした生地を切るのではなく、そうめんのように引っ張るのでもなく、スパゲティや冷麺のように押し出すのでもないのです。まず細長くひも状に手で整形し、水に漬けて、指で平たくもんで韮の葉のように伸ばすのだそうです。作り方が原始的なんですね。
 詳しくは、石毛直道『文化麺類学ことはじめ』に実際に作った結果が載っているのでご参照ください。この記述もそこからの引き写しです。麺が好きな人なら読んで損はありません。講談社文庫版もあるようですが、どうもどちらも絶版みたいです。残念。
 ところで、この本には「北斉(550~577)の高帝は『好んで水引麺を食す』と記録されているという」とありますが(p.27、「水引麺」は「水引餅」と同じ)北斉に「高帝」という皇帝はいないようです。「皇帝」の誤植かもしれませんが、この王朝の姓は「高」なので(初代文宣帝の名は高洋)、或いはそこがごっちゃになったのかもしれません。
 実はこの箇所に出典注はついているのですが、中国語文献なので確認できそうにないのです。

by bokukoui | 2006-04-27 23:59 | 食物 | Comments(0)

「ネギま」の謎

 開業百日記念で新カテゴリを作ってみました。その字の如く食べ物関連の話題を扱います。小生は別に(全く)美食家ではないですが、そっち方面の話題は好きなので。

 さて、昨日『魔法先生ネギま!』にちょっと触れたので、そこで思い出した話題を一つ。
 「ネギま」といえば、今では葱と鶏肉(場合によっては豚肉)を交互に挟んだ焼き鳥(「葱間」)を指すのが普通ですが、確か筆者がリアル工房だった頃かと思いますが、谷崎潤一郎の随筆集(岩波文庫版)を読んでいたところ、そこに「幼少時代の食べ物の思い出」という、1959年に書かれた一編があり、「ねぎま」という食べ物が登場しているのです。字は「葱鮪(鮪=まぐろ)」。以下にその部分を引用。
 ○葱鮪――関東だきの身に「葱鮪」というものがある。鮪の身と東京葱を一本おきに二本串に刺したものであるが、昔東京で葱鮪といえば吸い物椀にきまっていて、これは鮪のとろと葱を汁にしたものである。関西ではすき焼鍋に葱と鮪と豆腐を入れてグツグツ煮て食べるのを「葱鮪」といっているらしく、大阪人の家庭でそういう鍋を御馳走になった覚えがある。
 というものだそうです。
 読んだ時ふと思ったことは、鮪といえば江戸の食べ物、大阪人は鯛や鱧を好むというイメージがあったので、大阪の方に東京日本橋(魚河岸があった)出身の谷崎も知らない鮪料理があるとは面白いなあ、ということでした。

 それから数年後、古本で買ってきた中公文庫の北大路魯山人『魯山人味道』を読んでいたところ、この「葱鮪」に再会しました。ところが、どうも話が谷崎と違っているのです。1938年に執筆されたという「鮪を食う話」より該当部分を引用。
魚河岸における一日約一千尾の大まぐろは、大部分は焼き魚、煮魚として夏場のそうざいとなるのである。もっとも冬場でも、まぐろの腹部の肉、俗に砂摺りというところが脂身であるゆえに、木目のような皮の部分が噛み切れない筋となるから、この部分は細切りして、「ねぎま」というなべものにして、寒い時分、東京人のよろこぶものである。すなわち、ねぎとまぐろの脂肪とをいっしょにして、すき焼きのように煮て食うのである。年寄りは、くどい料理としてよろこばぬが、血気壮んな者には美味いものである。
 聞くところによると、いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁とか、浅草田圃などというところで朝餉に熱燗でねぎまとくると、その美味さ加減は言い知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果をあげるそうである。
 と、書いてあります。
 あれれ? 谷崎が関西で初めて知ったと思しきすき焼き風「葱鮪」鍋が、魯山人によると東京の地元料理のように書かれています。話がややこしいのが、東京出身の谷崎が関西のものだといい、京都人の魯山人が東京のものだと言っているところですが、実態はどうだったんでしょう。
 話としては魯山人の方が詳しいし、状況説明もついてもっともらしいし、なにより食の大家ですから(谷崎もその道に疎い人では全くないわけですけど)、そちらの方が信用したくなってしまいます。そして今、「ねぎま」でネット検索をかけると、赤松健作品関連のページの山の中から、「ねぎま鍋」の情報を幾つか拾い出すことができます。それによると、やはり皆江戸の庶民料理という感じで紹介しているので、魯山人説が益々有力なように思われてきました。

 ところで、その「ねぎま鍋」の映像を見ると、どうも土鍋で調理しているところが多いようです。こちらのサイトに浅草の店のレシピがありますが、銅鍋推奨でなければ土鍋、だそうです。鉄鍋ではないみたいですね。すき焼鍋といえば普通鉄鍋のような気がしますが。土鍋の料理だと「葱鮪といえば吸い物椀にきまっていて、これは鮪のとろと葱を汁にしたもの」という、谷崎の言う「本来の」葱鮪鍋の雰囲気もちょっと混じっているのかもしれませんね。
 すき焼が出てきたついでに言えば、実は谷崎は「葱鮪」の次の項目で「牛なべ」と題し、次のように書いています。
 ○牛なべ――すき焼きという言葉が東京に輸入されたのはいつ頃からであったろうか。とにかく明治時代にはすき焼などという名称はなかった。皆「牛なべ」といい、「すき焼を食う」といわないで「牛を食う」といった。(以下略)
 というわけで、鍋文化についてはすき焼(この言葉は関西発祥の由)に関東が乗っ取られてしまったらしく(ふぐ鍋の普及・おでんの変化などについても同様の傾向を谷崎は指摘しています)、「ねぎま」においても同様の現象があったのかもしれませんな。つまり、

・谷崎の幼時は、「ねぎま」は鍋というより吸い物に近く、その後おでんの具という形で鍋に進出した。
・それと関連したのかどうなのか、関西にはすき焼き風の「ねぎま」が存在した。
・やがてすき焼やふぐのように関西料理が関東を席巻、その際関西風の鍋としての「ねぎま」が関東にも定着した。
・その頃には谷崎は関西に引っ越していたので、そんなことはよく知らなかった。

 こうすると両者を矛盾なく解釈できる・・・まあそこまで義理立てすることもないけど(笑)
 関東と関西が融合して現在の「ねぎま鍋」になったのだ、とすると話としては綺麗なのですが、果たしてどうでしょう。どなたか情報をお持ちでしたらご教示ください。

 ところで、「ネギま」という表題にだまくらかされてここまで読んでしまわれた赤松先生の読者の方々にはお詫びの仕様もないのですが、もし無理にねぎま鍋と『魔法先生ネギま!』を結びつけるとしたならば、魯山人いわく「いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁とか、浅草田圃などというところで朝餉に熱燗でねぎま」というくらいで、要するにこれって吉原で一晩中アレして朝帰りに食うということですよね。吉原といえば遊女が並ぶ張見世が名物、片や『ネギま!』といえば初回で31人の女子キャラ全員を出席簿の顔写真という設定で顔見世させたわけで、まさに二次元の張見世、萌えの吉原状態(意味不明)。うんうん、似てるんだよそこがきっと。

 ・・・牽強付会もここまでやると電波ですな。
 この「食物」カテゴリ、次回の予定は未定です。なくなるかもしれません。

by bokukoui | 2006-04-09 23:52 | 食物 | Comments(0)